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10 お前いまどこだ?

 今晩のおかずは昼間に俺が一人でスーパー行って買ってきたカニクリームコロッケとかぼちゃコロッケとシーチキンとマカロニのサラダという適当さだ。ちなみに昼はカップ麺だった。茉莉子は今日も自分が作るって言って聞かなかったんだけど、もうそんなことしてる余裕ねえだろって言い聞かせた。そりゃ俺だって食いたいよ、茉莉子の手料理。だってこの間までうめーうめー言いながら食ってたスーパーのお惣菜がめちゃくちゃ味気ないんだよ。ったく、明日からどうすんだよ俺。

 そういうわけで最後の晩餐は言葉を交わす隙もなく、ひたすら食べ物を口に詰め込んで速攻麦茶で胃に流し込むというシュールで切ないものとなった。食事を終えると茉莉子はゴミをひとまとめにしてビニール袋に突っ込んで、メガネかけて膝を叩いて、「よし」って言って立ち上がり、胸を張って店舗に向かった。俺は紫煙をくゆらせながら、最後の決戦に挑む娘を見送る父親的な気分で茉莉子の背中を見送った。いや、父親捜してるんだけどさ。



 黙々と本を手に取り、ページの隅々まで目を走らせて、本棚に戻す。エンドレス。慣れと、それから焦りから、俺も茉莉子も相当ペースアップしてきている。だいぶ前から両手の指が痙攣してるし、爪の端とかも痛いけど、そんなことはどうでもいい。高松さんが明日の何時に来るのかまだわからない。たぶん昼は過ぎるだろうけど、それでも時間が全然足りない。集中力切らさずにできる限り急ぐしかない。風呂、とはとても言い出せる雰囲気じゃなかった。きっと茉莉子は入らないと言う。だから俺も入らない。今日はほぼ終日家にいたし。

 十時過ぎにまた携帯が鳴った。と、ほとんど同時にカウンターのファックス付き電話も鳴った。

 茉莉子は腹立たしげなため息をついて、またしても俺を睨んでくる。

「店長、人気者だね」

 皮肉たっぷり。

「まあな」

 俺は小走りでカウンターに向かって、ファックスの方は無視して携帯のディスプレイを注視した。おいおい、公衆の次は非通知かよ。誰かに恨まれるようなことしたっけなって思ってようやく嫌な予感がしてきた。した。昨日すげーした。

「もしもし」

「あ、永友虎太郎さんですか?」

 耳に覚えのない、若い男の声だった。

「そうだけど、誰?」

「俺、宇野晴香の弟です」 

「ああ」

 やっぱりか。本人じゃなかったのはちょっと意外だけど。ちなみにカウンターの電話も鳴り止まないから、茉莉子がふてくされた顔でやってきて受話器取った。

「いきなりすいません。姉さんから電話とかメールとかなかったですか?」

「今日?」

「はい」

「ないよ。なんかあったの?」

「いないんですよ。昼に出てったきり帰って来ないんです。仕事にも行ってないみたいだし、携帯も通じなくて……」

「マジ?」

「そのくせさっき、姉さんからメールが来たんです。『いままでありがとう』みたいな」

 わきの下からいやな汗がじわっと溢れ出た。ちょっと声が出せない。

「あの、永友さん?」

「……ちょいやべえな、それは」

「かなりやばいですよ!さっき警察にも電話しました」

 晴香ちゃんの弟はイラついた声を出した。携帯を耳に当てながら部屋の中を無意味にぐるぐる歩き回っているような、迫力、というか切迫した気配がビシビシ伝わってくる。

「あのさ、関係あるかわかんないけど、七時くらいに公衆から無言電話があったんだわ」

「本当ですか?きっと姉さんですよ!なんか言ってなかったですか?」

 晴香ちゃんの弟の声が興奮で裏返った。それが逆に辛い。

「いや、完璧に無言だった」

「なんか後ろの音とか聞こえなかったです?車の音とか電車のアナウンスとか?」

「いや全然。つか注意して聞いてなかった」

「そうですか……」

 期待持たせて、落胆させただけ。無言電話の話なんかするんじゃなかったって思った。晴香ちゃんの弟が苦しそうに息を吸い込む音が、耳にダイレクトに流れ込む。

「今日、晴香ちゃん、いつもと違う様子とかあったか?」

「……ありました。昨日の夜帰ってきてからすごく元気なくて、部屋にこもっちゃって。姉さん、時々そういうことあるから、あんま気にしてなかったんですけど、今日になってようやく出てきたと思ったら、そのまま車でどっか行っちゃいました……」

