家族の代償 2
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カテーテル検査(血管から管を通し異常のある部位を調べる検査)後、鈴乃の人工血管の入れ替え手術が終わったのは早朝だった。すぐ個室が手配され、両親はその中で手術後の娘と対面した。
結局、忍はその後一言も口にせず、廊下の長椅子に座ったまま六時間以上も動かなかった。彼の気を察してか、アキラも誠司もその場を動かず、忍をただ見守っている。
「何か、言ってくれよ」
ようやく、渇いたように呟いたその一言は、何とはなしに口にしたものだった。
「何って言って欲しい?」アキラが静に答えたが、忍は「別に……」っと返すだけだ。
「とにかく、鈴乃が無事で良かった」
「そうだな」と気のない返事で、誠司からの労いをあしらう。
誰も、何も言えなかった。両親の口論は激情に任せたものであり、他人であるアキラと誠司では、口を挟む余地は無い。当事者の一人である忍すら完全に諦めていた。
鈴乃の異常の原因や理由など、今の医学では解明できない。色々と理屈はこねられるだろうが、先天性の障害は、突き詰めてしまえば遺伝子の異常の一言で片付けられてしまうようなもので有り、言い争いなど不毛だ。
「悪い。二人とも、恰好悪いとこ見せた」
「別に良いよ。あそこまで聴かされるとアンタの鈴乃への態度も納得できたし」
顔を背け、アキラは頭を掻きながら、投げ槍な口調で続けた。
「ぶっちゃけ最悪ね、アンタの家。毒親って言うんだっけああ言うの」
「そう言われても、しょうが無いよな・・・・・・」
素直にアキラの言葉に同意したのは、これが初めてだったかもしれない。今の両親の仲は最悪と言って良いだろう。アレだけ言い争いをしてそれでも離婚をしないのは、二人とも鈴乃の面倒を一人で見る自信が無いからだろう。
皮肉にも家族が空中分解していないのは、鈴乃が重度の心疾患であると言うことだった。だが同時に、忍の存在もどう言うカテゴリーに入っているのかは、あやふやなままだ。
忍にはそれが苦痛だったが、半ば諦めていた。だが、本当は――。
「ねえ、忍。前に家庭内ホームレスって言ったの覚えてる?」
「ああ」
「家があるけど家庭が無い……冗談で言ったはずなんけど……ゴメン」
「仕方がないだろ……もう、良い。言わなかった俺も悪かった」
お互い顔を見ないまま謝罪を返した直後、通りかかった看護師が「お兄さん。妹さんがお呼びですよ」と、唐突に忍を指名し、そのまま踵を返した。
「ほら、行ってあげなよ」
アキラに背中を押され、忍は言われるまま病室へと足を向けた。無心と言って良いのだろうか、酷く疲れた重い足取りは、余計に気重にさせた。
(会って、何を話せば良い)
会いたくないと思いつつ、体は病室へと向かっている矛盾。結局、言われるままに生きてきた、体に染みついた処世術、又は反射なのだと自嘲する。そんなことを考える間に、体はスライド式の扉を開き、鈴乃の病室へと足を踏み入れていた。
白で統一された部屋に大きな窓が一つ、そこから朝日の光が差し込んで眩しい。両親との鉢合わせを想定したが、病室にはベッドで横たわる鈴乃がいるだけだ。
鼻に通した呼吸器のチューブ、手足に繋がれた点滴の管は軽く見ても五つは有った。
久しぶりに見る病人らしい鈴乃の姿に、忍は息を呑んだ。
まるで、ドラマのワンシーンをそのままくり抜いたような光景。
「あ、兄貴……」
「よぉ。えらい目にあったな」
軽口を叩きつつも、忍は慎重に言葉を選んでいた。無意識なのか意識的なのか、口にした言葉は、言い知れない不安をぬぐい去ろうとしていたのかもしれない。
「ライブ、できなかったんだよね」
鈴乃の掠れた声がよく聞こえなかったが、何を言いたいのか何となく理解できた。
「ああ……でも、次やれば良いんじゃないか? それより、母さんと父さんは?」
ベッドのそばの椅子に腰掛け、わざとらしく辺りを見回す。
「お母さんとお父さんには出てってもらった。なんだかうるさいから」
「まあ、それだけ心配してたんだろ」
「本当はアキラと誠司に会いたいけど、まだ家族以外と会っちゃダメって言われた。二人とも家族なのに変だよね。あにぃ」
「そうだな」
違和感があった。自然と口をついた言葉は、忍の心情や感情とは真逆のものだった。
「じゃあ、来たばかりだけど、行くな。アキラと誠司には心配するなって言っとく」
「あにぃ、今までワガママ言って、ゴメン」
「いいから寝てろ。また来るからな」
鈴乃の顔を見ずに忍は席を立った。部屋を出る直前に声を掛けられた気がしたが、そんなことは構わなかった。
(くそ! くそ! 何だって言うんだ!)
