第70話『Relationships Like Sisters』特別な関係
裕貴と隆二から、アレックスは打ち上げにも出ないで帰る事を知らされた葉月は、二人をそこに残したままステージに向かって走り出した。
舞台の下の空間もくまなく探すが、化粧室や衣装室にも姿はない。
階段を一気にかけ上って、ついさっきまで彼らが熱い演奏を繰り広げていたステージに上がった。
そこには仄かな熱気が残っていて、葉月の動悸を更に上昇させる。
暗く、ステージもアリーナまでの空間も、夜の海のように見えた。
ピアノのそばに、ようやくその姿を確認して、葉月は掛け寄った。
「アレックスさん!」
「葉月……」
アレックスはほんの少し戸惑った顔をしてから、笑顔を見せた。
「なんでこんなとこまでわざわざ? 何しに来たのよ」
「アレックスさんを探しに来たに決まってるじゃないですか!」
「なんでまた……」
「黙って帰るつもりだったんですか?」
少しむくれた葉月の顔を一瞥して、アレックスは涼しい顔で言う。
「やだ、なんでバレたの。あ、どうせまたユウキでしょ?」
「どうしてこんな急いで帰るんですか」
「仕事があるのよ」
「レコーディングですよね?」
アレックスは意味深な笑みを浮かべて声のトーンを上げた。
「あらぁ、それだけじゃないわよ! 化粧が濃くて27CM以上のハイヒールを履いた低い声でいらっしゃいませーって言う人間がわんさか居てさ、時にはきらびやかなショータイムが……」
「そ、それってまさか……」
「葉月、あんたも遊びに来てみる? 人生観変わるかもよ!」
「いや……私は……」
アレックスの口元が緩んだ。
「待って……あんたのその顔……」
「あの……それって……アレックスさんが経営してるんですか?」
アレックスはブッと吹くと、一気に笑いだした。
「あははは、やっぱり天然ちゃんは面白いわね」
「アレックスさん……?」
アレックスは葉月にぐんと近付くと、その顎をくいっとつかんで自分に近づけた。
「アンタね、アタシの演奏を聴いてた? アタシはオカマである前にピアニストよ! 下らない冗談を真に受けないの! オカマバーの経営者だなんて! そんなの信じる? ホントに……アンタ、面白すぎる……あははは」
「もう……からかわないで下さいよぉ、アレックスさん!」
「あーあ、ホント、そのキレイな天然頭に、これからも色んなこと教えてあげたいケドね。アタシみたいな “さすらいのサポメン” はね、正式メンバーよりもずっと忙しいのよ。アタシのピアノ入れを待っているアーティストが何人もいるわけ! そうね、アンタが知ってそうなところで言うと、『カレリア』『ネクストエッジ』『貴島有栖』『Little Ants』それから『雅』あとは『KU-Trainのチャ・ドンミ』とかか?」
「ええっ! ちょっと待ってください、ほとんど私のスマホにダウンロードしてる曲ですけど……」
「じゃあ、その耳かっぽじってよく聞きなさい! アタシの華麗なピアノが入っているはずだから」
「凄い……」
「サポメンてね、一つの事が終わったら次に切り替えなきゃいけないの。だからアタシは基本、打ち上げには出ない主義なのよ」
「じゃあ、どうして先に帰ること、私に言ってくれないんですか?」
「今言った通りよ。切り替えが必要だから。もう次に頭も演奏も向けなきゃいけないの。一つ終われば前を向いて走り出すのよ。今回は……いつもと違ったわ。このバンドの進化を十分感じたしね。ここでまたアタシに新たな課題が課されたような気もしたから、この気持ちをフラットなまま持って帰ろうって、そう思ったのよ」
「でも、それにしても私にはちゃんと話して欲しかったです」
「今回ね、一番アタシ自身に影響を与えたのは……それはアンタなの」
「私? どうしてですか?」
「アンタみたいな子に、アタシさぁ、うしろ髪ひかれちゃったのよね! ドライな性格で有名なのに!」
「アレックスさん……」
「それそれ、そんな捨て猫のようなアンタの目を見たら、帰るのがやんなっちゃうかなと思ってさ。帰る車で完璧にリセットしなきゃいけないのに、アンタがチラつきそうだった。でも……もう遅いわね」
