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竟憶のリトロス  作者: 鉄乃 鉄機
9章:撤退
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第87話「それが彼女に与えられた全て―2」

『まったくカルサ少佐殿は、今更なにを気にしておられるというのだ。軍人なら目を背けることを覚えていて良いはずだろうに。まあいい、ヴァルノートの起動準備を急ぎ進めよう』

 きっと先程までの通信は終わったのだろう。白衣姿は壁面埋め込み型モニターから離れ、のろのろと毒づく男の声だけが、マイクの拾った音声の一つとして聞こえて来た。見ている景色も生のものでは無く、サブモニターの小さな枠に切り取られた光景の一つでしか無かった。

 世界から隔絶されているという感覚は、なにも分厚い装甲に周囲を囲まれているという事実だけに起因するものでは無い。また一つ、どこか遠いところで世界は動いているのだという実感がもたらされる。自分自身が決められる事などは何も無くて、ただ存在を許してくれているというだけの世界。彼女の人格を支える数少ない記憶において、取り巻く世界はいつでもそうだった。

 始まりは一年前、いやもっと前だったかもしれないと振り返ろうとしても、それ以上の追憶は彼女にとって許されない。(もや)が掛かったような不明瞭さを以て、過去の記憶は(つまび)らかにされる事を良しとしないのだ。だから彼女は、自分が何であるかと問う事を止めていた。

『――メイカ=アシュレイ、私の声が認識出来ているか』

「はい、聞こえています」

『制御モジュールの認識機能は安定しているようだ。リンクを開始しよう』

 誰かが動かしている世界に、自分がただ取り込まれているという感覚。それに抗いようも無い、どう抗えばいいのかすら分からない彼女は、素直に指示を守る事こそが、自分の居場所を守る唯一の術なのだと信じる。こうしてコックピット内に収まっている事も、これから戦いに行くのだという事も、その為には等しく必要な行為なのだと信じる。恐怖をも含めた実感の先に立つのは、まるで自分が人形か何かであるかのように振舞わねばならないという義務感だった。誰もそれを否定せず、むしろ望んでしまったという歪み切った環境の中で、自らの異常性に気付けない彼女に罪は無い。彼女は、自らの握っているトリガーの重さを知らない。

 ……私、いつまでこんな事をしなくちゃいけないの。

 ごわごわと締め付けるような圧迫感しか与えないパイロットスーツも、起動する度に目眩で吐きそうになるこの機体(ヴァルノート)も、嫌いだった。でも、逃げられない。逃げられる場所を知らない。

 スピーカーから聞こえて来る、『MNCSリンクシテムの作動開始』という声が始まりを告げる。

 電子音を伴うアナウンスと共に、座っているシートが微振動に震える。それをいつもの感覚だと認識する一方、身体までもが抑えようも無く震える。強烈な不快感とそれに呼応する恐怖を条件付けられた感覚の中にあって、まずは視界がぐにゃりと歪んだ。じわじわと薄れゆく五感と共に、音が歪み、空間が歪み、現実感までも喪われていくのが感ぜられた。身体が煙のように霧散する、真っ白い光が噴き上がり、意識を包み込む。さながら白昼夢のような体感を得ていた最中、ふっと現実の感覚が遊離する意識を引きずり戻す。

 唐突に現実へと引き戻され、半端に覚醒した脳髄が五感を認識する。真っ先に形として認識されたのは、喉元になにかが込み上げて来る感覚だった。得体の知れない気持ち悪さが、脳髄を埋める圧迫感となって現出する。肩を上下させつつその不快感を抑え込む彼女は、ようやく自分が〝いつもの感覚〟を終えたのだと知る。やはり、五感がどこか遠くに離れてしまうような感覚があった。ちゃんと手足が元通りにあることを確かめたくて、パイロットスーツの固い生地の中で皮膚の感覚を確かめてみる。一抹の不安が過るも、指の一本に至るまで滑らかに動いてくれる。当たり前と分かってはいても、やはり安堵する気持ちがあった。

