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5 なんか悲しいね

「こーたろーじゃない?」

 俺は温めすぎてしなびたエビフライを噛み潰しながらうなずいた。

「だってあの男の人、こーたろーって言ってたよ?」

「脩平は喋り方バカだからそう聞こえるんだよ。俺は虎太郎だ」

「でもきっとばれてないよ。二人ともいとこだって思ってるよ」

「いや、未来は絶対気付いてたね。聞こえよがしにこーたろーこーたろーうるさかっただろ?」

 茉莉子は、「うーん」って言ってから麦茶を一口飲んだ。ちゃんとガラスのコップに入れたやつ。

「じゃあ今度会ったとき大変だね」

 なにその私とは関係ないみたいな言い方?まあそうなんだけどさ。あー、なんか食欲なくなってきたな。

「店長」

「なに?」

「こたろーって、どんな字書くの?」

「虎に普通の太郎」

「タイガー太郎?かっこいいじゃん」

「ちなみに親父は龍太郎。じいさんは獅子太郎」

「すごーい!じゃあさ、もし男の子生まれたらなんて名前にするの?」

 俺は少し考えて、

「第一候補はつば九郎だな」

 茉莉子は首を傾げた。さっきからよくしてるけど、クセなのかな。

「なんで九郎?てか、つばってなに?」

「わかんないならいいよ」

 茉莉子はくちびるを尖らせて、「ぶー」って言った。うける。そんなんマジでする奴いるんだな。未来が変なこと言うから無駄に意識しちまうし。よくないよくない。

「茉莉子ってほんとの名前?」

「本名だよ。大宮茉莉子」

「ふうん」

「ふうんって、それだけ?」

「素敵なお名前ですね」

「ありがと」

 茉莉子はアルカイックに微笑んだだけで、そのあとは何も言わずに黙々と箸を進めた。そういえばさっきからタメ語使われてる。別にいいけどさ。それだけ距離が縮んできたってことだろ。縮めてどうするって話もあるけど。

 弁当を食い終わると俺はもちろん食後の一服。茉莉子は早速本探しを始めた。俺は風呂を沸かして、茉莉子と反対側の壁沿いから手をつけることにした。でも一冊目でいきなりめげそうになった。この作業、想像以上にめんどくさい。心の軸をべっきべきにへし折ってくれるわ。これを三日で数万冊なんて、やっぱりちょっと無理じゃないか?

