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俺のスマホのAIだけ、ダンジョンの答えを全部知っている〜クビにされた配信の裏方、元職場が狙うボスを先に倒してバズる〜  作者: 月見まっちゃ
第3章

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第31話 中間ボスの広間の外で、口を出さずに実況した

「柏木さん。今日は、何も言わないでくださいね」


 大盾の革紐を締め直しながら、朝比奈さんが言った。

 第10層の、中間ボスの広間を前にした溜まり場。今日は朝比奈さんが一人で、中間ボスのデススパイダーに挑む日だ。

 協会のサイトに出ていた目安の日の、朝いちばんだ。後ろの壁際では、順番を待つパーティが2組腰を下ろしている。

 朝比奈さんは2組より先に来て、最初に挑む順番を押さえていた。俺に相談はなかった。

 広間の入口は人が2人並べば塞がる幅で、扉はない。のぞいても奥は暗く、クモが立ち上がるまではただの広い洞にしか見えない。


「……朝比奈さんの日なので」

「はい。わたしの日です」


 後ろの2組から、ひそひそ声が届く。


「盾の子だ。ほんとに一人で来た」

「あのクモに? 盾使い一人で?」


 朝比奈さんは聞こえているはずなのに、袖の安全ピンを一度だけ留め直して、自分のドローンに向き直った。

 俺も腕の画面の端に、朝比奈さんの配信を開いておく。


「おはようございます! 今日のやり方、1回だけ言いますね」

「クモが立ったら、顔の真下、頭の下に入ります。そこなら、脚も糸も届かないんです。真下に来た人に落としてくるお腹も、頭の下までは来ません」

「来るのは、牙だけ。牙は、盾で受けます」


 朝比奈さんが大盾の縁を指で2回叩く。


『牙だけって、牙がいちばん怖いやつ』

『盾1枚で受けるの?』

『見てるよ』


「頭の下が空くのは、前に見ました。見て、わたしが決めました」


 前に、というのは俺の配信のことだ。2体の人形をクモの真下へ滑り込ませた日の。


 筋は通っている。

 ただ、盾は1枚しかない。腕で掲げた盾1枚であの牙を止めきれるとは、思えなかった。牙に一度噛まれれば、数分で手足がしびれて動けなくなる。


 朝比奈さんを訪ねると告知した迷惑系の配信者の面接官が、今日の挑戦を知らせる朝比奈さんの投稿に返信を付けていた。


「面接官の返信、見ましたか」

「見ました。『楽しみにしております』って」


 朝比奈さんは画面も見ずに答えた。


「来たら、そのとき決めます。今日は、わたしの日なんで」


「朝比奈さん、牙は」


 そこで言うのをやめた。


 一緒に入りましょうか、も飲み込んだ。組めば2体でクモを止めて、楽に中間ボスを越えさせられる。それを分かっていて一人で行くと言った人に、俺の作戦を渡す日じゃない。


 入口の外の際に立って、自分のドローンを浮かせた。配信の題は〔新宿ダンジョン第10層 中間ボス、入口の外から〕にした。


「本日は、朝比奈さんの挑戦を、ここから実況します。私は入りません」


 ひと月近く前、俺が2体の人形でこのクモを倒した日、この溜まり場から実況していたのは朝比奈さんのほうだった。朝比奈さんが叫び、俺が黙って指を曲げていた。今日は席が逆になっただけだ。

