手紙
エピローグ、です。
二話あります。
師匠だ。
キミ──この物語の語り部の田中実の師匠だ。
さすがに忘れてはいないだろう。
忘れられていたらさすがのボクでも傷ついてしまったかもしれない。キミならボクの傷ついた表情を見るためだけに忘れたふりをしてきそうだから怖いものではあるね。ボクの傷ついた表情にそこまでのプレミア価値はない。
ボクはよく傷つくのだ。そう言えば去年エゴサーチを試みたときは、一ヶ月くらい立ち直れなかったからね。
本当にネットの意見は怖いものだ。恐怖してしまう。
もちろん、いわゆるキミみたいな信者の意見が励ましになったりもする。それと同じくらい信者に傷つけれられているけれどね。
キミみたいなとは言ったけれど、主にキミが先導して、扇動して信者にボクを襲わせていた気もする。
はっきり言ってキミの意見が何度ボクの心を壊しかかけたか……。
まあ、そんなことを言ってもキミは絶対に変わることはないだろうから、キミからの批判は愛の鞭としてでも受け取っておこう。
それでも受け取らないよりかははるかに違うだろう?
受け取ると言えば、キミの小説が出版社に届いたと連絡があったよ。
まったく、キミが参加するとなると、ボクが審査員になれないから、編集さんが困っていたよ。
もともとボクくらいしか審査する人がいなかったのに、編集長も可哀想だね。
もっと可哀想なのは、多作で速筆で一つの新人賞に作品を何作も投稿して、一作品ごとに感想を書かなきゃいけない審査員のほうなんだよね。
キミの場合一次だけはなぜかするりと通るけど、二次で落ちるから、その分審査員も必要になるし、感想文も倍になるし、可哀想でしかないね。
まあ、ボクには関係ないけれど……。
関係ないと言えば、キミの件もそうだよね。
キミの弟子入りの件。
同期生の人間に訊いてみても、やっぱり例外的すぎることらしい。例外がすぎるとも、言われてしまったな。
そもそもボクは、小説家という職業が弟子を取るものだとは今の今までまったくもって知らなかったよ。
最初はボクが知らないだけかと思った。少なくともボクの世代では弟子入りなんてシステムは、風習はなかったことは覚えている。
驚きだった。ボクの長い──長いかどうかは定かではないけれど──人生のなかでも五指に入るくらいの驚きだった。
いや、驚きの幅は狭いし、残りの四指はなんなんだ。
というキミの心の声が聞こえた気がする。まあ、そこまで驚いたというのは嘘である。ちょっとばかし、大袈裟に語ってしまった。すまない、今回は見逃してくれ。
…………ありがとう。
ボクにはキミの許しが聞こえたよ。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、驚愕していたことは確かなことである。驚いていた。
思わず、時代に取り残されているのかと勘違いしてしまうほどには。
──小説家は弟子を取りません。なにを教えることがあるんですか?
娘にそう言われてやっとながらボクはキミを弟子に取ったことが、少々イレギュラーなのだと知ったんだ。
言われなければボクは一生そのことに気づきはしなかっただろう。ボクは基本的に疑問に思ったことを忘れてしまう。それにそういうものなのか、と受け入れてしまったからね。
まったく、小説家としては決してよくはない性質なのに、端的に言って悪い性質の直そうと努力しないからろくでもない目に遭ってしまうんだ。
いや、キミを弟子にしたことはろくでもないことじゃあない。
むしろ、ボクにとってすばらしいものだった。
まあ、師匠と弟子じゃなく、友達として過ごしたほうが、ボクにはもっと利益があっただろうけれどね。それでも、ボクはキミに感謝しなければならないだろう。
いや、感謝しなければならないのはキミじゃなく、麗にかもしれない。
おそらくそうだ。
キミが麗と勇気くんの恋のキューピッドならば、さしずめボクの娘は師弟のキューピッドとでも言うべきか。本人の嫌がる顔がありありと浮かんでしまうよ。嫌な親だね。
話は戻るけれど──この場合、ボクは話を本題に戻すつもりはない。そもそも本題すらキミには伝えていないからね。ボクは勿体ぶるのが好きなんだ──もちろん、ボクはキミに感謝しないという意味ではない。
ボクはキミに一番感謝している。
キミに誰よりも感謝している。ボク以上に感謝をしているものなどこの世にはいないだろう。強いて言えば、ボクには及ばないけれど、麗か、勇気くんは感謝しているだろうね。
なぜ、感謝しているんだ?
