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目病み娘

 湯若里の温泉から南東に少し入った、ごちゃごちゃと長屋が建ち並ぶあたりに、源之助という浪人が暮らしていました。

源之助は江戸生まれ。父親は武士だったんですが、まあ色々あって家督を継がなかったため、浪人となって湯若里に下ってきたのです。

 傘張りの仕事はたいして儲かりませんでしたが、優しく働き者のかみさんをもらい、源之助はそれなりに幸せに暮らしていました。

しかしこの年の暮れ、まだ四十にもならないかみさんが、胸の病で旅立ってしまいました。二人の間には子もおらず、一人になった源之助は、淡々と仕事をしながら日々を送っておりました。


 傘張りの仕事は、まず古い傘を下取りしてくることから始まります。破れた紙をはがし、骨を修理し、新しい紙を刷毛で糊付け。そうそう、はがした紙も、包装紙などに使えるので売ることができます。

 そんなこんなで、源之助は家に引きこもっているだけでなく、ちょくちょく出かけていました。ずっと家にいると寂しくて動けなくなってしまうので、源之助にとっても外出する用事はありがたいものでした。

 

 年が明けて数日経った、ある日のことです。

「今日も寒いな……」

 そうつぶやきながら、源之助は下取りした傘をかじかむ手に下げて、家に帰ってきました。

 がらり、と建て付けの悪い長屋の戸を開け、土間に踏み込むと……

「おかえりー」

 まるで部屋を明るくするような、空気をきれいにするような、そんな声がしました。

 部屋の中は、広げて干した傘でいっぱいです。その傘の花の隙間に、若い娘が行儀良く座っていました。

 年の頃は十五、六でしょうか。ひょろりと細い、色白の娘です。丸く結った島田髷、嫁入り前のようです。

 しかし、一番源之助の目を引いたのは、娘の顔でした。娘のつぶらな左目は、源之助をまっすぐ見ていますが、右目を隠すように赤い絹の布が巻かれていたのです。白い肌に、赤い布が映えました。

 それはともかく、知らない娘です。一瞬、家を間違えたかと思いましたが、これだけ傘が置かれていれば誰の家かは明らか。源之助はここの主であることを主張するように、古傘を持ったままずいっと家に上がりました。

「どこの娘さんかな」

「さえ、って呼んで。源さんを待ってたの」

 知り合いは皆、源之助のことを「源さん」と呼びます。が、さえと名乗るこの娘に見覚えはありません。

「ではおさえさん。どうしてここにいるのかは知らないが、そろそろ夕餉の支度の始まる時間だろう。家に帰っておっかさんを手伝いな」

 源之助が言うと、おさえはあっけらかんと言いました。

「あたし、帰る家がないの。ここに置いて下さい」

「何?」

 思わず呆然とする源之助。おさえはすっと立ち上がりました。

「それと夕餉の支度ね、土間に野菜があったから味噌汁だけは作っておいたけど」

「道理でいいにおいがすると……いや、待て待て。どういうことだ」

「だから、帰る家がないんだってば」

 まるで物わかりの悪い源之助を諭すように、おさえははっきりと言います。

「ここに置いてもらうんだから、ちゃんと働くよ。そのくらいはしなくちゃね」

「そういうことじゃない。男やもめの家に若い娘が転がり込むなんて。早く帰りなさい」

「いや。ここがいいんだもの。あ、そうそう」

 おさえはにっこり笑った。

「安心して。暖かくなったら行かなきゃならないところがあるし、その時にはちゃんと出て行くから」

 そしておさえはさっさと土間に降りると、トントンと漬け物を刻み始めてしまいました。


 家に送っていく、といって戸を開けて見せてもおさえは動かず、そうこうしているうちに日が落ちてしまいました。若い娘に食事をさせないのも……と、朝炊いた白米と味噌汁で夕餉にすると、おさえは美味しそうに頬張りながら、源之助の傘を褒めるなどします。

 食事と片づけが終わると、おさえは眠そうに部屋の隅にうずくまってしまいました。根負けした源之助は、仕方なくおさえを一晩泊めてやることにしました。かみさんの夜着をとっておいたらこんな時に使えたのですが、かみさんの持ち物は家に置いておくのが辛くて、いっさいがっさいを湯若里の北にあるかみさんの実家に運んでしまったのです。源之助は自分の夜着を、おさえにかけてやりました。


 翌朝、源之助が目を覚ますと、おさえはすでに起き出していて、その日の分の米を炊いていました。出て行くように説得してもやはり聞かず、源之助がとうとう無視を決め込んで仕事を始めると、それをじっくり観察しています。気がつくと、古傘から紙をはがす手伝いなどしているのです。

