雲雀乃ミユと清武ゴロウ
読み返した時に作者自身が脳破壊されました
シオンとの通話口から響く聞きなれない言葉遣いに鼠は固まる。
「……あ? なんとか言えよ……って、まじか。爺じゃねぇじゃん」
僅かな沈黙のあと、電話の向こう側でシオンを呼ぶ声が聞こえる。
「おーいシオン。代われ。テメェの電話だぞ」
すぐに、一秒にも満たない間隔で電話の相手の言葉遣いとトーンが変わる。
「シオンです。鼠様、どうかされました?」
鼠はあまりにも交代が速かったことに違和感を覚えたが、焦っているせいで深くは考えられなかった。
「あっ、どうも鼠です。僕の知り合いのゲイルって人のパーティが姫宮の関係者に壊滅させられたらしくて、姫守であるシオンさんならなにか知っていることがないかな、と……」
しばらく電話の向こうで沈黙が続く。
「鼠様、それを姫守である私に言うことで、私が鼠様を殺しに行くとは考えませんでした? ……私と鼠様なのでいいものの」
シオンは咳払いをして続けた。
「その件については私から申し上げられることはありません。えぇ、ありませんとも」
その言葉は台本を読むように抑揚がない。
明らかに何かを隠しているようではある……しかし鼠にそのことを指摘できるほどの勇気はない。
「あ……そ、そうですか。すいませんでした」
通話を切る。クロエが視線でなにか分かったかと問いかけ、鼠は首を振る。
「駄目だった。なにか知ってそうだったけど、教えてくれないみたい」
「まぁ、そりゃそうっスよねー。主人の姫宮家に不都合なことは言えないっスよ」
「だね。……説得してもゲイルは止まりそうにないし」
「どうするっスか? 復讐に手を貸すっスか? でも姫宮家に敵対することになったら大変っスよ?」
「そうだよな……それに勝てるかもわからないし。……あ、そうだ」
鼠は考え込んでいた顔を上げてクロエを見た。
「どうしたっスか?」
「姫宮家以外にも有力な一族っているよね? その中でどこかの力って借りられいないかな?」
◆
翌日、鼠にクロエ、そしてゲイルとミユは巨大なビルの前まで来ていた。
ミユが黒く長い濡れ羽の髪を揺らして見上げる。
「この感じ、久しぶりね……」
その呟きを拾ったのはクロエだった。
「あれ? ミユさんは清武製薬の関係者だったんスか?」
「違うわ。このビル自体にもなじみなんてない……でも似たようなビルにはしょっちゅう出入りしてたのよ」
「おい、ミユの過去の詮索は今はいいだろ。さっさと行くぞ」
ゲイルがさらに口を開きかけたクロエを遮る。ミユがさりげなく庇ったゲイルに微かな笑みを送る。
(既存の医療薬品の最大手企業。さらに未来遺物を解析して、未来の技術まで手にした清武製薬。……上手く行くといいね、交渉)
(僕だけじゃ無理だろうけど、どこか力を貸してくれそうな大企業はないかってミユさんに相談した時にミユさんが挙げてくれた企業だからね。ミユさんが交渉役もやってくれるって言うし、上手く行くんじゃないかって思うけど……)
(どうだろうね~。冒険者や冒険者管理機関相手に交渉したことはあっても……。あ、いやこのマナの自信ある感じ、ある程度は大丈夫そうだね)
ラスはミユに視線をやるとそう頷いた。
ビルのエントランスに入る。製薬会社らしい清潔な白い大理石のエントランスは、上を見上げると三階分ほどの高さから現代アートのような照明がいくつも垂れ下がり、解放感と先進感を味わえる設計だ。目の前の幅広い受付のカウンターには容姿の良い女性が何人か座っており、様々な用で訪れた客の案内をしている。客の多くは背広を着たビジネスマン風の男達だが、一人だけ黒いTシャツから盛り上がった筋肉の腕をむき出しにした冒険者風の男もいる。
どこかで見たことあるような筋肉男に視線を引かれつつも、鼠は手すきの受付女性と話を始めようとしているミユに意識を向けた。
「本日は清武製薬へお越しいただきありがとうございます。ご用件をお伺いいたします」
「こんにちは。清武ゴロウと話ができるかしら?」
「清武ゴロウ……様と、ですか。冒険者の方とお見受けしますが、失礼ですがアポイントはお持ちですか?」
「ありません。必要なら雲雀乃ミユが来たと伝えてください」
「ひ、雲雀乃の方でしたか!」
動揺を隠せないまま受付女性は電話を取り、どこかへと電話をかける。ゴロウ様と言っていたのでミユが出した清武ゴロウにかけているのだろう。
(雲雀乃って苗字に反応してたけど、有名な一族なのか?)