自分が口にした言葉、抱えていた心情、鈴乃への憎しみが、今の鈴乃の前だと消えている自分がいる。許せない。認められない。自分では正気と思っているはずだが、錯乱と混乱と言う言葉が付いて離れない。
「畜生!」と、頭を滅茶苦茶に掻きむしり、何度も拳を壁に叩き付け、忍は歯を食い縛った。何が悔しいのか分からない。そして、いつの間にか、溢れる涙が頬を伝っていた。
「忍? 大丈夫?」
静かで、優しく通る声が耳を掠めた。
「アキ・・・ラ? いつから立ってた?」
「アンタが部屋から出る前から・・・・・・じゃま、しちゃったかな?」
声をかけられるまで、気がつかなかった。
「かっこ悪いとこ、見られちまったな。情けねえよ。情けねえよ・・・・・・」
情けない。そう繰り替えしならが壁に顔を向けた。今の自分を人に見て欲しくなかった。 自分が何を考えているのか、どうしたいのかすらも分からない。
「情けなくなんかないよ。忍は、ずっと頑張ってるよ」
初めて聞いた、静かで、優しくかけられたアキラの声。それと同時に、そっと背中から手を回され、忍は硬直した。
「私には分かる。初めて会ったときから、忍は頑張ってた。こんな私にも優しかった」
女性らしい口調。背中から伝わる彼女のぬくもりが少しだけ心を落ち着かせる。
「どうし、たんだよ。アキラ?」
顔を見ようと体をよじるが、アキラは背に埋めたままで表情を覗うことはできなかった。
忍もアキラも、一言も言葉を交わすことなく、五分ほどが過ぎただろうか、さすがにその沈黙に耐えかねた忍が口を開いた瞬間だった。
「なんてね。ちょっとドキドキした? やっぱり男の子だなぁ忍は。ようやくアタシが年頃の美少女だって自覚したか! 参ったか!」
突然手を離し、アキラはくるりと回って忍の顔を覗き込んだ。ニヤニヤと悪戯っぽい笑顔を見せたそれは、先ほどの静かな口調とは違う、いつものアキラだった。
自称美少女のホームレスに緊張した自分が馬鹿馬鹿しくなった。
「お前、人が真面目に悩んでいるのに、どう言うつもりだよ」
「うーん。一応、励ましてるつもりかな。まあ、とにかく、アタシはアンタと会えてよかったってことを言いたいわけ」
「はあ? ちょっと唐突に話が飛躍しすぎてるぞ。意味が解んねえ」
「自分の感情を素直に言葉にしているだけだよ。まあ、大目に見てよね」
「確かに、お前は初めて会った時から、よくわかんない奴だったからな。家族ごっこといい、今更って言えば、今更かもな・・・・・・」
諦めた。と言う感じで、忍は大きく溜息を吐いた。こう言うアキラの言動で溜息を吐くのは何度目だろうか、既に思い出すのもおっくうだ。
「取りあえず、鈴乃は目が覚めてるよ。顔を見るつもりで来たんだろ、今は誰もいないから入れるぞ」
病室のドアを顎で指し、さっさと行けとアキラを促した。
「じゃあ、お言葉に甘えて。もう、泣くんじゃないよ」
手を振りながら病室へ入るアキラに、忍は照れ隠しで小さく呟いた。
「余計なお世話だ馬鹿」




