一 転生
「柊さんってどうして独身なんですか?もったいなーい」
何回目かもわからない質問に、ぴくりと表情が強張った。なんとか愛想笑いを顔面に張り付ける。持っているビールジョッキが、妙に重たく感じた。
「今は仕事に専念したくて」
「えー、いい人とかいないんですか?私、立候補しちゃおうかな」
後輩の女性社員がこてんと肩に寄りかかってきた。甘ったるい香水の香りと、打算的な上目遣いに指先が震える。歓喜ではなく、嫌悪感でだ。
俺は様々な感情を飲み込むためにビールを飲み下した。炭酸が弾けて喉が焼ける。いっそ酔いに任せてなにもかもぶちまけてしまいたい。あんたに興味はないと、俺は男しか愛せないのだと、そう打ち明けてしまいたい。
わかっている。そんなことできるはずがない。
「そこの二人、美男美女だからっていちゃつくなよ」
「そうだそうだ、ちゃっかり隣に座りやがって、柊もやるなあ」
からかってくる社員に合わせて笑顔を浮かべる。違う、本当は笑いたいんじゃない。腹の奥底では沸々と怒りがこみ上げているのに、それを口にする勇気はない。俺が悪いのか、この世界が悪いのか、きっと、どちらも正解だ。
俺は臆病で、この世界は窮屈だ。
会社の飲み会がお開きになり、会計を終えて店を出た。二次会に誘われたが、これ以上愛想笑いをするのが苦痛で断ってしまった。「まだ帰りたくない」と甘えた声で言う後輩の女子社員の熱視線からも逃れて、俺はようやく一人になった。
物心ついたときから、自分が多数派の人間ではないと悟った。俺が惹かれる相手は、スカートを揺らして微笑む女性ではなく、学ラン姿で廊下を駆ける男性だったからだ。今まで何人もの人に恋心を抱き、それらをすべて隠してきた。
俺はいまだに、まともな恋を経験できていない。そして死ぬまで、経験することはないだろう。
「……ああ、くそ」
アルコールのせいで感情に蓋ができなくなってしまった。抑え込んだ寂しさややるせなさが逆流する。言葉にならなかったそれは、目から涙となって溢れた。
俺は道端で立ち止まり、涙をぬぐった。拭っても拭ってもそれは止まらない。俺はいっそこのまま、どこかに消えてしまいたいと思った。誰にも愛されず、愛すこともできない世界で、生きている意味を見い出せなかった。
その時、目を開けていられないほどの眩い光がさした。光の奥から。一台のトラックが自分に向かってくるのが見えた。歩道に侵入したそれは、細い街路樹をなぎ倒しながら迫ってきた。
不思議と、恐怖はなかった。むしろ安堵すらしていた。心のどこかで人生の終わりを望んでいたのかもしれない。
ああ、これでやっと楽になる。そう思った。
「勇者様起きてください!勇者様!」
妙に明るい声が聞こえてくる。ずいぶん陽気な三途の川に来てしまった。勇者様なんて酷いあだ名をつけられたまま、俺は川を渡るのだろうか。それは嫌だ。せっかくの天国で勇者様なんて呼ばれてみろ。考えるだけで頭が痛くなる。
「……勇者じゃない」
「勇者様、お目覚めになりましたか!」
文句を言いながら瞼を開くと、小さなリスが話しかけてきた。げっ歯類が流暢な日本語を話している。長い前歯で器用に発音しているらしい。
俺は近くにあった岩に頭を打ち付けた。悪い夢を見ていると思ったからだ。はやく覚めてくれ。こんな気味の悪い夢ならさっさと死んだほうがましだ。生死をさまよっているのなら、潔く死んでやる。
「勇者様、何をしているのですか!せっかくのお顔が台無しです!」
「リスが喋ってる……」
「リスとは失礼な!私にはリトという立派な名前があります!サポート役の私を忘れてしまったのですか?」
「……サポート役?」
俺は岩に頭を打ち付ける奇行を中断し、リスを見た。リトと名乗ったそいつはなぜか誇らしげに胸を張っていた。そもそもリスに胸があるのか知らないが、白くてふさふさとした毛が風になびいている。
