クロエの実力とゲイルラバーズ壊滅
「……さて、終わりましたよ。生きてますかクロエ?」
シオンは両手のトンファーを消して通路の奥へと声をかけた。特に返事はない。
鼠も隠れて様子を見ていた壁から身体を出して、溶けゆく霜を踏みしめながらシオンに近づいていく。
終わってみればメイド服を少々削られて鳩尾に一発食らったくらいだった。鼠は大したダメージは負っていないのだろうと思って軽い口調でシオンに声をかける。
「余裕でしたね」
「いえ」
シオンは鼠を振り向き、正確に答えることが教育上の義務であるかのように言った。
「そんなことありませんよ。まともに鳩尾に貰った時に補助インナーの一部機能が停止しましたし、ルイナに作ってもらった光学式機甲旋棍は奥の手を使ったせいで砲撃能力を喪失してますしね。……それでも他の機能にさほど影響を出さないのはルイナの腕を褒めるしかないところですが。固有魔法が制限されていなければ、もっと楽ではあったのでしょうが、姫宮の規則ですから……」
「規則って?」
「主人を守るために、隠し玉である固有魔法を明らかに分かる形で人前で使用することは禁じられているのですよ」
鼠は感心した。面倒な数々の規則がある貴族階級に憧れたし、そんな規則に縛られながらあれほどの強さを示したシオンには感嘆の念が沸いてきた。
「それで、鼠君は私の固有魔法、わかりました?」
シオンは探るように鼠の瞳を覗き込む。鼠はたじろいで視線を外そうとするが、シオンの瞳は不思議な力を持つかのように鼠の視線を捕らえて離さなかった。観念した鼠は思いついたことを言う。
「次元収納の使い方が上手いですよね。瞬時に武器を出し入れしてましたし」
シオンは軽く頷く。
「ありがとうございます。それから?」
鼠は頭を掻いた。それから? と言われても。
「あー、もしかして、次元系統だったり?」
シオンの頬がピクリと動いた。
「……えぇ、そこまでは問題ありません。他には? 魔法の具体的な名前などわかりましたか?」
尋問のような問いに困り果てた鼠はラスに念話で助けを求める。
(ラス、なんて答えればいいんだ? 当てちゃいけないよな? そもそもわからないけど)
(鼠が考えてわからなかったらそう言えばいいんじゃない? ラスが教えてもなんでわかったのかって聞かれたら説明できないでしょ。今はそれでいいよ)
(そうか)
鼠は中空に視線をさまよわしてなにか戦闘中に固有魔法が使われたか考えてみたが、思い当たるものはなかった。
「いえ、わかりません。嘘じゃないですよ」
シオンは鼠の真意を掴もうとするかのように、見透かそうとするかのように鼠の瞳を見つめる。鼠も本当に分からない、分かったとしてもシオンの不利益になるようなことはしない、ということを伝えるためにシオンの瞳をじっと見返した。
しばしの間、二人は見つめ合う態勢になった。
「ふ」
シオンが表情を崩して申し訳なさそうに微笑んだことで緊張感が解けた。鼠にお辞儀をすると謝辞を口にする。
「申し訳ありません、鼠様。姫守として伺う必要がありまして」
「い、いえ! 気にしてませんよ! 様とかやめてください!」
鼠は慌てて胸の前で両手を振った。銀腕工房で出会い、楽しく話をした時のシオンでいてほしい。
本心から慌てふためく鼠を見て、シオンは表情を緩めた。
「ありがとうございます。色々と厳しいんですよ。姫宮家への服従は遺伝子に刻まれているので」
鼠はシオンの言葉を、姫宮家に対する深い忠誠の比喩と解釈した。同時にこのシオンが従うくらいなのだから、姫宮家とは大層有力な一族なのだろうと想像する。
「すごいですね。そこまで深い忠誠を胸に刻めるなんて。姫宮家ってそんなに偉いんですか?」
鼠の言葉は無知から出たものだった。実際鼠は姫宮家についてほとんど何も知らないに等しい。
無邪気に鼠から尋ねられ、鼠の予想に反して、シオンは薄っぺらい湖に張った薄氷のような笑みを浮かべた。
「胸というか遺伝子にDNA手術で刻まれているのですよ。そういうことのできる一族なのです」
「え……?」
意味がよく呑み込めず狼狽えている鼠を無視して、皮肉気にシオンは先を続ける。
「えぇ、それはもう素晴らしい一族ですよ。元々は海洋がダンジョンから溢れたモンスターに支配されていた時期に、いち早く冒険者を雇って貿易体制を構築したことで成り上がりました。今は貿易は勿論、他の面でも経済的、政治的にこの国に大きな貢献をしています」
何も言えずに固まっている鼠に構わず、何事もなかったかのようにシオンはダンジョンの奥の方へ視線を飛ばす。
「クロエ、遅いですね。情報収集機器にも反応はあるんですが……」
