四十二話
エクエス=シュヴァリンが駐屯地に着いて間もなく、合戦が行われた。
ゲピュラ皇国正規軍二百、傭兵部隊八百からなる総数一千のゲピュラ軍に対するは、エクエス=シュヴァリンただ一人。この合戦でゲピュラ皇国の三公は、エクエスの一騎当千という言葉が、比喩でも誇張でもないことを思い知ることとなった。
この合戦の後、フルケル防衛線には束の間の平穏が訪れていた。プルッケル自由都市の跳ね橋が下ろされ、人々の行き来ができるようになったのがその証左だった。戦争も終わりが近い。誰もがそう思うなか、ウィリアムとマーシャルはフルケル北防衛線の駐屯地に向かっていた。
「銀ノ剣では、もう十年以上も前から話が出ていたんだって。今まではカンサルタとスバニアに倣って、騎士と歌剣の間で騎士道を歩む決意をした二人に〈聖剣の儀〉が行われていたんだけど、それだと百年に一度くらいしかエクエスのような騎士が生まれないんだって。それはそうだよね。みんな子供ほしいだろうし。それでね、騎士王は〈聖剣の儀〉に関する制約を緩和して、見込みのある若い世代のなかから騎士を育成することにしたんだって」
跳ね橋の上から、落ちたら確実に死ぬであろう高さを見下ろしながらマーシャルは言った。
「それだと、マーシャルが剣になるってことか? ありえない」
ウィリアムはマーシャルの背負っている背嚢を引っ張った。
「そこの問題が解決したのが、エクエス=シュヴァリン様とエクエス=フォルツ様なんだって。それで、わたし達はシュヴァリン様に師事を受けるの。詳しい話はエクエス=シュヴァリン様が教えてくれるよ」
「その〈聖剣の儀〉っていうのは?」
「ほら、建国神話にもある贖罪の話。カンサルタが文字通りスバニアの剣になって――」
「それは知ってる。触れること感じることもできず、ただ想い続けることしかできない苦しみのなか、世界のために剣を振るう――騎士道のことで、それは神話だ」
マーシャルはくすりと笑った。
「信じてないでしょう? わたしもそうだったよ。でも、エクエス=シュヴァリン様の聖剣アシュラムと話したの。念話でね。直接言葉が頭に入ってくるの」
ウィリアムはマーシャルの言うことに怪訝な顔をしそうになり、なんとか堪えた。聖剣歌は神の旋律で神秘を起こす。これは明確な旋律という術式があるからこそ、人の精神や潜在的な肉体の力を開花させる。コンティーレは魔紋が施された魔具によって神秘の片鱗である魔法の類を起こす。これら不思議な力――神秘はしっかりとした秘術と道具による形式的な段階を踏むことによって顕現される事象であり、簡単に生み出せる物ではない。だからこそ、国は保有している神秘の術式を国宝と定めたりするのだ。人が剣になるなどという大それた力があるはずがない。そんなのがあるなら、それこそ神の力ではないか。
ウィリアムはそう考えて小さく唸ると、以前廊下で会ったエクエス=シュヴァリンの灰色で冷たい目を思い出した。もしかしたら、エクエスはマーシャルのように純粋で汚れのない人に神秘の術式によって妄想を植えつけ、なにか利用しているのだ。そうに違いない。戦ったコンティーレだって笛の音で小さな幻覚を見せていた。聖歌だって、歌声で人に影響を及ぼしていた。
「ウィリアム、また悩んでる。でも、すっごく表情が豊かになったよね。前は灰みたいで……。むすっとした顔でも、前よりいい」
ウィリアムは覗き込んでくるマーシャルの顔を見て、自分の顔が熱くなるのを感じて咳払いをした。
「こんなむすっとした顔がか。それに、傷もある」
「うん。エクエス=シュヴァリン様ほどはひどくないもん。それに、格好いいよ」
ウィリアムは片眉を上げて、意地悪く口角を上げた。
「あいつらが生きてたらならなんて言うかな」
ウィリアムのその言葉に、マーシャルは一瞬目元を強張らせた。そこには心配するような揺らぎもあった。
「大丈夫だマーシャル。あいつらの死は悲しいし、考えたくもない。だけど、受け止めなくちゃならない。俺には命がある。前に約束したんだ。仇を討つために剣を握るのではなく、守るために剣を振るうって。俺は、仲間の守りたかったものも守り抜くために剣を握る。俺にはまだできることがある。生きていれば」
マーシャルは自分のことのように嬉しそうに微笑んで、ウィリアムに抱きつくと胸に顔を埋めた。
「ありがとうマーシャル」
二人は笑いながら橋を渡った。
