五歩目【振分】
「勝ってきたよー!」
朗らかに言って手を振る飛鳥を、書文たちは三様の言葉で迎えた。
「すごい、飛鳥さん強いんだね!」
「使ったのは太極拳で、合気道が本筋なんだろ? そっちなら特上位とか行けたんじゃねーか?」
「一撃必殺、一打必倒。まさに文字通りだったな」
周りで見ていた他の生徒も口々に飛鳥を称えはじめた。飛鳥はそれに笑顔で応じていく。勝ったからといってそれを鼻にかけることのない、気持ちのいい勝ち誇りだった。
「いやまったく、空手家として今の正拳見て血が騒ぐってもんだ」
「空手家だけに留めるな。俺も同じだ」
冷人と燃児は早速闘志を燃やし始め、これから試合の生徒も準備運動に熱を入れる。もちろん書文も、前進を粟立たせてきつく拳を握りしめた。自分もこう戦いたい。圧倒的に、華やかに戦う自分を、強く頭に思い描いていた。
「次、大山冷人!」
二番手は冷人が呼ばれた。今し方試合の終わった、飛鳥が試合をしていた試合場で。
「おし! 飛鳥のお陰で気合い入りまくってるからな、いっちょ暴れてくるぜ!」
「頑張ってね、冷人」
「不様は晒すなよ」
「いってらっしゃーい」
先の飛鳥のように激励を浴びて、先の飛鳥よりも荒々しく、冷人は試合場へ上がった。
●
冷人の相手は相当に体の大きい男だった。上着を脱いで薄いシャツ姿になった体は、厚い脂肪と大きな筋肉に包まれている。相撲だ。
マジかよ、と冷人は頭が冷えていくのを感じた。相撲取りを相手取るのははじめての経験だが、それでも分が悪いことは分かる。
プロレスラー並の耐久力、突進力を、つっぱりや頭突きなどの当て身に用いる相撲は見た目以上に凶悪な武術なのだ。
相撲の勝ち負けが場外やダウンの一回で決まるのは、潔さだけが理由じゃない。ポイント制などにして長引かせると、用意に人が死ぬからだ。相撲こそが最強の武術だと唱える評論家だって決して少なくはない。
しかもこの男、明石剛三は、最初から武林へ入るために体重を絞り、元は重量級だった体型を軽量級に落とし込んでいる。
路上ならまだしも区切られた試合場ではフットワークで翻弄するのは難しいだろう。
「明石剛三じゃ」
厳めしい顔付きから、印象そのままに厳めしい声で、剛三は名乗った。名乗りの相手はもちろん冷人である。
「オレは大山冷人。空手家ね」
「おお、空手かよ。国技、相撲と列ぶ日本武道の代表じゃな」
剛三は険しい相好をくしゃりと崩して大笑した。真っ白い歯が嬉しそうに覗かれる。
「空手の元は中国だぜ?」
冷人もつられて笑いながら応じた。
「ラーメンと同じじゃて。長年日本にあって、独自に工夫されたらもう日本モンじゃ」
「んー・・・・じゃいっか。日本ので」
「応よ」
呵々と笑い合う剛三と冷人。しかしその笑顔はすぐに好戦的なものへと変わった。
剛三が深く腰を落として下段に構えるのに対し、冷人の構えは上下段。左半身の構えは飛鳥の自然構えに似ているが、冷人のそれはより足を前後に開き、両手も広く構えている。天地上下の構えだ。
さっきまでの楽しげな雰囲気はもうない。冷人も剛三も、犬歯を見せ付けるかのようにギラギラと笑いながら互いの動きを観察している。教士が手をあげ、下ろす。
「始めっ!」
「どすこおぉぉい!!」
開始の合図ももどかしく、剛三がその巨体を倒すように突進した。ドスドスと床を踏み鳴らし、巨体からは想像できない瞬発力を発揮して冷人へ迫る。その様は、さながら転がり来る岩石のようであった。
ここはまず引く、あるいは横に退くのが定石だろう。飛鳥ならば横に回り込みながら崩しにでもかかるかもしれない。しかし冷人は、剛三を真っ向から迎え打つ気概を示した。
「ちぇすとぉ!」
突貫に合わせた右の前蹴りが剛三の顔面、顎に迫る。剛三からすれば不意打ちだが、しかし構えが幸いした。額からの突進だったために両腕ともに懐にある。剛三は腕を縮め、辛うじて蹴りの直撃は免れた。
免れたが、突進の勢いは削がれた。防御を意識し過ぎて足元が疎かになってしまったのだ。制動も間に合わず剛三は前のめりのままに倒れ込み、軸足だけで立っていた冷人も巻き込んで転倒。
このまま、剛三が冷人の足を掴んでいればタックルとしてカウントが開始されただろうが、剛三はなんの未練もなく足を離して立ち上がった。それに遅れないよう冷人も急いで立ち上がる。
再び、両者が構えた状態に戻った。
「・・・・・・・」
冷人は天地上下の構えのまま擦り足で距離を詰めていく。巨体でのかち当たりが効くのは助走距離があいていてこそ。詰めれば張り手の危険はあるがそこに突進ほどの重量はない。
