第2話 『The Fireworks Are Over』花火が終わったそのあとは
花火が終わっても、本当は下界に下りたくなかった。
ずっとここに居られたら、小さな溜め息を付かずに済むのに……
しばしの余韻の後、彼が少しアップトーンで切り出した。
「あのさ、下りはお姫様抱っこじゃなくて……おんぶでもいいかな?」
「え?」
「ほら、お姫様抱っこじゃ足元が見えないから階段踏み外して俺と心中だよ? ヤバいでしょ?」
彼はそう言って、にっこり微笑む。
つられて笑うと、少しホッとしたような表情を見せ、サッと後ろを向いた彼はしゃがんで背中を差し出した。
「なんだか……本当に申し訳なくて……」
「なに今さら遠慮してるの。登って来た事を思ったら、下りなんてなんともないよ。さぁ! 乗って!」
彼は行きとは違って、帰りはよく話をした。
「正直さ、"ヤバいヤツに捕まったんじゃないか ” って、心配になったでしょ?」
「いえ……親切に起こしてくれましたし」
「ウソ! もしそれが本当だとしたら、君はもっと気を付けた方がいいよ! だってさ、知らない男に抱き上げられて、どこに連れて行かれるか分かんないんだよ?! 良からぬ場所へさらわれちゃったらどうするの?!」
「確かに……」
彼は笑い出す。
「まあここで俺が君をビビらせるなんて、お門違いもいいところなんだけどね。アハハ。本当のこというとさ、君を抱き上げて階段を登りながら、君が俺を不審がって "いつ逃げ出そうとするか"、"殴り倒されたりしないだろうか " って、内心こっちがビビってたんだよね。弁解したくても息切れで到底話もできないしさ? なにしろ、どう考えても俺の行動は不審だしね。ホント、よく信じてついてきてくれたよ! ありがとうね」
「ありがとうだなんて! こちらこそです」
「でも……本当は怖かった?」
「いいえ、全く。本当ですよ」
彼の背中の上から、その耳に向けて続ける。
「私を怖がらせまいと、声ではない "形" で空気を作ってくれているんだなって、感じ取れたんです。抱き上げる時も丁重に扱って頂いて……それにね、この人も私と同じくらい花火が好きなんだなぁって。どうしても今日……そう、"今年最後の花火を今、ここで観なきゃ" って思ってるのが伝わってきて、親近感が湧いちゃいました。私と一緒だったから」
「そう。なら安心した! もし怖がらせちゃってたらどうしようって思ってたから、心底ホッとしたよ」
「感謝しかないです。本当にありがとうございます」
地上まで降りた。
花火帰りの客で道はごった返していて、さすがにおんぶしてもらったままでは恥ずかしいので、脇の花壇におろしてもらった。
「足の具合はどう?」
「しばらく動かさずに済んだお陰で、随分マシになりました」
「とは言っても歩いて帰るわけにはいかないよね。このままおぶって帰ってあげようか?」
「あの……」
「なに?」
「今日は本当にありがとうございました! あんなに素敵な花火が観られて、嬉しかったです!」
「喜んでもらえてよかったよ。まあ正直、君にとっては本当に最高の花火大会には……ならなかったかもしれないけどね」
「そんなことないです。今までにはない、ある意味最高の花火大会かも?!」
「ホント? もしそうだったら貢献できてよかったよ。あ、そうだ このハンカチ洗って返したいんだけど……ナンテ言ったら、ナンパ男と思われちゃうかな?」
「とんでもない! こんなに親切なナンパ男、見たことないです」
「そう? もしかしたら君を口説く為の策略かもよ?」
「またそんなこと! あんなに大汗かいて、大人一人ビルに担いで上がるだなんて……策略にしては負担が大きすぎますよ。まして私なんかじゃ、割に合わないでしょ?」
「なに? それってどういう意味?」
「え?」
「ひょっとして、自分のこと卑下してるの?」
「別に……普通にそう思っただけです」
「本当にそうだとしたら、それって花火を見られないよりも、もっともったいないことしてると思うよ。君は充分、素敵だし。あ……こんな事言ったら、それこそナンパ男って思われるよね!?」
彼はガハハと笑った。
「じゃあ君が俺を信用してくれてるとして、そうだな……じゃあ、明日は休み?」
「はい」
「でもきっと彼氏が今日の埋め合わせをしてくれるだろうから……そうだ、この近くの『Blue Stone』っていうバー、知ってる? 」
「ええ、大通りの近くの?」
「そう!」
「行ったことはないですけど、知ってます。有名なお店だし、オシャレすぎて入ったことはないんですけど」
「そうなの? あそこのバーテンダー、俺の友達なんだ」
「そうなんですか?」
