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11 お前じゃねえんだよ

 ライトバンを飛ばしながら、俺は高校時代のことをひたすら思い返していた。

 球技大会があれば不必要なくらいに燃え、マラソン大会があれば最前列からスタミナ無視して疾走、昼休みの屋上で花火大会、深夜の公道で暴走族ごっこ、誰かがバカやりすぎて退学になりかけたら朝の通学路で署名活動をし、隣の高校と戦争起こしてみんなで仲良く二週間の謹慎をくらう。来る日も来る日もバカ騒ぎの連続で、考えなしに規則やシステムに反発して、青臭くて、あほ臭くて、でも楽しくて仕方がなかった毎日。毎日全力出してた俺。でもいつからだ?いつからか俺は本気で何かをすることをやめた。それはたぶん、本気でやろうが手を抜こうが結果が大して違わないことを悟ったからだろう。遅い車一台ぶち抜いたって、次の信号で追いつかれるんだ。馬鹿馬鹿しくてやってらんねえ。いつかそう思ったんだ。それにはっきり言ってしまえば、俺は高校生になりたかった。というかずっと高校にいたかった。このままじわじわみじめに年を取りながら五十年も生きるくらいなら、同じ三年間を十回ループして死んじまいたいって心から思ってた。だってあれ以上がこれからあるなんて到底思えやしないんだ。でもそれは無理だってことくらい知ってる。それが俺の『成長』だった。それを認めてしまうことが、大人になるってことだと思ってた。どうやら間違えてたらしい。わかった顔してすましてるだけのただの無力なガキ。それがいまの俺だ。未来に殴られて切れた口の中が痛む。

「あーあーあーあーうぜーなーおい!!」

 俺は右車線にバンを出して、『今の俺』っていうメタファーみたいな法定速度遵守のトラックを一瞬で抜き去った。うぜーよ、うぜーんだよマジで。それやってどうすんだとか、それ意味あんのかとか、そんなにがんばんなとか、十分だろとか、もういいだろとか、仕方ねえとか、そんな誰かが誰かのために言った弱っちい言葉を勝手に飲み込んで消化して、自分のものにしてた。あほだろ。あほすぎる。俺そんなの大嫌いだったじゃねーか。昔の俺だってそんな立派なもんじゃねえよ。でもいまよりはいくらかマシだ。どんなことでも全身全霊ぶち込まなきゃ気がすまなかったのが俺だろ。でもこの三日間に限れば、俺は久しぶりに全力だった。茉莉子が来て、全力で無謀なことをやってる茉莉子を見て、俺も力になりたいって思った。倒れるまで茉莉子の父親を捜そうと思ったし、いまも思ってるし、二人で茉莉子の父親に会いに行くんだ。茉莉子が俺を取り戻させてくれた。あと未来と脩平も。あーそうだよ。俺は俺を取り戻したことを宣言する。だから俺は全力で晴香ちゃんを見つけ出す。会って何を話すかなんて決めちゃいない。出たとこ勝負だそんなもん。もし何も思いつかなかったら、砂浜に頭埋めるくらいの土下座でもしてやるよ。

 もうすぐ海だ。



 明かりの消えたレストランの駐車場に黄色いミニクーパーがポツンと一台。俺はその隣のスペースにバンを頭から突っ込ませた。クーパーの車中に人影はない。俺は小走りで浜辺に降りた。空気はむせかえるくらいに生暖かく、風は潮風。昼間はあんなに晴れていたのに、欠けた月の上をベールのような薄い雲が覆ってる。外灯はなく、明かりはその遮られた月光だけだ。俺は目を凝らしながら砂の上を歩いた。というか走った。微細な砂が靴の中に容赦なく入り込んでくる。

「晴香ちゃん!」

 俺の叫びはむなしく響き、波音に吸引された。

 入水済み、という可能性のフレーズが否応なしに脳裏をかすめる。

「晴香ちゃん!」

 声の限りに俺は叫んだ。どこかの犬が遠吠えで答えた。

「……お前じゃねえんだよ」

 つぶやいた俺の前方から閃光が上がった。パァン!と乾いた破裂音が響く。ロケット花火。そんなに遠くじゃない。俺は全力で足を前に動かした。ほとんど何も見えないが、どうせビーチだ。転んだってたかが知れてる。そこから走った距離はたぶん二百メートルかそれくらい。やがて海を眺める華奢なシルエットに出会った。俺は少し手前でスピードを落とし、足を止めた。

