十六話
「いよいよか」
候補生のベーネが、模擬戦闘の待機中に鈍く光る刃のような声で言った。
その言葉にウィリアムは敢えて気付かないふりをして練習用の鎧の革帯を締め直した。ベーネの言葉は、今から始まる模擬試合の開始を指しているわけではないことは、今朝の週報を読んだ者なら理解できる。
三ヶ月前にプルッケル自由都市に駐屯を始めた騎士団の一個大隊が負傷。数日の内に帰還するという情報が一面の見出しとなっていたのだ。
――仲間がやられた。
ウィリアムも今朝の週報を読んでそう思い怒りを抱いた。父のように王都や村で暮らす人達を守るために故郷を離れて戦う者達が傷つけられている。だからこそ、早く力になりたい。
しかし、ウィリアムは一つ息を吐いて待機中の候補生が漂わせる空気に呑まれないようにした。
「これは模擬戦だ。騎士道に悖る戦い方だけはやめろよベーネ」
ウィリアムは努めて冷静に言ったものの、ベーネは構えを崩してウィリアムに向き合った。
「なんだと? 仲間がやられてるのに黙ってろって言うのか?」
「そうじゃない。騎士道に……」
「〝敵を理解し剣を振るえ。慈悲こそ愛の扉なり〟。教官の言葉は覚えてる。だけどな、ゲピュラ皇国は屑だ。世界を戦火に包みかねないことをしてるんだ。言っても理解できない奴らを平らげるために俺たちスバニア騎士がいる! それが世界の剣だろうが!」
周囲がざわついた。ウィリアムは、周囲に目を走らせるも、そこには複雑な色を湛えた目しかない。そのほとんどが、ベーネの言葉に賛同している。
「ウィリアム。お前は俺がやられてもこれっぽっちも怒りゃしないんだろうが俺は違う。仲間の仇をとってやる」
薄氷のような緊張した空気が流れ、ウィリアムとベーネの周りに少しずつ空間ができ始めていた。ここ三ヶ月、実戦形式の模擬戦闘が増えると同時にこういった諍いが起こる。そして、その予兆に候補生達は敏感になっていた。
「もしも貴様が死んだとしても、私は仇などとらん」
割って入ってきたのはジルクートだった。背の高いベーネの前に進み出て、有無を言わさぬ緑色の瞳で見上げた。
「貴様が命を賭して何かを守ろうとして散ったのであれば、それを守るために私は戦う。己の憎しみを捨てて、貴様が守ろうとした平和を守る。そのために剣も捨てる必要があれば捨てよう」
ジルクートの言葉に、皆が目を落とした。息を荒げていたベーネもなにかを言おうと口をまごつかせたが、結局唇を湿らせただけで目を背けた。
「我々がなぜ騎士道という剣を握ろうと決意したのか、それを思い出してくれ。相手を屠るためだけの剣では、守るべきものを真に守れない」
そういって、ジルクートは笑みの一つも見せずに、割って入ってきたままの冷静な表情のまま持ち場に戻っていった。
それを合図に、皆が空間を埋めて陣形を整えていく。
「ウィリアム、その、なんだ。どうも最近気が立ってな」
ウィリアムは自嘲気味な笑みを刷くベーネに首を振って見せた。
「俺のほうこそ。ベーネの気持ちは痛いほどわかってる。俺はきっとその気持ちから目を逸らそうとしてたのかもしれない」
ウィリアムがちらりと苦笑いを見せると、ベーネは片笑んだ。
「ここにいる奴らは仲間を見捨てるような奴じゃないよな。よし、俺の隣はお前に任せたぜ」
「あぁ、任された」
一日の終わりの束の間の休息。窓の外は暗く、二十歳の二十人の青年が過ごす部屋は賑やかだ。寝台がずらりと縦に並び、足下にある自分の長櫃の蓋を開けっぴろげにしてカード遊びをする者、手紙を書く者、本を読む者。ウィリアムはシャツ姿で寝台に腰掛け、長靴の古い油を落とし、新しい油を染み込ませた綿で磨いていた。
