第251話『Confidentially』密談
徹也と葉月はサービスエリアの展望台のベンチを後にする。
顔を洗ってくると言って化粧室に向かう葉月を見送って、徹也は先に車に戻って彼女を待つことにした。
乗り込んだ運転席で振動しだしたスマートフォンの画面を見た徹也は、首をかしげる。
「ん? なんだ……?」
半信半疑な表情のまま、おもむろにそれを耳に当てた。
「もしもし?」
「徹也! 今どこ?!」
「えっ! あ……今は……」
「運転中じゃないってことはサービスエリア? それか……どこか食事に入ってる? ねぇ! 白石さんは?!」
勢いよくまくし立てられ、徹也は眉根を寄せる。
「ちょっと待てって! なんだ、いきなり……なぜ事務所にいないことを知ってる? なぁ、美波」
美波は大きく息をついた。
「連絡をもらったのよ」
「連絡? 『エタボ』の事務所から?」
「いいえ、個人的に連絡をくれたの。ユウキ君がね」
「ええ!? ユウキが? アイツ、なんて?」
「白石さんが倒れたって、そう聞いた。ねぇ、白石さんは?
大丈夫なの?!」
「ああ……今サービスエリアでさ。彼女は顔を洗いに……」
「顔を洗いにって、なに……?」
「あ……それは……色々話してて、感極まったっていうか……」
美波は声を荒げる。
「ごまかさないで! ユウキ君も急いでるみたいで詳しい話はわからないけど、白石さんが精神的に相当なダメージを受けて倒れたって聞いたのよ!」
「ああ……そうだ」
「……ねぇ、少しは回復してるってこと?! 1人で洗面所に行けるぐらい?」
「ああ。落ち着きは取り戻してる」
「そう……っていうか徹也! さっき、ルカに聞いたんたけど、このオフィスに山野美里が来たんですって?! 信じられない!! なんで私に言わないのよ!」
「あ……それは……」
「しかも! 白石さんを責め立てに来たっていうじゃない?! もう、一体何がどうなってるのか、全然わかんないわよ!!」
「ああ……すまん」
「私に謝ったってしょうがないでしょ! ユウキくんが言うには、とにかく心労がたたってるから療養が必要だって……でも直接的な原因は『エタボ』にあるって言うのよ。一体どいうことなのか、ちゃんと説明して欲しいんだけど?! わけが分からなくて」
「だろうな……俺だってついさっき聞いたばかりだ。正直、今もまだパニックってる」
「え? 徹也も知らないことだったの?! 詳しい話は聞けなかったけど、ユウキ君、徹也の判断で白石さんを連れて事務所を出たって言ってたわよ? それと、彼女が信頼できる女の人にそばに付いててやって欲しいからって……それで私に連絡をくれたみたいなの」
徹也は眉を上げる。
「そうか……アイツ、やっぱすげぇヤツだな」
「ねぇ徹也、白石さんに……一体何があったの?」
美波にそう聞かれ、徹也は一瞬話すかどうか躊躇したが、裕貴が直々に美波に連絡を入れて葉月を託そうとしたことを考えると、その判断が最適なように思えて、話す決意をした。
自分もまだ聞いたばかりで、心の整理ができていないということを前提に、徹也は美波に葉月の身に起こったことを話し始める。
「はあっ……?! な、なにそれ……なんてこと……」
美波は時折、悲嘆に声を荒げながら話を聞いた。
「じゃあ……あのSNSの拡散の首謀者の元マネージャーの女が、実際に白石さんにも手をかけたって……こと?」
「ああ……野音フェスの初日だそうだ」
「なぜ?! 理由はなんなのよ!」
「それは……リュウジが彼女を連れて行ったっていうのが発端っていうか……」
「なにそれ!? そんなことで?! あ……それで山野美里を動かしたのね……水嶋先輩をダシにして……?」
「そうらしい……」
「最悪ね……しかも『エタボ』のハヤトがブラックアウトするほどの病的な異常酩酊って……そんなこと、世間に知れたら大ごとだわ……」
「ああ……でも……」
「ええそうよ、わかるわよ? それでも、よ! 病気だなんだって言ったって、白石さんが実際に受けた被害は警察に逮捕されてもおかしくないような甚大なことなのよ! それこそ裁判にだって……」
「確かにそうだな。でも彼女はそうならないように、1人で抱え込んで……長い間ずっと我慢してきたんだろう……」
「我慢って言うけどねぇ! 男にはわかんないだろうけど、女性にとっては人生が変わるほどの衝撃なのよ! だからきっと……発作を起こすほどに、心と身体が悲鳴をあげていたんだわ……白石さん、可哀想に……」
しばしの沈黙が重い空気を落とす。
「俺もやりきれなくて……だから事務所を出た。あそこにいたら、俺自身が、誰に何をしでかすか……わからないと思ったから……」
「徹也……」
徹也はスマホから耳を外し、フロントグラス越しに雲一つない空を仰いだ。
そして大きく息を吸い込む。
「やっぱりユウキの判断は正しいな……あの短時間で、アイツがお前に彼女を託す判断を下した意味がよく分かった。美波、これから葉月ちゃんを連れて帰るから、彼女のケアを手伝ってくれ」
「もちろんよ。とにかく、あなたたちが帰ってくるまでにどうするべきか、私なりに考えてみる。あと……」
「なんだ?」
「彼女の親御さんには……どう伝えるべきか、もしくは伝えないのか……それを本人と相談しなきゃならないわ。SNS事件のことはご存知だったって白石さんが言ってたと思うけど、さすがに今回のことは、親御さんにも話せてないんじゃないかな……」