「……そうか」

「俺、姉さんがおかしいの気付いてたのに、何も、何もできなかったです……」

 晴香ちゃんの弟は消せない罪を悔いるように呻き、深く押し黙った。俺は何も言えなかった。

「やっぱり、自殺、」

「まだ決めつけるのは早いだろ。そんなこと考えるなって。な?」

 俺は最後まで言わせなかった。あるいは自分自身にそう言い聞かせたかっただけかもしれない。

 晴香ちゃんの弟は鼻をすすって、

「……はい」

「心当たり当たってみるからさ、何かあったら連絡してくれ。俺も何かわかったらすぐにかけるから」

「わかりました……。なんか、すいません。面識のない永友さんにこんなこと……」

「気にすんなって。絶対大丈夫だ。こういうことは大抵拍子抜けするような結果に終わるんだよ。そういうもんだ。それが世界のルールだ。あとで『なんだよ、心配して損したな』って愚痴り合おうぜ」

 晴香ちゃんの弟は長い間しゃくり上げていて、鼻もすすり続けていた。たぶん電話の向こうで彼の顔はぐじゃぐじゃに汚れているのだろう。俺は携帯を耳から少し遠ざけた。こんなときになんだが、極めて耳障りだ。

「な、もう切るぞ。しっかりしろよ。絶対に大丈夫だからさ」

「……ふぁい」

 情けない返答と共に通話が断たれた。通話時間三分二十八秒。って非通知じゃん。連絡できねえし。ったく、なんで非通知なんだよ。悲痛な叫びだからか。それとも個人情報保護の観点からか?わけわかんねえ。とにかく俺は晴香ちゃんの番号を呼び出してコールしてみた。一応、確認の為だ。だめだ。電源切ってる。俺は親父の椅子に腰を下ろして、カウンターに両肘をついて手を組み合わせて、そのまま額をゴツンと叩いた。

「店長」

 俺の様子に不穏な何かを感じたのか、茉莉子が真顔で首を傾げて俺を見てる。俺は顔を上げて、どうにか茉莉子に笑いかけた。

「ああ悪い。電話、誰だった?」

「無言電話だったよ」

 俺は携帯のカドでこめかみを強く押した。

「ねえ、何かあったの?」

 茉莉子はカウンターに手をついて心配そうに俺に尋ねる。なんでもない、って言ってやりたいんだけど、きっとそれじゃあすぐに問いただされて、俺はあっさりと口を割るんだろうな。

