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13 ごめんな

 身投げするかもしれない女を勢い込んで助けに行って、ここまで泣かされて帰ってくる男も俺が初めてじゃないかと思う。さっき再構築したばかりの俺のアイデンティティは見るも無残に踏みにじられて、八方散り散りに霧散してしまった。

 走っているうちに涙は乾いた。俺は全身にべったり張り付いた砂を素早く払ってバンに乗り込み、バックで駐車場から出した。晴香ちゃんのミニクーパーの丸い目が、寂しげに俺を見ていたような気がした。

「茉莉子……」

 二車線の国道を百キロオーバーで引き返しながら、俺は呪文を唱えるようにつぶやいた。

 一体、どこでどうやっておけば、こんなことにはならなかったのだろう。たぶんこれは最悪のシナリオ。俺と晴香ちゃんは高校の頃にまともなカタチで出会っていて、おおまかに言ってしまえばごく普通のクラスメイトで、お互いにお互いのことがなんか気になっていた、っていうことだ。それがどうしてこんなにこじれた?俺が保険金ニートに成り下がったからか?晴香ちゃんが『ひなの』になったからか?そんな状態で再会したからか?でもこれよりよくする方法なんていくらでもあったはずだ。狙ってもこんな泥沼にはなかなかたどりつけねえよ。感情、時間、タイミング。いろんなものが悪いときにいろんなことが起こってた。だからだ。そして、俺がとどめを刺した。

「茉莉子……」

 俺はバックミラーを覗きながら、もう一度つぶやいた。

「なんで黙ってんだよ」

「だって声かけづらいんだもん」

 茉莉子がふてくされた声で言った。そりゃそうか。どうせすげー顔してるんだろうな、俺。

「晴香さんに会えたの?」

「会ったよ」

 少し間が開く。

「その……、生きてたよね?」

「ああ」

「よかったー。店長一人で帰ってきたから、何かあったのかなって心配してたんだよ」

 茉莉子はほーっと安堵の息をついた。

「えーと、じゃあ、何があったの?」

「あー……」

「許してもらえなかったの?」

「許してもらおうなんて最初っから思ってねーよ」

「だったら何?」

「男といた」

「うわ」

「バット持ったおっさんが二人」

「なにそれ?」

 茉莉子がシートの隙間から身を乗り出してくる。俺は茉莉子の顔をチラリと見て、またヘッドライトの向こうを見た。

「茉莉子」

「ん?」

「ちょっと、隣に来てくんない?」

「いいよ」

 茉莉子はもぞもぞと身を捩じらせながらシートの間をすり抜けて、すぽんと助手席におさまった。それから重ねて持ってた文庫本を一冊除いて足元に置いた。俺は室内灯をつけた―――――。

 


 さっき家を出た後、駐車場でライトバンに乗り込んでキー差し込んで、でもどうしても茉莉子のことが気になって、結局、店のシャッターの前に車停めてた。裏口に走ってドア開けたら、段ボール箱に本いっぱい詰め込んだ茉莉子がなんか走り回ってた。それ持って追いかけてくるつもりだったらしい。俺は玄関の脇にぶら下げてあったラジオ付きの懐中電灯を段ボールに入れて奪い取って、バンの貨物スペースに茉莉子もろとも放り込んだ。やっぱり茉莉子を一人で残していくのは心配だった。二本目の無言電話のタイミングが良すぎたことも気になってたし、それに、そんなことよりもただ単純に、俺が茉莉子にそばにいてほしかった。

 


 ―――――さて、ここから先はできることなら黙っておきたいし、そもそもそれを認めたくない。茉莉子には聞かせたくない話だし、晴香ちゃんのことをちょっとでも悪く言いたくない。でもターゲットは茉莉子であり、さしあたっての危機は回避できても、まだ狙われている可能性は十分にある。家の周りを武装したおっさん連中がたむろしているかもしれない。そうなったときに事情を説明している時間的余裕は、きっとない。

