家族の代償 1
(うそだ。うそだ。うそだ。うそだ。うそだ!)
時間は既に午後八時を過ぎた頃、暗い廊下、非常灯の明かりの下、最寄りの病院内にある、集中治療室を前に立ち尽くした忍は、苦悶を押さえつけるように頭を抱えていた。
近くには黒いライブ衣装のアキラが、壁に背を預けたまま項垂れ、誠司は時計と忍へ交互に視線を移し落ち着かない様子だ。
「アイツが今更死ぬ訳がない。何度も死ぬって言われて、何度も蘇ってきたんだ」
「落ち着きなよ忍。不安なのはアタシ達だって一緒だよ」
怒気と苛立ちを押さえたように、アキラが強い口調で指摘した。
「あ、ああ、悪い」と、忍は思わず手で口を塞ぐ。ここ二週間、きっとアキラは鈴乃とずっと一緒だったのだろう。動揺は忍よりもあるはずだ。そう言った考えが脳裏を過ぎったが、今の自分も他に気を遣う余裕はない。
暫しの沈黙の後、集中治療室から小太りの中年医師が歩み寄って来た。
「ご家族の方は?」と定番の台詞に苛立ったが、忍は無言のまま手を挙げ「お兄さん。かな?」その問いに頷くと、医師は続けた。
「詳しく検査をしないと分かりませんが、元々心臓がよろしくなかったとか」
「妹は、ペースメーカーを左右の胸に一つずつ……それと人工血管も入ってるって母が、あとの詳しいことは分からない……」
気が抜けた声で、忍は呼吸を整えながらようやく単語を紡いだ。
「原因はまだ分かりませんが、検査結果次第では、手術が必要かもしれません……」
「意識は? 意識は戻っているの?」
アキラが医師の腕を鷲掴み、今にも泣きそうな顔を見せた。
「今のところは昏睡状態ですが、手術をするにも検査結果もまだで、資料も無く、元の病院には問い合わせてはいるのですが……」
中年医師が話を続けようと口を開いた時、若い女の看護師が医師に駆け寄った。
「ご家族と主治医の方が来られました。心電図とレントゲンを確認して、カテーテルの準備をして欲しいとのことです」
ご家族と言う言葉に、忍の背筋に悪寒が走り体が硬直する。カツンと言うヒールの音が病院の廊下に響き渡り、皆が振り向く。音の主は忍が良く知る女性だった。
「母さん……」
俯いたままの視線が、目の前に黒いハイヒールを確認する。ゆっくりと顔を上げると同時に、右の頬が甲高い音を立てた。
「っ!」打たれた瞬間、間髪入れずに今度は両肩を掴まれ激しく揺さぶられる。
「どうして、あなたはいつもそうなの! 何で連絡よこさないの! 母さんあなたのこと信じてた! だから家へ帰らず、ずっと病院の近くや、鈴乃が行きそうな場所探してた。なのに、あなたは鈴乃を殺す気なの! そんなに私の娘が憎いの?」
ウエーブのかかった長い髪を振り乱し、目にクマを浮かべて涙を流す母、和子に対し、忍は何も答えられなかった。黒いレディーススーツは、喪服のようにも思える。そして彼女を支える、見知った男の視線が辛かった。
「お久しぶりですね、お兄さん」
黒縁眼鏡の若い男は鈴乃の主治医、中村泰一だ。この男が来ることは予想していたが、正直二度と会いたくない人物だった。
「なんでお前がここにいるんだ、中村!」
忍は反射的に立ち上がると、怒りに任せて中村に詰め寄る。
「連絡を聞いて飛んできました。家出をするなら、私には本当の居場所を教えてくれても良かったかと……」
「うるさい! 俺が、何も知らないと思っているのか! そんなに実験体が大事かよ!」
「なんてことを……先生はね、鈴乃を助けようと一生懸命――」
「それがコイツらの手口だろう! 鈴乃がどれくらい生きられるか、どんな処方せんで安定できるか、コレは人体実験なんだろ!」
「お兄さん……」
「俺はお兄さんじゃない! 忍だ!」
中村の言葉を遮り忍は一括するが、中村は深い溜め息の後、駄々っ子に言い聞かせるよう静かに語りかけた。