「そうだな……俺たちに対しても完璧に隠してたわけだから」
「なら、安易に自宅に帰すわけにもいかないわね。なぜ帰ってきたか説明しなきゃならなくなるし、また1つ嘘が重むと、彼女の精神的負担が増えるわ」
「確かに……」
「本来は親御さんに話さなきゃならないような重大なことだけど、何より本人の意思が最優先よ。必要なら、私たちの方で代わりの言い訳を用意しなきゃならない。白石さんのために、一番いい方法でね。それを本人と相談したいの」
「わかった。なにか俺から彼女に話しておくことは?」
「いいえ、会った時に私が話す。だからそのまま何も伝えないで帰ってきて。徹也、白石さんをつれて食事に行くつもりだったんでしょ?」
「ああ」
「店を予約するわ。私はそこに合流する。予約したら連絡を入れておくから、そこに連れて来て。じゃあ」
遠い視野の隅に葉月のシルエットを確認した徹也は、通話を切ってその手を下ろした。
そして大きく息を吸って気持ちを整え、近づいてくる葉月に明るい表情を向けるため、ギュッと目を閉じて、顔の筋肉をほぐした。
「おかえり」
そうにっこり笑う徹也に向かって、葉月はサングラスをしたまま口をとがらせる。
「またそんな顔で笑う……」
「笑ってるんじゃないよ。微笑んでるんだろ?」
「私だって、今朝は頑張ってフェスの友達に教えてもらったメイクを頑張ったんですよ! でも、顔を洗ったからメイクが全部取れちゃって……」
葉月はさらに頬を膨らましながらそう言った。
「だから、なんもいってないって! なに言い訳してるの?」
「だって! 徹也さんがまたそんな顔をするから」
「誤解だって! 微笑ましくて笑ってるんだよ。なのになんで怒ってんの?」
「怒ってるわけじゃ……なんか、恥ずかしくて……」
「恥ずかしがることなんてないよ。葉月ちゃんはすっぴんもカワイイじゃん?」
「え……」
エンジンをかけながら、徹也は言った。
「俺がこれまでの中で一番好きな君の顔はさ、フェスが終わったPAブースで再会した時の顔なんだ」
「ええっ?! みんなには " ゆでだこ " みたいだって笑われましたけど?」
「フッ……」
「あ! 今、笑いましたよね?!」
「だから! 微笑ましくて笑ってるんだって! 身体全部で感じて受け止めて燃え尽きてたあの日の君は、情熱の後の清々しさそのものだったよ。君はぐったりしてたけど、俺は君を見て心に何かが染み込んでいくような感覚を覚えた。あの時は、また今とは違う形だけどさ、無駄なものをそぎ落としたような潔さも感じてね」
「徹也さん……」
「理解してもらえてよかった。さぁ、串焼きで腹ごしらえをしたとはいえ向こうに着いたらちょうどランチタイムだからさ、今から何を食べるか相談しよう! じゃあ出発するよ。ヒスミニちゃん!」
途端にまた葉月が口を尖らせる。
「せっかくいい話に感動してたのに、最後の最後に落とすのやめてくださいよ! もう! やっぱりそうやってからかうんじゃないですか!」
徹也はにこやかにほほえみながらハンドルに手をかけた。
車を動かす寸前、美波から入ったメール通知に、見覚えのある店名が見えて、徹也は小さく頷く。
――ほぉ、そりゃいいチョイスだ。
「え? 何か言いました?」
「いや、いい天気だなと思って」
青空のもと、高速道路を颯爽と走り抜けていく。
「ねぇ、『ビストロ・イルマーレ』って知ってる?」
葉月はサングラスをかけたまま、眉を上げた。
「もちろんですよ! 地元で知らない人なんていないです。魚介をふんだんに取り入れた海鮮のパスタが最高にインスタ映えするって、ついこの前、私の親友も彼氏と行ってアップしてましたもん?」
「そうなんだ? それで、葉月ちゃんは行ったことは?」
「あ……ないですね……学生にはちょっと敷居が高いというか……なんせ高級店ですから」
「そっか。実はさ、今からそこに行こうかなと思ったんだけど?」
「ええっ! 本当ですか!!」
「おおっ! いい反応だね」
色めきたった葉月が、一瞬にして肩を落とした。
「あれ? なんで失速?!」
「だって私……すっぴんなんですよ」
「は?」
ハンドルを握りながら、徹也は肩を震わせる。
「もう! また笑うんですか!?」
「ごめん、ごめん。大丈夫だよ、個室を取ってるからさ」
「え? もう予約済みなんですか?」
徹也は一瞬たじろぐ。
美波が勝手に予約したとはさすがに言えない。
「あ……実はあの店もウチの息がかかってるからさ」
「えっ? それって『forms fireworks』が手掛けた、とか?」
「いや、そうじゃなくて、親の持ち物っていうか……」
「ああ、なるほど」
「だから今日のランチは、その海鮮たっぷりのパスタをご馳走するよ」
葉月はサングラスをかけたまま、口角を上げた。
「ホントですか! めちゃめちゃ嬉しいです。まぁ……すっぴんで入るのはちょっと恥ずかしいですけど……」
「ははは、気にしない。気にしない! ははは」
そう言って笑っていると、また葉月に怒られた。
サングラスのフチから覗く彼女のあどけない笑顔を確認しながら、徹也はその車内の明るくなった雰囲気に、胸を撫で下ろしていた。
第251話『Confidentially』密談 - 終 -




