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身代わり王子と身代わり花嫁  作者: 七合美緒
13/24

13 秘密

「こんな城に住み続けているなんて公爵様はかなりの変人よね」


 アリーシャの呟きに対してランドールが頷いている。


「王都に立派な本宅があるっていうのに、晩年の彼はここから一歩も出ていないんだぜ。本土にある領地は代官に管理を任せている」


「それにしても、古い城ね。でも、調度品は豪華だわ」


 象牙をくりぬいて作った小箱。丸い形の金属製の吊りランプ。螺鈿細工や寄木細工の本棚や衣装箱。どれも細工が緻密でエキゾチックだ。


 絨毯にしても針で細かく描いたかのように繊細に織られており職人の技が感じられる。


この部屋に入るや否や、ランドールは金の刺繍をほどこした新しい衣服に着替えている。


アリーシャにも可愛らしいドレスが用意されているが着替える気になれなかった。


 ランドールが感心したように呟いている。


「ずいぶんと上等な水差しだな。クリスタルだぞ。水の都から仕入れたのかな」


 螺鈿細工のオルゴールも底に珊瑚を封じ込めた文鎮も高価だ。広大な領地を持っているのだから、公爵にはお金はある。しかし、なぜか壁や天井の破損状態がひどい。


「窓枠もかなり年季が入っているな。おそらく指物師や大工たちがに来ることがないんだろうな」


 執事が手入れする物に関しては完璧な状態を保っているが、それ以外のところは雨風に曝されて朽ちている。


 特に天上に関しては雨漏りのシミが点在しており廃屋のような有様だ。


 アリーシャは室内を見回しながらも警戒せずにはいられない。


「何だか幽霊が出そうな雰囲気ね」


 色褪せた古いタペストリーが年月を物語っている。


「不思議よね。公爵は、何年、ここにいるの……」


「イリスが死んでから、ずっとだよ。かれこれ十六年ぐらいになるのかな」


 閉塞感と寂寥感が漂っており、まるで、ここだけ時が永遠に止まっているかのようである。


 アリーシャは早寝早起きなので、いつもなら眠っている時刻だが、眠る気にはなれない。


「公爵について、もう少し詳しく教えてくれる」


 すると、貴族の醜聞について殆ど知らないアリーシャに向けて語り始めたのだ。


「ずっと前から、公爵は社交界に背を向けて隠遁している。八十歳近い年齢だ。公爵には長男もいたが、息子と妻は病で亡くなっている。公爵は、しばらく落ち込んだが再婚した。イーリスは後妻が産んだ娘なんだ。歳をとってから生まれた娘だから、特に可愛がっていたようだ」


 ちなみに、公爵の後妻はイリスが幼い頃に熱病が原因で亡くなっている。


「イリスは王妃より七歳年下だ。王妃の従妹にあたる方だ。しかし、水の都の本島からバルモア島にある小島の修道院へと向かう途中に海賊に襲撃されて亡くなったと聞いている」


「異教徒のターバンを巻いた海賊のことはよく聞くけど、我が国にも海賊っているのね?」


「海賊なんてどこにでもいるぜ。バルモア周辺の漁民だって食うのに困れば海賊になるさ。僕とケネスも、昔、砂漠の都市に向けて航海していて海賊に捕まったことがあるからな。身代金を要求されたが、僕等は払うことなく自力で脱出したのさ」


「身代金ってすっごく高いんでしょう?」


「まぁなー。貴族や裕福な商人じゃないと払えないような額を要求してくるぞ。おまえみたいな庶民だと奴隷として売られて死ぬまで働かされるのさ」


 逆に、異国人が奴隷として我が国に売り飛ばされる事もあるという。


「ねぇ、従妹同士ってことは、イリス様は性悪な王妃に似ていたの?」


「いや、イリスの方が美人だったさ。僕は会ったことはないが肖像画を見たことがある。亡くなった時、イリスは二十歳だった。以来、公爵は気がふれてしまった。退廃的な生活を送るようになったんだ。孤島の城に篭ったきり宮廷の行事にも出て来やしない。たまに、王様宛に新年の挨拶の手紙が届く程度だ。公爵には跡継ぎの息子はいないし甥もいない。それなのに、先刻、あの執事は坊ちゃまと言っていたよな?」