(農作物工場を多数展開する日本の最大手農業企業だよ……本当に鼠は何も知らないんだね)
(ふーん。ゴミ箱から取って食べてた林檎の芯とかも、元は雲雀乃の工場で生産されてたのかな?)
(可能性は結構高いんじゃないかな)
電話を置いた受付の女性が、自身の所属する企業の重役がノーアポで会おうとする人物へ、相応の好感度を示す微笑みを浮かべながら席を立つ。
「お待たせしました。お会いになるそうです。こちらへどうぞ」
◆
案内されたのは高級そうな広めのソファとローテーブルが配された応接室だった。
クロエがきょろきょろと不躾に部屋を見回し、感嘆の声を上げる。鼠もクロエがやっていなければそうしそうだったが、クロエの挙動がどう考えてもみっともなかったので我慢した。
女性の案内に従い、片側のソファにミユとゲイルが座りその後ろに鼠とクロエが立つ。
「ゴロウ様は保護区画内にいらっしゃいますので、バーチャルでの面会となります。よろしいですか?」
「構わないわ」
ミユにそう確認すると、受付の女性は変わらない微笑みを浮かべたまま会釈をして部屋を退出した。
女性が扉が閉めると同時に、鼠たちの目の前の誰も座っていないソファに突然青とグレーのスーツを着た若い男性が現れる。
しかしその技術は鼠が発見した未踏破区域を隠していた扉よりは遥かに低く、鼠でもすぐにホログラムとわかった。
ホログラムの高級そうなスーツに身を包んだミユと同い年くらいの男性が口を開いた。
「……久しぶりだね、ミユちゃん。元婚約者の僕になんの用だい?」
鼠とクロエの視線がミユに集中する。ミユは平静を保っており、ゲイルは憮然とした態度を取ってソファの横の観葉植物を見ていた。
「……婚約は親同士が決めたことよ。私はあなたのことはずっと良い友達だと思っていた……あなたが親に唆されてその気になるまではね。あなたの目つきは日毎に耐えられないものになっていって……。まぁその後は知ってるでしょ」
「勿論さ。雲雀乃家を出奔した君は冒険者になり、縁を切られ……。実家に頼るよりも僕の方へ来たのは、冒険者としての活動に一切手を貸さないって言っていた実家よりはまだ可能性があると思ったからかな?」
「そうよ。感情的なだけではなく……冷静な判断ができると思っているわ」
「……そして、取引の材料を何も持っていないミユに甘い。そうだろ?」
ミユは沈黙した。その沈黙が図星を示していた。ゴロウがミユから欲しているものはミユ自身しかない。当然ミユは全てをゲイルに捧げている以上、渡せるものは何もない。
それにゴロウ自身、昔ほどにはミユに執着していない。ミユが出奔した後、他にも多くの美しい年ごろの女性と出会ったゴロウには、その身分と顔立ちで一夜を共にした女性も数多くいた。自分を拒絶したミユに対して思うことはあったし、当時は絶望したものだったが、もはやほとんど思い出さなくなっていた。
「……まぁ一応話だけでも聞いておこうか」
曲がりなりにも雲雀乃であるミユが持ってきた話なのだ。もしかしたら会社の利益や自分の出世に繋がるかもしれない。そういう期待を隠してゴロウはビジネス用の真剣な表情を浮かべる。
しかしミユの説明を聞いていくうちに内心の落胆を隠しきれなくなっていった。ミユの話は要するに、恋人のゲイルの復讐に手を貸すから、姫宮家が冒険者管理機関へかけている圧力に対抗してくれということだった。ミユが言うには政治における姫宮家の影響力を僅かなりにも削ぐことになるし、冒険者管理機関への姫宮の圧力を慣例化させて冒険者管理機関が姫宮家の支配下に入ってしまえば、大企業間の力関係が姫宮家の一強になりかねないとのこと。
「……いや、ミユちゃん。姫宮家も圧力をかけすぎれば他の企業が口を挟んで来ることは想定してるはずだ。その一件だけで手を引き、強大な圧力をかけることはしないはず。これはどこの企業もやってることなんだよ。悪いけどね。あまり詳しくは言えないけど、清武製薬も多少の圧力は常にかけている。……でも、そうだな……」
