八 泣き方
真っ暗な世界に光が差し込んだ。その光に導かれるがまま瞼を開けば、見慣れない景色が飛び込んできた。白い天井が広がっているのを見て、自分が仰向けに寝ていると悟る。身体を起こそうとしたが、腹部のあたりになにやら重たい感触があったため諦めた。
「……ここは?」
声を発した瞬間に視界の端で何かが動いた。重たい感触が消えて、代わりにこちらを覗き込むレオの姿が目に入った。目に涙をいっぱい貯めた彼の姿を見て、なぜか美しいと思ってしまった。
「よかった!ヒイラギ生きてた!」
レオはぽたぽたと涙を流しながら言った。そういえばナイフで刺されたんだったと他人事のように思い出す。レオにぎゅっと抱きつかれたが、不思議と痛みは感じなかった。気を失うほどの痛みだったはずなのに、俺の身体はどうなってしまったのだろうか。
「俺のせいで、ごめんなさい」
「お前のせいじゃないだろ。ほら、俺は大丈夫だから」
泣いているレオを励ますために、俺は身体を起こして腕をぶんぶんと振ってみせた。恐ろしいほど身体が軽い。気味が悪いほど調子がよく、刺されたなんて嘘のようだった。
「俺どれくらい眠ってた?」
「二日くらい。ずっと目覚めなかったんだよ!」
「……二日で刺し傷って治るのか?」
「お医者さんが寝ずに治療して助けてくれたんだ!」
レオは興奮した様子で説明してくれた。どうやら俺が倒れたあと、通りがかった医者が俺の治療をしてくれたらしい。その話を聞いて俺は違和感を覚えた。たとえどれだけ腕のいい医者でも、刺された身体を二日で治すのは難しいだろう。
普通の医者ではないとしたら誰が治してくれたのか。不思議に思っていると、足音と共に誰かが部屋に近づいてきた。そもそも、この部屋は一体どこなのか。
「目は覚めましたか?」
現れたのは黒い服に身を包んだ男だった。優しい微笑みを浮かべており、少しふくよかで柔らかな印象を覚えた。外見を見るに神父らしく、首には大きな十字架がかけられていた。
強いて言えば目の下のくまが気になったが、初対面の相手にそれを指摘するのは気が引けた。
「すみません。倒れているところをお見かけして、勝手に治療を施してしまいました」
男の話を聞いて、この人がレオの言うお医者さんだと気づいた。どう見ても医者ではなく神父である。傷を癒してくれたから医者だと勘違いしたのだろう。ではなぜ神父が傷を癒せるのか、考えられるとしたら彼がヒーラーであるという可能性だ。ゲームの世界なら回復させる術を持っている人間がいたとしてもおかしくはない。
「いえ、そんな、あなたのおかげで命拾いしました。本当にありがとうございます」
「お身体は大丈夫ですか」
「おかげさまで、傷も完全に塞がってます」
「まだ無理はしないでくださいね。ここは私の教会なので体が癒えるまではここにいて頂いて構いませんよ」
神父はにこやかに言った。純粋な優しさに感謝しつつ、罪悪感も抱いていた。命を助けてもらっておきながら、さらに無償でこの場所に居座るなんて、そんなことはできない。何かお礼をしなければと考えたが、今の自分にできることが浮かばなかった。
神父は「失礼します」とだけ言い残して部屋を去っていった。話したいことは山ほどあったが、引き止めるタイミングを失い背中を見送ってしまった。
俺はとりあえず涙でぐしゃぐしゃになっているレオの顔を、袖の裾で拭いてやった。されるがままになっている彼はとても幼く見えた。
「レオ、お前はこれからも俺たちと一緒にいてくれるってことでいいんだよな?」
「うん!俺、ヒイラギのこと大好きだから一緒にいたい!」
レオは満面の笑みを浮かべて言った。つい先ほどまで泣いていたのに、相変わらず気持ちの切り替えが早いようだ。ころころ変わる表情がおもしろくて目を離せなかった。頭を撫でてやれば大型犬のようにすり寄ってきて、もっと撫でろと催促してきた。
「ヒイラギの好き、大好き」
「ま、待て、急に素直になられると心がもたない」
「どうして?本音を言えって言ったのヒイラギなのに」
きょとんとした顔でレオが言った。どうやら俺はとんでもなく愛おしい生物を仲間に入れてしまったらしい。レオのかわいらしさに狼狽えながら、俺はここぞとばかりに頭をわしゃわしゃと撫でてやった。