「じゃぁ、もしかしたら養子をもらったとか?」


「その可能性はあるかもしれないが、誰も、そんな話は聞いてないぞ」


 ランドールは、緑色のビロードで覆われた長椅子に腰掛けていた。


 難しい顔で腕組みをしながら考え込んでいる。


「そういえば、王妃は従妹のイリスに辛く当たっていたそうなんだよ。宮廷では、もっぱらの噂だった。王妃が、イリスの清楚な美しさを妬んでいたらしい」


「何となく分かる気がするわ。王妃って何かと嫉妬深そうだもんね」


 それにしても、坊ちゃまとやらは何を企んでいるのだろう? 


「ランドール、こうなることを予測していた?」


「いや、まったく予想してない。どのみち、ここに乗り込もうかと思っていたので、悪くない展開だと言いたいが……。こういう形で連れ込まれると戸惑うよ」


 アリーシャは念の為に扉や窓を点検してみる。


「やっぱり、外から鍵がかかっているわよ!」


部屋を歩き回って逃走経路を探してみるが、ここは三階。


無理すれば降りることは可能だが、孤島から外に出るには船が必要になるので逃亡は不可能だ。


疲れたように肩をすくめた後、ランドールが静かに促した。


「もう休もう。おまえ、今夜はベッドで寝ろよ。昨夜からまともに寝てないだろ? 何かあれば起こしてやる」


 ランドールは寝椅子に横たわるが長身なので膝から先が豪快にはみ出していて、何だか窮屈そうだ。


「ランドール。あたしは絨毯の上で寝るわ。ここの絨毯はフカフかよ。ここならグッスリ眠れるわ。庶民は床で眠るじゃなかったの?」


「おまえは今や立派な貴婦人だ。それに、僕の大切な相棒なんだよ」


 金色の優雅な髪を揺らしつつランドールは優雅に微笑している。


 だしぬけに優しい表情を見せたものだからドキッと心臓が跳ねる。彼は、胸に手をクロスさせて仰向けのまま呟いている。


「ゆっくりと休むといい。おやすみ、アリーシャ」


「……」


 な、なんだろう? 急に、そんなふうに丁寧に扱われると照れ臭くなる。


 もう寝たのかな、そう想い、視線を移すと目が合った。


 ベッドと並列しているソファに横たわっていた彼は、横向きの姿勢になり、こちらを眺めている。アリーシャはボソッと呟いた。


「そんな事を言って、夜中に襲ってこないでよね」


 ランドールは横たわったまま乾いた横目になり笑みを浮かべている。


「うわっーー、カマトトな台詞だな。他の女がそんなこと言うと白々しいけど、おまえなら許せる。本当に何も知らないんだもんな」


 その声は優しかった。蝋燭の明かりがランドールの精緻な美貌をよりいっそう際立たせている。


「何もしないさ。ケネスの大切な妻だからな」


「やっぱり、あたしがそっちに行くわよ」


「いや、いいよ。熟睡したくないからここにいる」


 ランドールは何か異変があれば、すぐに身を起こせるようにしたいのだろう。この人はプロなのだ。休息しながらも仕事モードに入っている。


「あたし達、どうなるのかな?」


「さぁ、どうかな? 心配するな。きっと何とかなるさ」


 この時、ランドールは凛とした眼差しでアリーシャを見守っていたのだった。



いつのまにか熟睡していた。目を覚ました時、なぜか、ランドールが消えていたものだから動揺が走った。


「ランドール! どこなのよ」


 焦った。バクンと胸が騒ぎ出している。彼の身に何かあったらどうしよう! 