 《収納》からADさんとスタントさんを出して、入口の脇に立たせる。立たせて止めておく間なら、人形はMPを食わない。

 2体はいつでも広間へ出せる。出すかどうかは別の話だ。


『スーツの人が実況?』

『入らないの?』

『盾の子一人で中ボスって』

『Lv足りてる?』

『無茶だろ』


 知っていて黙っているのが今日の俺の役目だ。


 朝比奈さんが広間の中ほどへ踏み込んだ。


 奥の暗がりが持ち上がる。

 大人の背丈の倍ほどある胴が、脚を広げて立ち上がった。横一列に並んだ8つの赤い目が灯る。

 ひと月ぶりに見ても、でかい。入口の外から見ると、なおでかい。


「立ちました。朝比奈さん、前へ――」


 言い終わる前に、朝比奈さんはもう走っていた。

 クモが薙ぎ払った前脚は、大盾の上を空振りする。吐いた糸も、さっきまで朝比奈さんがいた床に落ちるだけだ。

 ここまでは朝比奈さんの言ったとおりだ。


「入りました。頭の下です」


 後ろで誰かが腰を浮かせた。


「真下に入ったぞ、あの子」

「盾1枚で?」


 赤い目がいっせいに下を向いた。挑発は使っても光らない。かかったかどうかは、クモの顔の向きでしか分からない。


「挑発、かかりました」


 入る前に一度だけ言った手順のとおりに、朝比奈さんが動いていく。制作の卓から見ていたら、いちばん手のかからない演者だ。


 ただ、クモの頭は止まらなかった。

 クモが脚で向きを変えるたびに、頭の位置がずれる。立ち止まれば、朝比奈さんは脚の届く所に出てしまう。

 だから朝比奈さんは頭を追って走る。大盾は養成所の型どおり、胸の前に掲げたまま下げない。


『え、当たってない』

『真下ずるくない?』

『盾の子、足速いな』

『これ行けるんじゃね』


 石の床を蹴る靴の音が途切れずに続いている。

 頭の下を回り続けている限り、クモの脚は頭の上を過ぎる風でしかない。

 行けるかもしれない。


 クモの頭が下りてきた。

 牙だ。

 朝比奈さんは走りながら、掲げた大盾で牙を受けた。


 硬い音。


 朝比奈さんは盾ごと腕を外へ弾かれた。

 大盾が手から滑る。朝比奈さんは縁に指を引っかけて、片膝をついた。

 クモの頭がもう一度持ち上がる。


 俺は実況の声が出なかった。


『あ』

『盾落ちる』

『助けろ』

『スーツの人入れ』

『入口に人形いるじゃん』


 朝比奈さんの配信にも、コメントが流れる。


『逃げて』

『無理しないで』


 答えはもう頭にあった。2体を左右逆へ走らせれば、クモはどっちを追うか決められずに10秒で固まる。

 考えるより先に、俺はADさんを動かしていた。白い外板が入口の際まで出る。


「朝比奈さん、2体を入れれば」


 朝比奈さんがこっちを見た。

 膝をついたまま、朝比奈さんが右手を横へ伸ばす。いつもなら、俺の袖がある高さだ。

 何もない所で、朝比奈さんは手を止めた。

 そして前を向いた。


「わたしのです! 言わないでください!」


 俺はADさんを入口の際で止めた。

 入れない。下げもしない。

 今の俺に出せる返事はそれだけだった。


『入れないのかよ』

『いや、今のは入るなって言われたろ』


 朝比奈さんが走るのをやめた。

 クモの頭の真下、その場所で。


「……盾は、下げるな」


 小さな声だった。腕の画面の端に開いた配信が、ドローンの拾った声を流していた。

 養成所で毎日やらされたと、朝比奈さんが前に話していた型だ。


 朝比奈さんは、盾を下げた。


 胸の前から、床まで。

 いつも前を指している黄色の矢印が真下を向く。

 大盾の縁が石の床に突き立った。

 この音は前にも聞いた。突っ込んできた金色の甲虫を、朝比奈さんが大盾を据えてはね返した日だ。回廊の奥で、盾の縁が石の床を噛んだ音。

 朝比奈さんが肩から体ごと盾に預ける。


「おい、盾下げたぞ」

「やめろって、それじゃ頭が」


 後ろの2組の声は悲鳴に近くなる。

 盾を下げた盾使いは、ふつうなら受けるのをあきらめた盾使いだ。


 残りのMPで挑発を使える回数を、朝比奈さんが叫んだ。


「挑発、あと3回!」


 8つの目がまた下を向いた。

 朝比奈さんはもう頭を追わない。

 クモの頭のほうから下りてくる。


 牙が、盾に当たった。