正直、ゴロウが手を貸したとしても得られる利益は少ない。ないわけではないのだが、話を聞いて頭の中で組み立てた想定通りに事が推移したとしても、手間と利益が全く釣り合っていない。
「正直ビジネスとしての話なら蹴っている。だけど個人的な要望を聞いてくれるなら考えてもいい」
「なにかしら?」
ミユは内心予想通りだと呟いた。しかし、唇が渇いていくのを感じる。問題はここからだった。ゴロウの要求がゲイルとの関係を損なうものであれば断じて回避しなければいけない。
緊張を隠しきれていないミユに、内心を読み取ったかのようにゴロウは優しく言う。
「いや、そこのゲイルさんに不義理になるようなことをするつもりはないよ。男として気持ちはわかるからね。だけど人間として、あの時の踏みつけにされたような感情は今でも胸の中で蠢いているんだ。どんな女と寝ても消えてなくならない。だから彼に不義理にならない程度にこの感情を拭い去れそうなことを要求しても、道義上問題はないはずだ」
「テメェ……」
暗にミユに屈辱的なことをさせると告げたゴロウに激したゲイルが立ち上がりかける。しかしその身体をミユの伸ばした手が押さえつけた。叱りつけるような口調でゲイルをおとなしくさせる。
「これはあなたのためなの。この男の助けなくして復讐は無理よ」
たじろいだゲイルから視線を切り、ミユはゴロウのホログラムに言った。
「恋人であるゲイルに対して、不義理になることはしない。それでいいわね? もしそんなことを要求すれば私も即刻席を立つわ」
「席をね……」
ゴロウは含み笑いをした。
「勿論そのつもりさ。童貞で君しか見れなかった時の僕とは違うんだ。他人の女に興味はない……今のところはね。……ん? それもいい気がしてきたな……。まぁ君に対してそういうことをするつもりはないよ。ただ僕のあの時の気持ちの何割かでも味わってほしいだけさ。振られたことが知れ渡った直後は周りの目が全部僕を嘲笑っているように見えて、随分屈辱的な思いをしたからね。実際に嘲笑うような陰口も随分聞こえてきたし」
ゴロウはパンと手を叩いた。ホログラムにもかかわらず実際に音が応接室に響いた。
「さて。話は終わりだ。ミユ以外はお引き取り願おう。さっきの受付の子を呼んだから、ロビーででも待っていてくれたまえ」
案内をしてくれた受付女性が応接室の扉を開き、ミユ以外の三人が退出する。ラスが冗談めかした口調で言った。
(ラスだけ残って見ていこうかな~)
(ミユさんが何をするのかよくわからないけど、本当にそれをやったらラスとの契約も終わりだ)
(冗談だって冗談!)
ゲイルは部屋を出る際に一人残るミユを振り返った。
「ミユ、俺のためにす……」
「謝らないで。私がしたいからしてるの」
ミユはゴロウから視線を外さないまま、ぴしゃりとゲイルを遮った。ゲイルはあっけに取られると明るく笑った。
「今夜めちゃめちゃに上書きしてやるからな」
やや間が空いてゲイルの言葉が脳に沁み込んだミユは小さく息を吐いて微笑む。
「……ふっ、それでいいわ。早く行って」
扉は閉められた。ミユは内心を押し殺した表情でゴロウを睨みつける。
「……それで、私はどうすればいいのかしら?」
「とりあえず、君が座るのはそこじゃない」
◆
三十分後。満足したゴロウは靴下を履くと遠隔会議用のバーチャルブースから出て、自分一人しかいない執務室のデスクへ向かった。
「……視覚情報だけでも悪くはなかったな。生身ならもっと良かったろうけど、防壁の外には出たくないし、ミユも今は入れない。仕方ないか」
あの……狼と香辛料でホロが一人残ってロレンツを見逃すよう若い狼のボスに誠意を見せるシーンあったじゃないですか。
あれ、大好きなんですよね。




