第36話 企画書にはございません
第11層の主要な通路を歩きながら、朝比奈さんが大盾を背負い直した。黄色い矢印が俺の半歩前で揺れる。
面接官の手合わせを、朝比奈さんは昨日の夜、一人で決めて受けた。手合わせは今日の夕方で、もう間もない。
「受けたの、昨日の夜に掲示板で知りました」
「言ったら、止めるじゃないですか」
朝比奈さんは振り向きもしなかった。
当たっている。先に聞いていたら、止める理由を一晩かけて並べていたはずだ。
「言葉で答えたら、頭だけ切られました」
面接官が上げた短い動画のことだ。答えの最初の1文のところで、きれいに切ってあった。
「だから今度は、どこで切られても、立ってるとこしか映らないやり方にします」
前を向いたまま、朝比奈さんは大盾の肩紐を握り直した。
「柏木さんは、見ててください。カメラに映らない所で」
「……朝比奈さんが決めることなので」
止めたいのに、俺の口は、決めるのを朝比奈さんに返していた。
そのくせ俺は、今朝のうちにこの通路を一度歩いてきた。
筋の残る壁の少し手前で、主要な通路から脇道が1本分かれている。
朝比奈さんを逃がすための道で、奥は電波が届かないから、入れば配信が切れる。
入口の暗さだけを目で確かめて、何も言わずに通り過ぎた。
人形は3体とも《収納》の中で、今日は自分のドローンも飛ばしていない。
映らない所で準備をしておくのは、元の仕事と同じだ。
腕の画面を2つに割って、右に朝比奈さんの配信を、左に面接官の生配信を開いた。
筋の残る壁の前に、先客がいた。
赤を差し色にした明るいジャケットに、ちょうネクタイ。何台ものドローンを周りに浮かせて、面接官が通路の真ん中で笑っている。
相手より先に現場に入って待つのは、撮る側の基本だ。
「皆さん、お待たせいたしました」
面接官は俺たちのほうでなく、自分のドローンのほうへ顔を向けて話す。
「養成所の型との手合わせ、お時間でございます。お相手は、新宿の盾の方。朝比奈柚さんです」
腕の画面の右と左で、2つのコメント欄が同時に流れだした。
『始まる』
『マジで受けたのか』
『Lv41対盾の子』
『来た来た』
「先日は、大変よいお答えをいただきまして」
「切ったじゃないですか、頭だけ」
「お届けしたのは、見どころでございますので」
朝比奈さんの言い返しにも、笑顔は少しも崩れない。
何を言われても困らない顔だ。
面接官はハンドマイクを口元に構えたまま、決まりを読み上げた。
「私が、盾の方の盾に10本、打ち込みます。打つのは盾だけです」
「盾の方がご自分で決めた場所から、一歩でも下がれば、養成所の型の勝ちといたします」
「お一人でお越しください」
目の前に来ている相手に、お越しください、まで読む。告知の動画から一言も変えないつもりらしい。
読み上げながら、面接官は歩きだした。俺たちの横を抜けて、来た道のほうへ回っていく。急ぐ様子はなく、歩幅は最後まで同じだ。
朝比奈さんは、横を抜けていく面接官を目で追わなかった。
「お帰りの階段は、私の後ろの1本でございますね」
第10層へ戻る階段を背にして、面接官はこちらへ向き直った。俺たちと帰り道の間に、この人が立ったことになる。
それから俺のほうは見ずに、腕の画面に指を1回滑らせた。
列を離れたドローンが1台、階段の側へ飛んでいき、脇道の入口の前でぴたりと止まる。
「脇道へお進みの際は、ドローンが最後までお見送りいたします」
今朝下見した道を、この人は来る前に読んでいた。
相手が逃げそうな側へ先にドローンを回すのは、押しかけた回のアーカイブで何度も見た手だ。あの1台は、この手合わせが終わるまで動かない。
「スーツの方は、映像の外でお願いいたします」
面接官は俺に丁寧に頭を下げた。
気づいたときには、俺も同じ角度で頭を下げ返している。
言われたとおり、面接官の背中のほうへ下がって、ドローンの後ろに立った。映らずに全部見える、いちばんの特等席だ。
階段の側から、脇道の口、俺、面接官、朝比奈さんの順に並んでいる。
朝比奈さんのさらに奥の壁には、石柱の部屋の入口が1つ黒く開いている。中は行き止まりで、逃げ込んでも出口はない。面接官もそちらを一度も見ない。
「盾の方。お立ちになる場所は、どうぞお好きにお決めください」
朝比奈さんは筋の残る壁の前で、床を一度見下ろした。
「ここ」
大盾の黄色い矢印を真下に向けて、床に突き立てる。
「《背水》」
光も音もない。朝比奈さんは両手で盾の縁を握った。
これで朝比奈さんはここから動かされないが、受ける痛みは1本ずつ全部来るし、よけることもできない。
面接官は手首を一度ほぐした。始める前の準備にしては、ずいぶん丁寧な手つきだ。
マイクを持たない側の手を、素手のまま軽く振り上げる。顔はドローンのほうを向いたままだ。
盾が鳴った。
鉄板を叩く音のあとに、低い音がもう1つ混じる。盾の裏で、朝比奈さんの腕まで響いた音だ。
「痛っ」
『1』
『動いてない』
『痛そう』
下がらないと言った場所から、本当に下がらない。
面接官の足も最初の位置から動いておらず、腕だけで打っている。
