三十一話
瑠璃城の天守はその中腹に壁のない吹き抜けの場所があり、そこでスバニア騎士国の最高評議会〝銀ノ剣〟が開かれていた。
王都をぐるりと一望できる吹き抜けの場所は、柱に魔紋が施されて見えない魔法障壁が張られているため、風ノ季の身を切るような風や、水ノ季の嵐に吹かれることはない。そればかりか、魔法障壁を通して外の遥か彼方を望むこともできた。
騎士王を始めとした要人三十名が座れる黒い大理石の円卓があり、その中央を埋めるように白い大理石の水盆が置かれている。
水盆には神秘の源であるルスで満たされた水が張られ、フルケル防衛戦の戦況がゆらゆらと映し出されていた。その水面を見つめながら、議員たちはこめかみを押さえて一人の議員の声に耳を傾けていた。
ですから――と財務長官は骨張った指で胃のあたりを摩りながら、念を押すように言った。
「各都市の穀倉からの捻出だけでは到底足りていない。第一産業都市の代表であるタロエですら、二年前から予備の穀倉をフルケル防衛戦の戦地に送っているのです。このままでは、今年の聖戦地の予算は賄えません。同盟国のなかでも最も聖戦地の戦いに理解のある赤ノ国に補填してもらうほかないでしょう」
「それはできない」整えた髭の端を撫でて外務長官が太い声で言った。「聖戦地でウラドから世界を守るのは我らスバニア騎士国だ。二千年前に神から賜った役目である。その責を他国に肩代わりしてもらうなど……。赤ノ国にはすでに四紅剣という援助をいただいている。四大将軍の一人の助力だぞ。その上、財政的な援助を受けるとなると、いよいよ他国に示しがつかなくなる。スバニアの名は戦争の抑止力ではなくなってしまう」
財務長官は細い顎の線を指でなぞりながら、何度も聞いた外務長官の主張にうんざりだというふうに目を瞑って息を吸った。
「すでに富裕層と商会組合には戦争税を課しています。これ以上かければ、他国に流れる恐れもある。この時期に林業が盛んになっているのは先にお話しした通りで、それと同時にかつてないほどに造船業も潤っている。翌年には多くの商会の組合が外国に拠点を置くことになるでしょう」
「だからこそ、いまここで踏ん張りスバニアの威光が陰っていないことを証明するべきであろう。その意志を我らが断固として示すことによって、商会や組合もスバニア内部に留まることが将来的にも最も有益だと知るはずだ。そうだ、荘園領主はどうだ? 彼らの穀倉に税をかければいい。どうして誰も気づかなかったんだ」外務長官は、椅子に深く腰掛けて肘掛を指で叩いた。
「いやいや、それはできないでしょう」内務長官は微笑しながら首を振った。「確かに、貴公の言う通り荘園領主に税を取り立てることも可能でしょう。騎士王の勅命とあれば。しかしお忘れなきよう。彼ら荘園領主はかつてその功績を認められ、騎士王の信頼を荘園領主という形で下賜された者達です。騎士王は彼らを信頼し、彼らはその信頼に応える。騎士王が鬨の声をあげれば、彼らは自ら兵と兵糧を援助する。そして、すでに〈赤き絨毯〉を筆頭に、全ての荘園領主が南フルケル防衛線に出陣しているんです。こちらから何かを取り立てることは、騎士王が彼らを信頼していない証となる。反旗を翻す理由をみすみす渡すようなものです」
議員の一人が口を挟んだ。
「では、騎士王ではなく、国として要請するのは如何か。銀ノ剣を二分化するのだ。聖戦地の黒き影との戦いのための議会と、世界の剣としての役割をする議会。前者は騎士王直轄の議会として、聖戦地に於ける黒き影との戦いに関する議会。後者は高官である我々と選ばれた組合の人間で構成された、世界の戦争仲裁と国政に関する国会だ。もちろん、最終意思決定はどちらも騎士王にある。そこでだ、国会から荘園領主に対して王国領土内での取引に税を掛けるのだ。そうすれば、騎士王からの要請という形は避けられ、国として荘園領主と交渉することができる」
内務長官は堅い表情で手を突き出して制止した。
「いやいやそれはできないでしょう。国を二分化するに等しい。それこそ他国に示しがつかない。騎士王の力は弱まっていないのに、あたかもそうであるかのように見える。商会だけでなく、荘園領主が他国と手を組むきっかけにもなりかねない。仮に二分化したとして、荘園に税を掛けるのは御法度です。荘園に対して関税戦争を仕掛けるのと変わりない。それこそ内戦の危機に……」
「珍しく意見があったな」と外務長官。「ゲピュラ皇国の山火事のような勢いにどの国も驚き、同時に我が国がその火を鎮火できていないことに不安を抱いている。税を課したところでフルケル防衛戦がすぐに片付くわけでもあるまい。税を掛けたにもかかわらず戦争が長引けば、水面下でゲピュラと手を組む輩が現れないとも限らん。荘園領主を敵国にしてみろ。我らはあっという間に袋の鼠だ」
