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3 ちゃんとわかってるじゃないですか

 家の中に入っても、女子高生の姿は見当たらなかった。一階は電気つけてなかったから薄暗い。

「おーい、女子高生」

「こっちでーす」

 店舗のほうから声が聞こえた。俺は店舗に向かって明かりをつけた。女子高生は本棚の前で立ち尽くしていた。

「……いっぱい本がありますね」

「古本屋だからな」

 俺はレジカウンターの椅子に腰を下ろした。親父が年中座っていたクッションぺらぺらのパイプ椅子。俺も時々は店番なんかをしたりしていて、こんな墓石みたいに硬い椅子に座り続けてよく痔にならないもんだなって思ってた。そういえばここに座るのは親父が死んでから多分初めてで、ここから本棚を眺めるのもずいぶん久しぶりな気がする……って、ちょっとどうかしてるな俺。さっきのノスタルジ気分が抜けてない。そんなことよりだ。すでに女子高生は鞄からメガネ出してかけて、「よし」とか言ってなんか気合を入れていて、それから壁に立てかけてあった脚立に上って一番奥の本棚の左上の本を手に取って、読み始めた。ああ、さては電波だなこいつ。全然意味がわかんねえし。せっかくかわいいのに残念だ。

「ねえ、女子高生」

「なんですかー?」

 女子高生はページを繰る手を休ませずに返事をした。次々にページをめくっていく。さては速読マスターか。

「電気暗いから、目悪くなるよ」

「もう悪いから大丈夫です」

 女子高生はシャシャシャシャっと素早くページをめくっていく。どうやら活字を読んでいるわけではなさそうだ。

「ねえ、それはなにしてんのかな?」

「ちょっと静かにしててください」

 女子高生は最後のページをめくり終わると本棚に戻し、その隣の本を抜き取ってまたページを繰り始めた。俺は二階に上がってタバコとライターと灰皿を持って来て、冷蔵庫からコーラを出して、カウンターでコーラ飲みながらタバコを吸った。親父が生きてたときはこんなこと絶対できなかったな。もし見つかったらぶん殴られる。女子高生は一心不乱に本に目を通している。俺は壁に掛けられた時計を見る。もうすぐ七時。その下のカレンダーは、親父が死んだ四月のままだ。

「じょーしこーせーい」

「なんですか?」

 女子高生はむっとした口調で返事をした。

「事情、説明してくんない?」

「私、急いでるんです」

「あのさぁ、ここ俺ん家なのね。で、もう夜なんだわ。そろそろ飯でも食おうかと思ってたりなんかするんだけど、家の中に知らない人がいると落ち着かないんだよね」

「帰れって言うんですか?」

「うん」

「じゃあ、さっきみたいに近所の人に助けてもらいます」

 俺の脳裏に魔王の恐ろしいひん剥かれた目玉が浮かんだ。もちろん角付き。

「じゃあ帰れって言わないから何してるのかだけでも教えて。ぶっちゃけ気味悪いんだけど」

 女子高生はしばらく天井を見ながら考えて、しょうがないなあっていう感じのため息をついて、本に指を挟んで閉じて、スカートを引っ張りながら脚立に座った。

「喪中って、誰が亡くなったんですか?」

「親父。鉄骨に押し潰されて死んだ」

「ああ、それニュースで見ました。たしか三ヶ月くらい前ですよね?」

 俺はうなずいた。でも反応がないので、「そうだよ」と言った。

「大変でしたね…。ご愁傷様です」

 女子高生は神妙な面持ちで言った。

「実は、私も喪中なんです。先月、お母さんを病気で亡くして……」

「……ご愁傷様でした」

 女子高生はわずかに微笑んでから顔を伏せた。なんていうか、このしんみりした空気ちょっと痛い。

「……えーと、それでうちに何しに来たのかな?手がかりがどうとか言ってたけど」

「私、父親もいないんですよ」

 さらにしんみりするな、これ。俺も母親いないけど、別に気の利いたこととか言えないし。

「兄弟もいないんです」

 女子高生うつむいたままです。

「それは…、大変だね」

「父親を捜してるんです。お母さんは一人で私を育ててくれたんですけど、父親のことは何も話してくれませんでした。きっと言いたくないんだと思って、私はお母さん好きだし、困らせたくなかったからそのことはこれまで一切聞かなかったんです。だからどんな人なのか、どこにいるのか、生きているのかさえも知らなくて…。でもずっと気にしてたんです」

「うん」

「でもお母さんが息を引き取る間際になって、私、父親のことを尋ねたんです。いま聞かないと一生わからないままだと思って」

「うん」

「お母さん、こう言ったんです。『永友古書店の本のなか』って。それが最後の言葉でした」

「……は?」

「お母さんすっごい読書家で、いっぱい本を持ってたんですけど、一年くらい前にそれをほとんど処分しちゃったんです。多分、この永友古書店に」

 女子高生はすうっと顔を上げて、いとおしそうに店内を見回した。

「つまり、女子高生のお父さんは、本?」

 身長四十メートル体重一万トンくらいの巨大な沈黙が俺と女子高生の間にずっしりと横たわっていた。やがて女子高生はおもむろに脚立から下りてツカツカと歩いてきて、カウンターにそっと手をついた。

「店長、もしかして相当頭弱い人ですか?」

 至近距離から俺を斜めに見下ろして睨みつけてる女子高生。俺はむかついたので今度は目を逸らさなかった。でも言い返す言葉も特になかった。だってわけわかんねえし。やがて女子高生は視線を落として長いため息をついた。灰皿の中の灰が舞い散ったので、俺は女子高生に見せつけるようにそれを静かに指で払った。

