イチ、二人で。
「こーくん、どう?」
「うん、似合ってる。」
オレの前でクルクルと回るイチはもう数日で進学する中学校の、その小さな身体には若干大きめの制服を着ていた。加えて、中学用の髪型にと、幼さと愛らしさを前面に押し出していたツインテールから、清潔さが溢れ出るポニーテールに変えていた。
オレの消滅期限を告げられてから数日、オレとイチは小学校を卒業し、強烈な北風も落ち着いてきたころには、もうすぐ中学へ上がる時期になっていた。・・・とはいえ、引き続き義務教育で、この地域では周辺の数校が集まって一つの中学になるような形なので、別れらしい別れもなく・・・ただでさえ、この間転入したオレなだけに、卒業そのものにはこれといった思い入れもなく過ぎ去っていた。
―――ピンポーン
そんな時に、我が家のインターホンが鳴る。
「いっちゃん!!」
「お、お邪魔します・・・。」
やってきたのは若宮さんと広小路さん。この二人もイチと同じ制服を着て、髪型も卒業前とは変わっていて、若宮さんは元のセミロングからおかっぱ、とでもいうか、普通に肩よりも高い位置まで短く切り、広小路さんも元々の長い髪をイチと同じくポニーテールにまとめていた。
三人で中学衣装のお披露目会をやるとかの予定だったらしい。なんというか、オレには理解ができないが、女子中学生らしい?そんな会だと思う。ここで「どうせもうすぐ毎日見せられるんだから」なんて童貞丸出しの野暮なことは言わない・・・童貞は童貞だが、今のオレはイチという愛する人と心を通わせている童貞の上位状態だからな!!
「仁美の鋼くんを狙うライバルがまた増えた・・・。」
「二人はイチの友達なだけで、オレはついで。・・・あと、仁美さんのではないからな。イチの鋼だから。」
「・・・見せつけてくれちゃって・・・・・・でも、イチにも友達ができてたのね・・・。」
三人ではしゃぐ姿を見ながら、しみじみと慈しむ様に言う仁美・・・
「・・・いや、良い話っぽくしてるけど、アナタの所為だからな。イチが孤独だったのは。」
「・・・はい・・・。本当に、あの子には、身勝手なわがままで悪いことをしたわ。」
「そう思えるのなら・・・これからでいい、イチに愛を与えてあげてよ。これまでの不足分も。」
「そうね・・・。」
この光景・・・状況・・・それは、イチの友人関係も、仁美との関係も、でき得る限りの・・・「あるべき姿」になっていると思う。いろはからオレの終着地を聞かされて、多少は不安を感じていたが、目標は達成することができたのだから、そういう意味では思い残すことはないのかもしれない。やるべきことも成し遂げられずに消え去るのに比べたら、そりゃあ、そうだろう。
「こーくん!!これからみんなでこのまま出かけるから、一緒に行こう!!」
そう言ってオレに手を差し伸べてくれるイチ。その笑顔を見られるようになったことに、その実感が込み上げてくる。それと同時に愛おしさも・・・
「そうだな。行こう。」
感情の赴くままにイチの手を取る。・・・成し遂げたのだから、これからの残り時間は、オレとイチのための時間にしても、いいだろう?