「勇者様の冒険をサポートするリトでございますよ。ほら、今まで様々なことをお教えしてきたではありませんか!好感度や好きなもの、勇者様のステータスまで」
リトの話を聞いて、俺はあるゲームを思い浮かべた。年の離れた姉がやっていた恋愛シミュレーションゲームだ。主人公の女性が聖女となって、様々な男性キャラクターと恋に落ちていくストーリーである。そしてそこに、リトのようなサポート役がいた。たしか攻略キャラの好感度や好きなもの、ステータスを教えてくれたはずだ。
俺は姉の遊びにいやいや付き合っているふりをして、内心ドキドキしながらゲームを覗いていた。こんな風に恋愛ができたらと、幼いながら心躍らせていたのだ。
「……まさか、ここは恋愛シミュレーションゲームの世界なのか」
「恋愛シミュレーションゲーム?なんですかそれは。私はただ、勇者様の冒険を支えているだけでございますよ!」
どうやら自覚はないらしい。そりゃそうだ。メタ認知が強すぎるリスなんて存在するわけがない。
俺は必死になって自分の置かれている状況を理解しようとした。俺はトラックに轢かれて死に、ゲームの世界に転生してしまったのかもしれない。そして転生先は恋愛シミュレーションゲームである。
状況を整理していくうちに、俺はある絶望的な答えに辿り着いてしまった。男主人公ということは、これはまさか、様々な女性に言い寄られるゲームなのではないか。
ぞくりと背筋が凍る。現実世界であれほど苦悩していたというのに、ここではさらに多くの災難に見舞われるというのか。俺が一体何をした。ただ男が好きなだけなのに、どうして転生先ですら自由に生きられないんだ。
「さあ勇者様、素敵な仲間を探しに行きましょう!」
「殺してくれ」
「ええ!?」
リトは大げさに目を見開いた。米粒ほどの目が豆粒ほどに大きくなっている。
「なにをおっしゃいますか!冒険は始まったばかりですぞ!」
「もう嫌だ。愛想笑いでごまかすのも、女の猫なで声を聞くのも、俺はここで岩に頭を打ち付けて死ぬ」
「勇者様何をおっしゃっているのですか?」
リトは満面の笑みを浮かべた。
「男である勇者様が女性と結ばれるわけないではありませんか!」
「……は?」
「いやあ、面白いことをおっしゃいますねえ。もしかしてジョークですか?わたくし、ジョークは大好物でございます!特に皮肉を含んだブラックジョークが――」
「待て、今なんて言った。男が女性と結ばれるわけない?」
「当たり前です!男性は男性と、女性は女性と結ばれるものですよ。だってそうしないと、全然話がかみ合わないではありませんか!」
俺は衝撃的な話に絶句した。呼吸も瞬きも忘れて硬直する。今なら固くなった頭で岩を砕くことができるかもしれない。
「同じ身体を持ち、同じ思考を持つ性別でないと恋は成立しません。そして恋をしなければ、勇者たるもの強くなれません。守るものがなくては戦えませんからね!たくさんの恋をして強くなり、魔法を倒しましょう!」
「じゃあ俺は、男と恋をしていいのか」
「もちろん!」
リトは笑顔を浮かべた。好奇の目でもなく、同情の眼差しでもなく、まっすぐな目で俺を見ている。現世では得られなかった視線がここにある。
気づけば、ぽたりと涙が零れ落ちていた。悲しいわけでも、悔しいわけでもない。ただ嬉しかったのだ。自分を受け入れてくれる世界があると知れて、ここでは自分を偽る必要がないと知れて、俺は歓喜の涙を流した。
「勇者様、涙は魔王を倒したときにとっておいてください!」
リトはそう言って尻尾で涙を拭いてくれた。意外と毛がかたくて、まるでたわしで顔を擦られているようだった。金輪際こいつの前で泣くのはやめようと心に決めた。
「さあ、行きましょう、冒険の始まりです!」
リトに微笑み返し、俺は立ち上がった。きっとゲームだったからこの後にオープニング映像が流れるのだろうと考えながら、歩き出した。
一匹のリスと、メタ認知の強い勇者の冒険が今始まった。




