第37話 盾が一人で走っていった
[いい質問ですね! 逃がすために人形3体を別々に動かすなら、《並列思考》をLv2に上げます。スキルptは5です]
[・ADさんとスタントさんの2体で踏ん張れるのは、Lv21の前衛2人分ほどです]
[次は、配信の電波が届かない部屋までの道をまとめましょうか?]
左耳のイヤホンが、いつもの明るい声で読み上げた。
目の前では、面接官が、朝比奈さんの左肩を打ち続けている。
朝比奈さんは《背水》で大盾を床に据えたまま、一歩も動けない。
階段のほうから、下見した脇道の口、俺、面接官、朝比奈さんの順に並び、面接官は俺に背を向けて朝比奈さんと向き合っている。朝比奈さんの12メートルほど奥の壁に、石柱の部屋の入口が黒く開いている。
「朝比奈柚さん。養成所の皆さんへ、一言で結構でございますよ」
「……謝り、ません」
謝っていただけるまで、と面接官は言った。お口がきけるくらいには加減する、とも言った。
面接官の言葉どおり、朝比奈さんの声はまだ出ている。
腕の画面を2つに割ったまま、コメントの欄を見た。ADさんを前に止めて立たせているだけなので、今は読める。
『まだ打ってる』
『止めろって』
『謝れば終わるのに』
『盾の子、謝らない』
面接官の配信の同時接続数は、肩に1発入るたびに上がっていく。
AIの答えは人形の数と踏ん張りの話だけで、目の前の面接官がどう動くかは1行もない。人のことには、このAIは答えない。
気づくと、指が入力欄に、頼む、の2文字を入れていた。
頼めば、AIは部屋までの道を、どこで曲がるかまで並べてくれる。
入れた2文字を消した。
AIの答えは正しい。ただ、このとおりに頼めば、朝比奈さんは《背水》をやめて動きだした瞬間に、面接官の手の届く所で倒される。Lv21の前衛2人分では、20も上のLv41の一歩は、通説どおり止まらない。
逃がすのは朝比奈さんじゃない。
盾だ。
矢印の盾を電波の外へ走らせれば、ドローンは盾を追っていく。
面接官が第11層で朝比奈さんに質問しに来た夜も、朝比奈さんが背を向けただけで、ドローンが全部矢印のほうへ集まった。あの人はそのとき、質問を止めて、まず腕の画面でドローンを戻していた。
どの回を見返しても、あの人は走っていない。
配信制作部にいた頃、壁の陰に回ったドローンの映像が、モニターの上でいきなり止まるのを何度も見た。
面接官の手が、また朝比奈さんの肩に入った。朝比奈さんの喉から、短い声が漏れる。
入力欄に2つだけ入れた。
奥の石柱の部屋、入口の先はどうなってる?
[いい質問ですね! 入って2メートルほどで、左へ折れています。通路から奥は見えません]
[・配信の電波は、入口から先へ届きません]
[次は、部屋の中の広さをまとめましょうか?]
広さはいらない。
俺から見えない人形は動かせない。曲がり角の陰に入れば、人形はそこで止まる。そこは電波の外だから、追っていったドローンの映像も、同じ所で止まる。
《収納》の中には、まだ出していない腰ほどの人形が2体いる。スタントさんと、エキストラさんだ。
エキストラさんに大盾を持たせて、走らせられる?
[いい質問ですね! エキストラさんの膝の関節でも、大盾を抱えて走れるのは30メートルほどです]
[・走り終えると、膝の関節が固まって利かなくなります]
[次は、膝の関節を買い直せるお店をまとめましょうか?]
朝比奈さんの背中の側から部屋の曲がり角までなら、30メートルもない。膝の値段はあとで考える。
確かめた。
盾は奥の部屋へ走らせて、追ってくるドローンごと曲がり角の陰に入れる。
俺と朝比奈さんの行き先は、来た階段だ。
映像が切れたら、あの人は目の前の朝比奈さんより先に、映像を直しに部屋へ行くはずだ。歩いて行く。
ステータス画面を開いて、《並列思考》の名前を念じる。
スキル:《並列思考》 Lv1
二つのことを、別々に考えて同時に進められる。
《並列思考》を Lv2 に:スキルpt 5(はい/いいえ)
迷う理由はないので、はいと念じた。
【《並列思考》がLv2になりました】
《収納》からスタントさんを出した。前に立たせていたADさんと一緒に、面接官の左右へ走らせる。
面接官の顔が2体のほうへ向いた。朝比奈さんの顔の前にいたドローンも1台、つられて向きを変える。
「人形のお手伝いは」
言い終える前に、面接官は片手でスタントさんの肩を払うように打った。
外板の割れる音が通路の天井まで響く。
「減点が、また1つ増えてしまいましたね。皆さん」
スタントさんはまだ脚で立っている。肩の外板はまた付け直しだ。
同じ間に、エキストラさんも《収納》から出していた。
面接官の背中の側を通して、壁沿いに朝比奈さんの後ろへ歩かせる。面接官の目は左右の2体に向いたままだ。
Lv1のままなら、エキストラさんはどちらかの真似をして、一拍遅れで膝を沈めていたはずだ。
3体が別々に動いている。
「朝比奈さん」