「おい、ウィリアム」
日焼けした顔に浮かべる屈託のない笑み。中肉中背で背が高いベーネだ。
「なぁ、ウィリアム。明日の休みにどうだ、街に降りて一杯引っ掛けようぜ」
ここ最近、候補生の多くが二十歳を迎えて酒を嗜むようになっていた。ベーネもその虜の一人だ。子供のように目を爛々とさせて言うベーネに、ウィリアムは天井を見て逡巡した。
「まぁ、行かないならいいんだけど。だけどなぁ、これが俺の奢りなんだよな」
白い歯を見せるベーネに、ウィリアムは頷いた。
「それは嬉しいけど、今日のこと気にしてんのか?」
ベーネは斜め上を見て「いや、そんなことで悩むかよ」とポケットに手を突っ込むと、「あいつも誘うからな」と部屋の奥の方を見た。奥の寝台には一人で手紙を書いているジルクートがいた。
翌日、ベーネが二人を連れて訪れたのはベーネが兄弟でよく通ったという酒場で、どこにでもありそうな場所だった。六つの四人掛けの卓に低い天井、装飾のない剥き出しの羽目板の壁と、支柱に吊るされた魚油の角灯が店内を薄暗く照らし出している。店主が出迎える仕切り台には六つの止まり木が並び、ベーネは迷わずそこに座ると二人を手招いた。
「ここだここ、そこにいつも母さんと弟二人が座ってたんだ」
ウィリアムとジルクートが腰を下ろした席を目顔で示して、ベーネは楽しそうに目を細める。
「おぉ、ベーネじゃないか! 入剣以来、顔を出さないんだから心配していたぞ」
たくわえた口髭だけを綺麗に捻って整えている店主が、仕切り台から身を乗りださんばかりに太い声で言った。
「バリーさん、ご無沙汰!」
店主バリーは、感嘆とも同情ともつかない息をついてベーネを見つめ、目を瞑るとしんみりと微笑んでグラスを三つ用意した。
「あのベーネが、まさか士官候補生を育てる月剣院とはな」
ベーネが照れ隠しに笑い、二人を手で示した。
「こいつらはジルクートとウィリアム。月剣院の同期なんだよ。どっちも優秀なんだぜ」
紹介された二人はそれぞれ目で会釈すると、出されたグラスを手にとった。
「ベーネが友達を連れてくるなんて珍しい。ベーネは昔、うちに品を下ろす商人の下で働いててな。よくおっかさんと弟を連れてきてたんだ。入剣以来ぽっきり姿を見せないもんで心配してたんだ」
店主がグラスに黄金色の蒸留酒を注ぐと、周囲を一瞥して小皿に砂糖漬けの小ぶりな果物を出した。
「俺からのもてなしだ。これからも、頑張れよ未来の騎士たちよ」
微笑んだバリーは口髭の先をちょんと弄って仕事に戻っていった。
ウィリアムはグラスに口をつけて顔を顰めた。蒸留酒は味もへったくりもない。
「ベーネは兄弟がいたんだな」
「弟が二人だな。歳はさほど変わらないんだけどな。お前は?」
「俺はいない」
砂糖漬けの果物を口に運ぼうとしていたジルクートは、二人の視線に気がついて手を止めた。
「私にもいない」
砂糖漬けの果物を口に入れたジルクートは満足そうに頷いた。
「そうかそうか。いつかお前たちにも紹介する時が来るかもな。ファインは無礼だが度胸があるやつで、ノットはまぁ頼りないが優しいやつだ」
ジルクートはグラスを傾けて、表情を変えずに嗜む。
「いつか皆で卓を囲もう。それで、ウィリアム、父上のご容態は?」
ジルクートの言葉に、ベーネも砂糖漬け果実のつまみを口に放り込みながらウィリアムを見た。
「一年前のプルッケル防衛で負傷してからは故郷にいる。騎士団を退団したけど従士のままだから、故郷じゃちょっと鼻を高くしてるらしい。どうせ酒場で下品な吟遊詩人みたいに武勇伝でも語ってるだろうな。ベーネは?」