「ん?なんか、こーくん、機嫌良い?」
「そんなことはないけど・・・いや、イチが言うんだから、そうなのかもな・・・。」
―――――☆★―――――
・・・若宮さん達と来たのは、毎度おなじみ、我が家から県道沿いを歩いてほぼ一本道のショッピングモール・・・中学生の格好をしていても、やることはこれまでと大して変わらないってことだよな。悪いとは思わんが。
「なんていうか、いいのか?せっかく中学制服なんだろ?いつもと同じ場所で?」
「まぁ、プリでも取れればそれでいいっちゃ良いんだよ。」
「うんうん。・・・どこに、よりも、誰と一緒に、の方が大事。」
「志賀草君、女子のことわかってないね。」
得意気に言う若宮さんと広小路さん・・・若宮さんは相変わらず小生意気に煽りよる。
「イチもそんな感じなんか?」
「うーん・・・わたしは、そこまでいつもって感じはしないかな・・・あ、でもでも、ゆりちゃんの言う、場所よりも、一緒に行く相手の方が大切っていうのはその通りかな。」
そうか、イチがこうやって友達と出かけるようになったのは、ほんの1・2か月前からだもんな・・・
「うん・・・話しててわかったけど、二人の言う『いつも』って一緒の人だとすごく前向きなこと、だよね。」
「いっちゃん・・・」
「・・・こ、これからも、三人で、いつもを、しようね。」
イチがいつもつるむメンツ・・・それも手に入れて・・・嬉しいやら、寂しいやら・・・
・・・と思っていると、イチがオレの元へと近付き・・・
「それも、こーくんのお陰だよ。毎日、楽しい・・・ありがと。」
耳元で、そうささやいては、二人の元へ戻るイチ・・・
「それは、オレもだよ・・・」
聞こえてはいないだろうけど、三人に付いていきつつ、独り言ちる。
イチのお陰だ。オレも人との繋がりで楽しいと思えたのは。
―――――☆★―――――
「それじゃあ、ここまでだね・・・いっちゃん、次は入学式でかな?」
「そう、かな・・・またね、なおちゃん・・・ゆりちゃんも。」
「う、うん・・・またね・・・し、志賀草君も。」
「おう。じゃあな。」
―――ブゥン!!
車の往来が激しい夕日が刺す県道沿い、夕日の眩しさに目を細める帰り道、いつもの別れ道で若宮さんと広小路さんと見送り、二人になると、イチがそっと手を繋いできた。
「みんなと一緒も楽しいし・・・こーくんと二人も、ドキドキするね・・・へへっ・・・」
そう言ってはにかむイチに愛おしさが溢れてくる。
昼から思っていたイチとのお互いへの感謝も相まって、かけがえのない存在、という意識が募り―――
「イチ・・・」
「ん?どうしたの・・・?」
オレの問いかけに無垢なはにかみ顔で向き合うイチ・・・その顔との距離を詰め・・・
「・・・・・・。」
オレの意図を察したのだろうか、それを受け入れるように、イチは目を閉じ・・・それが合図になった―――。
ムードもへったくれもない気もしないこともないが、誰もが行き急ぐこの場所で、オレたち二人だけはゆっくりと、静止する時間を過ごす・・・多くの目があるはずだが、誰も気に留めることはなく、喧噪も、騒音も今のオレたちには無音と同じに感じ、さながら二人だけ世界に置いて行かれたとも取れる、二人だけの世界なワケで・・・何とも矛盾するような趣きも感じた。
―――――☆★―――――
「・・・ふふっ・・・こーくん。」
その後の帰り道、今まで以上にオレにべったりなイチ。少し歩きにくいが、それすらも愛おしく、オレも相当のめり込んだのだと実感していた。
・・・ただ、イチに・・・オレたちの間で、別れが遠くない未来にあることを伝えるか、黙っているべきか、という部分は引っかかっていた。これもまた、愛故の悩みなのだろうな・・・。
若返り前のオレからしてみれば、贅沢な悩みなのだろう。
「あー、幸せだなぁ・・・イチは“オレのお陰で幸せだ”って言ってくれたけど、オレはイチのお陰で、これ以上ないくらいに幸せを感じてるよ。」
・・・正直、その幸せをかみしめていた時に、油断したとしか言いようがない。
オレとイチの歩くこの場所は、皆が行き急ぐ市内屈指の大動脈である大通りだったことを、忘れてしまっていた。
―――プァアアアアア!!!!
「―――っ!!??」
「―――きゃっ!!」
通常の走行車線から逸れ、歩道を歩くオレたちへ向かって自動車が迫ってくる光景が目に映った瞬間、咄嗟にイチを車道とは逆方向の農地へと突き飛ばし―――オレの記憶は鈍い音と共に暗転した。
―――――☆★―――――
「・・・ん?」
どれくらい眠っていただろう?真っ暗闇の中で目が覚めた。
・・・ここがあの世か?