フルケル北防衛線の西側――もっとも戦場から離れた場所に、エクエスの陣幕はあった。ざっと見ただけでも数百人のスバニアの青と黒色のキルト生地の胴着姿の戦士が、駐屯地の中を歩き、楽しそうに取っ組み合いをしたり、鍋を囲んで寝っ転がる者や、剣に油を塗り鎧を磨く者、金床を叩く鍛冶師に話しかけたり手紙を認めたり、仲間と歌ったりと各々が思うように過ごしている。
「新人、ではないな。その腰の物を見るに」
天幕の柱に寄り掛かった上質な革の上着を着た男が、ウィリアムの腰の剣を果物を持った手で示して言った。
「月剣院上がりか。なら、お前がウィリアム・ダーリア。君が、マーシャルだな」
あきらかに戦士とは違う身なりをしている男は、しかし腰に剣を下げており、柄頭には目玉ほどの大きさのサファイヤがある。
「古参殿の名前を伺っても?」
「私は、クルシュヴァリン=ランパート」
ウィリアムは背筋を正した。
「エクエス=シュヴァリンの従士とは知りませんでした。すみません」
「気にするな。君の父上は存じている。ジョンはよくも悪くも人気者だった。それで、君たちがここにきた理由は知っている。エクエスに会いにきたのだろう? こちらだ」
従士ランパートはゆっくりと散策でもするように陣幕を縫って歩いた。
「連日この調子だ。戦況報告は読んでいたか? なんだ、知らないのか。いいか、北の防衛線は三週間前の皇国軍の攻撃によりその三分の一を失った。賢者らしき神秘使いの攻撃でな。それからここは戦々恐々としていたそうだ」
ランパートは陽気に歌う戦士たちの挨拶に手を上げて応えた。
「だが、エクエスがここに陣を構えるとどうだ。皇国軍の攻撃は小手調べのような貧弱なものになった。おかげで、毎日祝宴というわけだ」
「そして、お前たち従士も民の目がないことをいいことに怠惰なフルコースを堪能している。ランパート、誘導ご苦労だった」
エクエス=シュヴァリンが、灰色の目に微笑を湛えて、鶏の丸焼きの半分を手に持って会話に割り込んできた。
「ごきげんよう、マーシャルくん。それに、クルシュヴァリン=ジョンの息子、ウィリアム・ダーリア。さぁ、なかに入って一緒にこれをつっつくとしよう」
エクエスの比較的広い天幕の中の卓についたウィリアム、マーシャル、ランパート、シュヴァリンの四人はしばらく黙って鶏肉をナイフとフォークで皿に切り分けた。ウィリアムは、ジョンがプルッケル自由都市ではこういう切り分けも見せ物のようにするのだと話してくれたのを思い出した。
切り分けを終えたシュヴァリンが椅子に腰を下ろし、食べるように促した。ナイフとフォークが皿に当たる音が聞こえ始めると、シュヴァリンは軽い調子で言った。
「どうだ。もう傷は癒えたか?」
「はい。剣も握れると思います。落ちた筋肉も順調に取り戻していて、戦えます」
シュヴァリンはおかしそうに笑みを浮かべながらマーシャルをちらっと見た。
「そうじゃない。心のほうだ」
ウィリアムは手を止めてシュヴァリンを見返した。シュヴァリンは野菜と鶏をフォークで串刺しにすると口に運び、ウィリアムの視線を気にする様子を見せずにゴブレットから水を飲んだ。
「話は聞いている。マーシャルくんが言ったわけではない」
エクエスは、顔を下げていまだに手を止めているウィリアムを見ながら、ふたたび口にフォークを運んだ。
ウィリアムは手を動かしてフォークに肉を刺すと、顔を上げた。
「はい。愚かでした。ですが、エクエス殿から頂いたお言葉で目が覚めました。命があることに感謝しています。次に戦場に立つときには、命を捨てるのではなく、守るべく立ちます」
エクエスは取り止めのない報告を聞いたように軽くうなずき、水で口のなかの物を胃に押し込んだ。
「では、君に問おう。私は常に十人の従士を率いる。単純に、十という数字が好きだからだ。そして、今は八人しかいない。君はまだ剣を握る覚悟はあるか?」
ウィリアムは口に運ぼうとしていたフォークを皿に戻し、重大な質問を投げた灰色の目を見つめ返した――従士になるということだろうか。父の意志を継ぐのならば、これより誉れ高いことはない。ウィリアムは姿勢を正した。
「あります」
「よろしい。だが、従士にすぐに任命するのは無理というものだ。そんなことをしたら、きっと枕の下に馬の糞を忍ばされる。もちろんジャックにだ。手順というものがあり今ここでそれはできない。だが、準備はできる。マーシャルくんから話は聞いているか?」
「次世代の騎士のことですか? 彼女を剣とすると?」
