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第二話:あ。可愛い

 高校の同級生である藤崎から飲みに誘われたのは、週の半ばのことだった。


『高校のとき憧れていた女子と仕事で偶然再会し、なんとか飲み会の約束を取り付けたから、来てほしい』と連絡が来た。


 あいにくその日は、残業が確定していた。

 普段なら適当に理由をつけて断るところだが、指定された店の場所が俺の家から近かったことと、残業の疲れを酒で癒すのもいいかと思い、了承した。


 店に着いて案内されたテーブルには、藤崎ともう一人の男のほかに、見覚えのある女子が二人座っていた。

 藤崎が憧れていたという坂本さんと、その友達の高梨さん。

 坂本さんは、高校時代から華やかだった印象とあまり変わっていない気がする。

 一方の高梨さんは、なんとなく元気系だったイメージがあるが、たしかに今もハキハキとはしているものの、地に足のついた大人っぽい雰囲気になっていた。


 藤崎たちの隣、高梨さんの斜め前に座ったものの、店内の喧騒で彼女の話が聞こえず、俺はグラスを持って彼女の隣のソファ席へと移動した。


 隣に座ってみると、思ったよりもスペースが狭くて身体の左側が彼女とくっついてしまう。


(…………)


 そこで、俺は少し驚いた。


 普通なら他人の体温が密着するのは鬱陶しく感じるはずなのに、なんだろう。

 彼女の薄い水色のブラウス越しに感じる温度と感触。


 全然嫌じゃない。

 嫌じゃないどころか、妙に落ち着く。


 なんだか不思議なほどぴったりとはまる感覚があった。


 彼女の話を聞いていると、どうやら高校の時から五年付き合った彼氏に浮気されて、つい一か月前に別れたばかりらしい。

 そろそろ同棲や結婚を、と話していた矢先の浮気。

 血迷ったのか、ただの馬鹿なのか。


(……『結婚』ねえ)

 俺にとっては、ただの一度も考えたことのないワードだ。

(まだ二十三だぜ?)

 大学時代に何人か彼女はできたが、結婚を考えるほど真剣に付き合ったことも、そんな相手に出会ったこともなかった。


 そもそも、誰か一人と深い関係を築くプロセス自体が、ひどく面倒だとさえ思っている。


「あんな長いこと一緒にいたのにさ。終わる時は突然なんだよね」

 彼女は、深く傷ついているというよりは呆れているという感じだったが、ふと見せる表情には、こんな結果になってしまったことへの痛みが滲んで見えた。


 なるほど。

 結婚を考えるほど一人と長く付き合って、裏切られて、別れて。

 そういう経験を経て、彼女の内面は成長し、俺の記憶にあるイメージから雰囲気が変わったのかもしれない。


「いやー、高校って楽しかったよねえ」

 そう言って物思いにふける彼女の横顔を、なんとなく見つめる。


 特に意味はなかった。

 ただ、目を離す理由を見つけられないでいると、視線に気づいた彼女が見返してきて、突然こんなことを言った。


「……相変わらず、カッコいいね」


「…………は?」

 思わず気の抜けた声で聞き返してしまう。

「あっ、いや、ごめん」

 彼女は自分自身の突拍子もない言葉に気づいたのか、ハッとして慌てて謝った。


 正直、酒の席で、いかにも「そういう雰囲気」を出してこういうことを言ってくる女はいる。

 その時、俺自身がそういう気分であればお望みのとおりに乗っかるし、面倒なら適当に流してやり過ごす。

 でも、今の彼女の顔を見ると、そんな媚びた雰囲気は微塵もなかった。

 ただ純粋に、感心したようにぽろっとこぼしただけの感じ。

 それがどうにも、子供扱いされているような、無邪気にからかわれているように聞こえて、なんか少し気に障った。


 無性にからかい返してやりたくなった。


 次のお酒を注文しようと、店員と目を合わせようとしている彼女に顔を寄せる。

 真っ直ぐ伸ばされた髪の隙間から耳元へ、わざと低く問いかけた。


「……続き、うちで飲む?」


「えっ」と言葉を失ったような顔でこちらを見た彼女を、俺は表情を変えずに見つめ返した。

 俺の言葉はちゃんと聞こえていたようで、しばらくフリーズした後、ようやく意味を理解したのか、彼女の茶色い瞳が静かに見開かれた。


(……あ。可愛い)


