二十八話
翌日、カンサルタ歌剣院の上級生と下級生の授業内容が変わった。まるで、すべてが準備してあったかのように。
村の五穀豊穰を祈る歌や、人の精神を和らげる歌、民間医療の薬草の煎じ方、童話的な旋律の解釈は一日の中から消えた。
代わりに組まれたのは、赤ノ国の先進医療である神秘医学の体系についての長い講義と実習だった。秘薬の適切な調合手段と配合率、薬草の分布と適切な投与の仕方を学びながら、蛙の解剖から始まる人体構造の学習および解剖と、裂傷と熱傷の応急手当という外科手術だ。
聖剣歌の聖歌は文字通り奇跡を起こし、それは傷の治癒も可能であったが、そのような高位の旋律を施せるのは導師長のような伝説的な歌剣くらいなのだ。
だからこそ、物理的な古風で確実な手段が必要なのだと、手袋とマスクをした医師は乙女達に説明した。
「だいたい、自分の腹から内臓が飛び出そうな人間が、君達の歌を聴くと思うかね? せいぜい自分の血に溺れながら叫ぶのが精一杯だ」
そう言って、医師は手術台の上で開創器で開腹された裸の戦士を指し示した。
「この戦士の死因は腹部大動脈の切断によるショック死だ。だが、見ての通り腹部大動脈に達する前に臓器を切断されている。例え大動脈に達していなくとも、胃と十二指腸の臓器損傷による失血で死んでいただろう。戦場ではこのようなものが多々あるが、臓器に達していても縫合で助けられることもある。戦場では次から次へと患者が送られてくるため、傷の具合を即座に見極めて手術に当たるように」
「そ、それはこういった患者は見捨てなさいということですか先生?」
上級生の一人が恐る恐ると言った様子で訊いた。
「見捨てるわけではない。もとから助からないのだ。この患者を手術台からどかし、助かるかもしれない患者の命を救うことを優先しなさい。判断を誤れば、この患者だけでなく、助かるかもしれない患者を助からない状況に変えてしまう。いいかね」
誰も答えなかった。
「では次の検体を」
運ばれてきた検体の背中には深く傷が走っていた。医師は背中を切開して開くと、開創器で留めて再び講義を始めた。
「これは見事な一太刀だ。肋ごと肺まで達した切り傷だ。スバニア戦士の標準装備は鎖帷子だから、鎖帷子ごと一太刀で断ち切った事になる。このような場合には秘術による作用があったと然り見るのが一般的だ。知っての通り、秘術の力の源はルスである。魔法の源のオルスも同じような性質をもつため、ここではルスとして説明する。よいかな? よろしい。では、ルスは神羅万象を繋ぎ止め、物質を物質たらしめる力のことだが、このルスを秘紋や魔紋を用いて形式的に性質を変えることによってどのような作用をもたらすかわかるかね」
マーシャルは手をあげてから答えた。
「反発作用です。ルスは物質の素であるオスを繋ぎ止める力を持っていますが、術式で性質をかえることで自然由来のルスとは相入れない存在となり反発を起こします」
「その通り。だが、反発はまた一つの性質変化のことであり、私の質問の答えは、相入れない存在が正解ということになる。それを踏まえた上でこの傷を見てみよう。切断された肺の組織が変色しているのがわかるだろうか。剣で切られた場所から侵食するように広がっているこれは、性質変化を受けたルスに、体内のルスが反応して組織が変化してしまった事象だ。ルスを用いたありとあらゆる攻撃的なものは、体内の組織を変えてしまうということを覚えておいて欲しい。このような傷は縫合しても組織による再生は行われず、逆に組織の細胞同士が互いを食い合うようにして組織崩壊が起こる。だが、この侵食された組織を切除後に正しく縫合すれば命を助けられる。いいかね、この傷に対する手術方法を適切に学ぶために神秘医学の体系は理解してくるように。では、今日の授業の本題である縫合の技術的な部分に入ろう」
マーシャルとウィオラはこれらの授業を乾いた地面が貪欲に水を吸い込むように学んでいった。ウィリアムとジルクートからの手紙がこない怒りと不安を、二人は勉学に打ち込んだのだ。
神秘医療体系を学ぶには神秘のことを学ばねばならなかった。世界創造理論からルスとオスにおける宇宙の成り立ち、自然界と魂の関係など、休みの日には図書館に昼食を持ち込んで勉強した。しかし、これは二人に聖剣歌の乙女として聖歌を理解することにも役立っていた。