「・・・ただの病院よ。」
聞き憶えのある声の方を向くと、僅かな月明かりで薄っすらといろはのチンチクリンな輪郭が目に入った。
「・・・いろはか?」
目が暗闇に慣れると、淡い光でもその姿を確認することができ、いろはに話しかける。
「・・・イチは、どうなったんだ?」
「少しは自分の心配をしなさいよ・・・まぁ、二人は、なんてことのない、毎日のように起こっている交通事故に巻き込まれた、ただ、それだけよ。彼女はアナタが突き飛ばしたから、その転倒の怪我だけ。」
「そうか・・・それで?直撃を受けたオレは・・・死んだのか?」
「まぁ、普通は死んでもおかしくない規模の事故だったわ・・・でも、アナタは死なないわ。言わなくてもわかってるかもしれないけど、今の鋼君は存在だけなのだから、幸か不幸か、生も、死も、概念として適用されないわ。ただ、そこに居る、それだけだもの。」
「・・・と、言うことは?」
「まぁ、『身体的』には何も影響はないわ・・・怪我はするけど、死なない、怪我はすぐに修復できるもの。」
いろはが意味深に言うものだから、オレも次の言葉が予想できた。
「・・・残りの寿命分のエネルギーを使って、か。」
「だいぶ、わかってきたみたいね。」
「まぁ、太く短く、って考えだから、ここで死ななくても、完治まで半年入院、とか言われても困るし、それは別に構わない。」
「鋼君はワガママの言わない聞き分けの良い子で助かるわ。」
「生憎、抑圧されて育ったものでね。その辺の自分を抑える理性は人よりあるつもりだ。」
そんな軽口を返しつつ、最も重要なことをいろはに問う。
「・・・それで、オレの残り時間はどのくらいなんだ?」
「――――――――。」
イチの発する言葉は完全なる数値。明確な解答―――
「・・・そうか。」
それだけを言うと、オレは横たえられていたベッドから抜け、立ち上がる。
「・・・いろは、世話になったな。感謝している・・・これまで生きてきた70年間からすれば、わずかな時間だったとはいえ、そのわずかな時間はこれまでの70年よりも、良いモノだったよ。」
チンチクリン天使に感謝を伝え、オレは病室を出る。
「・・・ふん。夜中に入院患者が病室を飛び出すなんて、これっぽちも理性的なんかじゃないわ。」
相変わらずの上げ足を取る声が背後から聞こえていた。
―――――☆★―――――
「こーくん、大丈夫かな・・・」
「外傷は無くて、ただ気を失ってるだけだってお医者さんが言ってたから、きっと大丈夫よ。」
「うん・・・。」
こーくんのお陰で私はほとんど怪我をしないで、病院で検査をしただけだった。病院のベッドで眠るこーくんにずっと付いていたかったけど、怪我の度合いも大したことないからと、一般病棟だったから面会時間があって、夜は帰らなくてはいけなかった。
お医者さんもみんなも、こーくんの怪我を大したことない、というけれど・・・わたしがこーくんを大好きということもあるけれど・・・それでも、わたしが突き飛ばされる時に見た自動車の勢いは、もの凄くて、どうしたって心配になってしまう事故だった。
―――ガチャ!!
「―――!?」
「―――ここ、オートロックのはずだけど・・・誰かしら?」
そんな不安で押しつぶされそうな時に、家の扉が勢いよく開く音がする。わたし達の居る部屋からは部屋の扉で玄関の扉を開けた人の姿は見えないけど、お母さんが言う通りで、扉を開けた人の可能性はそこまで多くない、わたしは怖さの中に淡い期待をしてしまう。
「―――――どちら様?」
恐る恐るお母さんが玄関へ向かう扉を開くと―――
―――――☆★―――――
「イチ!!」