「晴香ちゃんの弟。晴香ちゃんがいなくなったらしい」

 俺はさっきの電話の内容をざっと説明した。茉莉子の顔はみるみる青ざめていった。

「なあ、その無言電話の後ろで物音とか聞こえなかったか?」

「わかんないよ……」

 茉莉子は肩を触りながら、詫びるように下を向いた。

 俺は茉莉子を見ていられなくて、目をそらした。また時計の音が気になってきた。俺は折りたたみ式の携帯を開いて、着信履歴の上から三番目の奴にかけた。

「もーしもーしー?」

 脩平。

「お前いまどこだ?」

「『駅』だよー。こーたろーやっぱくんのー?」

「行かねえよ。晴香ちゃんいるか?」

「いなーいよー」

「休みなのか?」

「ちがーうよー。連絡ないけど休んでるって未来が言ってたー。こーたろーのせいだっておこってたよー」

 何の悪意もないはずの『俺のせい』って言葉がメガトンハンマーみたいになって俺の後頭部を打ちつける。

「未来にかわれるか?」

「むりー。さっきからずーっとあっちのテーブルでおっさんたちの相手しててかまってくんないのー。こーたろーさみしーよー」

 あっちってどっちだよ。

「……なあ、脩平」

「なーにー?」

「いまの俺って昔の俺と何か違うのか?」

「こーたろーは昔よりだいぶでっかくなったよー」

「あのな、小学の頃とかの話してんじゃねーぞ。たとえば、高校のときと比べてどうよ?」

「高校のときかー。あのころのこーたろーは一番かっこよかったねー。いまもかっこいーけどねー」

「なあ、俺よくわかんねえんだよ。そんなにいまと違うのか?」

「こーたろーはあのころのほうがバカっぽかったよー」

 あほにバカっぽい言われた。

「そういうことじゃなくてさ」

「そーいうことじゃなーい?」

「……そういうことなのか?」

「あのころのこーたろーはー、シンプルでー、わかりやすくてー、いっつもフルパワーだったじゃーん」

 俺は脩平のきゃはきゃは笑いを聞きながら、頭の中に高校時代の名シーンをフラッシュバックさせた。あー、なるほど。

「そう、かも、な」

「でも別に違わないっしょー?いまはこーたろー休んでるんだってー」

「お前、言ってる意味わかんない」

「こーたろーは高校のときにがんばれりすぎたからさー、いまはこーたろーがこーたろーをお休みしてんだよー。おれはそー思ってたけどー」

「………」

「こーたろー、休むのやめんのー?」

「たぶんな」

「やーったー!そのほーがおもしろいしー。おもしろれりー!おもしろれりー!」

 切った。ったくこのあほは。無邪気すぎてうるうるくるわ。でもそれより、晴香ちゃんだ。昨日俺が傷つけた。無断で仕事を休んでいる。弟に意味深なメールを送った。携帯の電源を切っている。そして二つの無言電話。俺はカウンターの上で頭を抱えた。

「俺のせいだな……」

 完璧に俺のせいだ。せめて俺が謝るのは明日でいいや、なんて思わなければ、こんなことにはならなかったはずだ。明日会うアポを今日取るだけでもよかったんだ。このミスは取り返しがつかない。

「店長」

 ずっとそばにいてくれた茉莉子が、頭上で硬直した俺の手に自分の手をそっと重ねて握ってくる。茉莉子の小さな手はページめくりすぎで震えてて、ひんやりしてて、気持ちよかった。

「そんなこと思っちゃだめだよ」

 茉莉子は力を強めたり弱めたりしながら俺の手をきゅっきゅと握る。

「まだ、わかんないんだし。ね」

 腰をかがめて俺の顔を覗き込む茉莉子。そうだ。まだわからないって、後悔するのはまだ早いって、ついさっき俺が晴香ちゃんの弟に言ったんだった。後悔する前に、今やれることをやる。

「茉莉子、わるい」

 俺は立ち上がって、カウンターの上に散らばってる携帯とタバコとライターと財布と車のキーをかき集めた。

「ちょっと心当たりあるから、見てくる」

「うん。気をつけて」

「こんなときにごめんな」

 茉莉子はうつむいて首を振った。

「そんなのいいよ。晴香さんのところに行ってあげて」

 俺は走って裏口に向かった。スニーカーを履いて、ドアノブに手をかける。でも手がノブにぴったり張り付いたみたいになって動かせなかった。さっきから何かが引っかかっていた。何か、巨大なしこりのようなものが突然頭の中に出現して、俺に警鐘を打ち鳴らしているような、そんな気がした。それが何を意味するのかはわからない。でもこのまま行くのはよくないという気が、ただ、漠然とするのだ。

 振り返ると茉莉子がいた。不安そうな顔をして、俺と目が合うとばつが悪そうにうつむいた。手を前で組み合わせて、指をせわしなく動かしている。何か言いたそう。でも言い出せない。そんな感じありあり。そしたらドアノブから手が離せた。

 俺は茉莉子の頭にぽすんと手を置いた。で、ちょっとだけ撫でた。

「心配すんな。すぐ帰ってくるから寝るんじゃねえぞ?」

「うん。待ってる」

 茉莉子は無理矢理作ったような笑顔を俺に見せた。俺も無理して笑って、ドアを開けて走り出した。

 なんか、胸痛ぇ。



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