なかでも二人を魅了したのは、強力な独唱だった。
独唱は個人的な感情を利用して扱う聖歌であり、カンサルタや聖剣になったと言い伝えられる歌剣たちが習得した神秘だった。愛するものへの想いが力となり、聖歌の旋律という術式を通して対象者に作用する。普通の聖歌が周囲の自然に宿るルスを力の源にするのに対して、独唱による聖歌は動物に宿り体内を巡るルス——すなわち生命力であるオルスを力の源とするものだった。
想いの強さが力に繋がることでもある説明にウィオラは歓喜し、マーシャルもこぞって本を引っ張り出しては、旋律と独唱が人体にどう作用するのかを医学的に理解を深めていった。
しかし、この旋律は音の抑揚と旋律に籠められた心情の解釈が難しかった。旋律はその音色を道具として、感情から生まれる力を神秘の力として顕現させる。発音や音を真似できても、歌に籠める感情がどういったものかが分からなければ、聖歌としての力は発揮されない。この感情を解読するには、旋律を刻んだ神のことを調べなければならなかった。神なのか、神と人の子であるアルの誰かなのか、そういったことまで遡って調べねばならず、二人は図書館で夜を明かすことも増えていた。
そんな多忙な日々が過ぎて一ヶ月もしないうちに、聖剣歌の乙女のなかにうっすらと確かに広がる噂があった。
〝戦争に行くことになるかもしれない〟
〝これは、戦争に行くための準備よ〟
〝西では、若い戦士が一日に何百と死んでいる〟
この話は真実だと、マーシャルとウィオラはエクエス=シュヴァリンと導師長の会話から知っていた。
翌朝、聖剣歌の乙女は聖堂に集められた。導師長が来るまでの間、徐々に喧騒が広がり、笑い声が聞こえ始めたところで導師長ロッティリアが聖堂の奥へ続く通路から現れた。さっと声は鎮まり、三百人ほどの乙女の視線が壇上のロッティリアに集まった。
ロッティリアは頭上のステンドグラスの窓から降り注ぐ色とりどりの光を受けながら、聖剣歌の乙女達を見回した。そして、ゆっくりと口を開いた。
それは、西のゲピュラ皇国とスバニア騎士国の戦いの泥沼化を伝えるものだった。アルヴェ大陸有数の軍事力を持つスバニアの騎士団が苦戦を強いられている事実を報されても、聖剣歌の乙女たちの心には遠くの出来事のようで響かなかった。しかし、マーシャルとウィオラは手を揉む気持ちで導師長の話を聞いていた。
乙女達の手応えのない反応を見て、導師長ロッティリアは自分の間違いを心の中で認めた。スバニア騎士国は、騎士道の下に騎士団という武力を派遣し、世界で起こっている戦争を終結させる。エクエスと騎士という人外なる力をもってスバニア騎士国は守られてきた。しかし、それは国民の世界に対する危機感を忘れさせていたのだ。ロッティリア自身、戦争はもう過去のものになり始めていると感じ、聖剣歌の乙女達に戦なき世界に貢献できる人になってもらえるようにと、歌剣院のあり方を少しずつ変えてきた。しかし、ゆっくりと曲げられてきたバネが、今戻ろうとしている。
「今日、これから遥か離れた西の地で、貴女たちの恋人が、弟が、兄が、剣を握って戦場に立つのです。そして、夕方に訪れる戦死者の名に連なっているかもしれないのです。そうなっては欲しくない。その想いがある貴方達だからこそ、不安を感じながらもこのカンサルタ歌剣院に残ったのだと、わたくしは信じています。その信念に、わたくしは報いたいと思います」
ロッティリアは、重ねた手に力を込めた。
「貴女がたはこの短期間で多くのことを学んできてくださいました。ようやく、このカンサルタ歌剣院の乙女たらしめる学びを始めます。戦いの歌を、護りの歌を、支える歌を習得していただきます。適性のある者は個別に独唱の手ほどきを致します。この学びを次の新月まで行い、個人の修得具合に応じて役割を授けたのちに、東の戦地へ向かってもらいます」
聖剣歌の乙女達は誰一人として言葉を発さなかった。たったのひと月後に自分が戦場にいるとは到底考えられなかったのだ。その晩、多くの聖剣歌の乙女達が辺境の歌剣院への配属を求めて各導師の元に訪れた。導師長はこれを認め、翌日、半分近い乙女がカンサルタ歌剣院の門を潜り、王都を去った。
共に過ごした友達が荷物を重たそうに腕に吊り下げながら去っていくのを、マーシャルとウィオラは見送った。