「晴香ちゃん……」

 晴香ちゃんに俺の声が届いているのかわからない。晴香ちゃんは携帯電話を持って、青白く光るディスプレイに無機質な視線を落としていた。

「永友くん、なに座?」

 なんでいまそんなことを、と思いながらも俺は息を整えて、「いて座」と言った。

「知ってるよ。十一月二十七日生まれ。ブルース・リーと一緒なんだよね。いて座、九位か。コメントしづらいなぁ。『優先順位を誤らないように』だって」

「誤ってないだろ?」

「どうかな?」

 晴香ちゃんは携帯をバッグにしまった。おっとりとしたいつもの口調。でも、いま晴香ちゃんはどんな顔をしてるんだろう。よく見えないのだが。

「その方たちは、俺の腕をへし折るくらいで勘弁してくれるのかな」

「うーん、かなり怒ってるからね」

 俺は晴香ちゃんをしばらく見つめて、それから両脇に立つ二人の男へと順番に目を向けた。右側の男はバットを肩に乗せていて、左側もやはりバットを杖にしている。たぶん金属で、たぶんおっさん。スイカ割りがしたいわけではなさそうだから、割るとしたら、俺の頭か。でも暗視ゴーグルまで装着してるのはどう考えてもやりすぎだろ。高かっただろうな。俺は砂の上に唾を吐いた。

「誰だよ、そいつら」

「私のSP」

「晴香ちゃん、そんなにお嬢だったっけ?」

「『ひなの』のお客さんだよ」

 悪ぶる様子も無く、晴香ちゃんは平然と言い放った。俺は耳の裏側をかきながら、鼻でため息をついて、真っ黒な海に顔を向けた。

「ま、そういうこともあるわな」

「あるわな」

 晴香ちゃんが楽しそうに言う。

「無言電話、した?」

「二回したよ」

「あの弟って、本物の弟?」

「あれは友達だよ。私一人っ子だもん」

 だよな。よくよく考えてみたら俺と面識のない晴香ちゃんの弟って奴が俺の携帯番号知ってる意味がわかんねえし。とはいえ、普通に信じてたけど。

「あいつ、演技うまいな」

「ね。びっくりしちゃった」

 ちょっとだけでも、こういうまともな会話ができてよかった。

「いいよ」

 俺は軽くそう言って、晴香ちゃんに微笑みかけた。たぶんおっさんにしか見えてないだろうけど、でも別にいい。

「やれよ。俺はひどいことを言ったんだ。何をされても文句は言わない」

 晴香ちゃんはぺしぺしぺしと拍手をした。

「かっこいいね、今日の永友くん。昨日とは別人みたい」

「さっき心を入れ替えてきた」

「でも、手遅れだよ」

「わかってるよ。ボコられる前に土下座だけでもしとこうか?」

 晴香ちゃんは上品に長く笑った。月を隠していた雲が取れ、砂浜が白く輝き、うっすらと影が確認できるくらいの明るさになった。笑う晴香ちゃんと二人の異様なスーツ姿のおっさんエージェントが浮かび上がる。やばい職業の人には見えないな。ごく普通のおっさんだ。

「そんなのいいよ。それに、永友くんには手を出さないから」

「……なんで?」

 俺は間の抜けた声を出した。

「永友くん、本当のこと知ったらきっと怒ると思ったからさ、この人たちにはボディーガードで来てもらったの」

「……ちょっと待てよ」

 なんかわかんねえけどこの展開やばくねえですか?

「ヒント1。これは罠でした」

 晴香ちゃんはいきなりクイズを始めた。指を一本立てている。抑揚のない声と冷静な言い方がマジで怖い。

「ヒント2。私はただのおとりでした。永友くんはまんまとひっかかっちゃいました」

「ちょっと待てって!」

 ただならぬ予感に俺が声を荒げると、SP気取りのおっさんたちがすっと晴香ちゃんの前に出た。晴香ちゃんは手を水平に広げておっさんを制した。

「さて、ここで問題です。ほんとのターゲットは、誰でしょう?」

 晴香ちゃんはてのひらを上向けて、どうぞというように俺に差し出す。俺は晴香ちゃんの手を見ながら、何の言葉も発することができなかった。

「ぶぶー。時間切れでーす。会場の皆さんもがっかりでーす」

 おどけた調子で砂浜を跳ね回る晴香ちゃん。俺は呆然と突っ立って、せわしなく乱れる茶色い髪をただ見ていた。

「正解は……、」

 彼女のこんな姿を見るのは、初めてだった。俺は、晴香ちゃんは気が触れているのかもしれないと思った。俺があまりにもひどいことを言ったから、ちょっと、心が壊れちゃったんだ。そうとでも思わないと、ちょっと耐えられそうにない気がして。

「茉莉子ちゃん」

 ほら、耐えられそうにない。



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