 そして、昼餉に、おさえは切り干し大根の煮物を作りました。

 その味が、死んだかみさんの味によく似ていて……

 源之助は大根を噛みしめながら、胸が詰まるような思いでした。

 もし自分に娘がいて、かみさんの味を受け継いでいたら、こんな風に暮らしていたんだろうか。

 一度そんな風に思ってしまうと、源之助にはおさえを追い出すことができなかったのです。 


 こうして、おさえは源之助の家に居着いてしまいました。

「そんな顔しないで。暖かくなったら出て行くって言ってるじゃない」

 時々そんなことをいいながら、おさえはひょろりとした身体で元気に源之助の仕事を手伝い、食事の用意をし、大家から針と糸を借りてきて源之助の着物のほころびを縫っています。

「こんなに大きな穴を開けたまま着ていたの? 自分で縫わないと」

 遠慮なくつけつけと言うおさえに、源之助は苦笑します。

「縫い物なんか、俺には無理だ。だから針も糸も、おふみの……死んだかみさんの実家に置いてきた」

「ふうん。……せめて、針をこの家に置いてくれたらね」

 つぶやくように言うおさえ。ふと、源之助は尋ねました。

「その目は、医者に診せなくていいのか」

 おさえは「えっ」という顔をしてから、

「ああ、いいの。このままで」

と答えます。

 治療はすでに済んでいて、あとは治るのを待つばかりなのか、それとも傷か何かがあって、見られないようにずっと布を巻いているのか。

(いったい、この娘は何者なんだろう。行く場所があると言っていたけれど、どこに行くつもりなんだろう)

 源之助は不思議でなりません。けれど、家の中に明るいおさえがいて、言葉を交わし共に食事をすることが嬉しく、逆にあまりつっこんだことを聞いて怒らせるのが怖いのでした。


 長屋の大家さんに断りを入れないわけにいかず、源之助はしばらくおさえを置くことを言いに行きました。どんなお小言を言われるかと思いましたが、大家さんは生まれたときからの湯若っ子。何でも面白がってしまいます。

「最近、源さんがずいぶん明るい様子だと思ったら! 結構なことじゃないですか! 祝言を上げるときは、面倒見させてもらいます」

「いや、そういうことでは。娘がいたらこんな風かなと」

 淡々と源之助が言うと、大家さんは「こりゃ失礼」と笑います。

「いやいや、目病み女に風邪引き男は、色っぽく見えるって言うじゃないですか。それでつい、ね。そうかぁ、娘みたいな年頃だもんな」

「ええ。春まで居ますんで、お頼みします」

「うちはいつまででも結構ですよ」

 大家の家を出ながら、源之助はふと思いました。

(……おさえを引き留めたら、出て行くのをやめるだろうか)


