2 触らないでください!
家に帰るとエアコンつけて、海鮮焼きそば食いながらビール飲んでタバコ吸った。さっき帰りがけに魚屋の奥さんに、「アジのいいのが入ったから後で取りにおいでよ」って言われたけど断った。ただでくれるっぽかったけど魚のさばき方とかわかんないし。なんかグロいし。今は部屋で寝転んで中古車情報誌読んでる。昨日コンビニで買ったやつ。うちの車は親父名義のぼろぼろのライトバンなんだけどマジでぼろい。俺が小学生の頃からすでにぼろかった。あれをどっかで廃車にして女の子乗っけても恥ずかしくないかっこいいやつに買い換えようと思うんだけど、正直、車ってあんまり興味ないからわからんね。とりあえず外車にしよ。箔付くし。メイド・イン・イタリーのスピード出るやつにキャバ嬢乗せてハイウェイ走るのだ。キャバ嬢といえば晴香ちゃん。さっきメール来てた。『あしたはどこいこっか(はぁと)』みたいな。とりあえず返信せずに放置です。『どこいこっか』って行くことすでに決定済なんすか?晴香ちゃんとは先週もデートした。で、鞄買ってあげたの。薄ピンクでお姉な感じのプラダのトートバッグ。なんであんなのが二十万もするのかわからんけど買ってあげた。で、お返しにホテルで時価二万円相当のサービス。最後まではやらしてくれないの。だからちょっとわりに合わないんだよね。別に見返り求めてるわけでもないし、ぶっちゃけもう好きでもないんだけどさ。俺が好きだったのは学級委員の晴香ちゃんで、今のバキッとしてすげーきれいなんだけど、なーんかあか抜けすぎて逆にすたれちゃった感じの晴香ちゃんのことは別に好きじゃない。ていうかひなのとかいうからむしろひく。だから俺的にはただの暇つぶしなんだけど、上から目線な付き合いなんだけど、もし向こうが俺のことスポンサーとか金づるとか思ってるんだとしたらかなりむかつくんだけど、ところがその二万円のサービスっていうのが結構いかったりする。あーどーするかな明日。今週の土日はウインズ行ってしこたま馬券を買い込もうとか思ってたんだけど。まあいいや。後回し。今はクローズの続き読もっと。
一時間くらいでページめくるのがめんどくさくなってきたからそのまま寝た。
起きたら夕方だった。俺はうつ伏せで寝てて、ほっぺた触ったらどうもくっきり畳の跡。あー、なんか体中痛い。運動してないのにふくらはぎが筋肉痛ってどういうこと。ちゃんとベッドで寝ればよかったよ。そうだ布団干してた。エアコンつけっぱなしで寒いし。俺は先月から脱ぎ捨ててあったジャージの上着を羽織ってタバコくわえて窓開けて布団を取り込みにかかる。あい、いいね、お日様の匂い。やっぱ取り込む前にもう一回叩いとこう。布団叩き持って身を乗り出すと、真下に女の子が立っててこっち見上げてた。なんか制服着てて学校指定っぽいスポーツバッグ持ってるけど、中学生には見えないからたぶん高校生だ。で、ほとほと困り果ててたところにぱっと救いの手が差し伸べられたー、みたいなきらきらした目でこっち見てる。夕陽のせいか夏のマジックか知らないけれど、なんかえらいかわいく見えた。
「すいませーん、永友古書店の方ですかー?」
「えーっと、まあ、そうッスけど」
一応、客っぽいので丁寧語で返事をする。って、別に店やってないんだけど。
「お休みなんですかー?」
「えーっと、はい」
「お休みのところすいませんけどー、探してる本があるんですー。開けてもらえませんかー?」
「いや、すんませんけど、ちょっと店は開けられないッス。あと、うちには大した本ないんで」
「でもここにあるはずなんです」
