5-1 慣れと馴れ
玲仁は手すりを強く握り、エスカレーターが上へと導くその先をみつめていた。
今日は久々に大作のRPG「ラストファンタジア」が発売する日だ。五年越しの新作ともあり授業中はずっとそのことしか頭になかった。
暇つぶしのスマホゲームも好きだが、やはりこういう濃縮された家庭用ゲーム機の感動体験というのも捨てがたい。
一緒についてきた天照はエスカレーターの一段下に立ち、辺りをきょろきょろ見回しながら、見慣れない光景に目を輝かせていた。本来は玲仁が一人で行くつもりだったのだが、天照に告げた途端、どうしても同行したいということだったので連れてきた。正直、天照ほどのキラキラ女子は場所に不相応で目立つし、彼女にとって退屈な場所ではないかという不安があった。しかしふたを開けてみると、そこは天照。持ち前の好奇心を発揮し、独自の視点で楽しんでくれているようだった。
ゲーム・ホビーのフロアとなっている六階に到着すると、玲仁はまっすぐレジへとむかう。こういうときは他の棚に目移りはしない。欲しいものだけを求めにむかう。それが健全たる一途なゲーム男児というものだ。そう玲仁は決めつけている。
レジで商品名を告げ、事前に予約したときに受け取った予約券を渡し、商品を受け取る。ここまでの一連の流れは実に十数秒。夕方ということもあってか人もさほど多くなく、速やかな受け取りに玲仁も満足だった。
期待感がつまっている分、ずっしりと重い――と言いたいところだが、実際は店頭予約特典の写真集が詰まったパッケージが重量の大半を占めている。本当は家でネットに繋いでダウンロードして購入することも可能ではある。何より確実に手に入るし、楽だが、少なくともファンである以上、このゲームの美麗なアートワークがつまった写真集も手に入れないわけにはいかない。
レジから出た際に袋を少しだけのぞきこみ、再びその余韻に浸る。まだここで開けたりはしない。それは邪道がすることだ。楽しみは家で開いて味わうもの。これも決め付けではある。
他人からすれば何の違いがあるんだと思われるかもしれないが、新しいゲームを始める際の高揚感はそう何度も経験できるものではない。ゆっくり、精神統一をして、一生の思い出に残すくらいの意気込みで、かみしめるべきだと玲仁は確信していた。
さてそろそろ帰ろう、と我に返り顔を上げた。すると、視界の中に天照がいないことに気づいた。
「あれ? どこだろう」
レジの近くで待ってくれているものとばかり思っていたが、ゲームのことで頭がいっぱいになりすぎて、うかつにも天照がいなくなっていることに気づかなかった。玲仁は慌てて、その姿を探し回り始めた。
一方その頃――天照はというと、同じフロアの反対側、ホビーコーナーの棚の前にふらりと立ち寄っていた。
「これは……」
それは天照にとって雷に打たれたような、不意で、センセーショナルな光景であった。なぜなら、中央の広いスペースにこれでもかとばかりに、線路が張り巡らされていたからだ。無論、本物の線路ではない。おもちゃの線路である。
それでも、あのとき受けた電車という存在の衝撃。そのミニチュアが今目の前にあり、線路上をぐるぐると回っている。こんな光景に出会えるとは、思ってもいなかったのだ。
「こんなところで再会するとは……」
天照は目と全身を輝かせていた。幸い、明るい照明の空間なのでその異常現象が他の客には気づかれていない。
「こんなに小さくて……しかも……走ってる」
ひざまずき、ほほをかすめる風をほのかに感じようとする。床を走るそれは、わずかにすれちがい、そよぎ、前髪を揺らした。
忘れもしない、あの衝撃的な出会い。初めて玲仁と共に乗った、春風のように吹き抜けていった『電車』。その人類の叡智の集大成とも呼ぶべき代物――その模型が目の前にあるのだ。
天照は、脇に所狭しと並べられている、プラモデルの箱をひとつつかんだ。
自分の中にふつふつと湧き上がり始めている、抑えられない衝動。
「……欲しい」
裏をみて、値段を確認する。この前のバイト代はまだ残っている。買えないこともない。しかしどこに飾る? それをみたら玲仁は――どう反応するだろうか。
「へえ、君、鉄道詳しいの?」
めくるめく妄想のラビリンスから突如引き戻された天照は、慌てて箱を落とした。
「あ、ごめんね、びっくりさせちゃった?」
反射的に謝りつつも、男はそこまで悪びれたようにもみえなかった。天照は落ち着いてあらためて相手を確認する。ぴったりとしたグレーのスーツに、刈り上げてつつ茶色に染めた髪。垢抜けているが、そこまで若くもみえない。三十代前半といった雰囲気だろうか。
「へえ、君良くみたらすごいかわいいね! うちからデビューしない?」
「『でびゅー』? それは何でしょうか」
天照がそう答えると、男はますます声を弾ませた。