「うん。その友達にさ、このハンカチ洗って預けておくから」
「えっ?」
「だから都合のいい時間に……ああ、別に明日じゃなくてもいいけどね。明日には置いておくから、 受け取りに行ってくれる?」
「……あの」
「なに?」
「こういう場合、連絡先交換とか……普通はそういうことになるかと……」
「まあ、そうかもね。でも君が彼氏ともめる元になるかも知れないじゃない?」
「そんなことを考えるんですか?」
「男のくせに珍しいと思ったでしょ?」
「あ、いえ……」
「君は正直だな。いいんだよ、これで」
彼は爽やかな笑顔を見せた。
「ねぇ、一緒に花火を観た仲として、ひとつだけ忠告していい?」
「ええ。なんですか?」
「君は、何も自分を蔑むことはないんだよ。明朗で素敵な女性だと思う。思いやりがあって親切だし」
「いいえ、親切にしてもらったのは私の方で……」
「そう! そういう所。とてもいいと思う。君の彼氏は、まだ君のそういう所に気が付いていないのかもしれないし、君が生真面目で彼の元を離れないから安心しきって、君をないがしろにしているのかもしれない。だけどきっと解ってもらえる。だから少しずつ、自分の気持ちを言うといいよ。我慢せずに自分がどうしたいか、はっきり言うんだ。君がひとつやふたつ何か言ったところで、わがままになんて値しないと思うから。ね?」
言葉が出なかった。
ずっと誰かに言って欲しかったのは、こんな言葉だったのだと。
少し鼻の奥がツンとした。
「あ、タクシー来たよ!」
彼が手をあげた。
開いたドアの上部に手を置いて、頭がぶつからないように配慮してくれながら、私を後部座席に優しく押し込んだ。
「じゃあね。降りる時にもっかい転んじゃダメだよ!」
「ありがとうございました。えっと……」
「さよなら、葉月ちゃん」
タクシーのドアがバタンと閉まった。
初めて、彼が私の名前を呼んだ。
なんだろう? この気持ち……
あんなに近くで花火を見たせいだろうか、まるで日焼けしたみたいに、顔が火照るのを感じる。
家に帰って、お風呂から上がると、左足に湿布をして包帯で固定した。
バスケ部を引退してから二年、足を固定するのなんていつぶりだろうと思うと、なんとなく笑みが出る。
「やだ、私ったら。なに笑ってるんだろう」
一瞬、彼がねんざした足を診てくれたシーンが目に浮かぶ。
壊れ物を扱うように優しく、少し冷たい指先がそっと触れた感触。
見下ろした彼の顔を見つめながら、長い睫毛だなと思ったことを思い出す。
その後、心配そうに見上げたあの優しい眼差しも。
怪我人なんかに親切にするから、あんなに大汗をかいてビルを登る羽目になったんだわ。
おせっかいな人。
また笑みがこぼれる。
親切な人……
彼の首を伝う汗。
そして、ゆっくり階段を下りながら彼の体温と共に立ち昇るほんのり香るサイダーの匂いが、心の中に充満するのを感じて目を閉じた。
それは花火のフィナーレの時、眩しい光に体がとろけそうになったあの感覚と似ていた。
携帯電話が鳴った。
「隆史だ……」
なぜか妙に緊張する自分がいた。
「もしもし隆史?」
「あ、葉月。あの……怒ってる?」
「別に……」
「今日だったんだよな? 花火大会。わりぃ、ちょっと外せない会議があってさ」
「会議? 例のセミナーの?」
「まあ……そんなとこだ」
「セミナーのメンバーは、皆さん大人なのね。花火なんかに興味ないんだ」
「まあ、そうかな。で? お前、花火見たのか?」
「ええ、しっかり見たわ」
「それは良かった。綺麗だったか?」
興味もないくせに聞くなんて……
「うん、とっても綺麗だった」
「そっか。まあ来年ぐらい、見に行けるかな?」
「そうね、私は必ず来年も見に行くし」
「そうだな。あ、明日は俺は会議の続きがあるから」
「へぇ、また会議?」
「そうなんだ。だから来週月曜か火曜かに家に来いよ」
「もうすぐレポート提出だから……しばらくは行かないわ」
「何で? レポートくらい、大丈夫だろ? あ、やっぱり怒ってるんじゃ?」
「怒ってなんかないわ。今に始まったことじゃないし……」
「そうか。じゃあ来れたら来るって事で」
「おやすみなさい」
先に電話を切った。
先に切ったのって、いつぶりだろう?
なんだか今日は変だ。
あの彼の最後の言葉が、頭に残ってるからかもしれない。
自分を蔑むことはない、君は明朗で素敵な女性だ。
お世辞で言われても嬉しい言葉だ。
その上、言いたい事を言ったらいいだなんて……
たとえその代償がこの捻挫だったとしても、今日はいつもより、うんと高得点が着いた一日となった。
第2話『The Fireworks Are Over』ー終ー