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放置されたい私と何も知らない旦那様  作者: 鉤咲蓮
五章 これからの二人

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25.未だ慣れない呼ばれ方




 食事を終えた二人が向かったのはシーラが借りている家だ。

 厳密には、そこから王都のヴィンケル伯爵邸へ飛ぶ予定である。他人が行き交うような場所では、扉繋ぎの魔法は使えない。


 小さな家のリビングに、ユリウスは初めて足を踏み入れた。

 明るい光を投げかけるランタンをテーブルに置き、簡素な――言ってしまえば、生活感のない――室内を見回した。玄関とは反対方向に、家の奥へと続く扉が一枚ある。


「君は、自身で開けた事さえあれば、どんな扉でも繋げられるのか?」

「いいえ。魔法を発動する時点で閉じていること、施錠はされていないことが条件よ。」

「なるほど。開ける動作ができなくてはいけないのか」

「ええ。扉そのものや枠が壊れていたりすると、接続可能な扉として認識されなかったりもするわ。」

 だからマリアンネは、ゼイルで自分が管理できる扉を確保したのだ。

 家の中という、よほど何か起きない限りは人目につかずに使える場所に。


 ――…プリスカ以外の人の前で、こう、改まって使うのは……何だかちょっと、恥ずかしいわね。


 心なしか、ユリウスの左目が興味津々に見える。

 マリアンネにとって自分の魔法は、プリスカの色変えの魔法のような新鮮さも、ユリウスが操る魔法のような驚きもない、地味めな魔法である。

 こほん、と意味もなく咳払いをして、顔が赤くなっていない事を祈った。


「いつもは…自室の扉と繋ぐのだけど、今日はサロンに繋ぐ事になっているわ。鍵をかけず近付かないようにと、デルクス伯爵が連絡してくださって…」

「マリアンネ嬢」

 扉の前に立とうとしたマリアンネを、ユリウスが呼ぶ。

 振り返ると、彼は軽く手を差し伸べるようにして彼女の髪を示した。


「先に俺の魔法を解いておこうか。ややこしくなりそうだ」

「そう、ね……」

 確かにその通りだと思いながらも、マリアンネの眉は微妙に困った様子を見せる。

 ユリウスがこてりと首を傾げた。


「どうかしたのか。」

「えっと…何でもないわ。ユリウス様」

「……ああ。」

 夫の目をじっと見つめて答えたマリアンネに呼ばれ、ようやくユリウスにも合点がいく。

 呼ばれ慣れないのだ、本名が。


 魔法が解けると、紺色だったマリアンネの髪が浅緑色に変わる。

 ユリウスの赤髪は青紫色になり、眼帯やそばかすは消えて、水色の瞳がマリアンネを見下ろしていた。今度はマリアンネがこてりと首を傾げてみる。


「慣れないわね。今日の今日だし。」

「うっかりシーラさんと呼んでしまいそうだ。」

「私も。」

「君も?俺は結構、見た目の印象を変えていたつもりだったが…」

「笑い方とか仕草がね。やっぱりレオンさんなんだな~って思う時があるのよ。」

 同一人物なのだから当たり前の事だが、そうした時はつい、そちらの名が心に浮かんでしまう。

 マリアンネは足を揃えて姿勢を正し、淑やかに微笑んでみせた。


「わたくし、普段はこれくらい猫をかぶっておりますけれど。よろしいかしら、ユリウス様?」

「ああ。少なくとも俺と二人の時くらいは、素で話してもらえると嬉しいが。」

 ぱちりと瞬いて、マリアンネはくすくす笑い出しながら姿勢を楽にする。

 とっくに素を知られているこの夫を相手に、これからずっと取り繕い続けるのは無理だし、御免だった。


「ええ、もちろん。どうかそれはお許しくださいね。元がこんなだもの、永遠にお上品にはできないわ。」

「…うん。俺はそうやって笑う貴女を、これからも見ていたい。」

 ユリウスが表情を和らげ、穏やかに微笑む。

 心に浮かぶ愛おしさを隠す必要などもはや微塵もなく、あまりに素直な眼差しを受け、マリアンネは一気に耳まで赤くなった。反射的にユリウスから目をそらし、視線を泳がせる。