「うそだろ!? まさかギャップ狙い? いやいや、キャラを後づけする娘最近多いけど、君はそうはみえない。これは紛れもない天然モノだな。さっきのケースを手に取ってみていた真剣な眼差しといい……かなりの逸材に違いない」
「あの……私に何か用でしょうか」
ぶつぶつとつぶやいていた男が、我に返り、頭をかきながら謝る。
「ごめんごめん! 原石を見つけるとすぐにその子の未来を想像する悪い癖が出ちゃったな。僕、『アルタイルプロダクション』っていう事務所でマネージャーやってる橘浩。どう、本気でうちの事務所入ってみない? 僕が手掛けたら本当にいいところまでは行くって。保証するよ」
「ちょっと橘、こんなとこで何やってんの?」
突然、脇から見知らぬ少女が割り込んできた。ツインテールで背丈は天照より少し低いが、きりっとした眉にくりっとした瞳で、顔立ちは整っている。年は玲仁と同じくらいだろうが、背丈のせいかやや幼くみえる。チェックにフリルの入った衣裳を身に纏い、普段着にしては少々派手目だ。
「橘さん。もうすぐイベントが始まります。会場にお戻りください」
そう言いながら遅れてやってきたもう一人の女性は、対照的でショートカットに濃紺のタイトなスーツに身を固めている。地味だが、動きやすそうだ。
「ごめんごめん! トイレに寄った帰りにたまたま彼女に会っちゃってさあ。わかるでしょ? この原石の輝き! みつけちゃったってやつだよ!」
「あんた、大事な事務所の看板娘の晴れ舞台にこんなところで浮気してんじゃないわよっ!」
ツインテールの少女はそう言って橘という男の背中に容赦なく蹴りを浴びせた。悲鳴を上げながら倒れるが、それでもなお嬉しそうだ。少女は、次に天照を睨みつけた。憎まれるようなことは何一つしていないのだが、加担者と解釈されたのか、明らかに敵意をむけられていることは天照にもわかる。
「わわっ、菖蒲ちゃん? 一般人の前でそんな顔したら駄目だよ! 撮られてSNSにアップされたらどうすんの!」
「あんたの腕ならどうにでも弁明できるでしょ?」
「橘さん、時間がありません」
もう一人の秘書らしきスーツの女性がそう告げる。少女は一人、すたすたと歩いていってしまった。橘は背中の汚れの跡を払いながら、姿勢を正した。
「仕方ないな……じゃあ僕はもう行くけど、君、もし興味あったら連絡してね! あ、田霧ちゃん名刺渡しておいて」
「橘の非礼、代わりにお詫び申し上げます」
スーツの女性はすぐにジャケットの内側から名刺を取り出し、天照に差し出した。素早い所作が、いかにも手馴れていますといった印象ではある。
「非礼など何一つございません。お気になさらないでください」
「そう言って頂ると幸いです。では失礼致します」
女性は一礼すると、手を振り去る橘を引っ張りながら、奥へと消えていった。
「結局……『でびゅー』とは何でしょうね」
天照はぽかんとその背中を眺めていたが、突然思い出したように声をあげた。
「いけません、玲仁様の下に戻らなければ」
手に取った箱を元の位置に戻し、プラモデルコーナーを後にした。
一方その頃、店の外の広場では、一人の男が苛立ちながら玲仁と天照の帰りを待っていた。
「おそい……」
紛れもない素戔嗚である。大きなモニュメントにもたれかかり、暇そうに腕を組んでいる。
少しでも退屈をしのごうと道行く人をそれとなく眺めていたが、既に限界にきていた。忙しなく手元のスマホをみつめながら歩くスーツ姿の成人男性。薄汚れたジャケットに、大量の空き缶を自転車のカゴに積み、ふらふらとさまよう老人。ガヤガヤと騒ぎながら歩く高校生の集団。
みているだけで、気分が悪くなる。
「……退屈すぎて死にそうだ」
二人が少し買い物をして戻るまでならとたかをくくっていたが、一時間以上経っている。そもそも天照が玲仁の付き添いなぞ命じなければ、こんなところに来るつもりすらなかったのだ。
護衛という名目はあれど、これだけの人通りでも別の巫に遭遇する保証もなく、仮にいたとしても気づかなければ今がない。本気で護衛に来る必要性すら素戔嗚は疑問に思っていた。
「素戔嗚」
声をかけられ振り向くと、横に天照がいた。急いで走ってきたのか、息を切らせて膝に手をついて呼吸を整えている。
「玲仁はどうした」
「やはり……まだ戻っていませんでしたか。途中ではぐれたのですが、売り場にもいなかったので、もしかしたらもう帰ってきたと思ったのですが」
「ふん、だったら直接ヤオヨロズに呼びかければいいだろう?」
「なるほど、その手がありましたね」
「……」
素戔嗚は天照の冷たい視線にも動揺ひとつみせず、今送りました、と告げた。素戔嗚はため息をついて、再びオブジェにもたれかかる。
天照はそんな素戔嗚のそっけない態度をみて、微笑んだ。
「何だ?」
「素戔嗚も、ずいぶんとこの世界に馴染んできたなと思いまして」