「てゆうか店長」

 逡巡中の俺に茉莉子が声かけた。

「なんだよ」

 やけにちりちりする視線を顔の左半分に感じるのだが。

「また泣いたの?」

 お前にだけは言われたくねえ。

「泣いてねえよ」

 茉莉子がすーっと顔を近づけてきて、俺の目に息吹きかけた。俺は首を思いっきり右に倒した。

「目、真っ赤だよ」

「シートベルトをしろ」

「店長も泣き虫だよね」

 俺は左手を伸ばして室内灯を消した。茉莉子がまたつけた。チラッと見たら、にやにやしてやがる。

「お前うぜえよ」

「でも、泣くのはいいことなんだよ。涙が出ないと、悲しいってことがわかりにくいからね」

 俺が無視してたら茉莉子は体を戻して、ぶーぶー言いながらシートベルトを付け始めた。そのまましばらく走る。なかなか言い出すきっかけがないんだ。俺は片手でハンドルを固定しながら、何度も横目で茉莉子の様子をうかがう。茉莉子は膝の上に本を開いて置いて、行儀よく座っている。追い越す車もまばらな日曜の深夜の国道の長い直線。等間隔で設置された外灯の明かりで、茉莉子の姿も見え隠れ。

「茉莉子」

「店長はいっぱい名前呼んでくれるね」

 茉莉子がうれしそうに言った。

 決死の思いで固めた決意が簡単に揺らいだ。マジで聞かせたくない。でも、俺は覚悟して、切り出すことにする。その前に空咳を一発。そして、息を吸う。

「茉莉子」

「はーい」

 だから、お前を喜ばせるために言ってんじゃねえって。

「お前、ついて来て正解だったぞ―――」



 俺は浜辺での一連のやりとりを洗いざらい茉莉子に話した。要約しだすと俺は大事なとこまで省いてしまいそうだったから、犬が吠えていたこととか、占いが九位だったことまで話した。もちろん、茉莉子拉致計画のことも。初めのうちは相槌を返していた茉莉子だったが、次第に黙りこくり、話が終わったあともずっと何も言わなかった。さすがにショックを受けているのだろう。俺はひどく後ろめたい気分になって、ハイビームの向こう側を睨み続けた。久しぶりの赤信号でタバコをくわえて隣を見ると、茉莉子はシートに頭をもたせて、目を閉じて口元に手を当てていた。

「気持ち悪い?」

 茉莉子はかすかに首を動かした。肯定か否定かもわからない小さな動作だ。俺は茉莉子に覆いかぶさるようにして、助手席の窓を全開にした。信号が青に変わり、俺は火のついてないタバコをくわえたままゆっくりとバンを走らせて、最初にみつけた自販機の前で車を停めて、最初に目に付いた缶コーヒーを一本買って、茉莉子に渡した。茉莉子はそれを一口だけ飲んでから車を降り、自販機の裏のどぶに吐いた。俺は茉莉子の背中をさすりながら、茉莉子の腕とか脚にまとわりついてくるやぶ蚊をことごとく叩き潰した。感受性の高い子だから、勝手にいろいろと想像して、気持ち悪くなっちゃったんだろうな。だから言いたくなかったんだよ。想像力豊かとか自分で言ってたし。

 どうにか茉莉子が落ち着いてくると、俺はさっきの自販機でミネラルウォーターのボトルを買って、キャップを開けて茉莉子に渡した。

「うー…、なんでコーヒー……」

「わるい。嫌いだったよな」

 茉莉子はうつむいたまま首を縦に振り、丹念に口をゆすいでいた。やがて口を開く。

「もう、大丈夫」

「嫌な話して、ごめんな」

「車に酔っただけだよ」

 二時間くらい前に、「私、車で本読んでても全然酔わないんだよー」とか自慢げに言ってたのは誰だよ。

「行こう。蚊が多い」

 俺は涙目の茉莉子の肩を抱いて、車に戻った。



 駐車場に車を置かずに、直接店の前に乗りつけた。先に俺が降りて、車にロックをかけて周囲に目を凝らす。半径三十メートルくらい、うちと金物屋の間の細い通路も見たけれど、武装したおっさんは一人もいなかった。というか誰もいない。それから俺は一人で裏口に向かった。裏口の鍵はちゃんとかかっていて、電気も消えている。中に入って電気をつけて、家中をくまなく調べた。風呂もトイレも二階の押入れもどこにも誰も隠れていない。