「忍くん、私達が鈴乃ちゃんを助けたいというのは、信じてくれていますね」
目的はどうアレ、この男の発言は全て本当のことだ。鈴乃を助けたいと言う気持ちは間違いない。だが、忍には納得できない。
「アンタ達が、中途半端に鈴乃を助けたから、俺達家族は苦しんでいるんじゃないか! 何が命があればだ! 子供は……アイツは、俺達は、大人の玩具じゃない!」
「医者は神様じゃない。だから、人間として精一杯生きようとする命を助けるだけです」
「命だけ助けて、あとのことは感知しない。そう言いたいんだろ!」
「やめなさい、先生もお仕事なのよ。おかげで鈴乃は生きていられるんだから」
少し落ち着きを取り戻した母だったが、依然中村を神か何かと勘違いしているのか、彼を崇拝するような物言いに、忍は感情が抑えきれなかった。
「アレに好き勝手やらせて、俺の学校生活や、人間関係を引っかき回して、都合が悪くなると病院へ逃がして、ベッドに括り付けるような世界が、人間の生き方なのか! いっそ殺しちまえ!」
やれやれとワザとらしく首を横に振り、中村が小太りの医師に視線を移した。
「時間が無い。お母さんから承諾のサインは頂きましたので、すぐに検査を始めます。耳のピアスから細菌が侵入して感染症を誘発させてしまったか、あるいは、人工血管に穴が開いているかもしれません。検査の結果で、原因が特定次第手術に入ります」
「よろしくお願いします」と、和子が頭を下げた瞬間。
「待て中村! 完全に直せ! アイツを、完全に直せ! 治して見せろ!」
「よせ、忍!」
中村を殴りかからん勢いで、忍はくってかかるも、今まで様子を見ていた誠司が突然立ちふさがった。
「無茶を言うな。お前も理解しているはずだ!」
誠司の両手が忍の肩を抑える。だが、忍は迷惑だと言わんばかりに、それを振り払おうと体をよじるが、その時に気がついた。誠司の手は、小刻みに震えていた。
彼から伝わる振動を感じながら、忍はふっと顔を上げると、誠司と目が合った。手だけではない。無理矢理唇を噛みしめ、その瞳も、何かやりきれない、押さえきれない情動と、悲しみと悔しさが入り交じったような苦悶の表情だった。
「誠司?」
初めて見せた誠司の顔に、忍は鳥肌を立て、一瞬言葉を失った。だが・・・・・・。
「彼の言う通りです。しかし、お兄さん。私は全力を尽くします」
黒縁眼鏡の奥にある、人を見下すような視線と抑揚のない中村の声。再び先ほどの怒気に灯がともる。
「クソッタレえええええええええええ!」
やり場なく言葉にしがたい感情をぶちまけ、悲鳴に近い叫びを上げる忍だったが、中村はそれを一瞥しただけだった。
ストレッチャーに載せられた鈴乃と手渡された資料を見比べながら、病院のさらに奥へと消えて行く。中村にとっては何百何千と聞いた台詞なのだろう。だが、中村の反応は、忍の心に新たな傷を付けた。
「大丈夫。中村先生なら安心だわ」
自分に言い聞かせるように、中村を盲信する母の声が追い打ちを掛けた。
彼女にとって娘は、生きていれば良いと言うだけの存在であり、大切なお気に入りの縫いぐるみと同義だった。そのことに関して、鈴乃が憐れだと忍は同情していた。しかし、母へ何も言い返せない無力感が忍を支配する。
「何が、どうなっているんだ?」
突然、耳に入った男の声、顔は見なかったが、すぐに分かった。「親父?」と呟くが、その声は父、稔の耳には届かない。
「私が居ない間に何があった! 何故病院から出した!」
皮のカバンを投げ捨て、グレーのスーツを着崩しながら、稔は和子の肩を掴み声を荒げた。
「知らないわよ。私は一生懸命介護してたのに、毎日病院に通えるよう、近くに部屋まで借りたのに、どうしてあの子は……」