「たぶん、お母さんがここに売った本のどこかのページに私の父親の名前か連絡先が書いてあると思うんですよ」

 出たよ超拡大解釈。俺は苦笑いながら頬杖をついた。

「そんな深い意味ないんじゃないの?」

 突然、女子高生がカウンターをバン!と叩いたから灰皿が跳ねた。俺は散らばった灰を見ながらコーラを一口飲んで、やっぱりビールにすればよかったと思った。

「だって!お母さんがこの世で最後に言った言葉なのよ!意味がないわけないじゃない!」

 ってやべえ!この子なんかすごい怒ってるし。声震えて息も荒いし。顔真っ赤だし。

「ごめんごめんごめん!そういうつもりじゃないんだって。ちょっと落ち着いて―――」

 でも女子高生は耳まで真っ赤にして口をぎゅって閉じて鼻膨らませて肩を上下させてて。これあれか?過呼吸ってやつか?よくわかんないけど。

「っちょっと飲み物持ってくるわ」

 俺は走って台所の冷蔵庫まで行って、昼間に買ったパックの野菜ジュースと紙コップを持って来て、まだはあはあ言ってる女子高生の前で急いで注いで手渡した。過呼吸だったら袋とか渡すほうがいいんだっけか?でも女子高生はそれを一息にぐいっと飲み干した。

「まだいる?」

「なんで紙コップなんですか?」

「洗うの面倒だし」

「……エコじゃない」

 女子高生はそう言うと、自分で野菜ジュースを注いでコップ半分くらい飲んだ。

「ふぅ。おいしいですね、これ。今度買ってみようかな」

 女子高生はにっこり笑って、ごちそうさまって言いながら紙コップをカウンターに戻した。なんか知らんがずいぶん情緒不安定だな。まあ母親なくしたばかりじゃ無理もないか。俺は一応女子高生を目でけん制してから横向いて、二本目のタバコに火をつけた。

「要するに、女子高生の父親を探す鍵はうちの在庫の中にあると?」

「なんだ、ちゃんとわかってるじゃないですか」

 女子高生は感心したように言った。つまり俺なめられてる。「どんな本?」と俺は尋ねた。片っ端から見ていくのはあほすぎるだろ。俺だってどこにどんな本が並べられてるかくらいはわかるのだ。

「まったくわかりません」

「まったく?」

「全然」

「いや、全然ってことはないっしょ?お母さんがどんな本読んでたか……」

「わかんない。私、本読まないし」

「小説系なのか、実用書系なのか、写真集系なのかくらい……」

「だから、わかんないんですよ」

 この女子高生、まったく悪びれる様子もなく。むしろちょっとイラついてないか?

「だから順番に見てるんです」

「……そか」

 俺は煙を吐きながらつぶやいた。なんかタバコが旨くない。まだ半分くらいしか吸ってないけど灰皿に擦りつけて消した。女子高生は壁時計に目を向けた。

「でも、確かにもう遅いですもんね。学校終わってすぐに来たんだけど、ちょっと道に迷っちゃって。今日はあそこの棚だけ調べて、なかったら明日また来ます」

「明日も来るの?」

「はい。みつかるまで来ます」

「俺、明日は出かけるつもりだったんだけど」

「いいですよ。おかまいなく」

 そういうわけにもいかないだろ。それに、

「それにさ、店やめるってさっき言ったよね?」

「聞きました」

「本、処分するんだ」

 女子高生がきょとんとしてフリーズした。大丈夫?とか言うのもあれなので、俺はパンと手を叩いた。

「………え?」

「処分」

 凍りついていた女子高生の表情が、徐々に驚愕の方向に推移して。

「いつ?」

「来週の月曜日に業者が引き取りに来る」 

「月曜って、あと三日しかないじゃない」

「今日を入れてね」

 女子高生は青ざめた顔で店内を見渡した。大きな店ではないものの、蔵書数は万単位。これらの全ページをチェックするとしたら、とても三日では足りない。てゆうか実質二日だし。

「……それ、延期できないんですか?」

「無理だよ。業者さんも忙しいし」

「だって、そんな、せっかく……」

 女子高生はそこまで言うとカウンターに手を掛けたまま、下を向いて黙りこくってしまった。かわいそうだけど仕方がない。俺にできるのはなんとかあと三日でみつかることを祈るだけだ。しばらくすると女子高生はとうとうその場にしゃがみこんでしまって、俺は女子高生の細長い指を眺めながらコーラを飲んでた。年代物の壁時計がコチコチ音を立てて時を刻む。俺が生まれたときからずっとここにかかっていて、いままで気にしたこともなかったけど、結構音が大きいんだな。

「女子高生」

「なんですか?」

「何歳?」

「……高二です」

 コチコチコチコチコチコチコチ。それにしても腹が空いたな。

 女子高生が突然ばっと立ち上がったから俺若干のけぞった。女子高生は顔を伏せたまま、無言で本棚の前に向かった。父親捜しを再開するのかと思ったら、バッグを拾ってメガネを外した。で、ひどくしょぼくれた様子でまたこちらに歩いてくる。

「帰るの?」

 女子高生が俺の真横で足を止めた。

「……コンビニありますか?」

「出て左に真っ直ぐ行ったらあるけど」

「買い物してきます」

 飯か。

「っていうことは、また来るんだよね」

 女子高生はコックリとうなずいた。

「泊まります」

 時計の音がうるさくて上手く聞き取れなかったんだと思う。

「なんて言った?」

「下着とか買ってきます」

「ちょっと待て」

 俺は歩き去ろうとする女子高生の手首を掴んだ。女子高生はバランスを崩して、でも踏みとどまって、それから俺を見下ろした。しかも涙目。



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