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竟憶のリトロス  作者: 鉄乃 鉄機
9章:撤退
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第86話「それが彼女に与えられた全て―1」

 戦闘開始の火蓋が切られる数分前。直線距離にして、ホエールより十数km離れた地点。そこには飽きる事無く群生する木々、緩やかな傾斜を為す森林地帯の一つが広がっていた。緊迫に張り詰めた匂いを充満させながら、それでも未だに静けさの支配する場所だった。迫りくる戦いの気配など素知らぬ風を装う高木(こうぼく)たちが、延々と肩を並べている。

 だが、どうにも隠し切れぬ異物はあった。見通しの良い開けた地形を避け、敢えて混み合う森林地帯にへばりついている小型艦艇がそれだった。凹凸の少ない平べったいボディに、尻尾の如く伸ばされた有線通信用ケーブル。さながら海底に潜む扁平な魚類を連想させる様子は、全長7m程度という大きさを以てしてもやはり拭い切れるものでは無い。むしろ、獲物を虎視眈々と狙う姿勢という意味では全く同質のものとさえ言えた。第五十二辺境機動警備隊に配備されている装備、ゲルバニアン軍の小型連絡用艦艇が為すハンティングの図である。だが、最大の牙たるトール機動部隊を、彼らの近傍に見て取る事はかなわない。

 小型連絡用艦艇の狭苦しい指揮所には、例の如く数人の男たちが詰め込まれている。中でも苦虫を潰したような顔を浮かべて戦況を見守るのは、前面モニターを睨むオフドだった。幾つものウィンドウに分けて表示されている映像、つまり予め配していた偵察ドローンがもたらす情報は、彼にとって都合の良いものでは無いのだ。

「デカブツが動きやがったな。想定より迅速な反応ってところか」

 事態そのものは単純だった。要約すれば、敵艦周辺へ偵察ドローンを浮かべていたはいいものの、監視ネットワークの形成から十分と経たない内に勘付かれてしまったようなのだ。いずれにせよ戦闘ともなれば見つかるのだから、敵艦後方上空へ高度を上げて配置する事自体は想定済み。だが、問題の本質は敵艦が見せた対処の速さにある。映像の中に映り込む敵大型輸送艦は、既に外付けの発射装置と思しき装備を展開させ、まさに側面ハッチまでも展開しようとしている。こうなっては、例のトール部隊(・・・・・・・)が出撃して来るのも時間の問題と言えた。今回は骨のある抵抗が見れそうだと、彼は微かな期待と不安を以てモニターを見守る。

「なら、こっちも予定を早めさせてもらおうじゃねえか。自走砲撃隊には間接射撃の用意を、トール機動部隊には戦闘配置を急げと伝えておけ。とっとと仕掛けねえと連中に先手を取られるぞ」

 オフドがそれだけを言えば、オペレーター達は自らのこなすべき仕事の意味を理解したようだった。「了解」という複数のくぐもった声が、狭い指揮所に木霊する。直後に電波として飛ばされた命令内容は、小型連絡用艦艇より更に20km以上後方に控える自走砲部隊へ、そして敵に近接すべく最前線で待ち構えているトール部隊へと届けられる。

 既に彼らには、詳細な作戦概要を叩き込んである。無論、作戦展開に対する理解の齟齬がミスを引き起こさぬよう、普段から徹底しておくべき事であるのは間違いない。だが、今作戦については熱の入れようからして違った。オフドは作戦内容の説明に関していつにない繊細な配慮を見せ、部下たちの心中に少なからぬ戸惑いを引き起こしている始末なのだ。彼自身もまた、普段通りとはいかない手順を踏む上で、奇妙なむずかゆさを抑えなければならなかった。

 そうまでするからには、やはりそれなりの理由がある。

 細々(こまごま)とした表示の並ぶサブモニターを見つめるオフドの視線は、まさに扱いの厄介な事物を見つめる際のそれだ。サブモニターに存在を示す暗号化有線回線の表示は、繋げられている通信の性質を示している。仄暗いながらも明滅し、これは間違いなく平穏な内容を伝えるものでは無いと暗に示して来ている。加えてヘッドセット越しに『オフド少佐』と呼び掛けられれば、彼の表情からは更に気楽さの成分が抜けていった。

『敵輸送艦がこちらの動きに気付いたというのは、どうなんだ』

 経年劣化の兆候が見られるスピーカーの恩恵で、通信音声には不快なノイズが散らしてある。それでも間違えようは無い。ここ数日で聞き慣れた声は、カルサのものだと分かる。戦場で彼の声を聞くことへ反射的に違和感を覚えるも、〝状況〟を考えれば至極当然のことと思い直すオフドだった。

 基地司令官の地位から振り落とされかかっている男が、なし崩し的に基地戦力を率いて追撃戦を仕掛けるという〝状況〟。そこだけを切り取れば全く愚かしい話と言えたが、軍上層部が然るべき怠慢を以て対応してくれれば、オフドとしてはそれで良い。無論、カルサも理解の上で道化を演じている。その結果が、カルサが前線まで出張って指揮を執るなどという光景を生んでいるのだ。書類の上では、彼らの率いる部隊は偶然にも(・・・・)ここで合流したに過ぎない。