「貴様……殺されたいのか?」
「素戔嗚、従神は殺せませんよ」
「……もういい」
天照が真顔で返すと、素戔嗚はふてくされそっぽを向いた。
「この世界はあなたにとってそんなにつまらないものですか」
「当たり前だ。俺たちは戦うためにいるんじゃないのか? ただ日々をのうのうと過ごすしかない世界は、俺の求める場所ではない」
「表面上は穏やかにみえるかもしれません。しかし丁寧に人の心をのぞいていけば、その中にある心の荒ぶり、苦悩がみえてきます。素戔嗚、あなたも学ぶべきですね」
「突然人間のことがわかったような口をきくようになった。俺は興味ないね。貴様は人間というものに肩入れしすぎだ、天照」
「人間、すなわち巫を導くことが私たちの使命のはずです」
「笑わせる……ではその使命を俺たちに与えているのは一体誰だ? なぜそいつは俺たちに直接語りかけてこない」
「私にもわかりません。ですが……巫に従うことには意味があると私は信じています」
「ふん、おれの気は短い。いつまでも待たされるようなら――巫を殺してでも、別の道を探すまでだ」
「それは、私がさせません」
殺伐とした空気が流れ、その後しばらく、沈黙が続いた。
天照も、素戔嗚の気持ちはわからないでもなかった。ヤオヨロズとは一体何なのか。天照にとっても尋ねられたところで、正直、真の解答を持ち合わせていないのは確かだ。
そんなことを考えている矢先、ふと見覚えのある姿が天照がの目にとまった。
「……あれは」
以前、提が連れていた従神――猿田彦神だ。早朝に奇襲を受けるも、見事素戔嗚が返り討ちにしたことが記憶に新しい。
素戔嗚もその存在にに気づき、声を上げる。
「あれは……この前の猿野郎か」
提の従神のはずだが、今は単独で行動しているようだ。よくみると、知らない女性と何やら言葉を交わしているようだ。
「丁度いい。むしゃくしゃしていたところだ。ちょっと絡んできてやるか」
「そんな勝手は、玲仁様が許しませんよ?」
だが素戔嗚は天照の制止もきかず、ずかずかと猿田彦のそばに歩いて行く。
「よお」
猿田彦は思わぬ相手の出現に、目をぱちくりさせた。
「素戔嗚!? こんな時に……」
「何この人ー! 知り合い?」
横に立っていた若い女性が二人、甲高い声を上げた。よくみるとやたら着飾っていて、化粧も濃い。香水の匂いが漂ってきて、素戔嗚が不快そうに顔をしかめた。
猿田彦は振り返り、素戔嗚の肩に腕を回すと、女性陣に聞こえないようにして耳打ちした。
「素戔嗚……おれは今、とても忙しいんだ。悪いが、喧嘩は後にしてくれ」
「忙しい? どこがだ」
「見りゃわかるだろう……『ナンパ』だよ『ナンパ』」
「何だそれは」
わきにいた女性二人が、不思議そうにこちらをまじまじとみつめている。猿田彦は何事もなかったかのように慌てて姿勢を正す。素戔嗚は何が何だかわからず、猿田彦と女性たちの顔を交互に見比べている。当の女性たちは、いつのまにか猿田彦より、素戔嗚に興味を示していた。
「へえ……近くでみたら結構イケメンじゃん」
「ねえねえ、彼も一緒に来る? なら全然ありなんだけど」
「いや、ちょっとこいつは……やめといたほうがいいと思うよ?」
「何それ。なんかノリ悪くない?」
「あ、いや! 全然いいんだけど……その、色々ありまして」
猿田彦が対応に困っているところへ、今度は天照が歩み寄った。
すると、女性二人は露骨に不快な顔をした。
「何をしているのです?」
天照が素戔嗚に尋ねる。素戔嗚は首をかしげた。
「さあ、おれもよくわからん。この猿いわく、『ナンパ』ってやつらしいがな」
「ちょ、おい。そんなストレートな言い方あるか――」
すると、二人の女性はますます不快感を顔に示した。
「はあ……なんか冷めるわ」
「彼女持ちってこと? うわーまじイラつく」
「いや、そういう関係じゃなくて……」
「そのかわいいコと仲良くよろしくやったら? んじゃあね」
「ちょっと待っ……ああ、行かないで! ねえ、ちょっと!」
だが、二人の女性は捨て台詞と共にあっという間に去ってしまった。その後ろ姿を茫然とみつめ、がくりと肩を落とす猿田彦。その背中を素戔嗚と天照は顔を見合わせつつ、不思議そうにみつめている。
猿田彦が振り返り、声を荒げた。
「……何の嫌がらせのつもりだよ!」
「何がだ? まるで意味がわからん」
「ええ。勝手に怒って去っていかれましたね」
「お前らってよお……もしかしてかなりタチの悪いド天然キャラコンビなのか?」
「そういえば、先ほど会った男性にも同じことを言われましたね……天然? というのは自然由来、という意味ですよね。であれば、悪い気はしませんね」
「意味はわからんが、何にしてもお前と一緒にされるのはごめんだ」
「お前ら……何しにきたんだよ」
猿田彦は、再びうなだれ、ため息をついた。