 その夜、夕餉を食べながら源之助はおさえに言ってみました。

「おさえには色々と手伝ってもらって、助かっている。訳ありのようだし、もしここにもう少し長くいた方が都合がいいなら、俺は」

「ううん」

 おさえは首を横に振りました。

「暖かくなったら、あたしは行くの」

「しかし」

「あたしと源さんは、全然違うから」

 きっぱりと言う、おさえ。

 そう言われてしまうと、確かに男やもめで四十が近い源之助と、今は布で片目しか見えないとはいえ色白で美しく若いおさえは、住む世界が違うように思えます。

「……そうか」

「源さん、炊事は自分でできるみたいだけど、縫いものをしてくれる人をちゃんと見つけた方がいいよ。あたしはもう、手伝えないんだから」

 そういうおさえを、源之助はそれ以上引き留めることはできませんでした。 


 それからの日々、おさえは古着を数枚手に入れてきては、源之助が着られるようにせっせと直しました。

「源さん、縫い物は本当にからきしみたいだから、今のうちにやっとくわ」

 そう言いながら、布巾も何枚も縫いました。


 そして、寒さがほんの少し緩み、梅の花が咲きだした頃ーー

 おさえは言いました。

「事始めの日の朝に、あたし、行くね」

 湯若里では、農作業を始める日のことを「事始め」と言います。おさえはその日の朝、出て行くというのです。


 日々は過ぎ、明日は事始めという日になりました。

 いつもと変わりなく、買い物をしにおさえが出かけていき、源之助は家の中を箒で掃きながらぼーっと考え事をしておりました。

「源さん、いるかい?」

 威勢のいい声がして、長屋の隣に住むおばあさんが戸を開けて顔を出します。

「おすずさん」

「おや、おさえちゃんは?」

「買い物に行ってます」

「そう。明日の朝に、出て行っちゃうんだってねぇ。またおいでって、あたしが言ってたって伝えておくれ。ああ、それと」

 おすずばあさんは続けます。

「明日は事始めだから、田螺寺で針供養があるよ。女の人ばっかりが集まるから源さんは行きにくいだろう、もし持って行くのがあったら一緒に持って行くよ」

 針供養とは、折れたり錆びたりして使えなくなった針を、豆腐やこんにゃくなど柔らかいものに刺して楽にして、お寺に奉納して成仏してもらう行事です。

「ああ、針はかみさんの実家に渡してあるんです。あっちでやってくれると思います」

 源之助が答えると、「それならいいんだ」とすずばあさん帰って行きました。


 源之助は、ふとつぶやきました。

「針……」

 そういえば、おさえはずいぶん、縫い物にこだわっていたような気がします。

『せめて、針をこの家に置いてくれたらね』

 そうこぼす、おさえの声。 

 右目を覆う、赤い絹。

 事始めの日に、いなくなる娘。

『あたしと源さんは、全然違うから』ーー


 源之助は突然、家から飛び出しました。

 向かう先は、死んだかみさんの実家です。


 源之助が自分の家に帰ってきたのは、日が落ちる寸前の時刻でした。

 土間ではおさえが夕餉を準備していて、入ってきた源之助を見て左目を見開きます。

「どこに行ってたの? 今日は出かけないって」

「おさえ。ちょっと」

 源之助は部屋に上がり込みながら、おさえを手招きしました。おさえは不思議そうに、畳の上に正座します。

 向かい合って座る、二人。

「俺とお前は全然違う、そう言ったな。……その意味が、ようやくわかった」

 源之助はじっとおさえを見つめてからーー手を、おさえの顔に伸ばしました。

 おさえは左目を丸くして、源之助の動きを見つめています。

 源之助の手が、赤い絹の布にかかりました。挟み込んである端を引き出し、するすると布をほどきます。

 すぐに、畳に赤い布が落ちました。

 現れたおさえの右目はーーいいえ、右目のあるはずの場所には、何もありませんでした。そこには、白い肌があるだけ。

 おさえは元々、目をひとつしか持っていなかったのです。

 源之助は、懐から手ぬぐいを出しました。

「かみさんの実家に行って、引き取ってきた。……お前を」

 広げられた手ぬぐいには、ほんの少し曲がった針が一本、とめつけてありました。

「ひとつしか目がない、針。お前は、おふみが使っていた針の化身だったんだな。事始めには針供養に出されて、成仏してしまうはずだった。それまでの間、俺の世話をしに来てくれたんだ」


 ーーおさえは、ひとつだけの目を細めて、微笑みました。

「おふみさんは、あたしを使ってひと針ひと針、源さんのことを想いながら着物を縫っていたわ。その気持ちがあったから、きっとあたしはこの姿になれた。針供養の日、ぎりぎりまで、源さんのお世話をすることができたの。本当なら、あたしみたいに化けて出ないように針供養をするんでしょうけれど」

 そして、指を突いて頭を下げます。

「人ならざるものが側にいたと知って、さぞご不快でしょう、ごめんなさい。せめて源さんが何も知らないまま、あたしの縫ったものを側に置いてくれたらと思ったんだけど……気味が悪かったら捨てて下さい。でも、あたしはとても、幸せでした。どうかお元気で、お嫁さんをもらって幸せになって下さい」


「待ってくれ、おさえ」

 源之助は、片手に針をとめた布を持ったまま、もう片方の手でおさえの肩に手を置きました。

「この針、どうしても、針供養に出さなきゃいけないか?」

「え?」

 きょとんとして、おさえは顔を上げます。

 源之助は真剣な顔。

「成仏しないと、苦しいのか? このまま、ここで暮らすわけにはいかないのか?」

 おさえは、しばらくぽかーんとしていましたが……

 突然、大声を出しました。

「ここにいて、いいのっ!? 針なのにっ!?」

 源之助は、照れくさそうに口ごもります。

「こんな貧乏暮らしだが、それでも良け」

「嬉しい! 嬉しい!」

「うわっと」

 おさえに飛びつかれ、源之助はぽんぽんとおさえの背中を叩きました。

「やれやれ。おふみのおかげで、いきなり大きな娘ができちまった」

「娘……うん、まあいいわ、娘でも」

「ん?」

「いいえ、何でも」

 おさえは身体をはなすと、笑いました。

「ひとつ目のあたしなんかを側に置こうと思うなんて、源さんって変なひと」

「目病み女に色気を感じる男がいるように、ひとつ目の娘をいとしく思う男がいる、それだけのことだ」

 源之助も、笑いました。


 こうしてーー

 それから先も、顔に赤い布を斜めに巻いた娘は源之助の家で、幸せに暮らしました。

 湯若里の若者たちの間では、働き者の可愛い目病み娘がいるという評判が広まり、源之助は気が気じゃない日々を過ごしているということです。


【目病み娘 おしまい】

針供養は現在、関東地方では二月八日、関西地方では十二月八日に行われるのが一般的とのこと。

江戸の人々は白米めっちゃ食べてたらしいです。でもそのせいでビタミンB1が足りなくて、脚気になったとか。

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