「アレックスさん!」
そう言って葉月はアレックスの側に歩み寄った。
「もう! だから嫌なのよね。アタシ、ペットショップに絶対に入んないもん。なんか寂しくなるからさ。まさか、『エタボ』で子犬に遭遇するとは……こういうの、苦手なのにアタシ……」
アレックスは観念したように、しっかりと葉月を抱きしめた。
「いい子にしてなさい。悪い男に捕まっちゃダメよ!アンタbのことはこれからもリュウジからガッチリ、リサーチする事にするわ!」
「リサーチ? どういう事ですか、それ?」
「あと! こうなったついでに、アンタに一つ お願いごと、しようかな」
アレックスは葉月の両肩をがしっと掴んだ。
「何です? 何でも言ってください!」
「もう……そうやってすぐ安請け合いするんだから! ホント心配なんだけど」
「すみません……」
「アタシがするお願いは、簡単なことかどうかわからない。アタシがお願いすることで、葉月が複雑にならないことを祈るけど……」
「いったい……何のことですか?」
「リュウジのことよ」
「え? リュウジさんのことを、私にお願いするって……」
「アタシたちサポメン同士、通じるものがあるって話したでしょ? 形は違うけど、リュウジの葛藤がアタシにはすごくわかるの。アタシもリュウジもまだ正解は見つけてない。突き詰めることから逃げるようにサポートメンバーとして、とりあえずやり過ごしてる部分も少なからずあるの。ねぇ葉月、もし彼が悩んだら、アンタの判断を信じて、思うように言葉にして彼に言ってみてくれない?」
「私がですか?! そんな責任重大な事、私なんかが言っていいんですか?」
「そうね……例えば今、アンタがリュウジに、 “この先一体どんな言葉をかけるのか” ナンテ事は、今の段階では想像できないでしょう?」
「ええ、できないです」
「でも、大事な何かを知った時に、その瞬間に心に浮かぶ言葉って、絶対あるのよね。もちろん相手を思って出てくる気持ちね。アタシはね、その時にアンタから出る言葉を信じて、口にして彼に伝えて欲しいと思ってるの」
「アレックスさん、どうしてですか? なぜ私の事をそんなに信用してくれるんですか?」
「分からない……正直、ハタチそこそこの小娘に、人生変わるような事を言われることが、成人男子にとって、客観的に見れば良いことではないことぐらいアタシにだって想像できるけど……でもさ、アンタは違う。ただのハタチの小娘じゃないわ。アンタの言葉がリュウジの支えになる日が来るような気がしてならない」
「私なんかが……ですか?」
「占い師じゃないし、この予言が当たるかどうかは分からないけど、アタシのインスピレーション、意外とバカにできないのよ。アンタにはそれを感じたの。だからアタシにとってアンタは特別になった……もちろん、趣味が合うとか、昔飼ってた犬に似てるとか? 危なっかしい可愛い子ちゃんって思ってるのは本当だけどね」
「アレックスさん……」
「できればウチでアンタを飼いたいけど、毎日帰って来て、玄関先でアンタがクンクン鳴いてちゃあねぇ……」
二人顔を見合わせて笑った。
「あら、わりと想像できるわね。可愛い首輪を買ってあげようかしら!」
「もう! アレックスさん!」
「ありがとう葉月、ここに話しをしに来てくれて。今、アタシの中で見えたわ。アンタとは長い付き合いになりそう。これからもきっと、会えるわね。さあ、おいで」
そう言ってアレックスは両手を大きく開いた。
葉月はその胸に飛び込んだ。
「ああ……このまま持って帰りたい。でも葉月、リュウジのこと、アンタに頼んだけど、基本的にリュウジはアタシのオトコだからね! ……なによアンタ! めちゃめちゃ笑ってるけど、意外と冗談でもないんだから!」
「え! そうなんですか」
パッと顔を上げた葉月を見て、アレックスがまた笑い出す。
「あはは、アンタになら任せられるわね! それはそうと、アンタってさ、いつもつまんないことに悩んでるじゃない? 何か困ったらいつでも連絡してきなさいよ。早朝でも夜中でも、本当に会いに来てもかまわないから。とにかく連絡してきて。くだらない気を遣ったりしたら承知しないからね!」
