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1 先細りの商売ッスから

 人生の最盛期は青春時代であるっていうのは本当で、人生六十過ぎてからなんていうのは年寄りのみじめな負け惜しみだ。本当。で、青春が青春としてもっとも栄華を極めるのは高校の三年間。これも正しい。高一のときの担任が『青春の本当の価値、その尊さ、そしてその美しさは過ぎてみなければわからないものなのであるよ』ってフランス人の泥棒みたいな口ひげを撫でながら言ったことがある。あほかと思った。そんなもん俺はリアルタイムで実感してたし、周りの連中だってみんな知ってた。だからこそあの三年間、俺はやりたいことをやりたいように全力でやり続けた。心残りなんて一つもない。いや、それは言いすぎだけど。でも自己採点なら何の迷いもなく百点をつけられるパーフェクトな青春を俺は送った。もしいまの記憶を持ったまま中学三年の秋とかに戻ることになったとしても俺はまた同じ高校を受けるし、同じ仲間と同じ時間を過ごしたいって真剣に思ってる。だってあんなにハッピーでエキサイティングでスリリングな最高の日々が待ってるってわかってるのにどうして他の選択肢選べるよ?それに二回目なら一回目よりもさらに上手く立ち回れるし、しくじったところをサクセスに切り替えることもできるんだ。まあそのミスもミスで楽しかったんだけど。とにかく幸せな高校生活でした。

 でも青春って言葉はだせえ。俺は青春っていうフレーズが排水溝で生まれる小蝿と同じくらい嫌いだ。耳に入れただけで鼓膜が膿みそうになる。さっきから青春青春連呼してたのは残念ながら他に適当なメタファーを思いつかなかったからでしかないし、実際いまの俺は喉がからからで全身に鳥肌を立てて毛布に包まって震えている。だから通常の俺は俺の高校生活を青春なんて呼ばない。高校時代、俺の仲間も誰一人青春なんて発言をしたことがなかったし、もしそんなことを言うやつがいたら俺たちはそいつが悔い改めるまで殴るか、そいつを追放するかのどちらかを選ばなければならなかっただろう。でも追放したいやつなんて一人もいなかったからたぶん殴っちゃっただろうな。もちろんそれは、もしそんなことがあったとしたらの話だし、言うまでもないことだけど、そんなことなどないままに俺たちは無事高校を卒業した。でも最近俺の仲間たちは結構その言葉を使ったりする。思い出話としてだ。はは。そしてそんな話をしていると恥ずかしくなってくる。青春という言葉そのものの持つ宿命的な恥ずかしさと、あの頃の『青春真っ只中の俺』という存在がもたらした既決済みの恥ずかしさだ。俺は冷や汗を浮かべながら身悶えすらする。それを人は成長と呼ぶのかもしれない。俺はそう呼ぶことにする。まあしかしだ、それでもなお俺の高校時代はちっとも色あせることはなく、四十八色のビビッド・カラーでいまも鮮やかに彩られているのである。俺の心の奥、いや、結構上のほうで。

 店に格言辞典があったから青春の格言調べてみた。

『青春が楽しいというのは迷想である。青春を失った人達の迷想である』サマセット・モーム。

『青春の時期は、いつの時代でも恥多く悩ましいものだ。もう一度やれと言われてもお断りしたい』吉行淳之介。

『ああ!青春!――人は一生に一時しかそれを所有しない。残りの年月はただそれを思い出すだけだ』アンドレ・ジイト。

 ジイトが熱い。



 それはさておき四月の朝、俺が駅前でだらだらティッシュを配っていると、いきなりガラガラドシャドーン!てバカでかい音がして、なんだと思って音のしたほうを見ると、どうやら道路を挟んだ向こう側で高層ビルを建設中だったクレーンがうっかり鉄骨を歩道に落として誰かが下敷きになったらしく、すでに通行人というか野次馬がその周りに殺到していて、俺もティッシュを路肩に置き去りにして駆けつけてみたら青ざめた顔した作業員が被害者のおっさんを引きずり出しているところで、そのおっさんは頭から血を流してぐったりしていて、俺はあんまり動かさないほうがいいんじゃないかなーとか思いながら見てたんだけど、よく見たらそれ親父だった。後から聞いた話だとそのときすでに死んでいたらしい。漫画チックであっけないけど壮絶な最後だった。永友龍太郎、享年五十歳。合掌。

