プロローグ
「ミナト様の寿命は残り三年です。……ミナト様は二十を迎える前に亡くなられるでしょう」
俺に向かって白衣を着た女はそう宣告した。俺の背後に付き添う少女から悲鳴のような声が聞こえる。診察室の空気が一段階冷えたような気がした。
砦の中の診察室は狭く質素だった。それは現在の戦況悪化による物資不足も原因の一つであるが、それより魔術を使用する診察技術によるものが多い。白衣の女の手元では怪しい魔力の光が何度も明滅し、俺の体を照らしては何やらメモに記入を行う。それが最終確認だったのだろう、白衣の女は静かに俺に語る。
「寿命を削って力を得るマジックアイテム、魔剣を使用した魔術の使い過ぎです。確かに吸血鬼に個人で対抗するにはこのような手しかないのでしょうが、しかしこのままでは……」
「どうにかならないのですか!」
俺の背後に立つ金髪の少女が悲痛な声で白衣の女に食って掛かる。だが白衣の女は困ったような表情で宥める。
「そうは言われましてもお嬢様。ミナト様が戦うのをやめれば多少の時間稼ぎにはなるのでしょうが、今まで使った寿命が返ってくるわけでもなく、そもそもこれだけ強大な術式であれば離脱症状が大きすぎる危険も……」
「そういって本当のところは戦力が減るのを嫌がっているだけでしょう! あなたもお父様と同じなのね、彼を都合のいい戦争の道具として使おうだなんて!」
「お嬢様、落ち着いてください」
言い争いを他所に、俺は自身の残り寿命を何度も噛み締める。残り三年。俺は二十を迎えられずに死ぬ。普通であれば絶望する状況。自身の将来が閉ざされるのを知り、ただただ希望が消えていくはずである。
だが俺はこう思っていたのだ。
(うっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあと三年も戦えるぜ!!!!!!!!!!!!!)
◇◇◇◇◇◇◇◇
異世界転生といえばあなたは何を思い浮かべるだろうか。チート? ハーレム? ご都合主義? いや、その本質は古い小説や映画で多用されてきたものと何ら変わりはない。すなわち、「新天地でのやり直し」だ。
……と言っても例外は無数にあるしこれはあくまで俺の偏見と独断に過ぎない。大事なのは他者がどう思うかではなく、俺にとって、今この時は新天地でのやり直しに他ならないという点である。
かつて俺は二十一世紀の日本に生きる冴えない男であった。友達はいない、彼女もいない、特技もない、仕事もできるわけでもない。努力せずリスクも負わずなんとなく生きてきた結果、何も得られなかった人間。
辛うじて社会のレールにしがみついてはいるが、常にいつ振り落とされるかという恐怖に怯える、一般人。
社会に迷惑をかけているわけではないが、誰にも必要とされない、見える透明人間。
能力が伸びると言われる子供時代にもっと勉強しておけば、もっと運動しておけば。後悔は後から来るから後悔であり、気づいた時には後の祭り。
いくつもの後悔が俺を襲いながら、それでも惰性と諦めで日々を過ごしていたある日。気が付けば俺は中世ファンタジー世界に異世界転生していた。馬車が道を走り、銃ではなく剣と魔法で戦う世界に、記憶と精神を引き継ぎ赤ん坊として生まれ変わったのだ。
ただ、一つだけ俺の知っている一般的な中世ファンタジー世界とは異なる点があった。それは吸血鬼と人類が生まれる十年前より種族同士の存亡をかけた戦争をしていること。かつて大陸全土を支配していた人類国家は半分以下となり、大陸の北側は吸血鬼に支配されている。吸血鬼との戦線沿いにある国は老若男女問わず徴兵し滅びに抗っている。
事実俺が生まれて直ぐ、父は徴兵されて亡くなり、母は貧しさに耐えられず俺を孤児院に捨てた。人類にとっては、地獄のような時代となっていた。
だから俺は思ったのだ。子供の頃漫画や小説で読んだような、多くの人から感謝され、決して忘れられない、人類を救う英雄になろう、と。
勿論なれるかは別だ。そもそも英雄なんて簡単に生まれるものではなく、またそこに至るまでの戦いであっさり死ぬ可能性の方が圧倒的に高い。俺の本質がどこにでもいる一般人なのは前世が保証している。
