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6-7 アジト

 蒸した空気が肺の奥をつき、玲仁は咳き込みながら目を覚ました。これまでの人生で最も不快な寝起きといっても大げさではない。

 教室ほどの広さのその部屋はがらんとしており、古びた鉄の壁と床で全面が覆われていた。時計もなく、さらわれてからどれほどの時間が経過したかもわからない。設備という設備もほとんどなく、唯一錆びた半開きのロッカーがぽつんとたたずんでいる。その前に汚れたヘルメットと作業着が転がりはみ出ていた。

 耳を澄ますと、低く唸る機械の駆動音が聞こえる。どこかの工場の中かもしれない、と玲仁は推測する。

 思い通りに体が動かず、そこで初めて自分が拘束されていることに気づいた。椅子にロープでくくりつけられ、さらに後ろ手に足首と、それぞれロープで縛られている。この状態で寝ていたことが自分でも不思議だった。よっぽど疲れがたまっていたのかもしれない。


「そうか……僕は連れていかれたのか」


 今でも思い出しくないあの晩、もうどれくらい前のことだろう。無理やりロープで縛られ、車のトランクに放り込まれた。どこに連れていかれるのだろうという恐怖と、揺れで体中をぶつけまくり、痛かったところまでは覚えている。そのあと到着を待たずして意識を失ったのだろうが、目覚めた後もまだその悪夢は終わっていないことを玲仁は痛感していた。

 しかし、あそこで立ち向かわなければ天照がどうされていたかはわからない。天照を失わず、こうして生きていることを幸運ととらえるべきか。相手の目当てがはっきりわからないことが少々不気味ではある。

 ふと、右ポケットに目をやるとスマホが少しはみ出している。幸運にも奪われていなかったようだ。何度か無理やり体をねじって手繰り寄せようと試みる。後ろ手に縛られた手をなんとか強引に引き付けて取ろうとするがまるで届かない。


「もう……少し」


 すると勢いあまってバランスを崩し、くくりつけの状態のまま横に倒れた。その拍子に、スマホが床をすべっていく。


「いてててっ……」


 玲仁は少しずつ体を前後に揺らしながら、尺取り虫のようにスマホのそばまで這っていった。次に体を反転させ、後ろ手で再びスマホを掴みにいった。死角で見えないが、冷たく固い感触を手のひらで確認した。


画面はみえないが、電話をかけることぐらいならみずに操作できるかもしれない――

そう思いいじろうとした瞬間、スマホの感触が手のひらから消えた。玲仁が見上げると、黒のスーツに身を包んだ鋭い目つきの男が玲仁のスマホを指でぷらんぷらんとつまんだまま、見下ろしていた。

 その男に見覚えはあった。暗がりでわかりづらかったが、間違いない。従神に指図し、天照を地面にひれ伏させた――あの筋肉ムキムキの『金山』という従神に指示を出していた巫だ。


「情けない恰好だねえ……ほらよ」


 男は玲仁の椅子をわざわざ起こし直した。玲仁が警戒しながら、問いかける。


「お前は……何者だ」

「想像はついているんだろう? 巫だよ」


 男は玲仁の肩ごしに背後からにゅっとその不気味な顔を突き出した。玲仁が驚きのあまりに声をあげると、灰原はケタケタと笑い、再び離れて姿勢を正した。


「お前みたいなガキが天照と素戔嗚を従えていたとはね……実際会うまで信じられなかったが」


 玲仁は確信した。この男は、強い。己の欲求に忠実で躊躇がない。どんなゲームでも、そういうタイプのプレイヤーは強いということを、玲仁は経験上知っている。


「なぜわざわざこんなまわりくどいことを……」

「あっはっは! やっぱりお前は所詮、ただのガキだな」


 灰原は玲仁を床に倒しその上に跨った。のぞき込んだその目は、いっそうの狂気をはらんでいる。


「いいか。本当に賢い大人ってのはなあ、ただルールにのっかるようなことはしない。ルールを――乗っ取るんだよ」

「乗っ取る? 目的は単なるバトルの勝敗じゃないってことか?」

「ふふ、思考回路は悪くないじゃないか。特別に教えてやる。お前は知らないだろうが、良い従神を手に入れるために金を惜しまないかんなぎがこの世にはいるんだよ……結構な」