 母親はとっくに病気で他界、祖父母もすでに墓の中。ということでこの永友虎太郎、弱冠二十歳が親戚一同並びにご近所の皆様方の暖かいサポートを受けながらどうにかこうにか喪主の大役を務めあげたのはもう三ヶ月も前になる。四十九日も過ぎて骨親父は土に返り、俺は親父が死んだ日にそのままティッシュ配りをフェードアウト。かけもちしてたピザ屋のバイトも辞めて、この三ヶ月なんもしてない。別に親父を失ったショックから立ち直れないとかそういうわけじゃない。多額の保険金と巨額の慰謝料プラス香典その他もろもろが俺の手元に丸ごと入り、正直、普通に暮らすだけなら十年は持ちそうなのだ。もともと高校を卒業してから大学にも行かずに定職にも就かず、気が向いたときに簡単なアルバイトで小銭を稼ぐの気ままなパラサイトだった俺にとっては、息子の現状についてそれなりに口うるさかった親父がいなくなったことは悲しい反面うれしくもあり、今まさに俺は実家一人暮らしを謳歌していた。ちなみに俺の家はこの界隈で唯一の古本屋だ。じいさんが始めて親父が継いで、去年創業五十周年を迎えた歴史ある永友古書店。でも親父が死んでからは『喪中』の札貼ってずっとシャッター閉めたまま。別に店開けてもいいんだけど、なんとなく周りに『虎太郎くん、お父さんの後を継いだのね』とか思われるのがしゃくだし。ぶっちゃけ儲からないし。ゲームも売っててDVDも貸してくれる大手チェーンに客取られてうちみたいな零細個人経営店舗はもはや生き残るすべないし。しょうがない。だから親父が懇意にしていた高松さんていう業者さんに電話一本入れまして、来週にはうちの在庫を全部引き取ってもらうことにした。親父がせっせと買い集めた片身みたいなもんだけど、うちに置いといてもしょうがないし。邪魔なだけだし。こんなもんはとっとと売り払ってマネーに変えちゃおう。第一、この商店街ももう壊滅寸前だし。半分以上シャッター閉まってるし。そういう時代なのよね。駅前大型ショッピングモールな時代。古い本より新しい日本って。ついでにこの家も売るつもり。この家、一階はほとんど店舗で段差で仕切られた奥に台所と飯食うテーブルがあって左に進むと風呂があってトイレがあって二階が居住スペースなんだけど、もう築五十年の木造だ。もちろん何度も改築・修繕はしてるけどいくらなんでも限界でしょ。二階って言ったってもともとが平屋なのを改築してくっつけた二階だから一階の広さの割りに小さい。でも一人で住むには広いし古い。本の始末がついたら物件探そう。地元出る気はないから3LDKくらいで駅近いとこ。というわけで日々リッチに過ごしてる俺。今日は昼過ぎに起きて三百円のカップ麺食って、タバコ吸いながら音楽かけて、昨日買ってきたクローズ全巻読んでる。もちろんよその古本屋で買った。うちの店、漫画置いてないの。アダルトもない。亡き親父曰く、じいさんの代からのポリシーだそうで。あほくせえ。BGMはハービー・ハンコック。親父は柄にもなくジャズとかボサノヴァとか好きだったから生きてるときは親父の影響受けてるとか勘違いされたくなくてでかい音で聴けなかったんだけど、いまは思う存分大音量で流してる。親父が無意味に難癖付けて嫌ってたハービー。俺は好きだ。

 夕方になって裏口玄関のピンポン鳴って、出たら脩平がいた。小一からの付き合いになる俺の無二の親友の脩平。

「こーたろー、駅行こー」

「おー」

 脩平はいま大学生。脩平の言う『駅』っていうのはこの辺で一軒だけの駅裏にあるキャバクラのこと。まあ昨日も行ったんだけどね。ここには高校の同級生とか先輩とか後輩とかがいっぱい働いてる。そんなとこ行って何が楽しいんだって思うかもしれないけど同窓会みたいで案外楽しい。今夜俺と脩平についたのはみんな高校の同級生だった。そのうちの一人の未来って子は脩平の彼女。ここではくるみって名前になってるけど。で、店入ってからずっと脩平が未来にべた張りで離そうとしません。キャバクラで働いてるの心配ならお願いしてでも辞めさせりゃいいのに。で、俺はというと高一のときに同じクラスだった晴香ちゃんと楽しくお喋り。おとなしくて頭良くてかわいくてぶっちゃけ大好きだった晴香ちゃん。優等生で学級委員とかもやってて俺らとはタイプ違うからほとんど絡んだことなかったのに、まさかキャバ嬢と客って立場で話すときが来るなんてあのころは思ってもみなかった。だってあれから五年しか経ってないんだぜ?つっても五年か。五年も経てばいろいろと変わるか。憧れの学級委員はキャバ嬢になって、俺は保険金長者になって、親父は灰になる。そういうこともあるし、何よりそれが現実だ。あーあ、今日って何曜日だっけ?つーか何月かもよくわからん。どうでもいいけど。晴香ちゃんに聞いてみよう。笑ってくれると思うから。

