エピローグ「星のある朝」
世界の制限が消えて、半年が過ぎた。
最初の一月は混乱の連続だった。
急にレベル上限を失った魔物が進化し、山より大きくなる。百歳で寿命を迎えるはずだった老人が若返り、家族を驚かせる。人間の子どもに獣人の感覚が芽生え、魔族の畑から見たことのない果実が実った。
自由は、すぐ幸福を運んではこなかった。
ジュンたちは各地を回った。暴れる魔物は殺す前に原因を探し、力を制御できない者には仲間をつけた。天界に代わる一つの決まりを作るのではなく、地域ごとに話し合う場所を作った。
間違いもあった。
善意で分けた経験値が盗賊を強くしたこともある。保護した魔物が畑を荒らし、農民と争いになった。ジュンは責任を取ろうと一人で動き、七人に捕まって三時間説教された。
「自由になった途端、最初に規則を破るのが代表者とはね」
セフィラが呆れる。
「一人で決めない、は世界の制限より先に解除されたようです」
アザリアの声は静かだが、怒っていた。
ジュンは謝り、皆で盗賊を捕らえ、農民と魔物が共存できる森を作った。
やり直せた。
その事実が、勝利より大切だった。
昇星の街は独立国家になった。
人間、獣人、魔族、巨人族が同じ市場で品物を売り、子どもたちは種族を気にせず同じ教室へ通う。弱かった村人は街を守る騎士になり、荒地だった場所には金色の麦畑が広がった。
ジュンは王にはならなかった。
独立を宣言する会議では、王になれという声が圧倒的だった。
「強い者が頂点に立てば早い」
元騎士が言う。
「だから天界と戦ったんだ」
ジュンは首を振った。
「俺が正しい間はいい。間違ったとき、誰が止める?」
「私たちが止めます」
アザリアが即答し、会議場に笑いが起きる。
最終的に、種族と地区ごとに代表を出す評議会が作られた。代表の任期は二年。ジュンにも一票しかない。
最初の議題は国名だった。
候補は百を超え、三日議論しても決まらない。ティアネが空腹で『ごはんの国』へ投票し、巨人族の票が一斉に続いたため、危うく正式名称になりかけた。
最後は街と同じ『昇星』に決まった。
誰か一人を照らす星ではない。見上げる者全員が、自分の方角を選ぶための星。
国づくりは最終決戦より面倒で、ずっと騒がしかった。
国名が決まった直後、評議会は経験値を奪う術を使った少年を裁いた。
被害者は三人。少年は十五歳で、飢えた妹を養っていた。旧王国法なら右手を切り落とされる。無罪にすれば、奪われた者が置き去りになる。
会議は二日続いた。
被害者の一人は極刑を求めた。別の一人は妹まで罰するなと言った。少年は黙り込み、妹だけを街へ残して自分を追放してほしいと願った。
ジュンは答えを出さなかった。
「代表でしょう」
苛立った議員に問われる。
「だから一人で決めない。被害を受けた三人と、少年が戻せるものをまず数える」
奪われた経験値は、対等共有契約の応用で少しずつ返せると分かった。少年は鉱山で働き、魔力の一部を返還する。妹には学校と食事を保障する。逃げれば契約は知らせるが、身体を傷つける罰は置かない。
被害者全員が納得したわけではない。
「許してはいない」
腕を失いかけた冒険者は少年へ告げた。
「はい」
「返し終わるまで顔を見せろ。楽になったと思うな」
「はい」
少年は泣きながら頭を下げた。
正しい裁きだったか、今も分からない。少年が約束を破るかもしれない。被害者の怒りが消えないままかもしれない。
それでも、変えられない罰で話を終わらせなかった。
昇星という国は、完成した正義ではなく、問い直す場所として始まった。
巨人族のための道をどこへ通すかでは、三つの村が揉めた。
北へ曲げれば牧草地が減る。南へ通せば先祖の墓がある。真ん中には古い森が残っていた。
ティアネの兄ドルガは、自分たちが遠回りすると提案した。距離は三倍になり、冬には通れない。