「なるほど……そういうことか。従神を得るにはルール上バトルに勝たなくちゃならない。だから従神じゃなく、巫を捕らえる……取引相手に無防備な僕を引き渡せて、バトルに無理やり勝てば、商談成立。そういうことか?」


 灰原は玲仁の肩に背後から手をそっと乗せる。玲仁が息をのむと、より一層不気味で低い声でつぶやく。


「はははは! おもしろいな少年。理解が早いじゃないか。右腕に雇ってやろうか?」

「目当ては……天照か」

「その通りだ。お前も奴の価値はわかるだろう? 天照に――大金を積むと言っている上客は数名いる。人によってはそうだな、お前が一生食っていくのに困らない額を提示する者もいる」

「……ふざけんなよ」

「ははは、おれはゲームの攻略に興味はない。俺が強くなる目的があるとすれば商売をやりやすくするためだ」

「神を取引の材料に使うなんて……まるでRMT(リアルマネートレード)業者だな」


 玲仁がにらみつけると、灰原は爪をたて、ゆっくりと玲仁の肩に指を食い込ませる。


「うぐっ……!」

「お前には恐怖という感情が不足しているようだな。拘束が長すぎて麻痺したか? 聞き分けのいい子供を傷つけるつもりはないが――あまり生意気な口をきくとかっとなってお前を手にかけてしまうかもしれないよ? 私はこれでも短気な方なんでね」


 痛がる玲仁の表情に満足したのか、灰原が指先に入れていた力を緩めた。

 玲仁はあらためて自分がおかれてしまった状況に恐怖していた。これが本物の悪党。関わってはならない相手と、ついに関わってしまった。しかもこのままでは天照が――奪われてしまう。


「取引はそう遠くない。せいぜいそこで恐怖に怯えながら時を過ごすといい」


 灰原はドアを出る間際、最後に顔の近くで玲仁のスマホをぷらぷらとかざしながら、悪意に満ちた笑顔をみせた。部屋の外へと出てドアが閉まると、カチャリ、とロックが締まる音がした。


 玲仁は、肺にため込んだ空気を一気に吐き出した。ひとまず、しばらくは命の危険はなさそうだ。しかしいずれにしろこのままでは身柄を引き渡され、無抵抗の状態でその『取引相手』に敗北し、天照を奪われてしまう――そのタイムリミットはそう遠くはないようだ。

 玲仁は疲れ切った脳みそを奮い立たせ、なんとかここを抜け出す方法を必死で考え始めた。



 北東京市北区――を奔走する一台のバン。その助手席に座る天照は地平線に落ちていく夕日をみつめていた。経緯を知らない人からみればセンチメンタルなシーンにみえるかもしれないが、内心では日が落ちる前に灰原もしくはその一味をみつけなければ、という一般人なら想像しえない理由でみつめている。

 あたりを見回し続けていた。後部座席には、素戔嗚、菖蒲、天鈿女が乗り、運転席には天目一箇神が座る。全員が、ガラス越しに映る顔を何人たりとも見落とすまいと見回していた。

 菖蒲の持つ携帯に着信が入る。猿田彦の声がスピーカーから車内に響き渡る。うっすらとエンジン音が聞こえる。何かの乗り物に乗り合わせているのだろうか。


「それっぽいやつなんて全然いないぜ! そっちはどうだ?」

「まだ何も」

「そっか……これ以上暗くなると、探しづらくなりそうだな」


 提の自転車好きはともかく、猿田彦は何の乗り物を利用しているか、不明ではある。いずれにせよ提と猿田彦はそれぞれ小回りのきく()がある、とのことでそれぞれで捜索を続けている。

 一同はインターネット上で『灰原和馬』なる男の情報がないかと探ったが、残念ながらめぼしい情報はつかめず終いだった。いくら出没可能性のある地域を絞り込んだとはいえ、北区だけでも道は多く、灰原が外出するとも限らない。本当にうまくいく保証はどこにもないのだ。