 更にオフドにしてみれば、この戦闘は複数の意味を含んでいる。既成事実を造るべく演じられている劇、そして自身の復権への足掛かりとなる戦果を手にする機会。なにより自身に押された無能の烙印を引き剥がそうとすればこそ、後に退くという選択肢はオフドにとってなおさら無意味なものとしか映らない。

 だが、それらに実を持たせるにはやはり相応の戦果も必要なのだ。既に幾つも吹っ掛けている賭けに勝ち続けなければ、先は無い。そして、その最たるものが何であるかは――。わざわざ思い返す必要も無いほど強烈な存在感を放っている。

 今回の作戦の成否を握るやも知れない、黒曜石の装甲を持つ人型。無謀という二文字と共に、オフドの脳裏にはヴァルノートのしなやかさを秘めたルエットが浮かぶ。

「ああ、敵に気付かれたらしいってのは本当だ。いいからカルサ少佐はヴァルノートの面倒を見ておくことだ。こりゃあ指揮官としての勘だが、どうも出番は早くなりそうだぜ。うかうかしてるとこっちが仕掛ける前に連中が動く」

 今回の作戦の要。地下から引きずり出した巨神像の面倒を見るのは、偏にカルサの役割だった。仮にも基地司令として人員を動かせる立場にあるなら、関連機材や人員を外に引っ張り出す事も可能だろうという事だ。自分の見立てが正しいかどうかはともかく、彼に託している役割は大きいとオフドは理解する。

『了解した。あれの移送に使える簡易格納庫(ハンガー)車両があって幸いだったが、今は技術陣が占領していてかなわない。門外漢は黙っていろということらし――』

 ヘッドセット越しに聞こえるカルサの声が急激に遠のいたのは、その時だった。とっさにヘッドホン部分を耳に押し付けるオフドだが、意味は無かった。スピーカーを震わせる信号に夥しいノイズが紛れ込み、もはやまともに言葉と認識出来るものを見つけられない。慌てて復旧を試みるオペレーター達をよそに、オフドはただノイズを垂れ流すばかりとなったスピーカーを睨む。先手を取られたという事態が、誰よりも早く彼に理解されていた。



 通信が途絶えた時刻。有線通信用のケーブルを3kmほど辿って行った先に、カルサは居た。正確には、そこに彼と彼の率いて来た人員を収める簡易格納庫(ハンガー)車両が停車しており、幾分埃っぽいヘッドセットのスピーカーを通した先にカルサが居た。

 車両後部に大きく張り出す格納庫ブロックを巨大な殻に喩えるなら、彼の居る場所はそこから少し突き出た中身(・・)。全体としてみれば四角いヤドカリのようなシルエットを為している為、さながら本体の中に埋め込まれた脳神経節のような実態と言える。その内部には車両というよりも、小型連絡用艦艇の仕様に通ずる電子機器が備えられており、背負い込んだ格納庫ブロックの制御を担うことも出来る。数名のオペレーターによる運用が前提であるから、指揮兼監督役として後ろに控えるのはカルサを置いて他にない。が、前面に配されたディスプレイ・モニターにかじりつくような姿が、この時にはあった。

「これは有線回線のはずだが、ここまでのノイズが走るとは……一体何が起こった」

 突如として発生したノイズがオフドとの通信を阻む。真っ先にスピーカーの故障を疑う彼だったが、それも当然だった。安定した通信環境を望める有線方式にあって、それ以外の理由を疑えという方が無茶だった。だが、数十秒の後に聞こえて来た砲撃音が、別の可能性を示唆する。幾度に亘って鳴り響く独特の砲撃音は、間違いなくこちらが仕掛けた物でない。

「少佐、ケーブル敷設域に電磁パルス〈EMP〉反応を検知しました。どうやら、異常な強度のサージ電流が通信信号を阻害している模様です」と、部下から上げられる報告もある推論を支持する方向へ傾いていく。

 たしかにこの有線回線用ケーブルには、本格的な対電子妨害手段〈ECCM〉に類する機能が無い。だが、一定レベルの電磁パルス〈EMP〉に対する防護措置を突破してなお、通信を攪乱させるほどの強度を持つ電磁場の乱れは異常だ。雷雲も見当たらぬ暁天から、それほど強力な雷が降って来たという冗談は無い。とすれば、もう少し信憑性の高い冗談を信じてみるべき状況だった。

「砲撃に加えて、これが敵の仕掛けている電子攻撃の威力なのか……? しかしこの信号強度はおかしい。敵に電子戦対応型の戦艦クラスが居るとは聞いていないぞ」

 腹の底に響くような爆音がびりびりと空気を震わせる中、カルサが基地より動員してきたオペレーター達が解析作業を進める。先の基地襲撃の際、防衛戦力やその格納庫群は悉く潰されてしまったが、戦力と判断されなかったらしいこの簡易格納庫車両は残った。慣れない機器環境の中で作業を進める彼らは、傍目にも悪戦苦闘といった様子で作業をこなしている。その中で、振り返って来たオペレーターの一人が「これを見てください」とモニターの一つを指す。