女子高生はいままでよりも一回り大きい声で言った。多少距離があるからそれなりに大きな声を出さないと聞こえない。夕暮れの寂れた商店街。人通りは多くないもののやっぱり目立つし恥ずかしそうだ。俺もなんか恥ずかしい。それにどうやら事情もあるみたい。俺は布団取り込んでタバコ箱に戻してジャージ脱いでTシャツのしわチェックして軽く寝ぐせ直しながら階段降りてサンダル履いて裏口から外に出て、シャッターの前で女子高生と対面した。うん、普通にかわいい。前髪パッツンな黒髪ショートで顔が余計に小さく見える。目はやっぱりきらーんってしてて、胸ちっちゃくて、脚きれいで、まったく似てないのに学級委員だった頃の晴香ちゃんを思い出した。しかも夏の夕暮れ。オレンジ色の光に包まれて、ノスタルジックかつセンチメンタルな気分です。
「お願いです。お店、開けてください」
女子高生はまっすぐ俺を見て言った。で、俺は目を逸らしてしまう。いい年して小娘ごときにって思うかもしれないけどさ、なんか今の俺はこんな青春真っ只中そうな子と目を合わせちゃいけないような気がして。髭も伸びてるし。
「せっかく来てもらって悪いんだけど」
俺はシャッターの張り紙を指差した。『喪中 しばらくの間休業します。店主』。
「ていうことなんだ。だからお引取り願えますか」
女子高生はしばらくアラビア語の案内板でも見るみたいな目で俺の手書きの張り紙を見てた。あるいは俺の字が下手すぎるだけかもしれない。
「しばらくって、いつまでですか?」
「あー……、実のところ、やめるんで。古本屋」
「じゃあこれ嘘じゃない」
女子高生のパッツンの下の眉がピクリと動いた。
「嘘って言うか、これ書いた頃はまだ決めてなくて」
「この店主って誰ですか?」
「俺だけど」
「店主って、店のオーナーってことですよね?店長ですよね?」
「いやだから、便宜的にそう書いてるだけだって」
「お願いします。開けてください」
女子高生はがばっと思いっきり頭を下げた。
「悪いけど、無理」
「せっかく遠くから来たんですよ?」
「どんだけ遠く?」
女子高生の言った地名はここから車で一時間くらいの町だ。遠いといえば遠い。
「ここしか手がかりがないんです。事情はちゃんとお話しますし、ちゃんと買いますから」
「いや、そんなこと言われてもさ」
女子高生はくちびるを噛みながら俺を睨んだ。ってちょっと待って、目潤んでないか?
「……どうしても駄目なんですか?」
「駄目。泣いても駄目」
ちょっと俺、頑なすぎるか。でも泣けばだいたいのことがどうにかなると思ってる女って腹立つんだ。俺は君にそういうふうに育ってもらいたくないのだよ。わかってくれ。
「じゃあ、土下座します」
女子高生はひび割れたアスファルトに生足の膝をつこうと身をかがめた。
「え、ちょっ…」
俺は慌てて女子高生の肩を押さえて止める。さすがにそれはまずいだろ。さっきからなにげに通行人とか周りの店の人たちが俺たちのやりとり見てるし、ここで土下座なんかされたらご近所に変な噂が立つ。
「触らないでください!」
女子高生が叫んだ。
うわぁ、終わった。完璧に終わった。魚屋の奥さんがすごい顔してこっち来るし。
「わ、わかったから。とりあえず裏口から入って」
「はーい。ありがとうございまーす」
女子高生はけろっとした笑顔になって、小走りで裏口に向かった。俺にはスキップにすら見えるな。ああ、わかってるよ。はめられたってことくらい。
「虎太郎ちゃん!あんたなにしてんだい!」
思いっきりビクッとして振り向くとすでに魚屋の奥さんが真後ろで目ぇ剥いてた。さっきすごい顔してるって思ったけど、近くで見るとなんか魔王みたいだな。この人ちりちりから角生やすんじゃないか?
「や、なんもないッス。あれは親戚の子ッス」
俺は作り笑いを浮かべながら適当なことを言って、ダッシュで女子高生の後を追った。