 捜索を開始して約二時間、既に車内は静寂と共にじわじわとあきらめのムードが立ち込めはじめていた。 

 車がちょうど赤信号で停止する。天照が隣の車線に停止したトラックの運転席を何気なくのぞきこむ。


「あれは――」


 天照は声を上げた。作業着こそ来ているが、男の顔には見覚えがある。


「彼は――金山です」

「えっ?」


 天照の声に釣られ、一同が目をやる。助手席から女が身を乗り出して運転席の男と会話している様子が見えた。すると、素戔嗚が続けて言い放った。


「あの女――迦具土神かぐつちと一緒にいた女だ。間違いない」


 車内に緊張が走る。

 信号が青に変わる。男がちらりと横に目をやった。天照は慌てて背をかがめた。


「大丈夫よ、この窓ガラスは外からこちらがみえないようになっているから。VIP用よ」


 菖蒲がすぐにフォローすると、天照が姿勢を正した。


「なるべく気づかれないように、後を追えますか?」


 天照が天目一箇神あめのまひとつのかみに声をかけると、彼は無言でうなずいた。さりげなくトラックの後ろに車をつける。


 それからしばらく三十分ほど、一同は距離を適度に保ちながら尾行を続けた。トラックは定期的にとある施設に乗り込んでは、5分も経たないうちに再び現れ、別の方向へむけて走っていく。それは『巡回している』と表現するほうが適切かもしれない。

 天照が疑問を投げかける。


「何をしているのでしょう?」

「ふらふらして、苛立たしいわね」


 菖蒲が苛立たし気な声をあげる。


「荷台の積荷が増えてる気がするわ。シートをかぶせてあるから中身はわからないけど」


 立ち寄った施設はどれも特に目立った看板もなく、業種もわからない。

 そうこうしているいちに日もすっかり落ち、想定外の展開の遅さに緊張感もやや緩みはじめていた。全員フロントガラスのむこうで小さく光るテールランプを目に追いながら、静かに行き末を眺めていた。後部座席の一番奥、素戔嗚は既に腕を組み静かに目を閉じている。居眠りをしているのか、来たる決戦に向け精神を統一しているのかよくわからない。


「私たちのことに気づいて、わざとぐるぐると回っているってことはないわよね?」


 菖蒲がしびれを切らせて、口走る。


「さっきまで市街地をぐるぐる走っていたけど、今はまっすぐ走っている……もしかしたらそろそろどこかに戻るのかもしれないわ」


 天鈿女がそう答えると、確かにトラックは徐々に郊外にむかっているようだった。いつの間にか周囲の車も少なくなり、やがて前を走るトラックと、菖蒲のバンの二台だけになっていた。

