十二話
ウィリアムが家に帰ると、玄関に入り口にジョンの部下であるジンダジスがいた。
一年前に、ジョンが遠征に行くときについていった部下だった。ジョンとは仲がよく、タロエ町出身だとウィリアムは聞いていたので、よく覚えていた。
しかし、体格のよい体にあった太い腕の片方がない。ジンダジスがきているということは、父も帰っているはずだ。ウィリアムは、ジンダジスに走り寄った。
「ジンダジスのおじさん」
振り返ったジンダジスは幾分かやつれて見えたが、目は父に引けをとらないほどにわかわかしい光があった。
「ウィリアムか! 一年ですっかり男になったな!」
ウィリアムは、ジンダジスの空虚な左の袖から、どうしても目が離せないでいた。
残っている肩から肘までを動かして、ジンダジスは快活に笑った。
「利き腕でなくても結構不憫なもんだ。どうせならもう片方もくれてやればよかったかもな」
さすがに笑えない、そう思いながらもウィリアムは笑みに同情を含む。
「親父も、帰ってきたんですか?」
ジンダジスの笑みに雲がかかった。ジンダジスの揺れる左腕の袖を見て、ウィリアムは声を低くした。
「なにか、あったんですか?」
「それがな……」
聖剣歌の歌剣院のカンサルタには、治療院もある。外科では治せないものを、歌による神秘の力で癒すのだった。しかし、これに頼ることは畢竟、最終的な施しを意味する。
ジョンがそこに運ばれたと知って、ウィリアムは冷や汗と足の感覚がないままカンサルタに辿り着いた。
ジンダジスはウィリアムに話し掛けていたが、そのどれもウィリアムの耳には入っていなかった。
窓口の前に手を突いて、ウィリアムは切れる息を抑えることもせずに、
「クルシュバリン、ジョン・ダーリアは、今どこに」
ウィリアムは、受付の女が捲る患者の名前が記されているのだろう帳面を食い入るように見つめた。
突然、肩を掴まれて、煩わしそうに振り向くと、そこには初老の男が立っていた。聖剣歌の長衣を纏っている。
「クルシュヴァリンと申したかな? ならば君があの従士の息子ウィリアム君かな?」
「はい。俺がウィリアムです。父さんは今どこに?」
ウィリアムの押しかけるような様相に、初老の男は柔らかな皺を深めてウィリアムを壁付近に連れてくると口を開いた。
「ジョンは意識を取り止めた。だから安心しなさい」初老の男は、ジンダジスの腕を見てから咎めるように目を見据える。「お前さんも、まだ安静にしておらねばならぬと言っただろうに」
「導師さん、俺はいち早くこいつに伝えなくちゃならなかったんだ。わかってくれ。ジョンもそれを望んでた」
仕方がないといった様子で導師は頷くと、二人をジョンが休んでいる病室へと連れて行った。
「導師?」
廊下を歩くウィリアムは、ジンダジスに尋ねた。
「そう、導師だ。聖剣歌にも騎士団のように階級がある。その一番上の指導にあたる方を導師って言うんだ」
「聖剣歌の乙女っていうくらいですよね。男もいるんですか」
「そりゃいるだろう。歌を歌うのは女だけじゃないんだ」
たしかに、とウィリアムは思ったが、聖剣歌の起源は、戦士スバニアの恋人だったカンサルタが神によって剣に変えられ、歌の神秘をもって戦士スバニアを助けたことから、聖剣歌では歌による神秘を継承してきた。朝の祈りでも、歌うのは女だけだ。
その疑問に答えるかのように、導師が肩越しに振り返る。
「愛するという心にある壁はなんだと思うかね」
ウィリアムは首を傾げた。
「思考だ。愛することに、男だとか女だとかは関係ないのだよ。だから、聖剣歌では歌が好きで人のためになにかを成したいと思う男も受け入れられるのだよ」
導師は病室の前で足を止めて、ここだといって去っていった。ウィリアムは導師の背中に礼をすると、病室の戸を開けた。
室内は窓が閉じられて暖かかった。寝台が六つ、左右に三つずつ並んでいて、薄い布で仕切ってあった。
ウィリアムはジンダジスが目で示した寝台に行き、そこに静かに寝息を立てているジョンを見てしばらく佇んだ。
そっと寝台に手を置くが、ジョンの分厚い手を見つめるだけで、握ることができなかった。
「親父、俺だよ、ウィリアムだ」
静まり返った病室には、その掠れ声すらよく響いた。
ウィリアムは、表情の変わらない父親の顔を見て、遅れてやってきたものに胸を詰まらせて顔を歪めた。
ジンダジスがウィリアムの肩を軽く叩き、病室の外を顎で示した。
「おいジョン、また息子を連れてきてやるから、次は顔洗って待ってろよ」
カンサルタから出ると、二人は陽射しがよくあたる通りの椅子に腰を下ろした。眺望のよいそこは、南側の城下町が一望できた。
「ジョンは、あいつはもう歩けないらしい」
ウィリアムはジンダジスを振り返る。
「神秘を使っても、それは無理だと治療の前に言っててな。意識を取り戻したってことはあいつもそれは知ってるだろうよ。そんな同情してやるな。覚えておけ、戦士に同情だけはするな」
「だけど、俺、親父のことをなにも知らないで勝手なやつだって思ったままだった」
ジンダジスが哄笑を城下町に響かせるようにするものだから、ウィリアムは怪訝な目でジンダジスを見やる。
「ジョンは勝手なやつだよ。部下の俺たちは大変だったもんよ。ボスオン砂漠での霊獣との戦いのときは、ほんとに死ぬかと思った」
ジンダジスは、足下に目を落とし笑みを消すと、「すまねぇ」とウィリアムと向き直った。
「ジョンが怪我したのは、俺を庇ってだ。俺が無理な戦いをしたばっかりにあいつは」
ウィリアムは、片方だけの拳を親指で撫でるジンダジスの姿を見て、大男がこんなにも揺らぎを湛えることがあるのかと、咄嗟に肩に手を乗せていた。
「ジンダジスさんは悪くない。それに、さっき教えてくれたじゃないですか。同情はするなって」
ジンダジスは、力無い笑みで更に項垂れると、城下町に目を移す。
「あいつみたいな奴が世界をよくするんだ。それなのに、俺みたいなどうしようもない奴がなんだって……」
ウィリアムは、ジンダジスの言葉に目が覚めたような気がした。ジンダジスの視線を追うように城下町を見る。しかし、そこに見るのは小麦畑。スミー、アルト、テーレ、母、祖父が暮らすタロエだった。
「あいつはさ、世界の端で意味もなく戦に巻き込まれる人たちがいることが許せないって言ってたんだぞ。それに情熱を傾けられるあいつが、なんで動けなくなるんだ?」
ウィリアムは立ち上がり、険しい目で城下町に映す故郷と父の想いを見つめる。
「俺は、親父のことをほとんど知らない。それでも、ジンダジスさんにそこまで慕われて人を動かす親父が、家族や人のために生きてたのは知ってる。俺みたいな奴が親父みたいな人に助けられてるんだ。だから、今度は俺が親父を広めるんだ。今まで、ずっと戦ってきた親父に、俺ができるのはそれだ」
ウィリアムは、青空に向かって一つ哄笑する。
「俺は、やっぱり戦士になる」
なにを迷っていたんだろう。まだ俺は一歩も進んでないんだ。マーシャルがそのことを見せてくれた。そして、マーシャルは進む決意をしていた。




