5-2 セレンディピティ
「おい、猿田彦!」
猿田彦と天照と素戔嗚の三人が話しているところへ、さらに提が駆け寄ってきた。
「あれ、天照さんまで? まさかおれたち二人はここで出会う運命――」
そう言いながら素戔嗚の顔をみた瞬間、提はひっと反射的に声を上げた。どうやらこの前コテンパンにされたトラウマがまだ残っていたようだ。
「今日は玲仁様と買い物にやってまいりました」
「そ、そうなんすね……でも、センパイの姿が見当たらないっすね」
「ええ。正確には一緒でしたが、買い物の途中ではぐれてしまいまして」
「ふむ……これはもしかして逆にチャンス? この隙にセンパイをみつけだしてフルボッコにすれば天照はおれのものに……」
「誰をみつけだすって?」
ぶつぶつと小声でつぶやいているところへ、横にきょとんとした顔で紙袋を下げた玲仁が立っていた。
「どこに行ったかと思ったよ」
「申し訳ございません」
「いいよ。買い物に付き合ってもらったのはこっちの方だし。ところで提までここで何してるの?」
「別にやましいことは何一つ考えてないっすよ!」
「余計怪しく聞こえるけど……」
「おれはあんたらにボロボロにされた愛車『ビアンキ』のパーツを仕入れに猿田彦と買い物に来ただけっすよ」
そう言って提は猿田彦の立っていた位置に指をさす。
「こいつって?」
「――あれっ?」
提が指した位置には誰も立っていない。
「あれ? どこに行ったんだ……」
「あちらにいらっしゃるようですが?」
天照が指した先には、さらに別の女性に話かけようとしている猿田彦の姿があった。
「あいつ……ご主人様を完全になめきってんな……」
「ね、一緒にお茶でもしようよ」
「ごめんなさい、人を待ってるの」
相手の女性は、長い髪をアップに束ね、ニットのワンピースで全身を包んでいる。そのフォルムだけで男の視線を釘づけにしてしまいそうだ。
その彼女に果敢にも積極的にアプローチする猿田彦の声が耳に飛び込んでくる。
「もしかして――彼氏とか?」
すると女性はくすりと笑みを浮かべながら、答える。
「いいえ、妹よ」
猿田彦はいっそう目を輝かせる。
「だったら一緒に連れて来なよ!こっちも一人、ツレがいるんだ。少しクセがあるけど面白いやつだからよ」
「アイツ……」
提にも聞こえているようだ。だがあえて自分から近づきにいくつもりはないらしい。
「ごめんなさい、今日はこのあと予定があるの。だからかわりに連絡先教えて」
「そっか……残念ってなもんよ……って今何て?」
「連絡先、教えてくれたら、今度時間があるときに私から誘うわ。それじゃあダメかしら」
「キキキッ!? まさかっ! 嬉しすぎて木にも登る勢いだぜ!」
「ふふ、じゃあまた後で連絡するね」
一部始終を遠めからみていた提が、ぼそりとつぶやく。
「あいつ……よくもぬけぬけと……」
提が遠目から睨み、悪態をつく。それを尻目に猿田彦はウキウキと連絡先を交換している。
「見慣れない名前だねえ。これ……何て読むのかな?」
「天野鈿女よ」
「へえ……ウズちゃん! とても素敵な名前だ! 何というか、親近感があるねえ!」
玲仁が遠目からやりとりをみながらつぶやく。
「猿田彦って、従神なのに自分のスマホ持ってるの?」
「おれがあいつの分まで契約してる」
「お金は?」
「あいつ、週4でバイト入れてるんで」
「それはすごいです。身分の証明ができない従神がアルバイトをするのは簡単ではありませんよ」
「そうなの?」
「え、ええ……まあ。とにかく、猿田彦さんってとてもこの社会に順応していますね」
「本当だね」
「あいつもともと道祖神だからさ。道端で人を観察していたときの記憶がそのままあるらしい」