「まさか。その物言いから察するに聖剣の話を信じていないな。まぁそれはいい。だが、新たな神秘の術式を編み出した。それを君たちに施す。と言っても、これは魔具に近い扱い方になるのだが、聖剣と同じく二人の絆がものをいう。君は従士になる覚悟があると言ったな。では、この鶏を食べ終わったら早速始めよう」
それから月剣院で行ったかのような日々が再び訪れた。思い返してみれば、賜剣式を終えて王都を立ってから三ヶ月と少ししか経っていない。あの頃は風ノ季の始まりで、今は水ノ季の半ばだ。一生続くかと思われた雨空にも、時折白い穴ができるようになった。西から吹く風は弱まり、南からの風が吹いてきたときには、とうとう水ノ季も終わりかと心が幾分か軽くなった。
一気に雨が降る日があった。そうして、火ノ季がやってきた。太陽は空高く燦々と輝き肌を焼く。森の葉は喉がむせそうになるほどに蒼い香りを運んできた。
この日も、シュヴァリンの陣営から少し離れた森の空き地で、ウィリアムは亜麻のシャツに汗を滲ませながら目にも止まらぬ速さで剣を振るっていた。
「だめだ、遅い。それにマーシャルくん、雨が降ったら君の声はかき消されるだろう」
シュヴァリンの言葉に、マーシャル独唱に投げやりな力みが籠もった。その瞬間、シュヴァリンの凄まじい速さで繰り出される剣を捌いていたウィリアムの剣が遅くなり、シュヴァリンの手首を返しただけの剣にウィリアムは文字通り吹き飛んだ。
泥を全身に被り、肩まで伸びた茶色の髪を掻きあげるウィリアムに、マーシャルが走って近づいた。
「ごめんウィリアム」
「いや、大丈夫。最初の頃よりマーシャルを感じるから。俺の問題だ、俺の」
二週間前、エクエスの元で再び剣を握ることを宣誓したあとに始まった修行は、意識を変えるところから始まった。
剣技、旋律の音の組み合わせ、秘術の術式、そういった知識という形によって力を得ることを忘れることだった。
そうした知識に頼るのではなく、一心に信じ、感じ、心と身を預けること。それは命綱もつけずに、目を閉じて崖から落ちろと言われているようなものだった。戦場で背中を預けられるのは、確かな剣の腕を持つ仲間と自分の剣だ。
そんな考えを持つウィリアムに具体的に示されたのは、マーシャルの歌声をきき、マーシャルに心を委ねろということだったのだが、これが難しかった。
敵と対峙し極限状態で殺すか殺されるかのときに、剣を捨ててマーシャルを信じろというのは、無理がある。そこに信じられる明確な理由があれば話は別だ。例えば、すぐさま後ろで強力な神秘が顕現して護ってくれるとかだ。しかし、それは信頼ではないとシュヴァリンは言った。
完全なる心のもたれ。一心に信じるその精神がマーシャルの聖歌と繋がる。聖歌は旋律に籠める想いがあることが前提だが、マーシャルの想いがどれほど強いかはウィリアムも認知していた。
だからこそ、自分の問題だとウィリアムは言った。
「マーシャルが疲れてなければ、続けよう」
ウィリアムは、マーシャルの肩を軽く握り微笑んだ。マーシャルは頷いて、胸の前で握っていた手を解いた。
「うん、わかった」
気がつけば空は曇り、しとしとと雨が降り始めた。シュヴァリンがシャツの袖を絞ると、「今日はこれくらいにしておこう」と独り言のように言った。
「俺たちはまだやれます。もう一度、もう一度手合わせを」
「いいや。二人で一つだということを忘れるな」
シュヴァリンの視線の先にいるマーシャルは息も荒く、元気がなかった。ウィリアムはマーシャルの肩を掴んで、顔にかかる濡れた前髪を指で梳いて耳に掛けた。触れた頬は冷たく、震えている。
「ごめん、もう戻ろう」
マーシャルが上げた目は力強かった。
「もう一回やろう」
二人は立ち上がり、シュヴァリンを見つめた。
「無理はよくない。しかし、その心意気やよし。だが、私はもうやらない。おいランパート、見ているだけではつまらないだろう。お前が相手をしろ」
木の陰から大儀そうにランパートが出てきた。
「なるほど。面倒は全部、私ですね」
「お前は最近騎士道の美徳をいくつ見せた。ふむ、言えぬか。では、ここで忍耐を見せてみよ。では、ほどほどに!」
シュヴァリンは聖剣の水を払うと、駐屯地の方へと走り去っていった。
「では、ジョンの息子ウィリアム。お手並み拝見といこう。そして、マーシャルくん。大事な彼の恵まれた顔にこれ以上傷を増やしたくなければ、必死に歌うことだな」
ランパートの顔には狡猾な笑みがあった。




