バッテリィズ
バッテリィズが面白い。
令和ロマンを日々見ていたが、M1で知って以降バッテリィズを毎日見ている。
キャラクターとして、エースと寺家のそれぞれが良い。
まず名前が良い。
世間一般の常識を逸脱しているような名前の『エース』。
エースって何やねんエースって。
と思いつつ、彼のパアッとした笑顔を一度見るとエースを愛さずにいられない。エースだわ、完全にエース。
外来語を表す仮名であるという芸名が、マレビト感があって非常に良い。とても合っている。
そして、寺家という珍しすぎる名前の寺家。
これでボケというのがまず混乱する。
寺家。
じけ。
てらいえじゃないんだ……。
読み方が独特すぎて一瞬で覚えられる。
寺&家という部分も良い。まさに静&静である。
エースは大阪府の西成出身である。
西成お笑いともいうべき、冴え渡る突っ込み。
ピュアだアホだと言われているが、彼は生きる力がものすごく強そうである。
この時代に自分は友達がいっぱいいると言い切れる人間が何人いるだろう。
知り合いでも仕事仲間でもなく、トモダチ! と笑うエースの邪気の無さは、いくら羨んでも常人にはなかなか手に入れることができない。
識字や語彙の知識は誰でも身に付けられるが、人の懐に入っていく力はなかなか身に付けられない。
エースは芸人なのに、たとえ自分は傷ついても人を傷つけることはしない。
一昔前の大阪の笑いでは考えられない。
まさに新時代到来である。
この辺りも非常に気持ちが良い。
寺家。
テライエではない。
ジケ、と読む。
彼は三重出身である。
一児の父であり、美容師の奥さんがいる。
これも良い。
担任の先生を見ているような安心感がある。
わけのわからないことはしないだろうなという安心感である。
かといってインテリぶることもなく、社会人や礼節という言葉がしっくりくる。
芸人というギャンブル要素の多い仕事を志した以上、一般人とは違う感性はあるのだろうが、それをひっくるめても寺家は安定感がある。奥さんと子どもに恥じないよう生きてきたのであろうし、これからもそうだろう、そうであって欲しい、と思わざるをえないような、隠れた努力家感がある。
しかし、はまってしまうのはこの先である。
この寺家という男、不思議とモナリザのような魅力があるのである。
微笑んでいると言われればそうであるし、哀しみと言われればそうである。
ミステリアスで謎の多い独特の存在感がある。
普通、平凡を極めているがゆえの、圧倒的な底知れなさがあるのだ。
エースの無邪気で唯一無二のツッコミ(&ボケ)の土台には常に寺家の「見えない支え」がある。
突拍子もないことをしても破綻しないのは、彼が真ん中で全体を支えているからに他ならない。
さすがキャッチャー。
というか、寺家はボケなのかと言われればそうではない。
寺家もツッコミであり、エースもツッコミなのである。
ここにバッテリィズの新しさがある。
エースを単なるオバカキャラのように扱う風潮があるが、あれは視聴者を理解していない。
我々はエースに真理を見ているのである。
寺家が世間一般の風潮や常識だとすれば、エースはそこに笑顔で風穴を開ける。
無知の中にある真理が垣間見えるその瞬間がめちゃくちゃに面白いのである。
そんな私は最近、令和ロマン松井ケムリのミニ四駆作成動画を追いかけている。
いいですね、ミニ四駆。