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夏休みの校舎は、月曜日なのにどこかよそよそしい。
夏期講習を受けるために、いつも通り登校した羽咲は、運動場から聞こえる野球部と陸上部の掛け声を聞きながら、下駄箱で上靴に履き替える。
しんとした廊下を歩いて教室の扉を開ければ、数人の男子が「暑い、暑い」と言いながらエアコンの前で涼んでいた。
羽咲もそうしたい気持ちはあるが、今日に限って級友の梢が休みだ。単身、男子の中に入っていくのは、幼稚園時代から女子校だった羽咲にとってハードルが高い。
もちろん男子が自分を意識するなんてことは絶対にない。自意識過剰なのもわかっている。そして、いちいち身構えてしまう自分が嫌になる。
「……まぁ……いいや」
エアコンの前に移動するのを諦めた羽咲は、ハンドタオルで額の汗を拭きつつ、自分の席に着く。
夏期講習は、去年と同様にほとんどが自習だ。とりあえず教科書を通学カバンから出してみたものの、それを開く気にならなくて、スマホをこっそり見る。
メッセージアプリを立ち上げてみたものの、大和からはなんの連絡もなかった。
「……こっちから、送ってみよっかな。でも……」
送るネタがないし、スルーされたら、かなり凹む。大和は優しいところがあるけれど、見えない壁がある。
その壁がなくなれいいと願うのは、望みすぎなのだろう。だって羽咲は、祖母のことを知りたい理由を大和に伝えてないし、祖母と自分がどんな関係だったかも話していない。
それなのに、相手にだけ心を開いてほしいと思うのは間違っている。でも──
「つまんないよぅ」
大和は引くほどのイケメンだが、なぜか一緒にいても異性として意識しないですむ。それに意地悪なことばかり言われるけれど、こちらも気軽に言い返すことができる。
それは祖母を介して知り合ったせいなのか。それとも、ただ波長が合うだけか。
真相は不明だが、とにかく羽咲は明日が来るのが異常に長く感じて困ってしまう。
「はぁー……もう見ないようにしよ……」
スマホが手元にあるから、気になってしまうのだ。至極当たり前のことに気づいた羽咲は、通学カバンにスマホを放り込む。
それでも教科書だけは開く気になれなくて、机につっぷした瞬間、聞きなれた声が羽咲の名を呼んだ。
「んぁ?あ、あれ?奏海ちゃん!?」
「そ。おっはよー」
部活に専念しているはずの友人に体操着姿で覗き込まれ、羽咲は驚いて勢いよく顔を上げる。
「びっくりしたぁー。今日、部活じゃなかったの?」
「うん、朝練だけ。うちの部活、夏休みの間、最低1回は夏期講習受けなきゃいけないんだ」
「そっか、大変だね。でも英語は自習が多いから、楽だと思うよ」
「だよね!それを狙って、今日にした」
悪びれもせずカラカラ笑った奏海は、そのまま羽咲の隣の席に座る。しかし、教科書を開こうとはしない。
「ねぇ、羽咲。カゲロウ王子って知ってる?」
「カゲローオージ?」
「そう。後輩から聞いたんだけど、なんか入学して一週間で登校しなくなったすっごくカッコイイ男子がいるんだって」
「へぇー」
羽咲は気のない返事をしながら、カゲローは”蜻蛉”か”陽炎”。どっちなのだろうと、どうでもいいことを考える。
「めっちゃ興味ないって感じだねー、羽咲」
「え?そんなことないよ。ただ、下級生のことは全然わからなくって……」
「そうだよね。実は私も今日の朝練で、カゲロウ王子が二学期から来るか来ないか、後輩がジュース賭けてるの見て知ったし。ってか私は、年上オンリーだしねぇ。羽咲は?」
「うーん……私も、そうかな。でも……」
男女交際にそこまで興味がない。と、言いかけたが、ふと視線を感じて、そこを見る。
エアコンの前にいた一人の男子と、目が合った。
「柳瀬って、年上が好みなのか?」
真剣な顔で尋ねながら、ずんずん大股でこちらに近づいてくるクラスメイトに、羽咲は困惑し、奏海に目で助けを求める。
しかし、奏海は呆れ笑いを浮かべるだけで、助けてくれる気配はなかった。