 車は少しずつ山中へと潜っていく。徐々に道の傾斜がきつくなり、カーブも多くなってきた。


「こんな山奥に何があるのかしら?」

「いよいよアジトにむかってるんじゃない?」


 菖蒲が横の景色を気にしながら、おもむろに前を向くと、テールランプが消えていた。


「あれ、どこに行ったの!?」

「……曲ガッタ」


 天目一箇神あめのまひとつのかみが静かに告げる。さすが()()ことを得意としているだけのことはある。

 よくみると、気づきにくいものの直角方向に道が枝分かれしていることに気づき、バンも曲がりその後を追う。

 例のトラックは、すぐ前方に見えていた。ややスピードを落とし始めている。


「ライトを消して、徐行しましょう」


 天目一箇神あめのまひとつのかみが言われた通りにすると、やがて前方が開け、大きな施設の入り口が見えた。門があり、脇の柱に施設名が刻まれていた。


 そこには『北区リサイクル工場』と書かれていた。これ以上は通り抜けできないので、一旦門の手前にバンを停める。


 しばらくして、一台の車が背後から近付いてきた。一瞬素戔嗚が警戒するが、すぐに菖蒲が提と猿田彦が来たのだ、と伝える。

 乗りつけてきたのは、一台のミニクーペ。猿田彦が運転している。その横に提が乗っている。


「っていうかツッコミどころ満載なんだけど。あんたいつの間に免許取ってたの? てか、それ自分で買ったわけ? お金は?」

「キキッ、色々やりようはあるんよ。中古車ディーラーのおっちゃんと親しくなったら、身分証明なしで譲ってもらったぜ」

「なぜだろう、従神が自分より世渡り上手なのを見ているとうっすらみじめな気持ちになるわ……」

「なんだよ、旦那ものせてきてやったんだから細かいこと言うなよ! あんなバイクじゃどのみち追い付けなかったろ」

「あんなバイクって何だ!」

「二人共黙れ。みつかる」


 菖蒲に一喝され、静まる二人。女性に弱いところまで奇しくも呼吸は合っている。


「ここに入るしか進む先はありません」

「本当にいるのか? リサイクル工場って書いてあるけど」

「……行ってみればわかることだ」


 素戔嗚がそう言いながら、ひょい――と外壁を軽やかに飛び越えた。


「おい、素戔嗚――」


幸いアラームなどもなく、警戒が強いようにはみえない。とはいえ、ここからはどう取り繕っても不法侵入者だ。とがめられたら言い訳はできない。

 だが誰ももうとっくに後に引くつもりはなかった。

 それを証拠に、一行は次々と外壁を越え、施設内部へと侵入した。素戔嗚が口火を切った、ただそれだけのことだ。


 暗闇に包まれた世界に、その施設だけがぼんやりと浮かび上がっていた。ところどころに設置された非常灯でなんとか建物の入り口をみつける。

 脇に、一台の見覚えがあるトラックが停まっている。素戔嗚が躊躇なく近づき、運転席をのぞく。既に誰もいない。


「おい、これみてみろよ」


 提がトラックにかかっていたシートを引きずり下ろした。すると、荷台には鉄くずの山が積み込まれていた。


「道中でスクラップを回収してたのか?」

「なるほど。それをここに届けにきたってことなら……ここにいる辻褄つじつまは合うわ」

「それってつまり――彼ら、ここの職員ってことになるんすかね?」

「そうね。スクラップ工場の職員が悪の一味? 不気味ね」

「なあ、やっぱ引き返さないか……? 嫌な予感するぜ」


 提が怯えた表情で口走ると、菖蒲がすかさず無言でみぞおちに肘打ちをくらわせる。うそうそ、と言いながら暗闇の中で一人うずくまる。


「それにしても……これほどの広い敷地、どうやって探しましょうか」

 

 天鈿女が提案する。すると天照が続けて告げた。


「二手に分かれましょう」

「そうするか。どうやって分ける?」

「それぞれの巫をリーダーにします」

「なるほど、天照と素戔嗚は?」

「素戔嗚は、提さんと猿田彦さんに。私は、菖蒲さんと天鈿女さん、天目一箇神あめのまひとつのかみさんと行きます」

「先生! 班分けに提案なんですが、俺は菖蒲ちゃんと一緒じゃだめですか? こういうのは男女混合って昔から相場は決まって――ぐふっ!」


 言葉の途中で菖蒲の蹴りを食らい、提は再び地面にうずくまっていた。


「話をややこしくしないでくれる?」

「だがよ……おれも今回ばかりは旦那に賛成だぜ。ウズちゃんと一緒に行きたいってのもあるし、よりによってこの狂犬となんてまっぴらごめんだ」

「言うまでもない。おれは一人でいい」


 猿田彦の反抗に対し、素戔嗚が不快そうに言い捨てる。


「こう分けたことには理由があります。素戔嗚と私は玲仁様を人質にとられています。もし彼に何かがあった場合、私たちは消されてしまう可能性も大いにあるのです。そう考えたとき、私たち二人は固まらずに戦力を均等に保つことが、最も安全な戦略といえるでしょう」


 素戔嗚は舌打ちし、黙りこんだ。不服なのは目に見えていたが、理解はしたようだ。


「天照ちゃんがそこまで言うならしょうがねえ……賛成だ」

「そ、そうっすね……もちろん俺は最初から……そうっすよ」

「異論はないわね」

「ありがとうございます」


 天照は、頭を下げた。天照自身、玲仁に何かが起きるなど考えたくもない。ただ、もし玲仁様の立場だったら――きっと彼は最悪なケースに向き合い、こうやって対策を立てるに違いない。彼がいない以上、今は天照ができる限りの思索を巡らす。それが何よりの玲仁への奉仕であり忠誠であると信じていた。


 結果として、


【巫Aチーム】

巫:菖蒲 従神:天鈿女、天目一箇神あめのまひとつのかみ、天照


【巫Bチーム】

巫:提 猿田彦、素戔嗚


 の二手に分かれ、一行は潜入を始めることにした。

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