「なぜ、いないのよ!」


 必死になって見回すと金製の飾りのついた立派な置き時計が暖炉の上に置かれていたので時刻を確認したのだが……。


「ええー、こんな時間なの? 夕方の四時なの」


 机の上に、一人分の食事が置かれていた。


 空腹だったので冷めたスープを口にしようとした時、部屋の扉がノックされたのだ。


 来たのは執事のアンプラだった。彼は、うやうやしく一礼してからアリーシャに告げている。


「おやおや、やっと目覚められたのですね。その朝食はおやめなさい。古くなっているかもしれません。食あたりをするといけません。少し早いのですが、あなた様の為に食事の用意をしておりますよ。坊ちゃんもお待ちしております」


「ねぇ、ランドールはどこなのよ!」


「坊ちゃんの意向により、ランドール様は昨夜のうちに別室に移動していただきました。ランドール様は午前中に、坊ちゃんとお会いしています。懇切丁寧に説明したところ、聡明なランドール様は我々のことを理解して納得されたのです。ランドール様にもお食事を運びますので心配無用でございます」


「……えっ」


 意味が分からない。


「どうか、アリーシャ様もお召し物を変えて下さい。洗濯してさし上げます」


 そう言われたので、光沢のあるシルクドレスに着替えることにしたのである。着替え終えた頃、また、彼がやってきた。


「坊ちゃんが、二階の突き当たりのダイニングでお待ちしております」


 案内されて向かったダイニングは広かった。


昔は、地位の高い人達がここに集ったのだろう。栄華の名残を感じさせる部屋はガランとしており、寂しく映る。


 細長いテーブルの先には一人の若者が座っている。


(この人が幸福な王子ってことなの?)


 分厚いカーテンは閉められている。最小限の明かりしか灯していないものだから、船の底にいるかの様に薄暗い。


 その人は大きな肖像画を背にして座っているようだが、この位置からは相手の顔も肖像画も見えない。


 それでも、彼が若い男で華奢な体型をしているということは分かる。


「ちょっと! あんた、何なのよ!」


「アリーシャ様、まずは、お食事の席にお着きくださいませ」


 太い腕でアリーシャを押さえようとする執事の腕をスルリとよけて、身軽にすり抜けていく。確かめたい。こいつは誰なんだ。タタッと机の向こう側へと突進せずにはいられなかった。


「ちゃんと顔を見せなさいよ!」


 テーブルに肘を滑り込ませて、その顔を覗き込んでいく。その直後、アリーシャはしばし絶句していた。まさかという気持ちを疼かせながら凍り付く。


 美しい女性の肖像画の前の席にいたのは、フランツ王国の王子だったからだ。


「えっ……」


 アリーシャと結婚したいと駄々をこねた馬鹿な王子が、どうしてここに? 


 驚きながら、頭の中で散らばったものを組み立てていく。


(まさか、あたしに会う為だけに、こんな手の込んだ事をしたってこと?)


 放心したように、可愛らしい王子の顔を見つめ続けるものの、やがて冷静になると違和感が芽生えた。


「ううん。そうじゃないわね。あなたは王子じゃないわね」


 だって、この人は諦めを滲ませたような透明感のある眼差しをしている。世界中の試練を背負ったかのような哀しげな表情をしているんだもの。


 脳天気な王子様である訳がない。


「あなたは誰なの? 坊ちゃんってあなたのことなの? ここの城の主はどうしたのよ? 公爵様はどこにいるのよ」


 すると、彼は、ゆっくりと唇を吊り上げて微笑んだ。


「三年前に亡くなりましたよ」


 銀の鈴を思わせる独特の声質もソックリなのだが、それでも微妙に違う。


 アリーシャにも双子の弟がいる。だから、ソックリに見える人間の違いには人一倍敏感なのだ。この人の左目の下には小さな黒子がある。


 坊ちゃんは王子ではない。つまり……。


「あなたは公爵の孫か、もしくは子供なのね」


「孫です。祖父が死んでいることが世の中に露呈すると、この城は没収されてしまいます」


「あなたには相続する権利はないの?」


「哀しいことに僕には何の権利もないのです。何しろ、僕は、この世に存在していないことになっていますからね」


 いつまでも脇に立っているアリーシャに席に着くようにと目線で促している。その態度に悪意などは少しも感じられない。陽だまりのように柔らかで、何となく毒気を抜かれたアリーシャは大人しく言われた通りに着席する。


 しかし、気持ちは昂ぶっていた。


「あなたの名前は?」


「ハラスです。亡くなった祖父が名付けてくれたのですよ。母はイリスです。子供の頃の母と王妃は仲が良かったのですが、ある時を境に恋敵となってしまったのです」


 その表情が一気に翳り、心の迷宮に誘い込むような複雑な微笑へと変わっている。


「ねぇ、僕は王子によく似ているでしょう? なぜだか分かりますか?」


「そ、それは、まさか……」


 王妃の侍女をしていたのだから、彼女は王と頻繁に顔を合わせることもある。ということは、もしかして……。いや、きっとそうに決まっている。


「もしかして、王様がイリスと浮気しちゃったということなの?」


 不義の子だから隠れ住んでいるということなのだろうか? 