 からかうつもりだったのに。

 分かりやすく狼狽えた彼女の表情に、逆に俺の方が不意打ちを食らってしまった。


 ◇


 ――ガチャッ。

「……どうぞ」

 他の三人とは店の最寄り駅でさりげなく別れ、そこから電車で二駅の俺の家に着いた。


「……お邪魔します」

 玄関でボソッと呟いてパンプスを脱ぐ彼女を見下ろす。

 思わずフッと笑って言う。

「……ずっと黙ってるから、口くっついてんのかと思った」

 その言葉を聞いた彼女は、「えっ、あっ、ごめん!」と慌てて謝ってきた。


 店での冗談半分の俺の誘いに、彼女は了承するわけでも、断るわけでもなく。

 店を出てからここまで、「じゃあ、行く?」「こっち」という俺の案内に、ほとんど黙ったままついてきていた。


 部屋の電気をつけ、「狭いけど」とことわって中へ促す。


 彼女は「わーっ……」と小さく歓声を上げながら、ベランダのカーテンをちらっと開けて外を覗き込んだ。

「景色、めっちゃ綺麗!」

 目を輝かせて感激している。


 広さは捨てて、立地と眺めだけで選んだこの部屋。

 夜になると、目の前を流れる大きな川の水面にビルの灯りが反射して、それなりにいい景色になる。


 ローテーブルの前に二人で腰を下ろし、帰り道にコンビニで買った缶ビールをプシュッと開ける。

 言葉は交わさず、黙ったままコツンと缶を合わせて乾杯した。


「…………」

 彼女は両手で冷たい缶を包み込むように持ち、静かに飲んでいる。

 店で喋っていた時とは打って変わって、おとなしい。


「暖房つける?」

 春とはいえ、まだ夜は肌寒い。

 朝、俺が仕事に出かけてから今まで誰もいなかった部屋の空気は、少し冷え切っていた。

「うん、ありがとう」


 リモコンでピッと電源を入れると、しんと静まり返った部屋の中で、わずかに暖房の稼働音が鳴り始めた。


 彼女のすぐ後ろにはベッドがある。

 彼女はそこに背を向けて、フレームを背もたれにするようにして座っていた。


「…………」


 近くに行きたくなって、俺は自分の缶を持ったまま、彼女の隣へと移動した。


 突然距離を詰めたことに彼女は少し肩を揺らして驚いたようだったが、何も言わず、そのままビールの続きをちびちびと飲んでいる。


 彼女はなんで、俺の家に来たんだろう。


 いや、それ以上に。

 俺はなんで、彼女を家に誘ったんだろう。


 明確な理由はわからない。

 ただ、店で彼女と身体がくっついた時、今まで味わったことのない感覚があって、どうしてもその先を知りたくなってしまった。


 今は、隣にいる彼女とは、数センチの距離がある。

 その距離が、なんだかもどかしくなった。


 テーブルに缶をそっと置き、彼女の方を見る。

 俺の視線にすぐに気づいた彼女も、黙ってこちらを見つめ返してきた。


「…………」

「…………」


 嫌なら、彼女が拒否できるくらいのゆっくりとしたスピードで、顔を近づける。


 彼女は拒否する代わりに、ゆっくりと瞳を閉じた。


 静かに唇が重なる。

(……あ、やっぱり)

 不思議なほど、柔らかくぴったりと重なった。


 ゆっくりと離して、感触を確かめるようにもう一度重ねる。


 まるで最初からそこにあったパズルのピースみたいに、カチッとはまるような感覚だった。


 ――もっと、もっと、この先を知りたい。


 唇を深く重ね合わせながら、彼女が両手で握りしめていた缶をそっと取り上げ、テーブルの端に置く。


 シャワーも浴びないまま。

 ただ抑えきれない好奇心と高揚感に任せて、俺は彼女の身体を抱き寄せ、そのまま後ろにあるベッドへと連れ込んだ。

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