 俺はバンに戻って助手席をノックした。シートの下に身をかがめていた茉莉子がひょこっと顔を出す。

「大丈夫っぽい」

「うん」

 俺は段ボール箱を抱えて、茉莉子を体で隠しながら歩いて、家に入った。茉莉子は大きく伸びをした。

「やっぱり家は落ち着くねー」

「そうだな」

 もう、「お前んちじゃねーだろ」とか突っ込む気にもならない。むしろそう言ってくれることがうれしかった。

「店長、私思うんだけど」

「ん?」

「晴香さん、本当は私を誘拐するつもりなんてなかったんじゃないかな」

「なんで?」

「だってあの人、そんなに悪い人じゃないでしょ?」

「そうだよ」

「晴香さんは店長に嫌われたかっただけなんじゃないかな。わかんないけど」

 嫌われたかった?

「よくわかんねーな」

「きっと晴香さんは、店長に謝ってなんかほしくなかったんだと思うよ。晴香さんは店長のことが好きだったんでしょ?私、さっきから車の中で晴香さんの気持ちのことを考えてたの。もし私が店長にひどいこと言われたらどうするかなーって、考えてた。ひどいこと言われて傷ついて、それでもまだ店長のことを好きでいられたら、謝ってほしいと思う。それに、店長のことだから、絶対に謝ってくれるとも思うし、そしたらたぶん、許しちゃうと思う。でも、それで自分の気持ちが微妙になっちゃったとしたら、中間じゃなくて、大好きか大嫌いかどっちかの間で大きく揺れてるんだとしたら、徹底的に嫌われて、全部おしまいにしようとするかもしれない。そのために晴香さんは、自分はこんなにひどい女なんだよー、ってアピールしたんじゃないかな。そんな気がするの」

 俺いま二回告られたよな。

「なんだよそれ」

「だから、晴香さんは店長に嫌われることで、店長を嫌いになろうとしたんだよ」

「よくわかんねーけどさ」

「わかってよ」

 茉莉子は俺を叱責するように、強く言った。さっき『私のことなんか何にも知らないじゃない』って言った、晴香ちゃんの姿がだぶる。

「…まあ、そうだったら、まだましだな」

「そう思っていようよ」

「ああ。つってもお前気をつけろよ。まだ狙われてるかもしれねんだし」

「でも、店長が一生懸命守ってくれるんでしょ?」

「まあ、がんばりますけどさ」

「じゃあ、平気だよ」

 茉莉子が見たことない顔して俺を見てくる。いや、そんな目で見られたってさ、俺はあいまいに目をそらしてぽりぽりと頭をかくとかしかできないぞ。

「風呂、先入るか?」

「今日はいい」

 茉莉子はぱんぱんと太ももを叩いて、段ボールを引きずって店舗に向かった。

「時間ないんだから」

 俺は早歩きで茉莉子に追いつく。よく見ると茉莉子の目の下にうっすらくまができていて、痛々しかった。さっきも泣いたからまた目赤いし。休めなんて言っても絶対に聞かない。でも俺は承知の上で、「ちょっと休めよ」と言った。「店長こそ休めば?」と茉莉子は言い返した。

「休めるかっつーの」

 俺はポケットの中身を出して、カウンターに置いた。

 茉莉子は本棚の前にスタンバイして、首だけで振り向いた。

「店長、ありがとね。店長が永友古書店の店長でほんとによかったよ」

「そういうのは全部が終わってから言えよ」

「…そだね」

「明日、一緒に会いに行くぞ」

「はい」

 茉莉子はくしゃっと笑って、そっぽ向いて、しばらく顔を上に向けてた。だからいちいち泣くんじゃねえよ、ガキが。俺も泣きそうになるだろが。



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