「ではどうするのですか? 今のままだと高い財布を持っているのに中身がすっからかんの状態です。側だけ立派で中身が伴なわければ何事にも対処できません。足元を整えることが先決です。誇りと見栄を履き違えてはなりません」
財務長官の言葉を揶揄する声があがったが
、財務長官は細い指を大理石に突き立てて声を張った。
「他国に援助を求めるべきです! 最も友好的である赤ノ国に対して」
円卓は静まった。議員は円卓中央の水面に目を落としている。一人の議員が顔をあげた。
「友好的といえば、クリマーレの王達は? 三年前に我が国に大きな借りを作ったはず」
「三年前に内戦が起きたにもかかわらず、フルケル南防衛戦に出兵している。これ以上は度が過ぎるというものだ」外務長官が髭を撫でた。
「話の堂々巡りを控えたいので言いますが、荘園領主からの徴収も無理です。〈赤き絨毯〉は荘園領主のもつ勇士の集まりです。いわば、荘園の連合軍であり彼らの最高戦力なのです。その戦力を出すこと自体、全力の支援なのですから」
椅子が引かれる音がして皆が待っていたとばかりに視線をむけた。立ったのは騎士王その人。
「これ以上、議が煮詰まることもなかろう。銀ノ剣の細分化は却下。他国への支援要請も行わない。ゲピュラ皇国は数多のコンティーレだけでなく、属州からの兵士を連れている。戦いが長引いているのは、戦力が拮抗しているからである。兵糧を得たとしても戦いが長引くのは明らか。必要なのは戦力だ。ゆえに、ここにて勅命を下す。フルケル防衛戦にエクエスを送ることとする」
議員達の間に安堵の息が上がった。円卓に就いている二人のエクエスを除いて。
「同時に、余はスバニア騎士国に変革を起こすべきだとも考えておる。神秘の秘儀の伝統的な掟を廃し、力ある次世代の戦士育成をすることである。そして、事はすでに進んでおる。そうだな? エクエス=フォルツ、エクエス=シュヴァリン」
騎士王が静かに座っている二人を見た。
エクエス=フォルツは艶やかな黒髪を掻き上げて騎士王そっくりの青い目を上げた。
左頬に古傷のあるエクエス=シュヴァリンは頬杖から顔を上げた。シュヴァリンはフォルツを見たが、フォルツはすでに円卓中央の水面に目を落としていて答える気はなさそうだった。しかたなく、シュヴァリンは一つ咳払いすると口を開いた。
「はい。進んでおります。秘術の式を織り出し、新たな依代に施す準備は整っています。そして、依代となる騎士候補も目星をつけてあります。月剣院出身のウィリアム・ダーリア、ジルクート・イオンの二人。この二人には聖剣歌の乙女の二人と絆があります。依代と、依代に宿るべき乙女は揃っている状態です。しかし……」
シュヴァリンはフォルツを見た。フォルツは綺麗な横顔を微動だにせずに水面を見つめ、椅子の肘掛に立てかけてある自分の二本の聖剣の見事な装飾を指で弄っている。フォルツが発言を代わる気がないのを見て、シュヴァリンは内心ため息を吐いた。
「二人は最初の任務で戦死したものと思われます。先日、全滅認定がされたのです」
「認定なのだな」
「そうです。認定です。ですので、我ら二人に捜査の任を与えてはいただけないでしょうか。秘術は誰にでも施せるものではありません。スバニアとカンサルタのような絆を結べる若者は少ない」
議員の一人が鼻で嗤った。
「天下のエクエスが若者の恋心を信じて国を空けるとは、いやはや……」しかし、議員は騎士王の変わらない表情を見て言葉尻を窄めた。
騎士王が一つ頷く。
「よかろう。しかし、エクエス二人が出向くとなれば、これは大事であり隠せるものではない。かの者たちが現れる可能性もある」
椅子を引く音とともに、それまで黙っていたフォルツが立ち上がった。
「賢者が出てくれば御の字。世界に戦火をばら撒く元凶を殺すことができるのだから。俺がやることは決まった。金のやりくりや国の威信のことは任せた。いくぞシュヴァリン」
フォルツはそう言うと誰に許可を取るでもなく聖剣を手に持って円卓を後にした。
シュヴァリンは一つため息をついて席を立つと、騎士王に慇懃な礼をしてフォルツの後を追った。
螺旋階段でフォルツに追いついたシュヴァリンは頬の古傷を掻きながら息を吐いた。
「さすがに無礼なのではないか、フォルツ」
見た目は二十代後半の美男子フォルツは、実のところ齢百五十――シュヴァリンよりも八十歳は年上の大先輩だった。しかし、高等学舎に通い始めた十六歳の若者のような行動をすることがある。注意をしても意味がないとわかっていても、シュヴァリンは嗜めずにはいられなかった。
「結果があればいい。あいつらは神経質になりすぎだ。その気になれば、三百歳のあの老いぼれだって戦える。まだ俺よりは強いだろうに、なぜエクエスを必ず国に残したがる。あの老いぼれ、引退するつもりだろう」