「あれ?ていうか店長」

「なに?」

「手伝ってくれるの?」

「一人じゃどう考えても終わんねーだろ、これ」

 まあ二人でも終わんねーけどな。

「店長!」

「でかい声出すな。もういい時間なんだし」

「店長、実はいいやつなんだね」

 いや、いまさらそんなこと言われても逆に傷つくだけなんですけど。

「最初はどうしようもないろくでなしだと思ってたけど、本当に助かります」

 俺は背中を向けたまま手をひらひら振って茉莉子に答えた。

「一個でも書き込みがあったら私に報告してよ。私、お母さんの字は見ればわかるの」

「わかった」

「でも、絶対に見落としとかしないでよ」

「わかってるよ」

「ページ飛ばしもやめてよ。二度チェックしてる余裕ないんだから」

「わかってる」

「これはないだろって本もちゃんと調べてよ。案外そういうところに本物が眠ってて―――」

 うるさいな。

「おい女子高生」

「茉莉子」

「おい茉莉子」

「なに?」

「先に風呂入っちゃえば?」

「えー、後でいいよ」

「遠慮すんなって」

「や、私が入った後のお風呂で店長何するかわかんないし。残り湯ボトルキープとかされるのやだし」

「………」

 このガキ。

「怒った?半分は冗談だから気にしないでね」

「……先入るわ」



 風呂から上がると茉莉子はまだ脚立の上でフルスピードでページめくってた。すなわちまだまだ最初の本棚の最上段なのだ。

「お先ー。湯、冷める前に入れよ」

 俺は頭拭きながらカウンターの親父椅子に座った。つか俺、なんで急にこんな喋り方してんだろ。これって一番風呂絶対主義な親父が俺に毎晩言ってたセリフなんだが。

「店長の入ったお風呂にはなんか変なの浮かんでそうだから入りたくない」

 茉莉子は俺を見ようともせずに事務的に言った。ピキッときた。なんか変なのってところにピキッときた。

「っじゃあ入んじゃねーよ!」

 茉莉子はゆっくりぐるっと首を回して俺をじーっと睨んで睨んで、脚立からぴょんと飛び降りた。それからさっき買ってきたデパートの袋を抱えて俺んとこ来た。

「いちいち怒鳴んないでよね。冗談だってわかんないの?」

「うっせ、家出娘が」

 茉莉子は目をつむって斜めに首を振った。

「ハサミ」

「あ?」

「ハサミ貸して!タグ切るの!」

 俺はレジのペン立てからハサミを抜き取って茉莉子に渡した。茉莉子はカウンターの上に袋の中身を出して、プチンプチンとタグ切って、ハサミをカウンターに叩きつけるように置いて、何も言わずに風呂に向かった。つか新品とはいえさっき会ったばっかの男に惜しげもなくパンツ見せんなよな。もうちょっと幻想抱かせろや。俺は茉莉子の背中に、「お湯抜いといてなー」ってまた親父みたいな言葉をかけて、置きっぱなしのタグとピンをゴミ箱に誘導してからタバコに火ぃつけようとしたんだけど、そういえば昼にスーパーでハーゲンダッツ買ったことをナイスなタイミングで思い出した。一個しかないから食うなら今だ。俺は冷凍庫からスペシャルハイクオリティなバニラアイスを取り出して、戸棚からうちの食器で一番かっこいい銀のスプーンを持って来て、レジカウンターで食べ始めた。うまい。知ってるけどやっぱり異様にうまいよ。マジ二十世紀最大の発明。

「あー!ダッツ食べてるー!」

「ってお前早ぇーだろ!」

 見ると買ったばっかのTシャツ着て短パン履いた茉莉子が駆け寄ってくる。タオル被ってるけど髪べっちゃべちゃ。

「なんなのお前?五分くらいしかたってねーじゃん。ちゃんと洗ってねーだろ。絶対女子じゃねーよ。いまどきスポーツ刈りでももっと時間かけるっつーの」

「だって時間もったいないんだもん。それよりダッツー」

「ダッツ言うな。ルーベン・マタスに失礼だろ」

「私の分は?」

「ないから今食ってんだろが」

「なにそれずるい。私もダッツ食べたいもん」

「ないもんしょうがねえだろ。これは俺が俺用に買ったの」

「じゃあ半分ちょうだい」

 何がじゃあ?

「嫌だね」

 俺はスプーンくわえてひょこひょこさせながら言った。茉莉子がちょっとあごをひいたから、タオルで顔が見えなくなった。

「……ねえ、店長」

「なに?」

「……私、冷たくされるとすぐ泣いちゃうんだよ。ぐすん」

「―――食え」



 嘘泣きで俺からダッツを強奪した湯上り小娘は元気一杯で本捜索を再開した。鼻歌まで歌ってやがる。ちくしょう。俺は悔しいからタバコを二本根本までゆっくりしっかり吸い込んで、さっきの続きからページを開いた。やっぱり立って読むのはしんどいから何冊かカウンターに持って来て椅子に座って調べてる。さっきも言ったけどこの作業、精神的に相当きつい。すべてのページにくまなく目を凝らさなきゃいけないし、一ページの見落としも許されない。そういう前提で本棚を前にしたときの威圧感とか無力感って結構すごい。自動小銃一丁持ってキングギドラに立ち向かうみたいな気分なんだ。どこにどんなことが書いてあるのかもわからないし、ちょっとでも書き込みが見つかったら茉莉子に見せて、「違う」とか、「関係ない」って言ってもらう。しかも途中でおもしろそうな文章みつけるとちょっと読んじゃったりなんかして、三百ページの本一冊調べるのにだいたい十分くらいかかる。気合入ってる茉莉子は俺の倍くらいのスピードで進めてるけど、やっぱり三日じゃ厳しいよな。もうすぐ日付変わるし。全部調べる前にみつかってくれればいいんだけど、探してる本がすでに売られている可能性ももちろんあるわけで、その場合はもうお手上げだ。第一、うちの本の中に父親を探す手がかりがあるっていうのも単なる茉莉子の妄想かもしれないし。電波系だから。まあ、つべこべ言わずにやりますけどさ。二時過ぎに茉莉子はようやく最初の本棚を調べ終えて、俺のところまで聞こえるでっかいため息をついた。どうやら収穫はなかったようだが、それ以上に途方に暮れてもいるのだろう。なんか痛々しいため息だった。