シオンが大声でどうかしましたかと聞くと、奥の方から蚊の鳴くような声が返ってきた。
「腰抜けたっス……」
◆
「いや、だって目の前をガァーッと通っていったんスよ! しかも目が合ったんス! 羽虫でも見るような目だったっスよ! シオン姉さんとの戦いが楽しみでもかったらプチっと殺されてたっス!」
どうやら装甲機工魔狼が壁を壊せることをシオンに示そうとして壁を何枚もぶち抜いて横からシオンを襲撃した時に、クロエが隠れていた部屋の中を駆け抜けたらしい。その時の威圧感と恐怖で腰を抜かしたそうだ。
シオンは鼠にクロエを託してどこかへ行ってしまった。ダンジョンの入り口の方向だったので流石に帰ったのかもしれない。
クロエは鼠の肩に寄りかかるようにして歩いている。二人はギルドに戻ろうとゲートの方向へ向かっていた。
探知範囲に赤い反応が現れ、その主たちが鼠の前に姿を現す。
「グルォォオオッッッ」
「…………」
レベル2装甲魔狼の群れだった。鼠は《魔纏》を発動し、黙ってナイアーラMAR-S-r-IIIの銃口を向ける。
クロエも両腿に装着してあるサバイバルナイフとハンドガンをそれぞれ手に取り、身体の前で交差させて構える。鼠が無造作に引き金を絞った。
無数のマナの弾丸が放たれ、通路を埋め尽くす。装甲魔狼も馬鹿ではない。マナ弾が射出された瞬間に魔狼たちは近くの廃墟となった部屋へと飛び込んでいた。
そうして物陰を利用して鼠たちに接近しようとした狼たちを、大きく軌道を曲げた魔弾が追う。通路の左側に跳び込んだ装甲魔狼は、着弾と同時に爆発した無数の魔弾に機能を停止させる。鼠の操作なので一度に両側の魔狼は狙えなかったうえに、外れて無駄に爆発した魔弾も多い。
「はえーっ」
同じく情報収集機器で魔狼たちの反応消失を確認したクロエは感嘆の声を漏らす。そして通路の右側に残ったもう一つの反応に目をやった。これからチームを組むのであれば能力を見せておいた方がいいだろうと考える。
「じゃあこっちはクロエがやるっス!」
クロエはしゃきりと姿勢を正すと両脚を広めに開き、サバイバルナイフと大型のハンドガンを交差させて構えた。
「行くっスよぉぉおおっ、《魔装》っ! 《身体強化》っ!」
ハイテンションで叫ぶクロエに鼠は呆れ顔を向ける。今も防護外套〈黒熊〉の袖に腕を通さずに着ている鼠に、似たようなものだろとラスがじと目を向ける。
「《くぅぅー間把握》っっっ!」
クロエの瞳が一種特別な光を帯びた。装甲魔狼がいるはずの部屋の方を目をいっぱいに見開いて凝視する。
「……そんなことしなくても情報収集機器に映ってるんじゃないのか?」
「近くの敵や空間構造を視界に立体表示させた上で、理屈としての情報じゃなく感覚で把握できるんス! 情報収集機器での代用は難しいっスよ!」
イマイチ良さがわからない鼠の横でラスが呟く。
「感覚的に捉えられるのはいいね」
鼠の情報収集機器はそもそもランク4な上に、ラスが魔素探知を大幅にグレードアップさせて他の機能の補助まで行っているせいで、ランク6相当に迫る性能になっている。しかしそれでも探知結果を感覚として出力するのは不可能だ。コンタクトレンズ型ディスプレイに映る半透明の情報を、無意識に読み取って行動に反映させる程度が限度である。
マナ情報としてならオプションパーツによって出力が可能だ。しかし鼠がマナを感じ取ることにまだ慣れておらずラスも訓練を後回しにしているので、現状視覚に頼った情報取得しかできていない。
「まぁ、範囲は半径二十メートルくらいスけど!」
「二十メートルなら索敵にはほとんど使えないじゃん……」
「だから押し付けられたって言ったじゃないっスか!」
銃が主力武器である現代では索敵にも同等以上の範囲が求められる。数百、数キロメートルにも及ぶ銃の射程に対して僅か二十メートルというのは余りにも狭い。
「でも近接戦闘には十分っス!」
話している間にクロエの《空間把握》圏内にまで接近してきていた装甲魔狼が、窓ガラスもサッシも失って壁だけになった開口部を跳び越えながら、炎を纏った両前脚を振るう。
二振りの炎の爪撃が飛翔を開始する......と同時に魔狼の眉間に大口径の弾丸が叩き込まれた。後ろに吹き飛んだ魔狼は、しかし獣らしい体幹を見せて空中で回転し、壁の向こうに四本脚で着地する。
「ふっ」
予め飛び出してくる場所を把握し狙いを定めて銃撃したクロエは、《魔装》によりマナを纏った大型ナイフと大型拳銃で炎の爪撃を払いのけると、姿勢を低くして駆け出した。
装甲魔狼とクロエの間は元々は窓がはまっていた腰ほどの高さの低い壁によって遮られている。そのため装甲魔狼からクロエの様子ははっきりとはわからないが、クロエからは違う。