 どこか沈滞した思考がぐるぐると脳内を蠢く中、誰とも知れぬ声の連鎖がまたコックピット内を占領していく。

『仮想マシーン、MNCS制御系との接続を確認。精神流体〈S.P.I.O.〉のフレーム被覆率が規定値を突破しました』

『専属パイロットのバイタル安定。脳内電位異常跳躍パターンの形成はシミュレーション通りに行われている模様。ステージⅡまでの接触深度を維持しています』

 ……この人たちが何を言っているのか分からない。

『仮想マシーンと投影モデルとの差異は安全域にあると確認。相違パターンは理想拡散モデルに従って修正されたし。ISCT(イスクト)モジュールの思考介入深度は現状維持が推奨されています。状況安定』

 ……何を言っているの。私はどうすればいいの。

『精神流体〈S.P.I.O.〉の走査パターンは、既定の解析情報に合致。精神流体〈S.P.I.O.〉リンケージシステム、オンライン。MNCS制御系統の安定稼働が確認されました』

『ヴァルノートの起動シークエンス終了を確認しました。出撃可能です』

 出撃――。予め研究員から示されていた指示にあって、最も重要とされていたもの。居場所を守る為にはしなければならないと、彼女自身が信じているもの。それさえ実行可能であれば、もはや他の情報などは無意味だった。

「出撃……行かなくちゃ」

 心に焼き付けられた義務感に従い、彼女は意識してT字に刻み込まれたヴァルノートの〝目〟を開かせる。機体を収めるのに精一杯、といった空間しか無い簡易格納庫(ハンガー)内は、その仄かな光によって微かに照らし出された。

 コックピット内壁を覆うモニターに、幾筋かの電子的な(きらめ)きが走る。それを予兆として途端に開けた視界は、詳細な情報表示に飾られ、暗く閉ざされた全景として彼女の前に映し出される。まったく、専門人員の規定する手順そのものだった。次は機体各部のチェックと、既に染み付いた手順は思い出されるまでもなく、身体を動かす。意識すれば却って出来なくなってしまいそうな、半ば無意識に任せて進んでいく動作が、着々と積み上げられる。

 動作の合間にふと、自分がどうしてこの作業をこなせるのかと違和感を覚えるも、その先にある答えを彼女は思いつけない。予めプログラミングされていたかのような滑らかさで、するべき事が出来てしまうというだけなのだ。淀みなく動き続ける手付きが、瞬く間に発進前の規定事項を消化してしまう。作業の終了を管制側で感知してか、ほぼ仰向けに置かれていたヴァルノートの前面――簡易格納庫(ハンガー)の天井面――が、ぱっくりと左右に割れていく。

 発進のため開かれていく装甲シャッターの隙間から、光が差し込む。メインカメラの捉える薄明るい暁光は、コックピット内にも再現されて、暗闇に沈むメイカを照らし出す。その時、何故か脳裏にフラッシュバックした記憶があるのは、彼女自身にとっても不思議だった。

 暗い閉所、差し込む明るい光、そして――差し出された手のひら。最後に思い出されたものだけが今は見当たらなくて、彼女は無意識に手を上に差し出す。伸ばせばそこに触れるものがあると、信じていたのかもしれない。〝かくれんぼ〟という突拍子もなく浮かんだ発想が、それらのイメージを束ねる記憶だった。過去に誰かと遊んだような記憶があるようで、詳細には思い出せないまでも、脳裏にはまだ少年と言える男のイメージが浮かび上がる。名前はなんだったろう――。

『メイカ=アシュレイ、やるべき事は分かっているね』

 没入した意識に介入するだけの強制性を以て、問いが投げ掛けられた。「分かっています」と、これもまた反射的に返しただけの言葉が、考えるともなく吐き出される。とにかく、思い出そうとする努力を邪魔されたくは無い。ようやく掴めそうな取っ掛かりを記憶に見出し、彼女はそれを逃さぬよう真っ白な過去を探ってみる。

