第65話『A Breath Of Fresh Air』新しい風を感じて
柊馬の思いの丈を聞けた葉月は、その心温まる話にすっかり幸せな気分なりながら、足取りも軽く、ステージ脇へと向かった。
今日はいくつかのアーティストをじっくり見られたが、どれも個性が光っていてとても良かった。
あらゆるサウンドに浸れるフェスは、まさに音楽の祭典だと思った。
ステージそで内に貼り出してある、大きなタイムテーブルを見る。
「ん? 『E・T』って? 何の略だろう?」
そう呟くと、すぐ後ろから声がして驚いた。
「EGOIC TIMES」
その声に振り向くと、アコースティックギターを小脇に抱えた長身の男性が立っていた。
無雑作な髪で顔が隠れているが、その下には端正な甘めのルックスがのぞいている。
アメリカ西部を思わせるようなそのコスチュームは彼の細身にマッチしていて、まくった袖から出ている腕がセクシーで、どことなく隆二に似ていた。
「キミ、どこのスタッフさんなの? 売り子さんじゃないんでしょ」
無表情のまま、彼が言った。
「あ、『Eternal Boy's Life』です」
「へぇ、なんの仕事してるの?」
「控え室とステージの雑用担当で」
「え、女の子にはなかなかな重労働だと思うけど?」
「こう見えて意外と体力あるんで」
「音楽はやってないの?」
「はい。観る聴く専門って感じです」
「もったいない!」
「え?」
「どうせなら、携わればいいのに。君ぐらい若かかったらさ、今からだってプロになることも可能じゃない?」
「はあ……そんなふうに思ったこと、なかったです」
「音楽好きならさ、与えられるだけじゃなくて、自分も発信する側に立てばいいのになって、純粋に思うわけよ。こっち側、なかなか楽しいもんでね」
髪に隠れたその顔に見覚えのあるような気がした。
「なるほど……」
「ねえ、ちょっと手を見せて」
「手ですか?」
「うん」
葉月が座って差し出そうとすると 彼はぐっと強引にその手を掴み上げる。
「おお、なかなか指長いじゃない。綺麗な手だな、しかもしっかりしてる」
「高校時代、バスケやってたんです」
「だからか。ギターでもやったらいいのに」
彼はそう言いながら、指を一本一本なぞるように触った。
「おい! そこで何やってる!」
後ろから声がする。
葉月が振り返るより前に、彼が言った。
「あ、『エタボ』のリュウジだ。君、本当に 『エタボ』のスタッフなんだね」
「さっきからそう言ってるじゃないですか」
「いや、小鹿ちゃんが迷い込んだのかなぁと思ってさ」
「小鹿ちゃんって……」
「おやおや、 “ 彼氏 ” が妬いてるよ」
「ちょっと! 彼氏とか、そういうのじゃないですから」
「そう? オレ、睨まれちゃってるけど? おお怖っ! じゃちょっと演ってくるわ」
『E・T』と名乗った彼は葉月の手をパッと離すと、大きなストライドで歓声が沸いているステージに向かって歩いて行く。
これから彼の出演時間だったらしい。
隆二がつかつかとやって来た。
「葉月ちゃん、なに話してたの? 手を握られたりしてさ」
隆二が横目でギロッと見る。
「あ……別に握られてたんじゃなくて、私の手を見て、 “ ギターでもやったら ” って」
「え? なんでまた」
「音楽好きなら与えられるだけじゃなくて発信側にもなったらいいのに、って言われて。若いんだから、今からでもプロになることだって出来るだろ、って……」
「へぇ」
「なんか不思議な人ですね」
彼の演奏が始まる。
ギター1本で歌い上げる彼のその声は、やっぱりなんだか聞き覚えがあるような気がした。
夏の終りに
足音忍ばせ
膝を抱えて
怯えた瞳で
心と裏腹さらしてみせる肌
無邪気を見せてる
筋書き通りの罠
September I cry
許せそうにない
night&day
隆二が腕組みしながら言った。
「ふぅん、いいな」
「ホント。カッコいいですね」
隆二の横で 葉月もそうつぶやいた。
隆二はしばらく葉月の顔を見て、さっきの彼がしていたように、その手を取った。
「どうしたんですか? リュウジさん?」
「マーキング」
「へっ?!」
「ああ、冗談だよ。いや、この手がギタリストに向いてるのかなぁと思って」