オレは急ぎ帰宅すると、イチも仁美も驚いた顔をする。
「こーくん!!」
イチは驚愕から歓喜へと表情を変え、オレの元へと駆け寄り、結構な勢いでオレへと飛びついてくる。
「イチ・・・心配をかけたな。」
「ううん・・・でも、こーくん、大丈夫なの?」
「そうよ・・・いつ目が覚めたかはわからないけど、事故にあって、気を失っていたのよ。そんないきなり・・・」
「そうだな・・・その辺もちゃんと話さないとな・・・でも、その前に、腹が減っちゃって・・・飯を食いたいかな?イチの作った、美味い飯。」
手元の時計を見て、オレはイチにお願いした。
―――――☆★―――――
事故のこともあって、あまり食欲が無かったらしく、これといった食材の準備は無かった様で、ストックとしてあるものでの食事になった。とはいえ、イチがその程度のハンデで食事のクオリティを落とすはずもなく、できあがったツナのパスタは相変わらずの絶品だった。
「・・・・・・。」
「・・・うん、美味い。」
食事中はそこまで会話は無かった。単純に行儀としてもそうだが、元々イチの作る食事が美味しすぎて、会話を忘れて食べる習慣があったこともある。これまで全員が一人で食事をしてきた、という面もなくはない。それは別に気まずいものでもなく、いつもの食事風景―――こんな時間が、イチと過ごすようになって愛おしく感じていた。今もまた―――いや、それ以上に・・・。
ここにきて、しみじみと感じる。・・・オレはイチから多くのことを・・・愛を与えてもらっていたのだと・・・。
「・・・ごちそうさま。」
感謝は、何度伝えても良い。何度も伝えたいほどに、与えてもらったのだから。
―――ジャー
「イチは、大した怪我は無かったって?」
食後・・・食器洗いをしつつ、水道の音にかき消されないように少し大きめの声でイチに問う。
「うん、こーくんのお陰で、ちょっと擦りむいたくらい。」
「ごめんな、ちゃんと守ってあげられなくて・・・」
「ううん。こーくんはちゃんと守ってくれたよ。普通はあの咄嗟の場面で突き飛ばして車とぶつからない様にするなんてできないよ。こーくんは凄かったよ。」
「それでも、ゴメン。」
「うん、ありがと。」
イチが肩を寄せてくる・・・作業はし難いが、オレもそれを心地よく思い、軽く、応えるように、そっと押し返す。・・・あぁ、愛おしいなぁ・・・。
―――――☆★―――――
片づけが終わって、さっきまで食事をしていた食卓を再び三人で囲む。いつもと同じ様に、長方形のテーブルに向かい合う様に。オレの正面にイチ、その隣に仁美が座る。
もちろん、オレのことを話すために。
「・・・どこから話そうか・・・そうだな・・・まず、オレの生い立ち・・・というか、存在そのものの話なんだがな・・・。」
「・・・・・・。」
オレの出す真剣な空気感を察してか、イチも・・・仁美でさえ、何も言わずに耳を傾けてくれていた。
「その・・・信じられないかもしれないけど、オレは、転生というのをしていて、小学生の年齢よりもはるかに長い時間を生きてきた。最近イチの前には姿を出してないけど、いろはは実は天使といわれる存在で、オレをこの時代の小学生の姿にしたんだ。」
「・・・なるほどね。」
「そういうことだったのね?」
・・・・・・ん?思ってたリアクションと違う、というか、あっさり受け入れ過ぎじゃないか?
「いや、あの、自分でいうのもアレだけど、こんな荒唐無稽な話、信じてもらえるの?」
「うん、まぁ・・・妙にしっくりくるし。
「よくあるよね、とは思わないけど、鋼くんのやたらと大人びた立ち振る舞いを見てるから・・・」
・・・そんなにオッサンぽかったかな?