ベーネが初めて苦い笑みを浮かべた。店主バリーに豚の塩漬けを頼んでから、宙を見上げて思い出すように指で卓を叩いた。
「ざっと十年前か。酒好きで子供を殴るのが生きがいな親父の元から着のみ着のまま逃げ出した。あいつのことなんか知ったこっちゃない。あ、あーそういう目はするなお前ら同情なんか糞食らえだ。俺はこの選択に誇りを持ってる。母さんが逃げる覚悟を決めてくれなきゃ俺は今ごろ父親殺しで村八分にあってどこかでのたれ死んでる。そうならずになったのは母さんのおかげだ。父親なんぞいなくてもなんとかなる。父親以上に世間は冷たいからな」
沈黙を埋めるかのように、ベーネは豚の塩漬けを手で食べて、「うまい!」とバリーに声をかける。
「そうか。では、家のために騎士を目指そうとして月剣院に入剣したのか?」
ジルクートの問いに、ベーネは塩漬けの豚を酒で飲み込みながら頷いた。
「戦士には簡単になれる。学舎を卒業して入団すればな。俺は健康なうえに動きも速くて腕力もある、それに美男子だ。なんだその顔? 戦士になっても、隊長くらいにならないと家族に余裕ある生活はさせられない。だから、士官に一番早く上がれる月剣院に入剣した」
「入剣も楽ではない。入学金、学舎の卒業成績、試験……」
ジルクートがグラスを傾けて言葉を切ると、ベーネが鼻に皺を寄せて身を仰け反らせた。
「おい、不正なんかしてないぞ。母さんと弟たち、俺の財布の底を叩いて入学金はどうにかした。後は俺の実力と少々の運だ」
「別に疑ってはいない。ウィリアムはなぜ入剣した」ジルクートはグラスを呷る。
ウィリアムは二人のやりとりに笑いながら腕を組んで天井の梁を見上げた。
「俺は親父の負傷が決め手だった。親父のように人のために命を懸ける者が怪我をして、守られている者は守られていることを忘れて自分のことばかりを考える。俺は後者の人間だった。それに気がついて、すごく嫌だったんだ。なにもしていない自分が。だから、今度は俺が親父の変わりに故郷を、家族を守るって決めた。だからだ」
ウィリアムは自嘲するように鼻で笑った。「世界を守る騎士に聞かれたら鼻で笑われそうだよな」
「まぁ、いいんじゃないか? 俺だって家族のためだ。正直、愛国心なんてのはよくわからない。俺は家族と手を取り合って生き残ってきた。世界を救うだなんてでかいこと、俺にはよくわからん。みんな自分の周りのことで精一杯だろ。理由はなんであれ、恨みつらみを果たすべく剣を振るわなければ立派な騎士道精神から外れることはない」ベーネは腕を組んだまま、挑戦的な笑みをジルクートに向ける。「それで、騎士の息子さんはどのような理由で?」
ジルクートが大きくため息をついたので、ウィリアムとベーネは珍しいものでも見たように首を引いた。ジルクートの頬が赤い。ベーネのぶんの砂糖漬け果物を頬張ると、咀嚼しながら二人にまるで父親が息子に教訓を教えるように指を立てた。
「騎士は、我々は世界の騎士だ。私情で剣を握ることになっても、騎士道を歩む。動機はなんであれ、世界のために、剣を、振るう。そう、それだ。貴様の言う通りだ」
ウィリアムはベーネと刹那の視線を交わすと、堪えるように口元に手をやって、真剣な面持ちをする。
「しかしだ! 諸君が思っているほど私は優れていない。騎士の息子、騎士の息子とずっと言われてきた。別に悪い気はしない。むしろ気が引き締まる思いだ。私が、まだ引き篭もりだったころ、多忙な騎士である父上が、私のために任を辞退して時間を割いてくれた。一家の面目、騎士としての手本、世間の目。それらに恐れず、父は私への愛を貫いてくれた。ただそれに報いたい、そんな子供染みた動機なのだ」
