4-5 料理に大事なのは……
満腹感によりすっかり警戒心を解いた玲仁たちが導かれるまま進んだのは、ステンレス素材で全面が張り巡らされた厨房だった。
「ここで先ほどの料理を調理されていたんですね」
「狭いな」
素戔嗚が辺りを見回しながら、容赦ない感想を口にする。だが、俵も悪びれる様子はない。
「実際動き回るには手狭ですが、従業員も少ないのでこれが丁度良かったりするんです。今、一人奥の方にいるんですが。おいウッチャン! 例の方々だ。こっちに来てくれ」
そう俵が叫んだ瞬間、奥の方で何かがうごめき、こちらに近づいてきた。
その影が目の前に迫るまで大男だと気づくには時間はかからなかった。背は優に百八十センチ以上はあり、横幅も玲仁の身長と同じくらいあるかもしれない。顔は丸く、目は常に閉じているかのように細い。
「はじめまして……保食神と申します」
玲仁が天照と目を見合わせる。
「保食神? もしかして――」
「はい、彼が私の従神です。呼びづらいんで私はいつもウッチャンって呼んでますけどね」
「ウッチャン……」
天照がそうつぶやきながら、保食神のお腹を興味深そうにみつめている。
こともあろうか、保食神のお腹を人差し指で突いた。
ぷにん、とめりこむ。
「ひぁ……や、やめてください」
「なるほど……確かに戦闘向きではななさそうです」
保食神はまんざらでもなさそうにもじもじしている。
素戔嗚がしびれを切らし、口を開く。
「で、こいつが今回の件とどう関係あるんだ」
「はい。実は、私が巫であることがバレてしまったきっかけが……彼の特殊技能を例の男に見られてしまったところにあるんです」
「ああ、その店に押しかけてくる男でしたっけ?」
「一体、どんな能力なのでしょう」
天照が再びお腹をぷにん、と触り、保食神がもだえる。
「それを今からお見せします。驚かないでくださいね。じゃあウッチャン、お願い」
「わかりました……」
そう言うと、保食神は一歩後ろに下がった。
一体何が始まるのか。玲仁は息をのむ。
保食神は姿勢を低くし、うなり始めた。動きこそ少ないが、体全体が小刻みに震え、力んでいることがわかる。
「おい、くだらない見世物ならごめんだ――」
素戔嗚がそう言いかけたとき、それまで閉じていた保食神の目がかっと見開いた。
それまでの温和で優しそうな雰囲気からはうって変わった壮絶な表情に、普段動じない素戔嗚も後ずさりする。
玲仁も心配になり反射的に声をかける。
「だ、だいじょうぶですか!?」
「心配ありません。しばらく見ていてください」
俵さんは見慣れているのか、至って冷静だ。保食神が絞り出すようにうなり声をあげるたびに、その柔らかな体が波打つ。
「うぉおおええええええッ!」
そしてその咆哮が途切れたとき、口から巨大な肉のかたまりが吐き出された。
ずしん、と目の前の床に横たわる。
三人は唖然とした表情でそれを見つめていた。
「こ、これは……」
「肉……?」
「仙台牛ロース。二キログラムです」
俵は平然と答える。
「口から牛肉を生み出す能力、ですか……?」
「あ、いえ。ちょっと違いますね。正確には、食物を保存する能力、です」
「それだけ……ですか?」
玲仁がそうつぶやいた直後、俵さんの顔つきが変わる。
「何と……この価値があなたにはわからないのですかっ!?」
それまでの落ち着いたトーンとはうって変わり、一気に声が高くなる。
「料理のおいしさを決めるにおいて、最も現代において求められている要素……それは一体なんだと思いますか?」
三人は一瞬考え込み、次々に答える。
「調理の腕か」
「盛り付けの美しさ……でしょうか」
「えっと……愛情……?」
だがどの答えに対しても俵は首を横に振った。
「もちろん、調理の手際の良さも重要ですし、目を楽しませることも味覚の認知において大きく影響します。そして、何より料理への愛がない限り、それを究めることができるはずもありません。しかし、現代において最も克服しがたい壁という意味では、正確な答えとは言えません」