「そっ、……そう。あの…えぇと。」

「無理に何か言わなくていい。困らせるつもりはなかった」


 ――私別に、困ってるわけじゃ。いえ、返事に困ってはいるのかしら。だってそんな顔で言われたら、誰だって……。


 頭の中では饒舌なのに、ろくに言葉が出てこない。

 どうにか絞り出したのは「……はい。」なんて、ただの相槌でしかなく。早まった心臓の鼓動が落ち着くように祈りながら、マリアンネは今度こそ扉に向き直った。


「とりあえず、行きましょうか。」

「ああ。よろしく頼む」

 小さい家に二人きりでいるよりも、使用人や家族のいる屋敷へ移ってしまった方が緊張しないはずである。

 ゆっくりと深呼吸してから、マリアンネは見慣れた扉に手をかざした。


「【これはかの地へ通じる扉。開きましょう】」


 かちり、鍵の開く音がする。

 一歩横へずれて振り返り、マリアンネはユリウスを扉へ導くように小さく手振りをした。一つ頷いて、ユリウスがドアノブをひねる。


 扉が開いた先は、懐かしいヴィンケル伯爵邸のサロンだった。

 明るく照らされた室内には上質な絨毯が敷きつめられ、革張りのソファとよく磨かれたテーブルが置かれている。壁に飾られた風景画は、記憶の中のものとは違うようだ。


 ユリウスはつい扉の枠で立ち止まり、ゼイルの小さな一軒家と王都の屋敷とを見比べる。

 遥か遠い道の先にあるはずの場所同士が、たった一枚の扉を隔てて繋がっているのだ。摩訶不思議、これぞ「魔法」である。

 新鮮な反応に思わず笑いながら、マリアンネは促すようにその背をとん、と押した。

 二人で屋敷へ移り、扉が閉まる。


「……いや、大したものだ。もちろん信じてなかったわけではないが、実際に目にすると圧倒される。」

「貴方の魔法も大概だと思うけれど。」

「俺のはあくまで見せかけだ。君の魔法は本当に繋げてしまう」

「ふふ、楽しんで頂けて何よりよ。」

 そんなやり取りをしながら、二人はテーブルに近付いた。

 一枚だけ置かれた紙には「廊下に待機している。ディーデリック」と書かれている。


「…そういえば、ディーデリックさんって。古い友人と聞いていたけど」

「同僚だ。時折ああやって、王都から指令を運んだり状況確認に来てくれていた。友人なのも本当だが」

「なるほど…」

 彼はそのついでに、ユリウスが結婚した事実を伝えてくれたのだ。

 マリアンネがそれを聞いてしまったのは偶然だったが、聞かなければシーラとレオンはただの店員と客のまま、今ほど親しい間柄ではなかっただろう。


「彼がいなかったら、お互いの正体を知るのはもう少し後だったかもしれないわね。」

「確かにそうだ。礼を言わないとな」

 なるべく相手を驚かせない配慮として二回ノックし、ユリウスは部屋の扉を開けた。

 廊下の壁際には一人の騎士が立っている。目が合った彼は前髪を上げた茶色の短髪、背が高くユリウスよりも大柄で、左のこめかみには古い切り傷があった。

 ユリウスと並んだマリアンネを見て目を丸くし、信じ難いとばかりに口を開けている。


「う、おお……マジでキーヴィットのお嬢さんだ。」

「お久し振りです、ディーデリック様。シーラとして既にお会いしていましたが……改めて。本当の名はマリアンネと申します。」

「あっ、と。ディ、ディーデリック・カイゼルと申します。ユリウスとは、同僚で。」

「はい、先程お聞きしました。」

 淑やかに微笑むマリアンネは町娘のような格好だが、その表情と仕草はどう見ても貴族令嬢だ。

 動揺を露わにしてユリウスに目で助けを求めるも、相変わらずの落ち着きぶりである。


「お前ってほんと……いや。もう驚き終わって落ち着いた頃なだけか。」

 ユリウスは頷いたが、実際彼がシーラの正体に驚いた姿など印象に残っていないので、マリアンネだけは心の中で首を横に振った。

 結婚を知らされたレオンの時と同じく、彼ときたら、冷静にも程があるのだ。


「ディーデリック、色々と世話をかけた。お前が報せてくれたからシーラさんと話す機会が増えて、マリアンネ嬢に早くから俺を知ってもらう事ができた。」

「そうね、まぁ、あくまでレオンさんの事を?」

 ちょっぴり眉尻を下げ、マリアンネは片頬に手を添える。

 ユリウス本人とは知らずに、レオンを愛してしまった。そしてユリウスもまた、マリアンネとは知らずにシーラを想っていたはずだ。


 互いに決して、口には出さなかったけれど。


 苦みのある微妙な顔で頭を掻き、ディーデリックが苦笑する。

 以前ユリウスがシーラに惚れてしまったならまずいと焦ったものだが、結果的には問題ない相手だったのだ。予想外にも程がある。


「まさかこうなるとはなぁ……っと、ここで長話しても仕方ないか。向こうで皆、首を長くして待ってるぜ。」

「あの、わたくしの侍女は…プリスカはどうなったのですか?」

「目は覚めてる、安心してくれ。ヴィンケル伯達と一緒に待機してるはずだ。」

「本当ですか!よかった……」

 ほっと胸を撫でおろし、マリアンネは深く息を吐いた。

 医師の治療は受けていて命に別状はないが、まだ意識はないらしい――数時間前にヒルベルトからそう聞いたきり、後を知らなかったのだ。


 ――プリスカ。貴女が時間を稼いでくれたから、おかみさん達を助けられた。貴女がいたから、私は腐らず自由に生きてこられた。


 早く会いたい、その気持ちを堪えてディーデリックについていく。

 不意に隣から手を差し出され、マリアンネは自分が胸元で固く手を握り締めていた事に気付いた。ユリウスが目を合わせて頷いてくれる。

 拳になってしまっていた手をぎこちなく解いて、遠慮がちにそちらへ伸ばした。


 夫が妻をエスコートする、当然の形。

 そっと触れた手は軽く握られただけなのに、どうしてこんなにも心強く思えるのか、マリアンネには不思議だった。

 特別に温かいわけでもないのに、ひどく安堵する。


 ――そうだわ、私。これからは……この人が、ずっと隣にいてくれるんだ。


 自分が結婚した事実など、マリアンネはとっくに理解したつもりでいた。

 レオンがユリウスだった事だって、もう何時間も前からわかっていて。

 けれど今ようやく、実感したのだ。


 ――…ありがとう、ユリウス様。私も、貴方の支えになりたい。傍にいてくれてよかったと、思ってもらえるように。


 ディーデリックが立ち止まる。

 震える心を押し隠して、マリアンネはしっかりと顔を上げた。背筋を伸ばし、落ち着いて。


「俺はここまでだ。まずは家族で話し合って、必要なら呼んでくれ。」

「ああ。ありがとう」

 ディーデリックがノックすると、中から返事と共にガタンと椅子が動くような音がした。

 マリアンネがプリスカを置いて聖具を持ち出してから、伯爵邸はどんな騒ぎになっていたのだろうか。


「失礼します。ユリウス様とマリアンネ様が到着されました」




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