レオを思う存分可愛がっていると、遠くから足音が近づいてきた。やってきたのは紙袋を抱えたクロと、その肩に乗っているリトだった。リトは俺と目が合うなり「勇者様―!」と駆け寄ってきた。激しく頬ずりされたが、ちくちくとして少し不快だった。
「勇者様、ご無事でなによりでございます!」
「心配かけて悪かったな。もう大丈夫だから安心してくれ」
「わたくしども、勇者様がお目覚めになったときのために、果物を貰ってきました!リンゴ農家の方からもお大事にと伝言を貰ってきましたよ!」
「おお、ありがとう」
どうやらクロが抱えている紙袋にはリンゴが入っているらしい。はやく重たい荷物を下ろせばいいのに、彼は荷物を抱えたまま、なぜか鋭い目つきで俺を睨みつけていた。
いつ怒らせるようなことをしたのか。まったく覚えがない。でも機嫌を損ねているのは確かだから、とりあえず謝っておこう。
「クロも、心配かけて悪かったーー」
俺が謝りかけたその時、突然クロが紙袋の中からリンゴを投げつけてきた。それが鼻先にしっかりと当たった。ダーツだったらそれなりの得点が入っているだろう。背中を刺されたときとは違う痛みを感じて、俺は激しく悶えた。
「馬鹿!」
クロは罵倒だけを残して走り去ってしまった。俺は思わぬ出来事に驚いてしまい、ぽかんと口を開けたまま固まった。なぜリンゴを投げつけられたのか、そしてなぜ馬鹿だと罵られたのか、見当もつかない。「え?」と情けない声を出すことしかできなかった。
「クロ、ヒイラギのことすごい心配してたんだよ」
レオは珍しく真剣な面持ちで言った。目が明らかに追いかけろと訴えかけている。俺は病み上がりの身体に鞭を打って立ち上がり、クロのことを追いかけた。
どうやって謝ろうか考えながら見慣れない建物の中を走る。クロを探している間に大聖堂に迷い込んでしまい、そこで神父と遭遇した。神父は膝をつき何かを祈っているようだった。俺の足音を聞いたのか、彼は立ち上がって振り向いた。
「どうかされましたか」
「あの、猫の獣人が通りませんでしたか?」
「見かけませんでしたね」
「そうですか。すみませんお仕事中に」
「いえ、お構いなく」
神父はまた優しい微笑みを浮かべた。なぜかその笑顔を見ていると、距離が遠く感じられた。まるで本音を隠すように笑っているからだ。
俺はなんとなく壁を感じつつ、その場を離れようとした。しかし大事なことを聞き忘れていると気づいて再び彼と向かい合った。
「あ、ちなみにお名前って聞いてもいいですか」
「ヨハネです」
「俺はヒイラギです。本当に助けてくれてありがとうございました」
深々と頭を下げてから駆け出した。クロがどこにいるのかわからないため、片っ端から探していく。どこを探しても意地っ張りな黒猫の姿はなかった。
最終的には建物を出て裏庭にやってきた。美しい花壇や噴水がありついつい目を引かれる。そこで俺はしゃがみこんでいるクロを見つけた。彼は噴水を覗き込んでおり、表情はあまり見えなかった。
「クロ」
名前を呼びながら歩み寄る。返事はなく、彼は立ち上がろうともしなかった。俺はすぐそばまで行って、同じようにしゃがんだ。噴水の水面はきらきらと光っていて美しかった。
しかし、そこに映っているクロの顔は悲しげで、怒っているのか、泣きそうになっているのか、わからなかった。
「悪かったよ。心配かけて」
「……ヒイラギはさ、みんなに優しくて、自分のこと犠牲にしても守ってくれるよね。そういう人だってわかってる」
ぽつりぽつりとクロが話し始めた。焚火の前で本音を語ってくれた夜を思い出しながら、俺は彼の声を聞き逃さないように耳を澄ましていた。
「わかってるけど怖いんだよ。いつか、いなくなっちゃいそうで」
クロは声を震わせながら言った。こちらを見上げてきた彼の目は濡れていて、涙をこらえているように見えた。素直に泣くレオと、泣くのを我慢しているクロ、二人の反応の違いが愛おしかった。
「お願いだからいなくならないで」
クロの気持ちを聞いた俺はすぐに彼を抱きしめた。背中を撫でながら「悪かった、ごめんな」と囁く。少しずつ胸のあたりが濡れていくのを感じた。細い身体をひしと抱きしめて、その背中に乗っかった不安を少しずつ下ろしていった。