「茉莉子ー」

「なに?」

「ちょっと休めよ」

「休んでられないよ」

 茉莉子はカウンターの俺に弱々しく笑いかけてから脚立に上って、隣の本棚の最上段に手を掛けた。

「店長」

 こっち見ないで茉莉子が言う。

「んー?」

「眠かったら寝ていいよ」

「まだ大丈夫」

「今日は何時に起きたの?」

「だから布団取り込んだときだって」

「あのとき寝てたの?」

「うん」

「店長って布団干しながら寝るんだ」

 茉莉子はあきれたように言った。言われてみればおかしいな。

「さすがだね」

「うっさい」

「晴香ってだれ?」

「あ?」

「晴香に言っとくって言ってた。あの人」

 未来の去り際の一発か。なんでいまさら突っ込む。てかメールまだ返してねえ。

「彼女?」

「違う」

「じゃあ片思いなんだ」

「高校の頃にちょっとな」

 不自然に間が開いた。

「今は?」

「今は別に好きじゃない。でも時々デートする」

 茉莉子は脚立の上で俺に背を向けたまま首を傾げている。

「よくわかんないけど、なんか悲しいね。そういうのって」

 俺が何も言わなかったので会話はそこで途絶えた。言えることがなかったんだ。でもなんて言えばよかったんだろう。別に悲しいわけじゃない。ちょっとセンチメンタルな気持ちになるときはあるけどさ、それって悲しいってことなのかな。

 ずいぶん後で俺は自分だけに聞こえる声で、「仕方ない」って言った。

 


 五時前に茉莉子が寝た。そのとき俺は不覚にも昆虫図鑑に見入ってて、このトリノフンダマシってやつが蜘蛛の仲間ってほんとかよ、とか思いながら顔を上げると、茉莉子が本棚の前で丸まって寝息を立てていた。茉莉子は学校が終わってから来たって言ってたから、たぶん二十時間以上起きてるはずで、さすがにそりゃもう限界なのだ。そのままタオルケットでも掛けて寝かせてやろうかとも思ったけれど、タイル張りの床なんかで寝てちゃ疲れも取れないだろうから、俺は物音立てないように気をつけながら二階に上がって、親父の部屋のエアコンつけて布団を敷いた。死んだおっさんのにおいが染み付いた布団だけど、これしかないから仕方がない。で、茉莉子の肩叩いてとりあえず一回起こそうとして、でも寝顔かわいかったからしばらく見てた。そしたら茉莉子をほったらかしにしている父親という奴に対する怒りがふつふつと沸いてきた。もしこの父親捜しがうまくいったら、俺も一緒に茉莉子の父親に会いに行って、何か言ってやったほうがいいかもしれない。うん、言ってやろう。俺なんてとても褒められた人間じゃないが、それでもどういう事情であれ、実の娘を十七年も無視し続けるなんてことは絶対にしないと思うから。ていうかその父親って茉莉子の存在すら知らない可能性もあるのか。あー、すげーやるせない。俺は茉莉子の鼻をくいっとつまんだ。茉莉子は眉間を狭めてまぶたとくちびるをひくひくさせてから俺の手を払ってうっすらと目を開けた。

「寝るならちゃんと布団で寝ろな。階段上ってすぐ左の部屋に布団敷いたから。あとこのトリノフンダマシってやつ見てみろよ」

 茉莉子は半目のまま両手をついてもそもそっと身を起こして、シャツに手を入れて背中をかきながらふらふらと階段を上っていった。トリノフンダマシの件はスルーされた。俺は危なっかしい後ろ姿を見送って、あくびをしながら図鑑を閉じた。どうにか俺も本棚一つ分は調べ終えることができたけど、得るものは何もなかった。ふと思い立って俺はシャッターを上げて外に出た。夜はもう明け始めていて、涼しくって、鳥が鳴いてる。俺は誰もいない商店街の真ん中に立って、タバコをくわえて真上を見上げた。遥か遠くに白い三日月が浮かんでいて、俺はタバコに火をつけないままずっと白い月を見てた。そのうちタバコも吸いたくなくなって、箱に戻して振り向いた。それから『永友古書店』っていう見慣れた群青色の看板を月を見るよりも長く見てた。

 七時まで続きをやってたらさすがに俺も眠くなってきた。一応書き込みがあったものをよけておく。茉莉子が起きたらチェックしてもらうけど、たぶん全部関係ないだな。俺は洗面所で顔洗って歯を磨いて、二階に上がって自分の部屋の襖を開いた。干したばっかりでいいにおいがする俺の布団で茉莉子が気持ち良さそうに眠ってた。

「上がって左の部屋って言っただろが」

 俺は小声で不平を言いながら、エアコンつけて、茉莉子に布団掛けてやって、部屋を出た。で、親父臭い布団に包まれて寝た。



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