「晴香ちゃーん」

「本名で呼ばないで」

「ひなのちゃーん」

「なーに?」

「今日何曜日だっけ?」

「木曜日だよ」

 笑ってよ。


 家に帰ったのが確か三時で、そのままベッドに倒れて眠りました。あんま覚えてないけどまたボトル入れた気がする。飲みすぎた。次に起きたのは一時半。明るいから昼で、汗かいてるからもう夏だ。俺は酒の抜けない頭でぼんやり天井の木目を眺めながら、いつまでもこのままじゃ駄目だよな、なんてまともなことを考えたりしてみた。いくら金があるからって一生遊んで暮らせるほど余裕があるわけでもなく、十年は暮らせそうとは言っても、こんなトイレに水流すみたいに金使いまくる生活を続けてたらだいたい二年かそこらで破産だ。とにかく、ずっとこんな生活を続けるわけにはいかないっていうことだけははっきりとわかる。だから俺はついに腹を決めてベッドから跳ね起きて布団を引き剥がして窓開けておりゃっと手すりに引っ掛けた。っていい天気だなおい。夏空だ、夏空。入道雲ないけどヒコーキ雲ある。昼下がりの寂れた商店街に俺が布団をパンパン叩く乾いた音が鳴り響く。でかい洗濯ばさみで布団をロックして、ミニ冷蔵庫から缶ビール出して一気に半分くらい飲んでからタバコをくわえて火をつけた。なんつーか、すげー達成感。今日の仕事はもう終わった感じ。腹減ってるから食うもの探したけど、パンもカップ麺もストックなし。めんどくさいから食わないでいようかなって思ったけどそれにしても無性に腹が減るから仕方なく顔洗って着替えて自転車乗って近所のスーパーまで。

「虎太郎ちゃん」 

 ウィンナーロールとカップ麺五個と海鮮焼きそばと野菜ジュースとお茶とコーラとビール六本とバタピーとチーカマとハーゲンダッツのバニラを買い物カゴに突っ込んでレジに並んでると後ろから声かけられた。後ろにいたのは一度見たら夢に出てきそうなちりちりパーマのおばさん。俺の家の三軒隣の魚屋の奥さんだ。親父の葬式のときにはずいぶん世話になった人なのだ。

 俺はペコリと頭を下げて「こんちわッス」と挨拶した。

「しばらく姿見なかったけど、元気だったかい?」

「はい、元気ッス」

「そうかねぇ。ちょっとやつれたように見えるけど」

「ないない。絶対気のせいってやつッス」

 俺ははははと笑いながら言った。食って寝てるだけの俺がやつれるわけがないだろうって。でも奥さんは俺のカゴの中身見ながら微妙に心配そうな顔をしてる。

「なんか困ってることあったらいつでも相談に来なよ。昨日今日の付き合いじゃないんだから」

「へえ」

「ご近所みんな、虎太郎ちゃんのこと気にしてるんだよ。龍太郎さんが亡くなってもう三ヶ月なのに一向に店開ける気配もないし、あんまり姿も見せないし、あれでずいぶん落ち込んでんじゃないかって」

「いや、そういうわけでもないッスけど。つか、俺、店継ぐ気はないッスから」

 俺がそう言うと魚屋の奥さんは聞いてるこっちの気が滅入りそうなくらいに重たいため息をついた。

「やっぱりそうなのかい?」

「ええ。先細りの商売ッスから」

 奥さんは何か言いたそうな顔で俺を見ていた。同じ商店街の自営業者。大型店舗に客を取られて経営は苦しい。だいたい奥さん自身だってスーパーに買い物に来てるくらいだ。もちろん魚は買ってないけど。

「まあ、虎太郎ちゃんの人生だから、好きにすればいいさね。でも古本屋がなくなるのは残念だよ」

 俺はあいまいに笑って見せた。それで感付かれたみたい。

「…あんた、まさか、この町も出てく気じゃないだろね?」

「あーっと、言いにくいんスけど、そのうち出ようと思ってます。そんな遠くに行く気はないスけど、あの家、一人で住むには広すぎるんで」

 魚屋の奥さんは眉間にしわを寄せて、なにか物悲しげな表情をした。そんな顔されるとなんかちょっと悪いことしてる気分になる。奥さんはしばらく、たぶん無意識に頭のちりちりを指でつまんでまっすぐに引っ張っていた。手を離すとまたちりちりに戻って、俺は笑うのを我慢した。

「なんて言うか、世知辛いねえ……」

 俺は魚屋の奥さんに、「しょうがねえッスよ」と言おうと思った。でもその言葉は喉までもたどりつけずに俺のからっぽの腹の中に落ちた。しょうがないんだ。やる気もないし未来もない。だからいっそ全部やめて新しく始めればいい。今あるものを全部捨てて、新天地で新しいことをやる。親父が死んで、金ができて、店を売って、また金ができる。いい機会だ。

 でも何にもやる気がない。



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