「ドラマーのリュウジさんが見て、分かるもんなんですか?」
「いや、わかんねー」
「なんですか? それ!」
葉月が笑い出した。
「ちょっと! なに手をとりあって笑ってんですか!」
後ろから裕貴がやってきた。
「うわ! また厄介なヤツが来たぞ」
隆二が首をすくめる。
「この状況、人が見たらどう思います!」
「ああ! 分かったよ、うるさいやつだな!」
隆二は大袈裟におどけた顔をしながら、葉月の手を離した。
「リュウジさん、『Gerald』の “ ティム・キャフリー ” が来ましたよ」
「お! パワードラマーの登場か? どこにいる?」
「今、 “シャール” とトーマさんとハヤトさんと、4人で楽屋に」
「そっか、すぐ行く」
隆二は裕貴にそう言ってから、葉月の方に向き直る。
「じゃあ俺行くけど、葉月ちゃんさ、簡単に男に手を触らせんなよ!」
そう言って、足早に楽屋に向かった。
「葉月のこと触ってたのって、リュウジさんじゃん」
「あ……いや、その前に……」
その目の前を、演奏を終えたギターの彼が通る。
葉月の前に立つと、指先で頬に触れた。
裕貴が唖然としているその前で、艶っぽい目つきで葉月の顔を覗き込む。
「早くこっちの世界へおいでよ」
そう言うと、さっと手を下ろして、また大きなストライドで、楽屋の方に消えていった。
「葉月、なんなんだ?! 今の?」
「私もよく分からないけど、きっと私に音楽をやることを勧めてくれたんだわ」
「はぁ? とてもそうは見えなかったけどな」
裕貴は呆れたように葉月を見る。
「あの人、どこかで見たことがあるような……」
「え? 『Extra Trap』知らない?」
「あ……確かすっごい派手なビジュアル系の美形バンドみたいな……解散したって? っていうか何年もテレビに出てないよね?」
「なに言ってんの、今のがその『Extra Trap』のギターボーカルの“KEN”じゃない! まさか、知らないで話してたの?」
「うそ! 全然わかんなかった! 全然違う雰囲気なんだもん、びっくり」
「まあ、そうだな。でも『E・T』って『Extra Trap』の略じゃないんだってさ」
「うん、聞いた。『EGOIC TIMES』だって言ってた」
「なんだ、まともに話してんじゃん。またナンパでもされた?」
「されてないよ! それに、 “また”ってなによ!」
「いや、葉月は危なっかしいから」
「彼がね、音楽好きなら、与えられるだけじゃなくて発信側にもなったらいいのにって言ってくれたの」
「それで手とか握られてたってワケ?」
「ギターでも弾いてみたらって」
裕貴は頭を抱える。
「やっぱり危なっかしいなぁ」
「そうかな?」
「それより、『Eternal Boy's Life』の出番、もうすぐだけど? 覚悟はできてる?」
「覚悟……まさしくそうよね。さっきトーマさんとね、キラさんの歌について話しをしたの。あのPAブースで聴いた」
「そうか! トーマさんとちゃんと話せたんだね? 良かったじゃん! アレックスさん、強引だよね……葉月をトーマさんと2人きりにするなんてさ。もしかしたら失神でもしてんじゃないかって、内心ハラハラしてたよ」
葉月の顔がみるみる紅潮してきた。
「あ。また思い出してる! そんな顔して……何気に葉月が一番エロいよね?」
「そういう言い方しないでよ! トーマさんとは、こう、もっと……メンバーに対する思いとか、キラさんのあの歌の事とか、そういう素敵な話をしたんだからね」
「え? トーマさんが葉月にそんな話をしたの? 意外だな」
「多分、私くらいの距離感だから話してくれたのかも」
「そうかもな」
「私もこの後のステージ、すごく楽しみ。『エタボ』の新しい風を感じられるかも! だけど……なんだか怖いの。心揺さぶられる覚悟、したつもりなんだけどね」
「それはボクもわかるよ。キラさんはきっと、あれ以上のものを出してくるはずだよ。葉月、1人で見られるかな……心配だよ」
「え? 1人って、どうして?」
「さっき、ここ来る前に楽屋に寄ってたんだけどさ、トーマさんが、葉月にはライブの全貌を見せてやりたいから、さっきアレックスさんと行った、あのアリーナの後ろのPAブースから見せてやったらどうだ、って」