5メートル先の背中へ、声に出して続けた。
「盾を、貸してください」
「《背水》をやめて出る時は、朝比奈さんが決めてください。合わせます」
ADさんとスタントさんを、面接官の左右に止めて立たせた。
エキストラさんも、朝比奈さんの背中のすぐ後ろで止める。
『スーツの人なんて?』
『盾貸して?』
『後ろに何かいる』
面接官は2体から目を戻して、朝比奈さんの肩をまた打った。
朝比奈さんは打たれた肩をすくめたまま、床の大盾を見下ろした。
黄色い矢印が真下を向いている。中古の盾に朝比奈さんが自分で描いた矢印で、その上に、今日だけで増えたへこみが並んでいる。
「……柏木さん、わたしの盾、なんですけど」
朝比奈さんの目が一度だけ自分の後ろへ動いた。
背中のすぐ後ろに、継ぎはぎの人形が止まって立っている。
朝比奈さんの右手が、盾の縁を離れて、こっちへ浮いた。5メートルある。袖までは届かない。
手は盾の縁へ戻った。
「盾、貸します!」
朝比奈さんの声が通路いっぱいに響いた。
面接官の振り上げかけた手が、一瞬だけ宙で迷う。
「じゃあ、わたしは」
縁を握る指が白くなる。
「出ます!」
矢印が床から起きた。朝比奈さんが《背水》をやめた。
朝比奈さんは大盾を持ち上げて、矢印を面接官のほうへ向けたまま、朝比奈さんの真後ろのエキストラさんに背負わせた。
エキストラさんが両腕を後ろへやって、盾の縁をつかむ。
エキストラさんが走った。
エキストラさんの姿は、大盾の陰にすっかり隠れた。
盾だけが一人で、奥へ走っていく。
安い膝の関節が、一歩ごとに小さく鳴る。
黄色い矢印は後ろを向いている。
ドローンが一斉に向きを変えた。
面接官の8台と、朝比奈さんの1台。
顔の前の1台が、盾の上にのぞく人形の頭を追う。
先回りの台が、部屋の入口へ先に飛び込む。
残りの台が、羽音を立てて盾の後ろに列を作る。
盾が曲がり角の陰へ消えた。
ドローンの光が次々に陰へ吸い込まれていく。
脇道の口の前に浮いていた1台も、もういない。
腕の画面に目を落とした。
右の朝比奈さんの配信は、角へ消える盾の端を映したまま動かない。
『盾が走ってる』
『ドローン全部、盾についてった』
左の面接官の配信も、同じ角の暗がりで止まった。
『固まった』
『え、面接官のほうも? 両方止まってる』
止まった画面の上で、何事かと見に来る人の分だけ、同時接続数が増えていく。
面接官は、朝比奈さんの肩の上へ手を振り上げたところだった。
その手が止まった。
目が腕の画面へ落ちる。
手が下りた。
面接官は、盾のない朝比奈さんの脇を通り過ぎて、奥の入口へ歩いていく。
走らない。
入口をくぐって、背中が見えなくなった。
朝比奈さんが階段のほうへ駆けだす。
ついさっきまで面接官が立っていた所を、大盾のなくなった背中が駆け抜けていく。
俺も走った。走りながら、ADさんとスタントさんを《収納》へ戻す。
振り返ると、奥の入口の中で、ドローンの光が角の向こうに溜まっていた。出てくる足音はない。
階段まで抜けた。
どちらの配信にも、階段へ走る二人は映っていない。
アセントで編集をしていた頃の俺なら、使える映像が1秒もないと頭を抱える回だ。
◇
第10層への階段を上りきり、広間の奥にある転移陣の前で、朝比奈さんが膝に手をついた。
二人とも、しばらく息しかしていない。
朝比奈さんの左腕から肩にかけてが、ジャケットの上からでも分かるほど腫れている。
俺のMPはほとんど残っていない。もう人形は1体も出せない。
「わたしの盾」
朝比奈さんは顔を上げずにそう言って、空いた背中に手をやった。
手は何もない所をつかんだ。
画面の人数合わせの係から名前を付けたエキストラさんを、俺は映らない部屋の奥に置いてきた。
腕の画面が短く震えた。左の面接官の配信が、またつながっている。
面接官は部屋の入口に立っていた。入口から岩の陰にならない折れ目の際なら、映像は手元の画面まで届く。そこにドローンを1台浮かべて、奥を撮らせている。
膝を曲げたままのエキストラさんが、大盾を抱えて立っている。その上に、朝比奈さんのドローンが1台浮いていた。
「皆さん、お待たせいたしました。少々、映像が乱れましたこと、お詫び申し上げます」
いつもの司会の声が、画面の外から聞こえる。
角のドローンが、その場でゆっくり向きを変えた。黄色い矢印が、画面の真ん中に来る。
「こちら、盾の方の大盾と、スーツの方の人形でございますね」
「お忘れ物でございます」
『逃げられてて草』
『盾置いてってる』
ドローンが向きを戻すと、入口に立つ面接官が映った。ジャケットの赤も、笑顔も、少しも乱れていない。
面接官は入口から一歩も中へ入らず、盾にも人形にも近づかない。
「お預かりはいたしません」
『取りに来いってこと?』
「盾の方がご自分で取りにいらっしゃる所も、よい画になりますので」
「本日は、ここまでといたしましょう」
面接官は深く頭を下げた。