「では一体――」
「それは――素材の鮮度です」
「鮮度……ですか?」
まあ言われてみれば大事ではあるが、あらためて強調するほどのことか、と玲仁は思った。
「今、そんなことか、と思いましたね? 甘い! 鮮度を制御する、というのはとても難しいのですよ!」
玲仁はその覇気に思わず後ずさりする。
「生物は生命を失った瞬間から、食物としての生が誕生し、新たな変化の一途を辿り始めます。世界中の食材が求められる現代、その瞬間から消費者の口元に届くため、鮮度をいかに保つかという壮大なレースが突如としてスタートするのです」
「そっか……運ぶうちに腐っていっちゃうってことですね」
「はい。しかし、ことはもっと複雑です。なぜなら、食材というのは種類によって最もおいしい条件が異なるからです」
「何でも獲れたてが一番じゃないんだ」
「いえ、例えば魚なら刺身であっても実際は死後硬直後は大しておいしくないし、身も固い。時間がたつに連れ、タンパク質が分解されて旨み成分が現れ、同時に柔らかくなり始めます。牛肉なんかは死後一週間から二週間が最も食べ頃だったりするのです。また、果物でもバナナや洋ナシのように、追熟させてからのほうが甘みが増し、食べ頃となるものも存在します」
よくみると素戔嗚はもう退屈そうにしているし、天照ですら姿が見当たらない。玲仁は仕方なく聞き続ける。
「しかも! 時間だけが敵ではない。温度も大事だ。温度は低くしたほうが微生物は活動できずに腐りにくいが、低温だと細胞が壊れてしまう野菜もある。あとは、エチレンガスを多く発生させる果物を一緒にしておくと他の果物まで老化が早まってしまう。ほら、リンゴを一緒に置いておいたらすぐ腐ってしまった、とか君たちも経験したことありますよね?」
「なるほど……言われてみれば。意識してみたこともなかったです」
「わかってくれればいいのです。とにかく彼、ウッチャンにははそんな凄い能力が備わ――」
「きゃあああああああああ!!」
突然の悲鳴で俵の説明が中断される。何事かと振り返ると、なぜか天照が床に突っ伏して倒れている。
「天照!? どうしたの?」
よくみると彼女はフォークを握りしめたまま、壁際のコンセントの前で倒れている。天照が声を絞り出す。
そばに立っていた保食神が、慌てて弁明する。
「す、すみません! 普段どうやって食材を保存するのかとと聞かれたので、冷蔵庫をみせてあげたところ、裏につながっていたコードをみつけて」
「ここから流れ込んでくる力を利用している、と聞いたのでその正体をみたくなったのです」
「それでそばにあった金具でほじくり出そうとしたの?」
「はい。ですが、無理でした」
幸い、ヤオヨロズでみてみると若干HPが削れているが、大事には至っていないようで玲仁はほっとした。
「とにかく、コンセントは絶対に金属でほじくり返さないように」
「はい、ほじくり返さないよう、気をつけます」
まあ、金属じゃなくても勝手に人の設備をほじくり返すのはダメだけど。
「話が遮られてしまいましたが……とにかく私が伝えたかったのは、ウッチャンは温度やバクテリアの活動などをその体内で自在に操作できる食材保存のスペシャリスト、ということです。どうですか、改めてすごさがわかりましたか?」
「はい。これだけおいしい料理が作れるわけですし……」
「しかも電気がいりません」
天照が付け足す。俵は満足そうにうなずき続けている。
「しかし、あの取り出す光景は地味とはいえんな」
しかしここで素戔嗚が余計なひとことを加えた。俵が渋い顔をする。
「ああ……おっしゃる通りです。まさにそこなのです。あの男――毒島に目をつけられてしまったのは」
「毒島……?」
「はい……例の脅しにきている男の名前です。毒島の本業は『金貸し』のようですが、とにかくタチの悪い男で。たまたま奴がうちの店に来たことが不幸の始まりでした。この光景を彼に目撃されたばっかりに……ああっ、口惜しい!」