 ヴァルノートが簡易格納庫から立ち上がり、曙の空にその黒曜石のボディを晒した時でさえ、頭の中はようやく見つけたかもしれない記憶の一片に満たされていた。どうしても、思い出したかった。でも――。彼女自身も意識せぬ間に、レバーを握る手には静かな力がこもる。これ以上は余計な事を考えていられないのだ。

『一機だけでいい、敵の砲撃型だけを抑え込むんだ。砲撃を避けて時間稼ぎをすればそれでいいんだよ』

 まるで刷り込むような声だと感じた。しかし、従わねばならない声でもあった。メインジェネレーターの微振動が、にわかに緊迫を帯びた物へと変わる。

「メイカ=アシュレイ、ヴァルノート、作戦行動に入ります」



「ヴァルノートの出撃を確認しました。既定ルートに沿って、トール機動部隊の側方に布陣するものです」

 簡易格納庫車両の指揮所からは、格納庫ブロックに備え付けられたカメラを通して、出撃したヴァルノートの背中を見て取る事が出来た。カルサの見たところホバー機構に問題は無く、進出速度は予定にあるものと一致している。少なくとも敵砲撃型との接触タイミングを逃す、という事態は回避できそうに思えた。ひとまず不安の一つを取り除く。

「通信回復! さっそく報告が入っています」

 改めて画面を注視するカルサに、オペレーターは声を上げた。先手を取られてからこっち、有線回線でさえ阻害されていた通信状況が回復したという事らしかった。既にヴァルノートを出撃させてしまったカルサではあるが、事後報告であっても報告は入れねばならない。だが、その前にこちらに届いていた報告があると言われれば、先に聞くのが道理だ。

「続けます。偵察ドローンは全て砲撃により失われたとの事です。加えて、確認できただけで三機の艦載トールが展開中。うち砲撃型一機は別ルートを取って、こちらの方角へ接近しているようであります」

 先に仕掛けられた、との予想を裏切らない報告だった。敵はこちらの襲撃を感知し、電子対抗手段〈ECM〉を講じる合間にあまつさえ自軍の布陣さえやってのけた。やはり手強いとの感触を、カルサは新たにする。

「それならヴァルノートへ、ミッションプランの修正を伝えるんだ」

「いえ、それはオフド少佐の隊から伝えると―――。国境パトロール部隊の方から、ちょうど通信が入っているようです。暗号化有線回線、繋ぎます」

 先程までノイズを垂れ流すばかりだったヘッドセットを、改めて手に取る。耳にスピーカーを押し当てれば、はっきりとしたオフドの声が聞こえて来る。だが、カルサはすぐにそれを、通信相手たる自分に向けられている声では無いようだと断じた。あちらから繋げておいてなにを考えていると、非難の考えが浮かばないでもないが、しばらく待つしか無い。

『まさか全部撃ち落とすたぁ、やってくれるぜまったく。さて、ドローンが撃ち落とされた時のデータは取れたな?』

『はい。深刻な電波障害……いえ、妨害電波の照射により精密な座標の受信は出来ませんでしたが、砲撃性能の推定値は出せます。少佐のご指示通り、ドローンの配置についてはそれぞれ位置条件を変えてありましたので』

『なら、トール機動部隊にデータを送っておけ。あっちにはよっぽど優秀な電子戦機体が居るらしいが、今は砲撃型に気を配ってれば問題無いだろう。なにせあのデカブツの欺瞞情報が、それらしく三重に垂れ流されていると来たもんだ。とっとと前衛を潰すに限る』

「あれが電子戦機体の仕業だと? トールがそれだけの電子戦性能を発揮できるか」

 まさかという思いと共に、しばらく閉じているつもりだった口が勝手に開いてしまった。「居たのか」と素っ気なく呟くオフドが、ようやく意識をこちらへと向ける。

『付近に大型戦艦級の機影なんぞねえんだ、だったら艦載機の仕業だと考えるのが自然だろうよ。それよりもだ、出撃したヴァルノートについてはどうなっている?』

「機体、専属パイロット共に問題は無いとの報告を受けている。敵砲撃型と会敵しても、時間稼ぎをするように伝えてあるだけだ。無闇なことをしなければ、まず砲撃には当たらないだけの機動性もある」