2本目、3本目と、面接官は同じ笑顔のまま打ち込んでくる。
打たれるたびに朝比奈さんの声が漏れて、矢印の上にへこみが1つずつ増えていく。
『3』
『なんで下がらないの』
「よ、4本目! 余裕です!」
『余裕の声じゃない』
『声震えてて草』
こんなときでも、カメラの前では強がる人だ。
5本目で、盾の縁を握る左腕が震えだした。中間ボスの牙を受けたときの打ち身が、まだその腕に残っている。
「5本目でございます。皆さん、盾の方はまだお立ちですね」
面接官は打ち込む手を止めずに、司会の声で本数を読み上げた。
人を叩きながら、天気予報のように数字を読む声だ。
「……まだ、です」
6本目。
7本目。
盾の縁で、朝比奈さんの両腕が小刻みに震えている。
左の画面の、面接官の配信のコメントが変わってきていた。
『7』
『盾の子すげえ』
『面接官より盾の子見てる』
ドローンは何台も面接官の周りを飛んでいるのに、配信の画面の真ん中に映っているのは、盾を据えた朝比奈さんのほうだ。
8本目。
『8』
9本目が盾を鳴らした。
朝比奈さんは声を噛んで、そこに立っている。
『9』
『あと1本』
『面接官のコメ欄にまで「いけ」って流れてる』
「……次、どうぞ」
気づくと俺は、腕の画面の縁を指の先が白くなるまでつかんでいた。
面接官の目が、一瞬だけ自分の腕の画面に落ちた。
同じ数字は、俺の画面にも出ている。面接官の配信の同時接続数は、7本目のあたりから伸びが止まっていた。右の朝比奈さんの配信の数字だけが、1本ごとに上がっていく。
見ている人が隣の配信へ移っていくときの数字だ。アセントの編集室で、俺も何度も見て、そのたびに胃が冷えた。
面接官の口の端が、一度だけ引きつった。
「では、10本目を……」
いつもの司会の声はそこで詰まって、続きが出てこない。
面接官が、振り上げかけた手を下ろした。
ハンドマイクを自分の口元へ戻す。
「皆さん。見ごたえのある9本でございました」
笑顔はもう元に戻っていて、一拍の間が空く。
「ここから先は、企画書にはございません」
10本目は盾に来なかった。
盾の縁の外の、朝比奈さんの左肩に入った。
朝比奈さんの体は少しも動かない。
声だけが途中で詰まった。
『は?』
『10本目、肩』
『肩は反則だろ、盾だけって言ったじゃん』
面接官は丁寧に頭を下げてから、もう一度手首をほぐす。
「養成所の皆さんに、謝っていただけるまで」
肩を打つ音がした。
「お口がきけるくらいには、加減いたしますので」
同じ音がもう一度続く。
「痛いです」
朝比奈さんは盾の縁から手を離さずに、顔だけを上げていた。
「謝りません」
右の画面の、朝比奈さんの配信のコメントが速くなる。
『もう下がっていいから』
『スーツの人いるだろ』
腰ほどの高さの白い人形、ADさんを《収納》から出した。
床に降りたところで、考えだけで面接官の背中へ走らせる。
手は出さないつもりでいたのに、肩を打つ2回目の音で、そのつもりはなくなっていた。
ADさんの左右の前腕には、大ムカデを倒したあとに、その牙を沈めて作ったくいが仕込んである。
ADさんが振り上がった面接官の腕に拳を当てると、前腕から黒いくいが飛び出す。
くいは届いた。
面接官はドローンのほうへ顔を向けたまま、空いている片手でADさんの頭をつかみ、床へ払い落とす。
ADさんは床を2回転がって止まった。
打ち込む腕のほうは、止まりもしない。
Lv41だ。Lvが20も違う相手に、ADさんの力は効かない。
「人形のお手伝いは……そうですね。盾の方の持ち点から、減点といたしましょう」
持ち点など、告知のどこにもなかった。
次の1本は、前より重い音がした。
朝比奈さんの息が短く詰まる。
「スーツの方には、映像の外で、とお願いしておりましたので」
面接官はこちらを見もせずに、ドローンへ向かってもう一度頭を下げた。
頭を下げる先まで、カメラのほうだ。
転がったADさんから考えを離して、腕の画面に目を戻した。
面接官の配信の同時接続数が、見ている間にも跳ね上がっていく。
『減点w』
『もっとやれ』
『止めろって』
『これ企画なの?』
俺が出したせいで、朝比奈さんの1本が重くなった。
ADさんを起こし、俺の前まで下げて止めた。外板に擦り傷が付いたが、まだ動く。
朝比奈さんの左肩は、ジャケットの上からでも分かるほど腫れて盛り上がっていた。
それでも朝比奈さんは、盾の縁を握り直す。
「謝りません」
俺の後ろには階段がある。朝比奈さんの逃げ道だけが、俺たちが来る前にふさがれていた。
脇道の入口ではドローンが浮いたまま動かず、朝比奈さんから見れば、帰りの階段は面接官の背中の向こうだ。
《背水》を自分で解いて下がれば、朝比奈さんはこの人の腕の届く所で倒される。解かなければ、打たれ続ける。
朝比奈さんが決めることなので。
いつもの言葉が口の中まで来て、そこから出てこなかった。
腕の画面で、AIの入力欄を開いた。
どうやって、とは書かない。入力したのは、目的の1行だけだ。
朝比奈さんを逃がし切りたい。