嗚咽を漏らす和子を前に、稔は口元を隠し静かに首を横に振った。
「鈴乃から定期的にメールが届いてね。今日は友達とライブだと言って、自分の姿を撮った写真も同時に送ってきたよ。まさか病院を抜け出しているとは思わなかったが」
病院を抜け出した鈴乃が、仕事で日本に居ない父と連絡を取り合っていた事実は忍にとって意外だった。確かに鈴乃がパソコンをいじっている姿を何度か見かけたが、あれは父へ当てるメールを送っていたのかと初めて理解する。
「しかし、髪を染めるどころか、厳重注意されていたピアスを付けて、感染症になったかもしれないだなんて……どうしてこんなことに・・・・・・なぜ、ちゃんと見てやらなかったんだ!?」
「何よ! あなたが外国へ仕事に行くから、こんなことになったんでしょ! 私、連絡したのよあなたの部屋に、そしたら知らない女が出て英語で喋って、電話を切られて! 女を連れ込んでたあなたに言われたくない! 鈴乃に謝って!」
巻くし立てる和子が叫び、稔もバツが悪そうに、その場にいる全員の顔を見やった。
「すまない、私も悪かった。今はそんなことを言っている時じゃない。とにかく、鈴乃の容態が心配だ」
冷静にならねばと、和子に言い聞かせるも、和子もそうそうに引けなかった。
「いつもそう、立場が危うくなると別の話にすり替える。あなたの態度にはうんざり」
「だが、私は家族のために、馴れない外国で仕事をしているんだ。君が暮らしている部屋や、家のローン、忍の学費だって私の稼ぎじゃないか!」
その後も口論は続いた。結局は水掛け論や互いの不平不満、言い訳の攻防、母と中村の浮気疑惑、最終的には定番の、鈴乃をまともに産まなかったと言う流れになった。
『何故、ちゃんと産まなかったのか、何故、ちゃんと生まれなかったのか』
あんな子供は欲しくなかった。でも愛している。自分の子供だから。でも、何故、どうしてあんなに不完全で生まれてきたのか。母のせいか、父のせいか。
そんな話は無意味だが、それは忍にとって最大のトラウマであり、鈴乃に対する負の感情の原点だった。
それでも、どんな形であれ生きていて欲しい。それが彼らの願いだ。
だが、それと同時に両親の話は忍にあるシンプルな結論を導き出しす。
(鈴乃が生まれてこなければ、俺達は幸せだった)
子供じみた理由だったが、誰も否定できるものではない。ただ、そのことは一般的な思考から逸脱したモノだ。だが、それに触れたとしても、批難される言われは、忍には無かった。
兄という立場と言うだけで、鈴乃という重荷を背負うことになった。
昔、ドキュメンタリー番組で障害者の家族を扱ったものを見たが、上辺の悲劇と絆しか見せていないものであり、絆的なものも作為的に感じられた。本人だけの悲劇ではない。それ以上に、家族にとっての悲劇と重圧であること、その負担を蔑ろにされる社会に忍は失望した。結局、世間は美談しか求めない。
障害者の当人のことだけをまとめ上げるストーリー。
障害者という特権で弱者と言う名の強者となった鈴乃。両親だけなら良い、だが一つしか歳が変わらない自分も妹に振り回され続けた。
母は放任主義で、子供を信じているから安心して放っておけると言っていた。それも結局は自分の時間を鈴乃に与えるための建前でしかない。いや、本人はそれにすら気づいていないだろう。
忍を守るモノなど、この劣悪な家庭環境の中では存在しなかったと自覚したのは最近だった。ある時ふっと、自分は両親からエサを与えられるだけの愛玩動物だと理解した。
母親の信頼を裏切りたくなかった。だから、我慢し続けた。その結果は見ての通りだ。
忍は自分の道化ぶりに自嘲した。
後半突入です。もう少しお付き合いください。