そんな疑問の言葉が聞こえてくるよ。
確かに謎だろう。本来、ボクはキミに感謝する立場にいないはずの人間だ。そんな人間が、師匠がなぜ弟子に感謝しなければならないのか。
そんなものは簡単だ。考えるまでもないだろう。考えた時点で解答が一切わからなくなるレベルのものだ。感性で考えろ。一般的な常識に当てはめて考えろ。自ずと答えは出てくる。
まあ、別にボクはキミとディスカッションをするつもりでいるのではない。キミは正解したものとして、ボクの話を一人語りを進めようではないか。
単純なことだ。
人が人に感謝する理由などそう多くはない。
ボクはキミに助けられた。
キミはボクを助けてくれたんだ。
キミだけがボクを助けてくれた。
他のだれでもなく、キミじゃなきゃ助けられなかったのかもしれない。
いや、実際そんなことはなく、きっかけさえあれば自分で解決できた問題だったはずなのだ。そのきっかけを作れなかったボクがなにを言ってもしょうがない、というか負け惜しみでしかない。負けて悔しいという気持ちを綺麗な言葉で飾っているにすぎないのだ。
ボクはキミに出会った当初、まったく小説を書けなくなっていた。
書くことができなくなってしまっていた。
もう、一年と半年も前のことになる。
小説を書く意味すら見失って、ボクの小説家人生は終わりを迎えたのだと、ボクの生きる価値は失われたのだと、そんなふうにすべてを悲観して生きていた。
地獄のような日々だった。
いや、地獄だった。
世界のすべてが自分を貶めるためにあるのかもしれないと思ってしまうほどに、ボクの心は荒んでしまっていた。
荒み切ってしまっていた。
指が動かない。
そんな経験をしたのが初めてだったからこその狂乱ぶりだったと思いたい。
小説家は小説を書く。
誰かが言っていた。
ボクだった気もするし、キミだった気もする。結局のところわからない。
知ろうとしていないから、当たる前と言えば当たり前なのだけれど、例え、知ろうとしていても、ボクにはなにもわからなかったのだろうことは、十分に想像できる。
まあ、誰が言ったのかはこの際、関係がない。関係していないものなどないが、ない。
話を戻そう。
小説家は小説を書く。
その言葉が正しいとするならば、小説を書けない小説家は、どう定義するべきなのだろう。
小説家志望ではなく、なにも望んでいないわけでもない。かと言って、小説も書けない。
ボクは確かに小説家であるはずなのに、だ。
矛盾が生じてしまっている。決して無視することのできない矛盾が、生じてしまっている。
──小説を書けないのならば、それは小説家ではありません。
そんな言葉を、キミは小説を書けないボクに投げかけた。
残酷にも、無情にも、正しいことを、真っ当なことを、平気で、珍しく敬語を使って、口走った。
そして信者らしく、こう続ける。
信者の代表らしく、こう続ける。
──そうだとしても、僕にとって、師匠は神ですよ。尊敬すべき偉大なる小説家ですよ。
信じられないわけではないけれど、多分に嘘臭さを含んだその言葉に励まされる人間はいないだろうね。
いくら褒められれば伸びる、偉大なる小説家のボクでもそんな言葉に惑わされるほど馬鹿じゃあない。
勘違い野郎かもしれないけれど、馬鹿じゃないのだ。知能は低くないのだ。
小説家ではない。
その言葉はボクのすべてを否定するに近しいものである。
小説に命を懸けて生きてきたボクにその言葉は深く突き刺さるだろう。もう二度と抜けないかもしれない。
小説家は小説を書かなければ、その存在を許されない。
でも、ボクは小説家なのだ。
読者たちの憧れの存在であるべきなんだ。みんなのエンターテイナーであるべきなんだ。
キミはボクにそんな当たり前のことを気づかせてくれた。
いや、こう言うべきだろう。
ボクはそんな当たり前のことにすら気づかなかったのだと。
気づかずに、今まで悩んでいた。悩みに悩んでしまっていた。
ボクはボクが愚かなことに、気づきすらもしないままここ世界を悠々自適に生きてきてしまった。
別に、ここまで自分のことを卑下する必要性はないのかもしれないけれど、それでもボクは自分の愚かさを呪いたい。
被虐趣味ではない。
ボクは昔から被虐趣味だと思われやすいのだ。思われてしまう確率が異常に高かったのだ。もはや運命と言ってしまっても大した語弊はないというくらいのものだったんだよ。
小説家なのに、小説を──あまつさえ、欲望すらも──書いていなかった。書くことができなかったから、これは書けない時期なのだと諦めてしまっていたんだよ。