 少女を戦場に送り出すような真似をしてさえ、カルサはその点に限っては自信を持っていた。

 ヴァルノートの最大の武器は機動性。パイロットをも含めた制御モジュールの反応速度は極めて高い域に達しており、通常の交戦距離内ならば発砲を視認してからでも充分避けられる。無論、実戦はこれが初めてであるから、データ収集時の実験条件とは大きく乖離(かいり)している事を考慮しなければならない。だが、それでも充分信用に足ると判断したからこそ、オフドも実戦への投入を考案したのだ。それでカルサの抱える罪悪感が和らぐ訳では無いが、なにも死にに行かせる訳では無いのだと断言できる事は、多少の救いにはなり得た。

「あれには……あれを捨て駒とするつもりでは無いんだろう?」

『当たり前だろうが。メイカとか言ったか、あのパイロットを死にに行かせる訳じゃねえよ。問題が無いとは言わないが、それこそカルサ少佐だって分かっているんだろう』

「ああ、それは分かっている」

 共犯者を前にすれば反論のしようもない。カルサは素直に認める事とした。だが、オフドは『しかしだな』と更に言葉を続けようとする。

『いったどんな力が働けば、あんなお嬢さんをヴァルノートに乗せられる? 俺には政治の力学はちと難しいようなんでな、教えてくれよ』

 オフドのにやりと笑む顔が浮かぶような、心底、意地の悪い質問だった。こうまでして軍内の綱渡りをしようと企む男が、広義で言うところの政治を理解していないはずは無い。しかし悪意が無いことは分かりきっていたから、カルサも応じる気になる。

「オフド少佐がこうして、無茶な戦力徴発の許可を取り付けられた理由と同じだ。本来の命令系統にすら介入できる権力、いっそ魔法の類だろう」

『そうだろうな。そして、その魔法使いの住処は軍務監査委員会ってところか』

 早速、無知を装うことに飽きたらしいオフドは、単刀直入な推測を持ち出してくる。否、カルサはそれが推測では無く、正確な事実である事をよく知っている。だからこそ次に飛び出して来るであろう名前も、この時の彼は予測できていた。あの名前を持ち出さなければ、実態を語れる組織では無い――。

『カネス=ハルマンに近付こうとするなら、どこまでも優しい連中だ。あの女に杭を突き立ててやれってな。俺だって元出資者の連中に会うまでは、関わる事なんぞ無かろうと思っていたんだがな。分からねえもんだ』

「連中がこうまでするのは、あの女が怖いからだ。ハネス=カルマン准将という存在に体現される、軍組織の行動力を徹底的に封じ込めようと躍起になってる。私たちも含めて、連中の支援工作を受けている人間が何人居るかも分からない」

『流石、ハベラ第三自治区における防衛戦の後、政府筋の議員どもが奔走しただけはあるぜ。委員の連中がなんでそこまで熱心なのかは知らんが、恐ろしく執念深い。まるでハネス=カルマンに張り付こうとするナメクジだ。が、俺たちはその中の一匹になる事を期待されている。なんともやる気が出て来るな?』

「言われなくともやるつもりだ。でなければ、統合総司令部の中核に近付くなんて事は……」

 分かっていた。自分が駒の一つとして利用されている事も、その中で自らの目的を達するにはナメクジの如く這い回らねばならない事も。だからこそ、汚く塗れた希望であっても必死に縋らなければならない。まずは一つ、ヴァルノートという存在に縋った自分達の姿を見つめ、救いようの無さを確かめる。視界から消え、もはやマップ上にのみ姿を見せるヴァルノートの位置座標は、ただ遠いものだった。


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