ジルクートが、バリーにもう指を一本立てる。すぐにやってきたグラスを顔の前で掲げて、目を細める。
「騎士道は愛することそのもので、それは茨の道、苦しみである。愛があるゆえに苦しみがある。父の行いは騎士道そのものだった。だからこそ今でも騎士でいる。父へは愛よりも尊敬が強い。ならば、私はなにに愛を見出せばよい? 決まっている、スバニアがカンサルタを愛したように、愛する女性を見つければいい。だが、私は……」
ジルクートは、憐憫に湿った視線をグラスに落とすと一気に呷った。目を瞠いてから顔を顰めると、バリーに指を一本立てる。
「いや、もうやめておけよジルクート。それ以上は」
ウィリアムがそう言いつつも、バリーが笑いながらグラスに注ぐ。
「まぁいいじゃないか。バリー俺にも!」
ウィリアムはジルクートのグラスを横から攫うと、それを一気に飲み干した。
ジルクートが、長年の仇でも見るような形相を浮かべてウィリアムを指差し、止まり木から腰を浮かせてよれよれと立ち上がった。
「貴様、よくも私の酒を! 私も男だ。これしきのことでは屈しない。そうだ、一通くらいの失敗で、私は挫けない」
ウィリアムは顔全体を手で拭うと、近づいてくるジルクートの肩越しにベーネに話しかける。
「だめだベーネ。完全に酔っ払ってる」
「いや待て、今一通って言った」ベーネが興奮したように立ち上がり、ジルクートの肩を掴む。「急に女の話になって手紙の話となりゃ一つしかないよな? 前から怪しいと思ってたんだ。こいつ、手紙を書いてる時に近づくと肉にがっついてる犬みたいに警戒するんだぞ」
聞き捨てならない。ウィリアムもジルクートの肩を掴んで、真っ赤な顔を覗き込んだ。
「女なのか、ジルクート?」
ジルクートが目を険しくしてしゃっくりをした。
「私は、想いを、二年以上も、抱き続けた。そして、したためた。どれだけ想っているかを、したためた。この前、ようやく、初めて、手紙を出した」
「まさか、あんだけ書いてたのに、二年分のことをだらだらと一通に?」ベーネが眉を片方だけあげると、深く息をついた。「それは、駄目だなジルクート。まったくもってなってない。長い手紙なんてのは子守唄がないときに読むもんだ。いいか、女には情熱で押すんだ。心は目に宿る、そして声にも。いいか、今からでも歌剣院の前に言ってその女の名前を叫ぶんだ。愛を叫ぶんだ。男なら誰だってそうする」
「私は、だめだ……」
いつも磨かれた剣のようなジルクートからは想像できない、濡れた紙の剣のような姿にベーネが意地悪い笑みを見せた。。
「これは足りてないな。理性という名の臆病な鎖に縛られてる。バリー! 今日は飲む!」
「おい、ベーネ煽るな」
「いや! 私も男だ!」
バリーはグラスを拭きながら快活な声で応えると、グラスを三つ並べて流れるように注ぐ。ウィリアムとベーネはグラスを片手に、ジルクートを両方から支えた。ジルクートは一人で立てると言いつつ、グラスを受け取るとウィリアムの方へ倒れ込みそうになった。
三人は琥珀色に満たされたグラスに、一瞬目を落とす。
「愛を叫びに行くぞ! 俺たちの初陣だ!」
ジルクートが不思議そうにベーネを見上げた。そして決意したように目に力を湛えてグラスを掲げた。
「初陣か、悪くない。貴様らと、我が、騎士道に」
「まったく、これで最後だからな!」
三人は、一気にグラスを呷った。