それでは、なにも望んでいないものと大した差はないだろう。
小説を書けず、欲望を書けず、なにも書けない。
なにも望んでいないに等しいボクにはなにも書けない。
キミがいなかったらと思うと、ゾッとするよ。君に出会っていなかったら、今でもボクは小説を書けないままだったかもしれない。
いや、もしかしたら、小説家をやめていたかもしれないのだ。やめて、どこか別の遠い場所で隠居していてもおかしくないのだ。
三十代で隠居というのはなかなかに堪えるかもしれないけれど、悠々と暮らしている自分が目に浮かんでしまう辺り、ボクは一生小説を書くんだろうと思えてしまう。
ともかく、この町に、キミのいるこの町に引っ越してきたことだけは正しかった。間違っていなかった。
出会った当初にダイレクトに言われたものだから、ボクもキミのことがわからなかったけれど、今ならわかる。
キミは純粋な信者なんだ。
ボクの作品を純粋に愛し、ボクの紡ぐ言葉を楽しんでくれている。他のどの信者とも違わない。ボクの、ボクだけの信者だ。
いや、さすがに言いすぎかもしれない。ボクの作品を愛してくれてはいても、ボクの作品以外を愛していない保証などないのだから。
ボクの信者である人間が、同時にライバルの信者でもあったなんて、よくあることなのだ。珍しくもなんともない。ただの普通の話なのだ。
キミについては、キミ自身が第一章でボクの作品以外をあまり読まないと言っていたから、「ボクの、ボクだけの信者」であるということは保証されている。
その事実が、ボクの心を少しばかり溶かしたことは確かだ。
キミの力はボクを救った。
それだけはキミが全世界誇っていい。キミにしか誇れない。
キミ以外がそれを誇るなら、ボクはあらゆる手段を用いて、徹底的に壊すだろう。
ボクはキミの味方だよ。絶対に敵対しない。ボクがキミに感謝し続ける限り、ボクはキミの味方であり続ける。
それが、ボクからキミへの感謝だ。
さて、そろそろ本題に入らないと、いくらこのエピローグがこの物語の延長戦だとしても、無駄話をし続けるには時間がなさすぎる。
時間は有限なのだ。
いや、ボクの目の前ではそれは絶対ではない。
もちろん、キミの目の前でも言えることだ。
特にキミは時間の概念に関して、ボクよりも突っこんで物語を展開しているからね。話を展開しているからね。
時間を戻すという概念はボクも触れてきたことはあるけれど、時間の遅延性に関しては未だにボクも書いていない。
キミの場合、時間の遅延性だけではなく、時間の省略にも手を、足を突っこんでいるのだから、恐れ入るよ。
時間の逆行。
時間の遅延。
時間の省略。
ボクたちにしか、「神」にしか、行えない絶対的な行為。絶大的な行為。
それができるキミは、もうすでに、ボクたちの世界に片足を踏み入れたことになる。
あとは、そのもう片方の足を踏み込むだけだ。踏み入れた足に揃えるだけでいい。
ボクたちの世界は決して生易しいものじゃない。
ときに蹴落とされ、ときに蹴落とす。残酷な世界ではない。無情な世界でもない。
ただ、残忍な世界だ。
キミがそれでもいいと言うならば、ボクはキミに手を差し伸べる。
資格を得たキミに、全力で、両手を差し伸べる。
さあ、ボクたちの世界へ。
ボクたちの準備はすべて整っている。
キミの決断にすべてが懸かっているんだ。いや、こういうときに、脅すような真似をしちゃあいけないな。
これはキミの人生だ。ボクの人生じゃない。妻の人生でもなく、娘の人生でもなく、次女の人生でもなく、勇気くんの人生でもなく、勇気くんのファンクラブの人生でもなく、担任教師の人生でもなく、両親の人生でもなく、「神」の人生でもない。
キミの、キミだけの、キミ一人だけの、人生だ。
誰にも邪魔されることなんてない。
ただ、キミの努力が認められるだけなんだ。
キミの青春を懸けた努力が、長い時間を懸けた努力が、無駄だったかもしれない努力が、実を結ぶ「時」が来た。
ただそれだけの話なんだよ。
もし、キミがボクの、ボクたちの手を取らないというのなら、ボクたちはキミの意思を尊重する。
それもキミの選択だから。
ボクたちの世界に、「神」の世界に来るかどうかは、キミ次第だ。
それをじっくり考えた上で、それでもキミがボクたちの世界に入りたいというのならば、ボクたちはキミを歓迎しよう。
文章の天才。
物語の創設者。
今のキミならボクたちは、拒まない。
半年前の、ハロウィンときとはもう違うのだろう?
だったら、迷わず手を掴め。希望を掴め。それがキミの未来を決める最後の決断なんだ。
ボクたちの世界へようこそ。
田中実。