「既に我が方のトール機動部隊が動き始めた、との情報です。通信状況は相変わらずですが、どうやら既に作戦は開始されているらしいと」

「トール部隊が既に出ただと? 早過ぎる」

 それは必ずしも事前に打ち合わせた通りの動きでは無い。今回は目標に対し、トール部隊による至近からの奇襲を仕掛けた上で、遠距離砲撃で直接沈める作戦では無かったのか。壊滅させられたタレー特設基地からようやく引っ張り出してこられた自走砲群なのだから、無下に扱うはずは無いはず。定型通りに思案してみるカルサだが、既に意味を為さないものである事も分かっていた。

 予定は予定に過ぎない。敵に先手を取られた事が明白ならすぐに動き始める。そういった姿勢はまったくオフドらしいと感じる一方、その柔軟さに自分が追随出来るのかと言う一抹の不安を覚える。彼に出来る事と言えば、それこそヴァルノートの面倒を見てやることくらいのものなのだ。

「よし、こちらもヴァルノートの出撃を早めさせる。起動状況はどうなっているんだ」

 車両後部に抱えられている簡易格納庫(ハンガー)では、たった今も専門人員による起動作業が行われている。学問畑に浸って来た彼らが、いかなる感慨を以て作業に従事しているのかは知らないが、戦場に出てきた以上はやるべき事をやって貰わねばならない。そんな軍人としての傲慢な考えを振りかざす事になろうとも、彼は急がねばならない状況にある。専門人員たちも自らの立場を分かっての上か、代表者を立てた上で後部格納庫ブロックより直接通信を繋いで来た。戦闘時にも関わらず奇妙にのっそりとした口調が、スピーカーを震わせる。

『カルサ少佐殿、起動準備の進捗率は80%と言ったところでありますよ。我々としてはこれ以上、作業を早めるよう言われても、対応できる状況には無いと考えております』

 あくまでマイペースを崩さない代表者の返答に、カルサはため息を隠そうともしない。戦闘という状況を把握していないのか、あるいは把握した上でそう振舞えるのか。後者だとしたら大した胆力を持ち合わせているものだと感心する一方、軍人としての訓練を受けていなければこういうものかと呆れもする。

 そう感じた途端、カルサは自分が何か重大な見落としをしているような感覚を覚えた。だが、答えに辿り着くまでに時間は掛からなかった。それだけ単純な事だったのだ。つまりそれは、あまりに深く状況に組み込まれてしまっている故に、もう誰も気に掛けようとはしない一人の少女の存在。先程まで考えもしなかったという事実が信じられない程に、その存在が強烈な違和感となって思考を曇らせる。

『しかし、軍のつまらぬ安全規定について二三の見逃しを頂けるのであれば――』

「専属パイロットの方はどうなっている?」

『……は?』

 今更だという自覚しか無かった。だが、ここで存在を無視したなら、ひどく後味の悪い罪悪感が喚起されるような予感があった。唐突に言葉を遮られた代表者の戸惑う様子を感じ取りながらも、カルサは黙って返答を待つ。

『あー、既にコックピットに待機させておりますよ。それに専属パイロットの生体情報(バイタルサイン)の値はいずれも安定しております。若干、脈拍が速いものの、環境変化によるストレス反応を加味すれば誤差値の範囲に収まることでしょう。運用には支障ありません』

 そういう事では無いと、とっさに出かかった言葉がのどで引っ掛かる。これまで進めてきた作戦計画に従うなら、聞くべきはまさにそういう答えであるはずなのだ。

 カルサが基地司令に赴任する前から、地下区画において保護されていたという少女。彼女にとっての不幸は、搭乗者を悉く錯乱状態に至らしめるという魔物に、適合者として見出されてしまった事だった。現に、何の権限や制度を以て保護対象としているのかも分からぬ彼女を、パイロットとして戦場に投入しなければこの作戦は成り立たない。特に厄介な砲撃型を抑え込む方策として、彼はそれ以上の案を出す事が出来なかったのだから。

 もしこの作戦を成立させなければ、自分はタレー特設基地陥落の責を問われ軍法会議に掛けられる事だろう。そしてそれは、故郷が焼かれた顛末を確かめる事すら出来ずに終わるという結末を意味する。想像し、カルサはそんな未来を拒否したいと願った。ならばするべき事は、初めから決まっている。そう、偽善の下では初めから分かっていたと認めざるを得ない。

「そうか。非常時につき規定は緩めても構わないから、ヴァルノートの出撃を急がせてくれ」

『……了解しました、少佐殿』

 もはや反論も諦めたと見える返事を最後に、簡易格納庫(ハンガー)との通信は切られた。自分が酷く惨(むご)い事をしているという苦さは、カルサの口中にしつこくまとわりついて離れない。


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