漫画で出てくる英雄はあくまで漫画だから成り立つのであり、現実では英雄と讃えられてもしばらくすれば民から非難され哀れな末路を辿った、なんて歴史の教科書ではよく聞く話だ。こんなものを目指すなんて、リスクが高く妥当ではない。
しかしもちろんメリットもある。魔術という前世には存在しなかった未知の技術を習得できるのはワクワクするし、実際非常に楽しかった。
人の命を守る、という分かりやすい目標と結果もモチベーションを上げるのにとても良かった。
何より、折角のやり直しだ。今度こそ後悔のないようにしたい。
毎日過ごしているだけで、後悔がじりじりと心を壊していく感覚。あれだけはもうごめんだ。
そう考え、俺はありとあらゆる努力をした。現代知識を活かして徹底的に体を鍛え、戦術を練り、寿命が削れるリスクがあると言われた魔剣にも手を出した。そしてわずか16歳にして、人類でも上位の戦闘能力を得られたという自負がある。
まあその結果がこの寿命なわけだが。
「そんな……ミナト様はあと三年しか……」
「伯爵令嬢ともあろう方が、私程度の平民を様付けしなくて大丈夫ですよ、アンリエッタ様。あと、体についてはお気になさらず。前線に立つ若い兵士が二十を超えること自体がそもそも稀です。私だけ「ずる」をするわけには行きません」
診察室から出て、俺とアンリエッタ=トレイターは砦の廊下を並んで歩く。美しい金髪に青い目、俺より僅かに低い背とそれに相反する豊かな胸部、少し幼さを残す顔立ちに体を包む明らかに高級な美しい白いドレス。黒いマントに皮鎧を着て腰に剣を下げた、正に兵士としか言いようがない俺と相反する姿をした彼女は、このヴァサノ王国トレイター伯爵家の一人娘だ。
本来俺と肩を並べて歩くべきではないし、当然医務室に付き添うような関係性ではあってはならない。というか仮にそんなことがあれば騎士たちに止められるのがオチだ。
「いいえ、ミナト様はわたくしを吸血鬼達から救ってくれた、命の恩人であり、かつこの街一番の吸血鬼狩りですからそのような呼び方はできません」
「……身に余るお言葉です」
「無理に謙遜なさらなくて良いのですよ。それに、そのような方だからこそ短い命で終わるのをわたくしは見過ごせません!」
「落ち着いてください、アンリエッタ様」
「落ち着いています! むしろミナト様の方が……どうして……」
英雄ロールプレイ(周囲から英雄として扱って貰えるよう中身の一般独身男性を抑え込み謙虚で正義感の強いキャラとして振る舞う)をしながら、情緒不安定なアンリエッタ様をあしらう。
まあアンリエッタ様の言ったことは概ね事実である。前世での後悔を糧に努力と寿命を全てつぎ込んだ俺はそれ相応に強いし、偶然吸血鬼に血液タンクとして攫われていたアンリエッタ様を助けたこともある。
実際砦の中を警備しているトレイター伯爵家の騎士たちは、俺たちを見て微笑ましそうにするだけであり、一人娘についた悪い虫を追い払おうとする様子はない。……まあ吸血鬼との戦争に晒されている現状、腕の立つ者はそれなりの扱いをされるのは当然ではあるんだけど。
とはいっても相手は貴族だし精神年齢的には相当年下、この世界で言うべきことかは微妙かもしれないが未成年に手を出すのは俺の倫理観的にはNGである。故にいい感じに分かれ道に差し掛かったタイミングで、足を止めてアンリエッタ様に深く一礼をする。
「では私はここで失礼します」
「あっ……」
アンリエッタ様の返事を待たず、俺は脇道に消える。砦の中を早歩きで歩き回りながら俺は内心でガッツポーズをした。
(よっしゃあれだけ無茶をして五体満足で寿命三年残ってるの最高すぎる!!! このまま走りきるぞ!!!)
他者から見れば奇異かもしれないが、俺は転生者。ありえないはずのない第二の人生が手に入った男。だからなのか、あまり今世に対する執着がないのだ。死ぬ気で働いて得た百万円と宝くじで得た百万に対する感覚の違いとでも言うのだろうか。だから俺は寿命が減ること自体は仕方がないこととして割り切ることができた。
割り切れないのは前世の後悔を繰り返すこと。
努力もせず、透明な人間として埋もれていくこと。
砦の外に出るべく歩きながら、残り寿命が三年になってなお、俺の心は軽快だった。
(よし、残り三年、最強の吸血鬼狩りを目指して頑張ろう! レッツゴー!)