きっとそのとき人に近づけなかったもどかしさが反動としてこんなキャラになったのかも…と玲仁は思った。
突然、素戔嗚が痺れを切らして猿田彦にずかずかと近づいていく。
「おい、用は済んだか」
「てめえは……何度おいらの邪魔をするつもりだ? 懲りねえやつだな」
「あら、お友達?」
玲仁が素戔嗚をなだめようと駆け寄る。だが、その前に別の人物が、二人の会話を遮った。
「お姉ちゃん!」
遠くからツインテールを揺らしながら、少女が駆け寄ってきた。
玲仁はその子の顔をどこかで見たことがある気がした。だがぼんやりした不確かな感触だった。
「あなた、お姉ちゃんに絡まないでくれる?」
「もしかして、あんたがウズちゃんの妹さんかい? 顔の印象はだいぶ違うけど、こっちはこっちで可愛いねえ!」
「消えろバカ猿」
「バ……バカ猿……」
「こら菖蒲。初対面の人にそんな言い方ダメよ」
「いいの。行くわよお姉ちゃん」
少女が猿田彦を押しのけると、姉の腕をつかんで引っ張る。
「ちょっと菖蒲、痛いじゃない」
「お姉ちゃん、わかってる? みんなあの手この手でお姉ちゃんに言い寄りたいだけなの」
「それに何の問題があるのかしら」
「……もういいわ。とにかく行くわよ」
ちょうどそのとき、提のスマホが突然震えた。何気なくスマホを取り出し、画面をのぞく。
そのメッセージに、提は思わず声を上げた。
「バトル――開始?」
提が顔をかしげる。また驚いているのは提だけではなかった。目の前にいる菖蒲も――スマホを握りしめ、青白い顔で画面をのぞきこんでいた。
「あんた……巫!?」
素戔嗚も不敵な笑みを浮かべている。玲仁は素戔嗚の思惑を察知し、慌てて声を上げた。
「ダメだ素戔嗚! 攻撃はしちゃダメだ」
「あんたら全員――巫なのか?」
天鈿女は先ほどとは打って変わり、裏切られたと言わんばかりの形相で猿田彦の顔をみつめている。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! おいらは戦うつもりなんて全く――グフぇっ!」
猿田彦の言葉が終わるのを待つ前に、素戔嗚が猿田彦の股間を蹴り上げた。猿田彦は悶絶し、そのまま地面に倒れ込む。
「貴様は引っ込んでろ――久しぶりの暴れる機会、逃がしてたまるか」
素戔嗚がにやりと笑う。その目はすっかり相手を獲物として捉えている。
「素戔嗚、やめろ!」
玲仁の制止もむなしく、彼は既に飛び出していた。
素戔嗚が鋭い爪を立て、腕を振り下ろした。天鈿女は横にひらりとかわし、背後のガードレールが切り裂かれる。
「お姉ちゃん!」
「相当強そうね」
鈿女が身構えると、素戔嗚は鼻で笑う。
「あなたに恨みはないけど……菖蒲には指一本触れさせない」
「やめやめ、やめろってんでいいいい!」
じっと睨み合う鈿女と素戔嗚の間に、勢いよく猿田彦が割って入る。
「猿野郎、邪魔するな!」
「戦うなって言ってんだ!」
「相手は従神だ。なぜ止める?」
既に異変を感じ取った歩行人が何事かとこちらをのぞいている。今は昼間、しかも公衆の面前だ。そんな中で普通に取っ組み合いが始まるのはまずい。
どうにか止める方法はないものかと玲仁が悩んでいるところへ、一同のそばに大きな白いバンが停まった。
扉が開き、座席から男が顔をのぞかせる。
「菖蒲ちゃん、何の騒ぎ? 悪質なファンに絡まれでもした!?」
「あれ、あなたは」
天照には見覚えがある。鉄道プラモのコーナーで会った、菖蒲のプロデューサーだ。彼女を迎えにきたといったところだろうか。むこうも天照に気づき、状況の深刻さに気づかず手を振ってくる。
「お、さっきの天然鉄っちゃん女子じゃない! もううちの事務所に入る気になってくれたの? どう、乗ってく?」