「それで?こーくんはどうして怪我がなかったの?」
「あ、オレの存在はそこまで興味がない?」
「んー、なんていうか、難しいことはわからないけど、こーくんはちょっと変わってるけど、ちゃんとした人、なんでしょ?・・・だったら、それでいいじゃない。こーくんは、こーくんだったわけだから。」
「イチ・・・」
「・・・それよりも、こーくんがどうして無事だったのか、って方が大事だよ。」
「そうだな・・・話を戻すと、転生して小学生になったオレだけど、オレの人生が巻き戻ったわけじゃないから、いろははオレのやりたかったことをやらせるために、小学生以外の時代にも転々とさせてくれるつもりだったらしい。いろはが言うには、その時代の行き来には結構なエネルギーが必要とかで、そのエネルギーを節約するするために、オレはこの時代に定着させずに、志賀草鋼という存在だけでこの時代に来たんだ。」
「こーくんのやりたかったことって?」
「学生時代の青春、とでもいえばいいだろうか?イチは知っているだろうけど、オレはイチと同じく虐待を受けていた、それは転生する前のオレだ。その影響でオレは抑圧され、自分の人生を送れるようになったのが社会人になってからだった。だから、学生時代の青春をやり直したいと思ってたんだ。いろはは、それを叶えてくれた。もちろん、イチと出会えて、それは他の時代に行かなくとも叶えられたんだ。」
「え、えへへ・・・」
照れるイチ、この顔をオレはこれから変えてしまうと思うと、胸が締め付けられる・・・。
「そう、オレは、存在だけの人間なんだ。人間の形をしているけど、それはイチや仁美から見れば幻影とも取れる存在・・・だから事故に遭っても怪我はしない。正確には怪我をしてもすぐに治るらしいけど。」
「なにそれ!?鋼くん、最強じゃん!!」
「とはいえ、本来あるはずの怪我がなくなるのだから、それ相応のエネルギーが必要なんだと。」
「・・・でも、その、エネルギーは時代を行き来する時のモノでしょ?」
「まぁ、そうなんだけど、エネルギーは他にも・・・オレの存在を維持させるのにも必要なんだ。」
「・・・!?」
「いわば、寿命だ。オレは、寿命を消費して、今、ここにいる。」
「どうしてそんな使い方・・・」
「・・・死なない様にって、オレが選択したわけじゃないけど、選択権がオレにあるなら同じことをしただろう・・・イチに愛されたいからな。」
「そんな・・・」
「元々、もうそこまで長くなかったんだ、オレが存在できる時間は。だったら、万全な状態でイチに愛されたい。そうオレは思うよ。」
「元々・・・ということは、わかっているのね?鋼君の、寿命。」
「あぁ・・・もうすぐだ。残り、数分で・・・オレは、この世から、消える。」
―――ガタッ!!
「う、嘘でしょ・・・こーくん・・・そんなこと、無いよね?・・・冗談、だよね?」
立ち上がったイチはオレの元へと来る。オレの手を取ったイチの手は震えていた。
「オレさ、イチに会うまで、誰にも愛されてこなかったから、ここにきて、イチにいっぱい愛してもらえて・・・・・・辛い時も多かった人生だけど、生きてきて良かったって、思えたよ。」
「う・・・うぅ・・・こーくん・・・」
オレの胸にはイチの顔が埋められていて、震えるイチから震えた声が嗚咽混じりに聴こえてくる。
「・・・オレも、欲を言っていいなら・・・・・・もっと・・・これからも、イチの愛と、イチの作る美味しいご飯が欲しかったな。」
イチがオレを抱きしめる、その力は小さく細いイチからは想像がつかないほどに強かった。痛い、などと言えるわけがない。イチの愛と、オレ自身の輪郭を感じるのだから。
「・・・仁美、『今度こそ』イチを頼むぞ。」
「・・・・・・わかったわ。」
良かった。いつまでも子供の心の仁美かと思っていたが、少しは大人になれたみたいで。
「こ、こーくん・・・」
オレの胸から声が聞こえる。
「わたし・・・こーくんに助けてもらって、わたしの人生が始められたの。・・・何もなかった・・・マイナスでしかなかった私の人生だったけど、こーくんに愛してもらえたから、もう少し、生きてみようって思えたの・・・。こーくんがいなくなったら、わたし・・・わたし・・・」
イチの懇願・・・叶えてあげたいと思う心をあざ笑うかの様に、透け始めるオレの身体・・・目の前に近付いて来たその時を感じ、それは叶えられないと考えてしまい・・・オレは、イチを更に強く抱き返すことしかできなくて・・・
「いかないで、これからも、こーくんのためにご飯、作るから・・・・・・ねぇ、こーくん・・・明日は何が食べたい?」
・・・そうだな。それだけじゃない、オレは、イチに伝えなければいけない・・・感謝を・・・
「イチ、おいしい料理、楽しい食卓、・・・たくさんの暖かい愛をくれて・・・ありがとう。・・・ごちそうさま。」
伝えた時に、オレの輪郭は無くなり、イチの抱きしめる腕が空を切った。
・・・オレの意識は、そこまでで、途切れた。
―――――☆★―――――
「・・・あっ・・・」
こーくんは強がっていたみたいだけど、声でこーくんも泣いていることはわかった。その涙声でわたしにお礼を言ってくれて、すぐに、こーくんを抱きしめていた感触が消えてしまった。
「・・・・・・こー、くん・・・」
いかないで、って・・・連れていかれない様に、って、力いっぱい抱きしめていたからこそ・・・それが、否が応でもこーくんが、いなくなったと感じさせられて・・・
「ぅ・・・ぁあああああ・・・ぐすっ・・・ひぐっ・・・ごー、ぐん・・・」
―――ぎゅ
止まらない感情の波にのまれている時、誰かが、わたしを抱きしめた。
こーくんではない・・・さっきまでとは、暖かさも、においも、何もかもが違った・・・
・・・だけど、わたしは、そこで涙が枯れるまで泣き続けられた。
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―――
――
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エピローグ
―――ゴオォォォ!!