◇◇◇◇◇◇◇◇
その夜。トレイター伯爵の屋敷の片隅にすすり泣く音が響く。
「ミナト様……っ、どうして……」
上質な白いベッドの上で、アンリエッタはその端正な顔を歪め枕に押し付けて一人泣く。
当たり前の話であるが、世間一般において余命三年はとても重たい意味を持つ。若い身であればなおさらであり、間違っても簡単に割り切ってはならないものである。転生者であるミナトが異常なのだ。
「あ、あんなに素晴らしい人がどうして……」
アンリエッタはその美貌をくしゃくしゃにし、涙を流す。ミナト自身の内心はともかくとして、傍から見ればミナトという男は生まれた時から自身をストイックに鍛え、吸血鬼狩りに人生を捧げる戦士の鏡のような男である。
アンリエッタの周囲の男は、吸血鬼から逃げ最前線に立たないか、あるいは吸血鬼の餌食に既になっているかの二択だった。例えば騎士というと良いイメージを持つものも少なくないが、実際は最前線から離れ貴族の護衛任務に就く、安全地帯の兵士に他ならない。厳密には最前線に出るような勇士は既に死に、トレイター領の騎士は傭兵や民兵の管理、領内の治安維持を行うだけというレベルに陥ってしまっていたというわけだが。
段々近づいてくる敗戦の匂い。吸血鬼との戦争に負けて生涯を血液タンクとして生きなければならない未来。日に日に絶望がアンリエッタの心を重く蝕み続ける。
そんな中、華々しい成果を上げ続けるミナトは正に希望であり、光り輝いていた。
最前線に立ち続け圧倒的な戦闘力で吸血鬼を討伐し、思いやりがあり謙虚で礼節があり、更に若く顔だちもよい。アンリエッタにとっては、初めての恋愛対象であった。身分などというものは、この状況と少女の恋心の前では障害にはなりえない。
「ううっ……」
故に。そんな人物がたった三年で死ぬことに、アンリエッタは耐えられなかった。彼の人生があっさりと道半ばで絶たれ、輝かしい将来も、やりたかったこともことごとくできず戦争の中で人生を終えることへの憐憫。
彼がいなかったらどうすればいいのかという不安。また、兵士たちの死亡報告を聞き続ける日々が続くのかという絶望。民を見捨て南方に身一つで亡命しなければならないのか、あるいは吸血鬼の血袋として苦痛の中生きることになるのかという恐怖。
そして何より、初恋の人が死ぬという事実に、アンリエッタの心は揺さぶられた。
『もし彼を助ける手立てがあるとすれば?』
「誰ですか!?」
だからそこに、魔はつけ込む。
いつの間にか、アンリエッタの部屋の中央に男装した美少女がいた。赤い花びらの文様が刻まれた黒いスーツを着た背の低い少女は、アンリエッタの前で礼儀正しく一礼する。アンリエッタは彼女の姿を見て悲鳴を上げる 。それは侵入者の美しい容姿でも、妖艶な雰囲気のせいでもない。
侵入者の口には、鋭い二本の犬歯が生えていた。
人のものとは到底思えないそれは、対象の肌を破り血を吸い上げるための武器である。すなわち。
「吸血鬼!」
アンリエッタは直ぐに騎士たちを呼ぶべく叫ぼうとする。だがそれより吸血鬼はアンリエッタの顎に手を当てる。そしてその手は、アンリエッタの体をすり抜けた。
「安心してよ、ボクは交渉役。この体は物理干渉能力なんて何一つ持ち合わせていない。今日はいい話を持ってきたんだ。君にとって、素晴らしい人生の転機」
「……何が言いたいのですか」
「察しのよいあなたなら、これだけ言えばご理解頂けると思うけれど」
少女は笑う。闇にいざなう、悪魔の誘いを。
「吸血鬼は他者を吸血鬼にできる。そして吸血鬼になれば、永遠の命が得られる。病人でも老人でも」
「……? ……!!」
アンリエッタは直ぐに理解する。それは恐ろしい提案だった。人類と吸血鬼の戦争のさなかで、吸血鬼側に寝返る。こともあろうに、伯爵家の人間が、一人の男のために。確かに《《永遠の命を持つ吸血鬼になるのであれば、ミナトの寿命の問題は解決する》》。
通常であれば、アンリエッタは即座にその提案を拒否するだろう。ミナトの努力を無為にする気か、自身に民を裏切れというのか、と。だが、今は事情が違った。
吸血鬼に押し込まれているこの戦況で、ミナトがいなくなれば最前線にあるトレイター領がいつまで持つかわからない。血袋になるのが後か先かというだけならそこまで気兼ねする必要はないのではないか。そもそも吸血鬼に怯え援軍を大して出さない王に対する義理などあるのだろうか、もし自身が吸血鬼になれば投降の代わりに民の安全を交渉することも可能なのではないか。アンリエッタの脳内を自身の行為を正当化する理屈がいくつもよぎる。
このままでは、どうあがいても自身の愛する者は死ぬ。
何があっても自身とミナトが共に歩く未来は訪れない。
そして何より、義務と責任、道理と他者への尊重で自身の初恋を切り捨てるのは、十六歳のアンリエッタにはあまりにも荷が重かった。
故に答えは、決まっていた。
「……本当に、ミナト様が救われるのですね?」
「もちろんだとも、ようこそこちら側へ。歓迎するよ」
これは、すれ違いの物語である。