「え……トーマさんが、そう言ってくれたの?」
「うん。是非映像も見てもらいたいって。それでまた感想も聞きたいって、言ってた」
「嬉しい……」
「ボクはステージのソデでリュウジさんに付いてるから一緒に見てあげられないんだけど、葉月、1人で大丈夫?」
「うん。大丈夫! 心して観るね!」
裕貴とわかれて移動しながら、葉月は色々な思いに心を馳せた。
みんなが尊敬している故に柊馬自身はなかなか言えない思いを抱えながらも、みんなの手綱をしっかり引きながら、絶対的な信頼もされている。
そんな人物が実はキラの一番のファンだったり、隆二の正式加入を願って心を悩ませているなんて……
なんて素敵なチームなんだろうと思った。
同じミュージシャンとしてお互いをリスペクトして、そしてそこに生まれるメンバー思いやる気持ち……
どこをとっても素敵なバンドなと、葉月は胸を熱くした。
またセキュリティの控え室の前を通ると、そこにはルームメイト3人がいた。
思いがけず出会えたことに、4人は喜んで手を取り合う。
「わー葉月! よかった! 会えたらいいなと思ってたから」
「あたしたち、メンバーに差し入れ持って来たんだ!」
「そうだったの! 今、休憩時間?」
「それがさあ……!」
翼が 梨沙子を見る。
「梨沙子の色仕掛けで、メンズスタッフにシフト代わってもらってさ。『エタボ』観られるようになったの!」
「さすが梨沙子!」
梨沙子は得意げに頷いた。
「葉月はどこに行くの?」
PAブースを指差す。
「あそこで、全貌を観ようと思って」
みんなが葉月の指差す方を見た。
「なるほどね。あそこだったら映像も全部見渡せるね」
「覚悟して、観なきゃ……」
「覚悟?」
「うん、心を全部持ってかれちゃったら、泣いちゃって感想もなにも言えなくなりそうだからね」
「確かにそうね」
翼がステージを指差した。
「あ、あそこにユウキがいる」
「なんかさ、仕事しているユウキって、いつもと違うね。見てよあの真剣な顔! なんか職人ぽくて、良くない?」
梨沙子がそういう翼の顔を見る。
「翼って、何気にユウキのこと、よう分かってんねんなって思うことがめっちゃあんねんけどさ、ほんまはユウキのこと……」
「そんなわけないでしょ! 年下に興味は無いし。まして、ユウキだよ? 並んで歩いたら、私が “ お姉さん ” にしか見えないじゃん!」
「いや、まあ確かにそうやけど。ほんまは心、隠してへん?」
翼は首を振りながら言った。
「はいはい! そんなつまんない話はおしまい! ほらそんなこと言ってるうちに『エタボ』が始まっちゃうよ」
そう言って翼は、葉月をくるっと回転させて、その背中を押した。
「さあ葉月、いってらっしゃい! ちゃんと観ておいで!」
「うん。分かった。また後で会おう!」
3人とわかれて、葉月はアリーナの通路を歩く。
アレックスが取り囲まれたあの怒涛の人だかりは、今はもうこの通路にはないが、さっきとはまた違った熱が、アリーナの内側に立ち込めている。
蓄積されたエネルギーが、その中の人たちを上気させているのが伝わってきた。
通りがかりに、高校生ぐらいの女の子達が集まって、なにやらアルバムみたいなものをめくっているのが目に入る。
ぱっと見ただけだったが、中の写真がアレックスと隆二だとわかった。
こんな若い子たちにもアンテナが張り巡らされているのに、いかに自分が世の中に疎いかを思い知らされる。
今回のこのフェスに参加したことによって、ぼんやりではあるが自分の将来の道が見えかけて来たような気がした。
今までは、なんとなく、そして既存の中で生きてきた自分が、アレックスの言葉を借りるなら “ この時こそ脱皮するチャンス ” なのかもしれないと思えるような局面が幾つもあった。
「だから本当に……」
心して今からの時間に、挑もうと思った。
『Eternal Boy's Life』の “ 新しい風 ” は、きっと自分にも “ 新しい風 ” を吹かせてくれるに違いない……
そう確信しながら、葉月は意気揚々と、PAブースの階段を上がっていった。
第65話『A Breath of Fresh Air』新しい風を感じて
ー終ー