「大きいほうが我慢すれば、話は早い」
その言葉へ、ティアネが怒った。
「大きいからって、ずっと重いもの持たせたらだめ!」
千年間、大陸を背負った彼女に言われ、会議場は黙った。
結局、森の倒木だけを使って高架道を作る案が採用された。ガルネアが設計し、巨人族が橋脚を運び、人間と獣人が細部を組む。完成まで一年かかる。
急がないことも、新しい世界で覚えた力だった。
エルディスは週に一度、地上の食堂へ来る。
最初は食べ物を栄養値でしか見なかった。ミレイアに味を答えろと言われ、豆の汁を前に十分沈黙した。
「塩分が推奨値を――」
「味です」
「……温かい」
それは味ではないと笑われたが、アザリアだけは昔の自分を思い出し、何も言わず二杯目をよそった。
管理者だった小さな光にも、名前を決める日が来た。
本人は『管理補助個体』でいいと主張した。ニナが却下し、百を超える案を書いた紙を渡す。
三日後、光は『ルカ』を選んだ。
「理由は?」
「音が短く、呼ばれた回数を数えやすい」
まだ数字から離れきれていない。それでも、自分で一つ選んだ。
初めて名を呼ばれた光は、ほんの少し強く輝いた。
「代表」という曖昧な肩書で、毎朝山ほどの書類と戦っている。
「魔物との境界協定、承認を」
セフィラが紙を置く。
「北門の補修も必要です」
アザリアが続ける。
「今日の雨は午後から」
ラミナが窓を見る。
「新しい農具を作ったぞ!」
ガルネアが扉を蹴り開ける。
「まず朝食にしましょう」
ミレイアが全員を止めた。
ノクティアはジュンの影から顔を出す。
「昨夜、セフィラがジュンの夢へ――」
「待ちなさい!」
珍しくセフィラが慌てる。
ティアネは机の下でパンを三つ食べていた。
七人との関係に、名前はまだない。
街では毎週のように、誰がジュンの正妻か賭けが開かれている。
最有力はアザリア。本人は意味を理解していなかったが、「常に隣にいる者」と説明されてから票数を気にし始めた。
セフィラは賭けの胴元を突き止め、自分の倍率が低いことへ抗議した。ラミナは結果を見ないと宣言しながら、投票箱の前を三度通った。ガルネアは酒の勢いで自分へ百枚入れ、翌朝真っ赤になった。ミレイアは止める側だったはずが、一票だけ自分へ入れた。ノクティアは全員分の票を夢の中で書き換え、ティアネは投票用紙を食べた。
「賭けそのものを禁止しないか?」
ジュンが提案すると、七人全員から反対された。
「理由は?」
「秘密です」
アザリアの返答に、残る六人もうなずいた。
ジュンだけが何も分かっていない。
アザリアはいつも隣にいる。セフィラは隙があればからかい、ラミナは未来を見ずに約束する。ガルネアは作った剣を毎朝確認し、ミレイアは無茶をするたび本気で怒る。ノクティアは勝手に夢へ入り、ティアネは家族だと言って抱きつく。
全員が特別だった。
それで今は十分だ。
レオンは生きていた。勇者の称号を返し、剣を置いて、辺境の復旧作業に加わっている。リリアはメルダとともに教会の被害者を救い、罪を証言し続けている。
エルディスは天界と地上を行き来し、命令ではなく相談を持ってくるようになった。
間違いはなくならない。
争いも、悲しみも残っている。
けれど、やり直す道を誰かが勝手に閉ざすことはない。
朝食の席で、セレスティアル・レコードがひとりでに開いた。
未知の世界の地図が浮かぶ。青い海に浮かぶ、見たことのない三つの大陸。
> 新規任務を開始しますか?
七人がジュンを見る。
助けを求める声があるなら、いつか行くだろう。
ジュンは笑って、本を閉じた。
「その前に、今度こそ朝飯を食わせてくれ」
アザリアが鍋の蓋を開ける。
中で小さな星が膨らんだ。
「全員、伏せろ!」
星が爆発し、食堂の屋根を青空へ吹き飛ばした。
笑い声が、昇星の街にいつまでも響いた。
――第一部・完。