「浮気というよりも母こそが王の本命でした」


 キッパリと言い切っている。


「王は、結婚する前から僕の母に強い思慕の想いを寄せていたのです。しかし、王妃の父親が自分の娘を強引に推薦しました。祖父は権力闘争というものに関心がなかったのです。娘を王妃にしたいという野望を持っていません。それに、娘が王を愛していたなんて知らなかったのです」


 少し間を置いてから、哀しげに言い継いでいる。


「母は妊娠したことを秘密にしていました。しかし、勘の鋭い王妃達は母が妊娠していることに気付いてしまったのです。胎児を毒殺しようとしました。母は毒を飲んで倒れましたが一命をとりとめました。身の危険を感じた母は遠くへと逃げました」


 しばらくは水の都に潜伏していたのだが、出産する為に古城へと向かおうとしていたのである。けれども、案内役の水夫が裏切った。


「身重の母を砂漠へと向かう船に乗せたのです。そいつは王妃の手先だったのです。王妃は母を殺すように命じたようですが、そいつは母を売ろうと考えました」


 しかし、輸送船で働いていたアンブラはイリスに同情する。


「御覧の通り、アンブラは異教徒です。フランツ王国の海運業者が馴染みの海賊から買い取った奴隷でした。彼は、他の奴隷よも従順で人望も厚くて学があったので、ラウルの船で航海士として働いていました」


 海の向こうの大陸には異教徒が暮らしており、フランツ国王と同盟を結ぶ国もあれば敵対している国もいる。


 アンブラの村は敵対するベルベロッサ国が領土だと主張する海域にあった。ある時、ラウルが率いる白い肌の海賊達が乗り込んで来たのは、アンブラが二十歳の時の出来事だった。


 白人の海賊は、商船の漕ぎ手が足りなくなると人をさらいにやってくる。


 アンブラの唯一の肉親である弟は断崖絶壁を歩き隠れ家に逃げ込もうとするが、途中で滑落して死んでしまい、アンブラだけが彼等に捕まった。


 以後、十年もの間、アンブラはラウルの船で奴隷として働いたというのだ。


「航海の最中、僕の母の手を握り励ましながら赤ん坊を取り上げたのはアンブラでした」


 この時、アンブラの中で強い想いと使命感が燃え上がる。


 美しいイリスはハーレムに売られる予定だったが、出産の翌週に亡くなっている。産褥熱が原因だった。遺体は海に投げ落とされた。


 その光景をアンブラは目に焼きつけながら拳を強く握り締めた。


 イリスは死ぬ間際、涙をこぼしながらアンブラに訴えたという。


『どうか、わたくしの子供を守ってあげて……。あの子は、わたくしの宝物なの』


 イリスの無念を思うと、アンブラの身が震えた。アンブラは赤ん坊のハラスを何としても守りたかった。


『おい、アンブラ、ガキも殺して捨てろ』


 船長に、そう命じられたアンブラは赤子に見立てた別のものを海に投げ落とした。


「アンブラだけではありません。他の船員達も赤ん坊を生かす為に結束してくれたのですよ」


 船で飼っていた山羊の乳を飲ませながら何とか小さな命を繋いだ。


 そして、アンブラ達を乗せた船は、砂漠の国で荷物を下ろすと、再び、バルモアへと帰っていった。


「アンブラは僕の存在を隠し通しました。幸いな事に、漕ぎ手の奴隷のいるところに、船長や商人は来ません。それに、僕は、あまり泣かなかったのです。いつ死んでもおかしくないほど衰弱していたそうです」