「てっちゃん?」
「あ、いえ。今はちょっと」
「橘、黙れ」
菖蒲が言葉をさえぎるように橘ににらみつける。一方で天鈿女は好機、とばかりに菖蒲に耳打ちした。
「菖蒲、バンまで走るよ」
「え? 何で逃げなきゃいけないのよ。今すぐコテンパンにしちゃおうよ」
「今この場でこれ以上の騒動を起こしたら、あなたのタレント生命が台無しになってしまうでしょ。行くのよ」
「……わかった」
菖蒲はうなずくと、バンにむかって走りだした。天鈿女も後ずさりしながら、素戔嗚や猿田彦たちと距離を取り始めた。素戔嗚がその様子をみて、声をあげる。
「逃がすか!」
素戔嗚が猿田彦の制止を振りほどき後を追う。一気に天鈿女まで距離を詰める。
「もらった!」
ところが素戔嗚が腕を振りかぶった瞬間、彼はそのポーズのまま硬直した。
「何!?」
「ごめんなさいね」
天鈿女がそう言い放つと、素戔嗚は同じ姿勢のまま、床へと叩きつけられた。その隙に彼女は菖蒲の手をつかみ、車内へ飛び込む。すかさず運転手に指示する。
「出して!」
「……ハイ」
状況についてこれていない橘が、慌てふためいている。隣には秘書の田霧も座っているが、至って冷静だ。
「はわわわ……その倒れている人、大丈夫なの!?」
「いいからもう行って!」
菖蒲が再び叫ぶと、バンは急発進した。
素戔嗚が立ち上がり、再び顔を上げたときには、既にバンは消えていた。
「あの女……おれに何しやがった」
「素戔嗚、なぜ玲仁様の制止を無視したのです?」
天照が素戔嗚に詰め寄る。しかし、素戔嗚は無言のまま、苛立たしく立ち上がる。そこに猿田彦が食ってかかった。
「攻撃するなって言ったろ! おめえは本当に脳筋の狂犬だな!」
「ふん、俺は俺のしたいようにするだけだ」
「はあ……せっかくう連絡先も交換できたのに……」
猿田彦はただただうなだれている。よっぽどショックだったようだ。
「それにしてもあの女の子、巫だったのですね」
「彼女……やっぱりどこかで見たことがあるなあ」
「あれ、これは?」
提が見知らぬスマホを拾い上げた。ピンクのカバーにキラキラした装飾のあるストラップ。菖蒲が握っていたものに違いない。
「さっき逃げた拍子に――落としたっぽいっすね」
「最悪だわ……」
あれから三十分後。菖蒲と天鈿女は今まさに自室へと戻るエレベーターに乗ったところだった。
このとき菖蒲は初めて自身がスマホを持っていないことに気づいたのだった。
沈んだ声の菖蒲を天鈿女が励ます。
「ロックがかかっているから、悪用はそう簡単にはできないはずよ」
「でも、あいつらが巫だとしたら、絶対に返ってこないわ」
「……むしろその方が簡単に取り戻せるかもしれないわよ」
「どういうこと?」
菖蒲は予想外、といった表情で天鈿女の目をみる。天鈿女が続ける。
「好戦的な従神もいたけど……でもあの巫の少年は止めようとしてたわよ。だから、普通に連絡をとれば返してくれると思うの」
「本当に……そう思う?」
「ええ。悪い人達には見えなかったわ。いっそのこと、彼らに協力を仰いだらどうかしら? 例の件」
「お姉ちゃん、それはさすがに――」
「私たちは孤立し過ぎてるわ。いつまでも戦わずに正体を隠し通していけるとも限らないでしょ?」
「そうだけど……でも」
気は乗らないが、きっとそれが正しいのだろう。普段細かいことに対しては何も言わない天鈿女が口出しするときは決まって本質をついている。
エレベーターが止まり、扉が開く。
「わかったわ……お姉ちゃんの言う通りにする」
菖蒲は告げると、すたすたと足早にエレベーターを出た。天鈿女も少し遅れてその後を追った。




