十七話 終章:記録
二〇一二年 七月——
進藤は出版社のデスクに座り、パソコンで原稿を書いていた。
「これ、進藤さん宛に届いてますよ」
そう言われ、一つの封筒を受け取った。
宛名を見ると、確かに進藤宛てだった。
裏返すと、差出人の名前が書かれていた。
『水沢 葵』
「……葵さんから?」
封筒を開けると、一冊の古いノートと手紙と写真が一枚入っていた。
写真には葵と蓮、美咲の三人が並んで写っていた。
葵の笑顔を見て進藤は、ほっとしたように息を吐いた。
写真をデスクに置くと、手紙を手に取り読み始めた。
手紙——
進藤先生、以前お世話になった水沢 葵です。
思い出したのは、つらい記憶でした。でも、自分のことが何も分からない不安ともどかしさからは解放されました。
今は、家族と友達がそばにいてくれるから大丈夫です。
叔父さんと叔母さんも、これからも私を娘として支えてくれると言ってくれました。
これからは、新しい人生を歩いて行きます。
ただ、あの家族の中で、私を守ろうとしてくれた朔のことは一生忘れません。
進藤先生、本当にありがとうございました。
目頭が少し熱くなり、進藤は手紙から目を上げた。
「……葵さん、一歩ずつ前を向いているんだな。良かった。本当に良かった……」
彼女がつらい過去を思い出す手助けをしてしまったことを、今も後悔していた進藤は、この手紙で心が救われた気がした。
進藤は、再び手紙に目を落とした。
追伸——
話は変わりますが、先日、高台の火災に関する遺留品が警察から戻ってきました。
その中に一冊、亡くなった父のノートが入っていました。
父のノートを読んで、私のことを本当はどう思っていたのか、少しだけ分かった気がします。今ではもう叶いませんが、もっと父と話してみたかったです。
そして、そのノートに『哭島』という文字が書かれてありました。進藤先生の小説と同じ名前だったので、何か関係があるのかもと思い、同封しました。
———
「……哭島」
進藤は内容が気になり、ノートを手に取った。
表紙にはマジックで『記録 一九七八年〜』と手書きされていた。
「……亡くなった父ということは、神谷 悟さんのノートなのか……」
ノートを開くと、表紙に書かれていた通り、一九七八年の日付から始まっていた。
進藤は何ページかパラパラとめくった。どうやらこのノートは、毎日書かれた日記ではなく、神谷 悟にとって何か大きな出来事があった時に、記録として書かれているようだった。
進藤は気になる箇所に目を通していった。
一九七八年十〇月◯日
好きだった彼女が十五歳で亡くなった。
とても大切な人だった。
この島が、大っ嫌いだ。
そして、K神社の神主である父のことが許せない。
一九七九年四月◯日
哭島を出て、寮のある東京の高校に通い出した。
あの忌わしい島には、もう二度と戻りたくない。
「葵さんのお父さんは、哭島の出身だったのか……。しかも、K神社の神主の息子だったなんて」
進藤はそう呟いたあと、さらにページをめくっていった。
一九八二年四月◯日
瑞明大学の医学部に入り、神谷教授と出会った。
とても良くしてくれる信頼できる教授だ。
「瑞明大学……」
ページをめくる進藤の手が思わず止まった。
その名前をしばらく見つめたあと、進藤は再びページをめくり始めた。
一九八七年十〇月◯日
ニュースで哭島のことを見た。
衝撃だったが、どこかほっとした。
父に対する天罰だと思った。
ただ、母と兄を亡くしたことはつらい。
一九九五年一月◯日
神谷教授から次女 さやかさんとの結婚を薦められた。
一九九五年八月◯日
神谷さやかさんと結婚した。
神谷教授も喜んでくれた。
一九九六年七月◯日
葵が生まれた。
初めてのわが子、嬉しい。
とても可愛くて愛おしい。
一九九七年十一月◯日
朔が生まれた。
さやかの父・神谷教授が望んだ男の子だ。
この子には、大切な人を守れるよう、強い男に育ってほしい。
二〇〇三年四月◯日
葵が小学校へ入学。
葵の成長が愛おしく感じる。
しかし、大切に思う気持ちが強いほど、大切な人を失ったことを思い出す。失うことへの恐怖が大きくなる。
葵を避けてしまう。本当にすまない。
進藤はここまで読むとノートから目を離した。
「……葵さんのお父さんは、彼女を大切に思っていた。だからこそ、失うことを恐れて遠ざけていたのか。でも、その行為は許されるものじゃない。……そして、あの日起こった悲劇」
進藤はそう呟くと、静かにノートを閉じた。
「彼の恐怖の始まりは哭島と関係していたのか……」
進藤の脳裏にまた、あの日部屋で見た光景が蘇ってきた。
生ぬるい何かがまとわりつき、何者かにじっと睨みつけられているような感覚に襲われ、背筋に悪寒が走った。
七月の終わりだというのに、首筋には冷たい汗が滲んでいた。
呼吸が少し荒くなり、進藤はしばらく目を閉じていた。
その後、進藤は坂口に促されて早退した。
このノートとの出会いが、進藤の止まっていた歯車を再び動かすことになるとは、このときの進藤はまだ知らなかった。
——— 完 ———