「アレックスさん、ありがとうございます」
「じゃあアタシ、このまま帰るね」
「え、メンバーには?」
「彼らとは付き合いが長いのよ。わかってくれてる」
「じゃあ私、車まで送りますから」
「いいわよそんなことしなくて。もうライブが終わったら、スタッフしなくていいのよ」
「スタッフのつもりでなんて言ってません……お姉ちゃんとの……別れを惜しんでるだけで……」
「もう! アンタってば! 可愛いいんだから!」
そう言って肩を組みながら駐車場まで行く。
「変な感じ! 今回の一番の収穫が “妹ができたこと” とは。アタシらしくなくて、なんかヤダ」
そう言って笑いながら、スタイリッシュなスポーツカーに滑るように乗り込んだ。
「アレックスさんの荷物は?」
「ここに積んである」
「え? それだけ?」
「さすらいのサポートメンバーは道具を持たないの!」
「なんか、かっこいいですね!」
「それって、男として褒めてるの?」
「あ……私ももう、どっちかわかんないです」
「あははは、ホントに。この正直者!」
「すみません」
「じゃあね。約束はしないけど、でもそんなに遠くないうちにアンタには会える。間違いなくね!」
そう言ってエンジン音を高らかにふかせ、アレックスは去っていった。
見えなくなるまで見守っている葉月の頬に、涙が一滴こぼれた落ちた。
涙をふいてからくるりと振り向くと、そこに裕貴が立っていた。
「ユウキ……」
「しっかりお別れはできた?」
「うん、でもめちゃめちゃ寂しい」
「だろうね。アレックスさんと葉月の急接近ぶりは、これまでに見たことがないくらいの展開だったから、ボクもびっくりしたよ。これがもし男と女だったら恋に落ちるっていう典型的展開なのかなってさ。ああ、一応本当は男と女だけど」
涙をこぼしながらも葉月が笑った。
「葉月! 泣いてなんかいられないよ。今から怒涛の打ち上げだぞ!」
「ど、怒涛の打ち上げ?!」
「ああ、盛り上がった行く末はどうなることか……まあすこぶる楽しいことは間違いないし、今日、また新たなインスタが上がるかもしれないしね!」
「あーそれ! 今日またハヤトさん、仕掛けられちゃうのかな?」
「それって心配してるんじゃなくて、楽しみでウズウズしてる感じでちゃってるよね?」
「ヤバい! 本人の前でバレないようにしなきゃ!」
「葉月、今夜は何気に素直だね? 気をつけろよ。さあ戻ろう、そろそろ移動が始まる。ボクたちは一旦ペントハウスに戻ってから合宿所に行くよ」
「ホントに合宿所で打ち上げ、やるのね?」
「まあ、短時間だとは思うけどね、一般スタッフのねぎらいも兼ねてたから。その後またペントハウスに戻るかどうかはその時の雰囲気次第だろうな。葉月はとりあえず合宿所戻って翼たちと合流してから支度して待ってて」
「分かった!」
「あと……気をつけること はわかってるよね?」
「うん、人前でのメンバーとの距離感だよね?」
「まあ、一緒にバスケやったりしてるし、翼達とつるんでるから、あまり神経質にならなくても大丈夫だと思うよ。まぁとにかく、打ち上げを楽しんで!」
「うん、分かった!」
楽屋に戻ると、キラが歩み寄ってきた。
葉月にはまだ緊張感が残っている。
「葉月ちゃん、いなくなるから心配したよ。どっかのオトコにかっさらわれてかと思ったら、ユウキかよ、なーんだ」
ユウキは平然と切り返す。
「いや、本当にかっさらわれそうになってましたよ、オトコに!」
「そうなの?」
リュウジも後ろから来て話を聞いていた。
「ええ、すっごいイケメンの男に!」
葉月が笑いながら口を挟む。
「アレックスさんと話してて」
「はぁ!? なんだよ! アレクかよ」
「いやいや、ただならぬ雰囲気でしたよ! アレックスさん、葉月のこと "家で飼いたい" って言ってましたもん」
後ろで颯斗が笑い転げる。
「あはは! めっちゃ言いそう!」
第70話『Relationships Like Sisters』 特別な関係 ー終ー