「うぅ・・・寒っ・・・!!」
中学生になって初めての冬、通学距離が小学校よりも延びたことで、冬の北風が辛く感じる変化があった。
「あ、いっちゃん!! おはよ!!」
「なおちゃん、おはよう。」
通学路の待ち合わせ場所には、なおちゃんが待っていた。
「今日、ゆりちゃんは?」
「寝坊したから先に行っててって。」
そう言うと、わたしとなおちゃんは並んで歩き出す。
「ゆりちゃん、また夜更かしかな?」
「ドハマりしてるからねぇ・・・昨日ライブのディスクが届いたって言ってたし。」
「『ルリちゃん』のかな? ゆりちゃんがハマってるアイドルって他にいたっけ?」
「『ルリ』だよ、同じ県内出身だし、ゆりとローマ字表記で一文字違いだからね・・・そうでなくても、普通に歌上手いし、ハマるのもわかるけど・・・いっちゃんは、あんまり興味ない?」
「そんなことないよ、ゆりちゃんに紹介されて、曲も持ってるし、歌うまいなぁ、とは思ってるよ。」
時間が経てば、みんなそれぞれ変化があって、なおちゃんにべったりだったゆりちゃんはアイドルにハマったり・・・
―――――☆★―――――
「ただいま。」
「イチ、お帰りなさい。」
「・・・ん? このにおい・・・お母さん、もしかして・・・」
「今日は大丈夫、ちゃんとレシピ見て作ったから!!」
あのお母さんが、料理をするようになった・・・センスはあまりないけど・・・
「ちょっと味見してみ・・・普通にいけるはずだから。」
「どれどれ・・・あむ・・・うーん・・・」
「どう?いけるっしょ?」
「・・・レシピ通り・・・なんだよね?」
「うん・・・」
「同じレシピ通りでも、こーくんが作った料理の方が美味しかったな・・・それでも、今までよりはだいぶマシだけど・・・」
「そんな・・・一年近く前の味なんて憶えてるわけないでしょうよ。」
「憶えてるよ。今も鮮明に。だって、大好きな人が作ってくれた料理だもん。・・・忘れられるワケないじゃない。」
そう思うと、やむなく上達したわたしの料理の腕だけど、良かったって思える。だって・・・きっと、こーくんも・・・消えてしまっても、わたしの作ったご飯の味を憶えていてくれる、そんな気がするから・・・。
「こーくん・・・」
愛する人の姿が消えても、愛する人を呼ぶ声が冬の風の音に掻き消されても、彼との思い出や、彼への思いは、ずっとわたしの中に生き続けていた。
イチの章 完
どーも、ユーキ生物です。
まずは、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。本話にてイチの章、完結となります。
本作はまだまだ続きますが。
次からは4話の選択肢のもう一つの分岐の方へ物語は進みます。
ここまでで本作の雰囲気等は掴んでいただけたかと思います、よろしければ、今後もお付き合いいただけますとありがたいです。ここまでお読みいただいて、お気に召しましたら、ブックマークや評価を頂けますと、なおのことありがたいです。モチベーション爆上げです。
“雰囲気を掴んでいただけたかと”と述べましたが、この小学生編&イチの章は、いわゆる「体験版」です。起承転結で言えば「起」の途中です。・・・ペース上げないとなぁ・・・という危機感はかなりあります。・・・ともかく、まだまだ童貞の物語は続きます。はたして脱童貞を迎えることはできるのか?
次回は・・・5月22日の投稿を目標にします。