 鈍い音。

 盾は動かない。

 朝比奈さんも一歩も下がらない。


「床に逃がしてる」


 俺の口から、実況が戻っていた。人形に指示を出すときの低い声だ。


 牙を盾に押しつけたまま、クモの頭が下りきって止まる。

 頭と胸の継ぎ目が、ちょうど朝比奈さんの短い剣の高さにある。


 突いた。


 クモの前脚が2本跳ね上がった。

 俺のドローンの映像には、入口の際で止まったADさんの白い背中と、その先の暗がりが映っている。床に据えた矢印の大盾の陰から、朝比奈さんが剣を突き上げていた。


「止めてる。盾1枚で止めてる!」

「嘘だろ、下げたほうが止まるのかよ」


 後ろの2組はもう立ち上がっている。


「あと2回!」


 朝比奈さんの声で、上がりかけた頭がまた下りる。

 牙は床に据えた盾で止まる。

 朝比奈さんが2回目を突く。


「あと1回!」


 3回目の剣が、継ぎ目に沈んだ。


 クモが、腹から崩れた。

 床に届く前に、光の粒になる。


 魔石が1つ、大盾の前に転がった。


 ◇


 広間の中ほどで、朝比奈さんは盾にもたれたまま動かない。

 後ろの2組も声を出していなかった。誰かの手から水筒が落ちて、溜まり場の床を転がっていく。

 朝比奈さんの左腕はだらりと下がっている。盾ごと弾かれたほうの腕だ。挑発に使ったMPも、もうほとんど残っていないはずだった。

 それから朝比奈さんが、跳ねるように顔を上げた。


「Lv19になりました! 16から、19!」

「称号、番狂わせと、孤軍です!」


 俺がこの広間で一人でクモを倒した日に付いたのと、同じ2つの称号だ。

 そこで朝比奈さんの声が1回裏返る。


「それと、ユニークスキル、出ました! 『取得可能なスキルに、ユニークスキル、《背水》が加わりました』って!」


 背水の陣の、背水だ。


 朝比奈さんが、入口にいる俺のほうへ向き直った。


「これで、Fから一気にDです! 柏木さんと同じです!」


 中間ボスはDの相手だ。格上を一人で倒せば経験値は一度に入り、魔石を窓口に出せばランクもEを飛ばしてDになる。


 それから朝比奈さんは、宙の一点を見つめた。ステータス画面を開いている顔だ。

 今度は入口のほうを一度も見なかった。


「取ります!」

「貯めてたんです、スキルpt。養成所は、まず《盾術》って言ったけど、言われて取るの、嫌だったんで!」

「自分で決めるまで、1個も使わないって決めてたんです!」


 短い間があって、朝比奈さんが剣を持ったままの拳を突き上げた。


「取れました! 『《背水》を取得しました』って!」


 拳を突き上げたまま、朝比奈さんが宙の文字を読む。


「説明……『決めた場所から、退かない』」


 そこで、ひと呼吸ぶん声が止まった。


「これ、わたしがさっきやったやつじゃないですか!」


 後ろで誰かが「ユニーク?」と聞き返した。

 腕の画面のコメントが、2つの配信とも読めない速さで流れはじめる。


『盾1枚で中ボス倒した』

『ユニーク出た!?』

『スキルpt貯めてたの』

『言わないでくださいで泣いた』

『盾下げて勝つの意味わからん』


 俺の配信の同時接続数は4万8千まで上がっていた。

 朝比奈さんの数字は見なくていい。どうせ本人が叫ぶ。


「……朝比奈さんの勝ちです」


 実況はそれだけ言って終え、配信を切った。登録者数は56万になっていた。


 朝比奈さんが魔石を拾って、広間から出てくる。

 朝比奈さんは膝が笑っていた。左の肩をかばい、大盾を右の肩だけで背負い直している。

 大盾の黄色い矢印の上に、新しいへこみが増えていた。角の跡が1つと、甲殻の跡が1つと、牙の跡が1つ。3つ目だ。

 朝比奈さんは俺の前で手を上げかけて、いつものように俺の袖をつかむ手前で止めた。


「7万! 柏木さん、7万いきました、7万!」


 止めた手を、そのまま自分の腕の画面へ戻す。


「コメント読みます! しじみさん、ありがとう!」

「ぬまたさんも! えっと、次……」


 コメントを読み上げる声が途中で止まった。


『スーツの人と組めば楽に門越えられたのに』


 朝比奈さんが振り返った。

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