ようやく話が結びついてきたようだ。俵はなおも続ける。
実はこのからくり、うちの従業員にも教えていません。食材はいつも、従業員がまだ誰もいない早朝にウッチャンがここで取り出し、この冷蔵庫の中へと収めておくのです。しかしあの男はどういうわけかある日厨房をのぞき……ウッチャンの能力の一部始終を目撃してしまいました。挙げ句の果てに証拠写真まで撮られ、ことあるごとに私にそれをみせて、様々な無茶な要求を迫ってくるのです」
「警察には言えなかったのですか?」
「それは……」
俵が言葉に詰まると、保食神が代わりに口を開いた。
「私の素性が明るみになってしまったら、風評被害を受け、二度と営業できなくなってしまう。そのために俵さんは隠し通すしかなかったのです」
「つまり、私たちの使命はその毒島をこらしめること、ですか?」
「はい。願わくば写真を廃棄させ、二度と店にはこないよう約束させたいのです」
「そ、そう……ですか」
ただ倒すよりも難しいことなのでは? 今さら断りづらい。
「なんでもいいが、そいつが本当に巫であるという確証はあるのか?」
「根拠ならあります」
「根拠?」
「はい。彼にはいつも舎弟がそばにいます。名前を『金山』といつも彼は呼んでいましたが」
「まさか、そいつが従神だ、とでも言いたいのか?」
「はい。その金山がある日、スープに虫が入っていた、と言いがかりをつけ、私につかみかかってきたのです。それが実は、毒島に証拠写真を撮られた日の前日でした」
「話が全然見えねえな」
素戔嗚が言うと、玲仁はハッと何かを思いついたように口にした。
「もしや……そのタイミングで『エンカウント』したのか」
「どういうことだ?」
「ヤオヨロズのバトルの成立条件のことだよ。その金山ってのが従神だとしたら、俵さんにつかみかかった瞬間から毒島と俵さんはバトルを開始したってことになるはずなんだ」
「さすが玲仁君。ご名答です。きっと彼は帰った後にその事実に気づいたのでしょう。実際、あえて素性を探ろうとでもしない限り私のレストランにわざわざ次の日の早朝に訪れるとは考えにくい」
「何たる不運でしょう。たまたま絡まれたうえに、従神の秘密までもが知られてしまうとは。よりによってそんな子悪党に」
天照が淡々と事実を再び述べると、俵さんは反論することもなく、だらりとうなだれた。あまりにも不運な話だ。しかしそんな恐喝を常套手段とする相手に、うまく交渉できるだろうか? 相手を負かすだけならまだしも、証拠写真を消させるのは至難の技だ。相手は裏社会で生きる大人、対するはただの高校生。本当に自分でいいのだろうか?
玲仁は、返答に迷っていた。
「私はただいつまでもウッチャンと共に、おいしい料理を様々な人に提供し続けたい。ただそれだけなのに……」
「玲仁様、どうされますか」
「今更怖気づくつもりじゃないだろうな?」
天照と素戔嗚の視線が同時に玲仁にささる。仕方がない。玲仁は覚悟を決めた。
「わかりました。自信はないけど――やれるだけ、やってみます」
「九十九君……ありがとう! 」
俵に無理やり両手を捕まれ、ぶんぶんと上下に揺さぶられる。玲仁は苦い表情のまま、力なくうなずいた。
「早速ですが、毒島は……既に明日、来店の予約が入っています」
「あ、明日ですか!?」
思ったより早い展開に、まだ何の心の準備もできていない。
「はい。またとないチャンスです」
「しかし、あまり人目がある場所でやり合うわけにはいかないと思いますが」
「はい。彼が来たらまずは料理を出し、油断したところでスタッフを引き払わせ、奥の厨房へ誘い込もうと考えております」
「なるほど……わかりました」
ここまで来たらもう腹をくくってやれるだけやるしかない。
俵と保食神が、玲仁に深々と頭を下げた。大の大人にここまでしっかりと頭を下げられたのは初めてかもしれない。
気持ちを整理できないまま依頼を承諾した玲仁は、一旦その日はレストラン『フィッテ・デ・ラ・フォーレ』を後にした。




