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Belief of Soul〜薔薇の棘〜  作者: 彗暉
第三章
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十一話

 ウィリアムがマーシャルの背中を見つけたのは、港の外れにある倉庫の前だった。

「手伝うよ」

 ウィリアムは後ろから桶を持つと、暴漢でも見るような目でマーシャルが振り向くので思わず手を放してしまった。

 桶が倒れて水が流れてしまい、それに気がついたマーシャルがこれでもかというほど眉を落とした。

「ごめん、こんなつもりじゃなかった」

 ウィリアムは桶を手に取ると井戸に向かっって走り始めた。

「ちょっと待って! わたしの仕事なの。わたしがやらないといけないの」

「ただの水汲みじゃないか。これは俺がやるよ。こぼしたのは俺だし」

 マーシャルは首を振ると、しきりに倉庫の方を気にしながら、スカートの裾を上げて走り寄ってきた。

「なら、わたしもいく」

 ウィリアムは、一輪の薔薇を差し出す。

「これ、さっきの男の人が。忘れてったろ」

「忘れたわけじゃないわ」マーシャルは薔薇を受け取らずに、ウィリアムの手から桶をとった。

「わたしは受け取れない」

 ウィリアムが首を傾げるのを見たマーシャルが俯き、三つ編みが垂れた。

「わたしは本当になにをやっても駄目。あの騎士風の人は、薔薇の棘はなにかを傷つけてしまうけど、それがあってこそ薔薇で、美しいって言ったんだと思うの。わたしは、なにをやっても駄目ばかりで、人に迷惑しかかけられない」

 マーシャルは、ウィリアムが持つ薔薇に目を向ける。

「わたしはそうは思えないから、受け取れない」

 ウィリアムは首の後ろを掻いて、確かになと呟いた。

「君、マーシャルっていうんだろう? この前は名前も言わずに行っちゃったから」

「ああいうところよ、わたしが言ったのは。洗濯物をしても、乾かした後に地面に落としちゃったり、厩舎の藁を敷き直しても、水桶の入れ替えで藁を濡らしちゃったり、どれだけ気を付けていてもそういうことをしちゃうの」

「そんな小さな失敗、誰だってある」

「ないわ」

 マーシャルの棘のある声に、ウィリアムは苦い笑みを見せる。

「君は王都に家族はいるの?」

 マーシャルは首を振る。

「王都には一人よ。運が良くて、人に紹介してもらって王都に来たの。二年前まで、南の港町サシアにいたの」

 ウィリアムは、なにかを思い出したかのように眉を跳ねさせる。

「たしか、有名な劇団、サシアネッタがあるところだろ?」

「知ってるの?」

 マーシャルが驚いた顔をするので、ウィリアムは微笑した。

「授業で出てたよ。神秘の力を式にして記す秘術を施した人形を使う、スバニア騎士国有数の劇団だって、たしかそんな感じだった」

 マーシャルは「へぇ」と感嘆を洩らすと、再び俯いた。

「授業中は眠くて眠くて、わたし試験も駄目駄目で……」

「俺も、今回は全部解けなかったよ」

「あなたみたいな人でも?」

 マーシャルは、ウィリアムの身なりに目を走らせながらそう言う。

「いや、俺は、本当は田舎の出身なんだ。親父が従士で、親父に暮らしのことは全部面倒見てもらってて、俺なんか本当にたいしたことない」

 マーシャルはなにも言わなかった。

「だから、君はすごいなって。君の失敗なんか取るに足らないって思うんだ。一人で王都に来て、仕事もしてる。俺、全部親父に面倒見てもらってるくせに、王都での暮らしに嫌気がさしてる。自分でここに来るって決めたのに、君はすごいよ」

 マーシャルが足を止めてウィリアムを見上げた。ウィリアムはマーシャルの自分の中になにかを見るような視線を受け止めて、首の後ろをさする。

「気を悪くさせたなら、ごめん。それと、さっきはごめん。止められなくて」

 マーシャルは見てきた井戸に近づきながら首を振った。

「いま、あなたが言った王都での暮らしに嫌気がさしてるって言葉、すごく共感しちゃったの」井戸の滑車を回しながら、マーシャルは続ける。「いやよね、自分が望んだくせにって思うわよね。昔ね、友達に――サシアネッタの劇団の娘なんだけど――言われたの。〝今の自分を土台にするために踏みつけるのはいい。だけど、あなたがしてるのは、自分を傷つけて自分を慰めてるだけ。謙虚でもなんでもない、ただの自己憐憫よ〟って」

 ウィリアムは、マーシャルが引いている滑車の綱を代わりに引く。

「その娘さんはしっかりしてるんだな」

 マーシャルが頷く。

「今、あの言葉の意味がわかったわ。わたしは、自分ができないことを理由にして、進もうとしない自分を可愛がってるんだって」

 マーシャルの目には力が宿っていた。その目を見たウィリアムは、マーシャルがなにかを決意しているのを理解し、同時に自分の中でもなにかが固まり始めているのを感じていた。桶に水を満たすと、それがようやく言葉となった。

「俺は今の状態に不満を抱いてる。自分はここに来るべきじゃなかったって。戦士や騎士の息子たちと稽古をしていて、骨に沁みて感じるんだ。だけど、足らない自分を正当化したくて、周りに負ける理由を考えてただけんだってわかったよ」

 ウィリアムは桶を持つと、マーシャルに向き直った。

「俺はまだ、なにもしてないんだ」

 マーシャルは微笑んだ。

「わたしも、なにもしてない。だから……」

 マーシャルは、ウィリアムの手から桶を取る。両腕で吊るすように持ってウィリアムを見上げる。

「まずは、これをしっかりこなすわ」

 ウィリアムは微笑み返すと、薔薇をひらひらさせた。

「この薔薇は君に送られたんだ。今日の記念に持っておかなくていいのか」

 マーシャルはゆっくりと首を振った。

「まだ、もらえない。もらえるほど、わたしはなにかをしたわけじゃないから」

 マーシャルは気合をいれるように息を吸うと、桶を持つ。

「それに、わたしはもっと薄い色が好き。桃色の薔薇」

 そう微笑んだマーシャルは坂の方へ足を向けた。

 ウィリアムは手の薔薇を見つめる。

「なら、俺がもらっておく」

 背中を向けたマーシャルが、ふと振り返った。

「あなた、名前は?」

「ウィリアム。ウィリアム・ダーリア」

「またね、ウィリアム」

 マーシャルはそう言って坂を下り見えなくなった。

 マーシャルの背中を見送ったウィリアムは、帰路の途中でなにかに気が付いたように足を止めて、後ろ首を掻いて苦笑した。

(ありがとうって言い忘れてるじゃないか)

 次会うときは桃色の薔薇を持って会いに行こう。ウィリアムは薔薇を胸ポケットに挿して帰路を走った。

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