「そんなに父親が嫌いか」
フォルツが足を止めて振り返った。壁の狭間の光が青い瞳を透かしている。
「前にも話したはずだ。あの老いぼれを親父だとは思っていない」
「そうだったか?」
フォルツは再び階段を降り始めた。
「十二歳のとき、誕生日の贈り物をしたことがあった。俺が城下町の鍛冶師のもとに通い、隕鉄でお守りを拵えた。隕鉄は流れ星を追って俺が見つけた宝物だったんだが、あいつはそのお守りを目の前で握り潰した。いわく、〝余は世界の劔、父親にあらず〟」
「思い出した。前にそんな話を聞いたが、お前だったか。それで? 急に引退するような無責任なことをする陛下ではない。すでに、次の騎士王候補に打診しているはずだが」
シュヴァリンの言葉に、フォルツは無言だ。
「打診があったのだな」
「あぁ。だが、俺はならない。確かに、戦闘の強さではエクエスの誰をも凌ぐ。しかし、俺は二人と戦場を駆け回っているほうが性に合う」
シュヴァリンがため息を吐いた。
「今回の戦はただのものではない。〈真紅の予言〉が絡んでいることは間違いない。嫌な予感がするのだ」
「嫌な予感? いつからだ?」
「三年前」
二人は赤い絨毯が延々と続く廊下に出ると、はたきで燭台や絵の額縁を掃除している召使い達に目礼した。
「三年前と言ったら、クリマーレの鉄の戦いのときか。賢者が鉄の王達を惑わして内乱を企てた」
「そうだ。だが、アイゼンと私でなんとか止めることができた。その折に賢者は〈真紅の予言〉を告げることなく死んだが……」
フォルツは青い目で鋭くシュヴァリンを一瞥すると、腰の聖剣を見据えた。
「〈真紅の予言〉や戦が不安なのではないな。アシュラムと最後に話したのはいつだ」
シュヴァリンは聖剣アシュラムの十字柄に巻き付く蔦の装飾と、剣の心臓のような大きな橙色の宝石を撫でた。
「三年前……」
こんどはフォルツがため息を吐いた。
「いいかシュヴァリン。城下町の宿の近くには花屋がある。なぜだと思う」
話の流れがわからずにシュヴァリンは眉を顰めた。フォルツが構わず続けた。
「浮気をした夫が花を買うからだ。家に帰ってそれを妻に渡す。妻はなにも知らずに微笑む」
「話が読めないのだが」
「重要なのは、なぜ花を買ったかだ。それは妻への罪悪感からくる。その罪の意識を埋めるために花を買うという行為をする。いわば、一種の愛の行動だ」
「強いて言えば、浮気をやめることが唯一罪に報いる愛の行動ではないか?」
「違いない。しかし、考えてみろ。そんなどうしようもない者でも、妻への罪に報いるために行動する。それが間違っていたとしても行動を起こしている。お前とアシュラムの間になにがあったかは詮索しない。だが、愛は愛するがゆえに存在する。愛することを蔑ろにすれば影を生み、その影は人を腐らせる。愛に苦しみ行動したくなるならそれは抑え、苦しみから逃げてなにもしていないなら、行動しろ。そのどちらか見極め、するべきことをしろ」
シュヴァリンは聖剣アシュラムの橙色の宝石を優しく撫でると頷いた。
「後者だ。恐れてなにもしていない。話かけるのもやめてしまった。助言に感謝する」シュヴァリンは背筋を伸ばした。「ところで、騎士育成候補の二人は生きていると思うか?」
フォルツは考えるように喉を鳴らした。
「カルダリーア丘陵地帯に行ったのであれば、間違いなくドラ=カルダリーアと接触しているだろう。あの部族との戦闘は免れない。死んでいるかもしれないな」
「冷たいな」
「冷たいも温いもない。それに、北にはゲピュラがいる可能性がある。そちらと遭遇したのなら、生きている可能性は低い」
シュヴァリンが眉を顰めた。
「知らないのか。お前は南西の遍歴で忙しかったから仕方ないか。今、ゲピュラ皇国は内部分裂の危機だ。ゲピュラ四世の三人の息子達、あいつらが次の皇帝の座を狙って動いている。あの三人のなかにとんでもない野望を持っている奴がいてな」
「長男のダッパジョーゾ公だな。大胆にもプルッケル自由都市を掌握し世界の交易を牛耳ろうとしている」
フォルツが意味深に笑んだ。
「いや、脳ある鷹は爪隠す。長男ではない。真ん中のカリエント公だ。ああ、いいぞその顔。俺は、あの風来坊のようなカリエント公が北に狙いをつけていると思っていてな。それを調査するためにも北に向かう」フォルツは振り返ると、まるで上官のように尊大な目つきをした。
「そこでだ、育成の件はお前に任せる。なんだ、その顔は。秘術の新たな仕組みを考えたのはほとんどライラとリラと俺だ。育ちすぎた子供の面倒を見る役目はお前だ」
「育ちすぎた子供とは……言い得て妙」
シュヴァリンは、歩くフォルツの背を見て呟いた。