天地上下構えで詰める冷人。右手を腰溜めに構え直し迎える剛三。
やがて両者の制空圏が触れ、さらにそこから一歩を詰める。お互いに最高威力を出せる間合いに至り、剛三と冷人、二人が同時に動いた。
「ちぇすとおぉぉ!!」
「どぉすこおぉい!!」
正拳と張り手。
本来なら拳の方が遠い間合いも体格差で埋まり、そこに距離の優劣はない。
速さは、さすがに正拳に分があった。
剛三の張り手よりわずかに先んじて剛三の顔面、鼻の中心を渾身で打つ。湿った音が剛三の脳に響いた。
それより数瞬遅れて、剛三の張り手が冷人の頬を打つ。ゴキリと鈍い音が頭にこだました。
そして両者ダウン。
「そこまで! 明石剛三、大山冷人、どちらも中上位に行きなさい」
突然の教士の仲裁に、まだまだやる気に満ち満ちている二人は当然反駁した。
「ちょ、先生! オレたちまだ終わってないんスけど!」
「有効打一発ずつじゃ。まだこれからじゃろう!」
しかしそれらの抗議は届かず、教士はきっぱり言い捨てた。
「君達は二人とも、もっと回避と防御を覚えなさい。特に大山。首の骨が折れていてもおかしくなかったぞ。今すぐ保健室に。明石も、鼻折れてるんじゃないのか?」
「ぅぐ・・・」
「むぅ・・・」
文字通り痛いところを突かれた二人は黙るしかない。冷人の首には疼痛が、剛三の鼻からは血が溢れ始めている。確かにこれは、教職に就くものとしては止めざるをえないだろう。
「じゃが、儂のかち当たりを避けんかった男の拳を避けるのは・・・」
「オレの正拳を避けるつもりがない奴の張り手を避けるのは・・・」
腕を組みながらぶつぶつ文句を続ける。教士もこれにはさすがに呆れ顔で言った。
「意地を張りたくなるのはわかるし、そういう性分も嫌いじゃないけど、張り場所を間違えるな。自分の体を省みない意地は、ここぞという大一番で張るんだ。こんなところで体壊して、稽古ができなくなってもいいのか?」
今度こそ、冷人も剛三も言い返す言葉もなく、大人しく試合場を降りた。
●
「ってーことで、悪い。保健室行ってくる。書文の試合見れねーかも」
「いいよそんなの。それより早くいきなよ、骨の痛みはクセになるよ」
「お大事にねー?」
「冷人は中上位か。ならば俺は上位にでも行ってくる」
「ああ? オレが中上位だったのにお前が上位行けるわけねーだろ」
「俺は回避も知っている。お前と違ってな」
「オレだって知ってる。ただしなかっただけだ」
「知っていても実践できなければどうしようもないな」
「そういうお前は実践できんのかよ?」
「お前に見せてやれないのが残念だ」
燃児と冷人は睨みを効かせながら至近距離で言葉の応酬を重ね、やがて冷人は剛三と一緒に体育館を出ていった。肩など組んで、実に仲が良さそうだ。
「・・・・宝蔵院燃児! 宝蔵院燃児はいないのかー?」
「あ、はい。ここに」
冷人の見送りで気付くのが遅れたが、いよいよ燃児も試合に呼ばれた。場所は体育館の右奥の試合場。
「お、次は燃児くんだね」
「僕はまだ呼ばれてないし、応援するよ」
「書文がいつ呼ばれるか知れんからな。すぐに終わらせる」
燃児は自信満々にそう言った。慢心しているのではなく、軽口の一種だ。
槍を持って試合場に行くと、相手の生徒はもう試合場の中で燃児を待っていた。柄の長い竹刀を持った女子生徒。
「ほぅ・・・・」
燃児の目が細められる。チラリと教士に視線をやったが、教士は涼しい顔で受け流した。
剣術三倍段という言葉がある。
間合いの遠い相手(素手対刀剣や刀剣対槍など)に勝つには、相手の三倍の実力が必要だという。
だから槍は武器の王たりえる。
にも関わらず燃児の相手が剣士だということは、相手の実力が燃児の三倍ほどに評価されているということ。
燃児の実力が相手の三分の一ほどに評価されているということ。
燃児は、もはや背後の書文と飛鳥を振り返らず、背中からやる気と気迫を滲ませて試合場へ上がった。相手、剣后・東郷刃月と正対する。
対する刃月は、燃児の姿を認めるとチラと視線を外して書文を見遣った。刃月を注視していた書文と目が合う。刃月の視線は、怜悧な印象の面立ちとは違った、柔らかいものだった。
「始めっ!」
教士の声が響き、槍対刀が始まった。
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あれ、主人公が空気だ・・・・。
次回、の次くらいに、書文の出番です!