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羽咲の呟きで、カラオケルームは水を打ったように静まり返る。
カラオケサークルのメンバーは、羽咲がそんな発言をするとは予想もしなかったのだろう。互いに顔を見合わせ、掛ける言葉を探している。
そんな中、ずっと聞き役に徹していた大和が我慢できないといった感じで、羽咲に向かって口を開く。
「あのなぁ、なんでそんなこと言うんだよ。ゆきばあは──」
「そうだ!ゆきさんは、羽咲ちゃんのこと大好きだって言ってたぞ!自慢の孫だって!!」
大和の言葉をかき消したのは、ついさっきまで節子と電話をしていた芳郎だった。
「ゆきさんは、それはそれはいい笑顔で君のことを語っていたぞ。優しい子だって。頑張り屋だって!君とゆきさんとの間で何があったかは知らんが、決めつけちゃいかん!!」
ものすごい剣幕でまくし立てられ、羽咲の身体がビクッと震える。それなのに、芳郎の口は止まらない。
「亡くなった方の本当の気持ちは、わからん!俺だって、君より長く生きてるが、ちっともわからん!だが羽咲ちゃん、君はゆきさんのことを知りたくて、知らないジジババのところに来てくれた。もし俺だったら、泣くほど嬉しい!生前、どんな悪ガキだったとしても、そんなの忘れるくらい喜ぶぞ!だから君は、いい孫じゃないなどと言っちゃいかん!!」
バンッと最後はテーブルを叩いて締めくくった芳郎の熱弁に、羽咲は硬直したまま動かない。しかし少し間を置いて、パチパチパチと拍手があがった。
「芳さん、お見事だ。だがなぁもう少し言葉を選ぼうや。な?」
困り顔で手を叩く宮部は、羽咲に同意を求めるように笑みを向ける。
「……いえ、選ばなくっても大丈夫です。あの……ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる羽咲の仕草も、表情もぎこちない。
とはいえ、芳郎の主張に納得できなかったわけじゃない。逆に、はっきりと言葉にしてもらえて、嬉しかった。
でも嬉しかった反面、自分のネガティブ発言を否定してもらえると計算していた自分に気づいてしまい──素直に芳郎の言葉を受け取ることができなかったのだ。
そんな複雑な羽咲の気持ちを、芳郎と宮部は十代特有のはにかみと受け止めたのだろう。羽咲に向け、温かい眼差しを送る。
一方、鈴子と千春は、芳郎にいいところを持っていかれて肩を落とす大和に、飴や煎餅を渡して慰めている。
居心地は悪くないが沈黙か落ちる中、芳郎が「あっ!」と声を上げた。
「そうそう、節ちゃんと連絡取れたから。会いに行っておいで」
「本当ですか?ありがとうございます!」
「ああ。でも、夏の間はボランティアが忙しいから、できれば節ちゃんのいるとこまで来てほしいってことだけど大丈夫かい?」
「もちろんです。えっと……ちなみに、どこですか?」
すぐにメモを取ろうと、羽咲はリュックからスマホを取り出す。しかし、芳郎はここで腕を組んで難しい顔をした。
「あーえっと……どこだっけ……今聞いたばっかなんだが……すまん、忘れた。”文化のみち”のどっかの建物だったんだが……」
「っ……!」
”文化のみち”というワードを耳にして、スマホを持つ羽咲の手が震えた。
羽咲にとって、そこは鬼門だ。いい思い出と、悪い思い出がごちゃ混ぜになった場所で、心の整理ができていない羽咲は、できればまだ近づきたくない。
しかし芳郎は「連絡先教えるから、直接訊いてくれや」と言って、己のスマホ画面を羽咲に向ける。そこには、節子の電話番号が表示されていた。
「勝手に登録しちゃって、いいんでしょうか……?」
戸惑う羽咲に、芳郎はニカッと歯を見せて笑う。
「大丈夫、大丈夫。ちゃーんと、節ちゃんには許可貰ってっから。やっぱ若い子は、そういうの気にするんだねぇー」
氷が解けたお茶を飲み干しながら、芳郎は「これも時代か」と言いたげな顔をする。
正直、羽咲は、プライバシーがどうのとか、個人情報は大事とか、そういう意味で尋ねたわけじゃない。
少しでも”文化のみち”に向かう時期を遅らせたかっただけ。
しかし、そんな羽咲の勝手な事情を伝えるわけにはいかない。
「じゃあ、遠慮なく節子さんに連絡とらせてもらいます」
「ああ。節っちゃん、すごく楽しみにしてたから、早めに連絡してくれや」
「はい。そうします」
芳郎の屈託のない笑顔を直視できず、羽咲は俯きながら自分のスマホに節子の連絡先を入力した。
「……まぁ、これも運命ってやつか」
「羽咲さん、何言ってるんすか?」
鈴子からもらった煎餅を、行儀よく袋の中で割っていた大和から胡乱げな眼差しを受け、羽咲は笑って誤魔化す。
「ううん。なんでもない。ただ、とんとん拍子に進んでいくなって思っただけ」
「ふぅーん」
予想通りの答えだったのか、大和は気のない返事をして煎餅の袋を開けて羽咲にひと欠片差し出す。
「どうぞ」
「ん。ありがと」
大和に礼を言った羽咲は、次いで鈴子と千春にもペコリと頭を下げて、煎餅の欠片を口に放り込む。
ボリボリと咀嚼しながら、今更だが手ぶらで来たことを後悔した。