腰壁に頭から突っ込む直前に、獣のような俊敏さでクロエは直角に移動方向を変える。崩れ落ちている部分まで駆けると、予めそこにあると分かっていた装甲魔狼の横面へと大口径の弾丸を連射した。
反応が遅れた装甲魔狼は飛び退く代わりに、咄嗟に持ち上げた前脚に炎を纏わせ防御を試みる。
一発目が前脚を弾き、二発目が纏った魔炎を貫通して頭部に当たり、装甲を大きく砕く。三発目は外れたが四発目が再び頭部の装甲を砕き、五発目はついに剥き出しになった生体部に直撃する。頬に深く孔を穿たれた装甲魔狼は大きく仰け反った。短く上げた鳴き声はしかし末期の咆哮ではない。
大きく隙を見せた装甲魔狼へと、鼠が目を見張る俊敏さで、クロエが接近する。一足で距離を詰めたクロエは魔狼が体勢を立て直そうとする中、その背上を回転しながら通り越した。
直後、装甲ごと首で切断された頭部がごとりと床へと落ちた。クロエは壁に柔らかく着地して勢いを殺す。その手にはマナに覆われた大型のナイフが握られており、マナの表面からは血が滴り落ちていた。
クロエはマナに覆われたサバイバルナイフを振って、《魔装》を解除すると同時に血糊を飛ばす。装甲魔狼の首を切断した時に付着した血は壁に暗い染みを残した。
クロエは鼠のいる通路まで戻ると、自信ありげに微笑みながら訊ねる。
「どうっスか? 一応もっと消耗を抑制して倒すこともできるっスよ。なんなら弾丸を使う必要もないっス」
「ああ」
鼠は手を差し伸べる。クロエもその手を握り返した。
◆
(相当強くないか?)
(敏捷力はかなりのものだね。これでパッとした成果を残せてないなら、本当に探知士に適性がなかったのかも。データを分析する論理的思考力、データに基づいて他人を説得できる言語化能力とか交渉力とかが必要になるからね。しかも《空間把握》で感覚的に情報を処理することに慣れてたなら尚更だ。感覚を言語化するのは難しいから)
(向いてなかったんだな)
(似たような役割でもクロエが向いてるのは斥候じゃなくて暗殺者だろうね)
◆
「ゲイルラバーズが壊滅?」
ギルドへ戻った鼠を待っていたのは、そんな情報だった。次元収納箱の中に放り込んでいたものをカウンターの上に並べ、ギルド職員のミズキが手際よく鑑定から支払いまでを済ましたあと、そういえば、とミズキが告げた。
鼠はかなり戸惑った。ゲイルは多少向こう見ずなところがあるがミユの言うことはよく聞く。ミユは《冷静》のレベルボーナスを取得しているかのように常に冷静だ。無茶なモンスターに挑んだなどとは考えにくい。
「冒険者……に殺されたらしいのよ。最近出没しているのよね。なのに上層部は指名手配をしようとしないし、討伐依頼も出さない」
「それはまた。なぜですか?」
ミズキは言い淀んだ。躊躇うように目線を逸らすと手招きをする。鼠がカウンターの上に乗り出して顔を近づけると、ミズキも鼠の耳に口を近づけ、手で口元を隠して囁いた。
「これはあくまで噂なんだけど……姫宮家が関わっているらしいのよ」
「姫宮……ですか」
「そう。それで冒険者管理機関はダンジョン探索は冒険者の自己責任っていう暗黙の了解を盾に取って、動こうとしないの。上階の安全を確保してくれっていう冒険者の声も結構上がってるんだけどね」
鼠は姫宮と関わりのある黒髪メイドを思い浮かべた。彼女から話を聞けばなにか分かるかもしれない。
でもまずはゲイルに声をかけなければ。
鼠はミズキに礼を言って冒険者管理機関のロビーに移動する。通信端末を使って電話をかける。
「……あぁ、俺は大丈夫だぜ」
気落ちしているとはっきりわかる声で電話の向こうのゲイルはそう言った。
「大丈夫ってそんな……」
「大丈夫だ。あいつへの復讐に燃えているからなァ」
音声口から業火を煮詰めたようなゲイルの声が返ってくる。
「他の奴らに取られてたまるかよ……討伐依頼なんかが出る前に俺が殺してやる」
「ちょ、まっ」
鼠の制止する声も聞かずにゲイルは通話を切った。
「どうっスか?」
「六対一で負けた相手に二人で立ち向かっても勝てるわけがない……マズイぞ、これは」
ゲイルは今すぐにでも復讐相手を探してダンジョン内を徘徊しそうだった。ミユがゲイルの目を覚まさせてくれればいいが、四人も仲間を殺された後で激情に駆られているゲイルを抑えるのは難しいだろう。
「姫宮が圧力をかけているって言ってたな……姫宮と言えば……」
鼠は端末から姫守シオンのシーカーコードを呼び出し、電話をかける。しばらく待った後に突然電話が取られた。
「ハイハーイ。ゼオ爺? 今お楽しみ中なんだけど。これ終わったら帰るから適当に誤魔化しといてくんない?」