 バルモア島に着いた時、アンブラは自分の荷物と共にハラスを船から降ろした。


「奴隷といっても、異教徒の彼等はフランツ国内を自由に歩けるのですよ。アンプラのような者は、どこかに逃げてもすぐ見付かります。だから、フランツ領内の寄港地では船長達も自由にさせていました。何しろ、アンブラの肩には奴隷の焼印が押されていますからね。どこにも雇ってもらえません」


 しかし、アンブラは脱走した。この子は由緒正しい公爵の孫だ。


 バルモアの第二埠頭に停泊していた大型の船から逃げ出すと、赤子を連れて公爵の住む島にやって来たのである。


『旦那様! この子はイリス様のお子様です。わしと共にあなた様の城に匿ってくだせぇー』


『おお、なんという奇跡だ』


 赤子の産着はイリスが自分で縫ったものである。イリスの紋章が刺繍されている。


 老齢の公爵は、イリスの死を知って嘆き哀しみながらも愛しい孫との再会に涙をこぼした。


 以後、アンブラは屋敷の執事となり、乳母代わりになってハラスを育て上げたのである。


「それから、ずっと、僕の祖父は頭がおかしくなったフリをしていました。血を吸うだの男の子の内臓を喰らうだの、満月の夜には裸で踊るだの、そういう怪しげな噂を流して他の人達との縁を切りました」


 訪問者を徹底的に拒絶した結果、誰も公爵に寄り付かなくなったのだ。


「もし、王妃が僕の存在を知ったなら、あの方が僕を抹殺することが目に見えていたのです。僕を世間から隠そうと祖父は必死になって狂人のフリをしたのです」

 

「確かにそうよね。あの王妃ならやりかねないものね。あたしも殺されかけたんだもん」


 それにしても、ここは何て静かなのだろう。人の気配というものがない。


「あなたが街で買い物なんてしたら目立つわね。王子に瓜二つなんだもの」


「僕は外には出ません。商人達が、さまざまな物資を届けてくれます。アンブラが衣服を仕立ててくれています。彼は、最高の執事であり、そして、大切な友人なのです。彼は、少年の頃に神官見習いとして高い教育を受けていました。砂漠の国の神官は博識で他国の言語や知識に長けているのです」


 アンブラは、この小さな島から出られないハラスの目となり耳となり細やかに働いてきたという。


 昔は痩せていたアンブラだが、強引に体重を増やしたおかげで人相も変わっている。おがげで、逃亡奴隷のアンブラを追う輩もいなくなった。


 そして、公爵家に謎めいた異国人の執事が住んでいるという噂と共に、公爵の奇行の噂がまことしやかに浸透していった。


「もうすぐ、お祭りが始まりますね、実は、僕は、何度かアンブラに付き添われてバルモア島に行った事があるんですよ」


 ここからでも、バルモア島の花火がよく見えるという。


「祭りの夜になると仮面舞踏会に行きます。その夜だけは特別なのです。街中が仮面をかぶって踊り続けます。その夜以外はここにいます。城にはアンブラと耳が不自由な双子の初老の女性がいるだけなのです」


 双子の老女の生い立ちも不思議なものだった。哀れな物乞い生活をしているところを公爵によって拾われたというのだ。


 生まれつき耳が不自由な姉妹は明瞭に話す事も出来ない。


 しかし、優しい老姉妹は、母のようにハラスを抱きしめて育ててくれたという。


「双子の姉妹も現在は六十二歳になっています。二人は畑を作り家畜を飼っています。基本的に、我々は自給自足の生活をしています。僕の存在を知っているのはアンブラと双子の老婆だけなのです。彼女達はとても優しいけれども僕と会話が出来ません」


「それじゃ、あなたも寂しわよね?」


 こんな城の中で一人ぼっちだなんて……。彼の孤独の深さを想像すると胸が痛む。


 同じ年頃の友人もいない生活がずっと続いているなんて……。こんなのどうかしている。 


 なんて皮肉な運命なんだろう。王子と同じ父親から生まれているのに、こんなにも処遇が違うなんて……。


「ええ、寂しいですよ。だから、僕は、祖父の死後、時々、商人たちから男の子を買い取り、話し相手や教師の役割を果たしてもらっていました」


「なんですって!」


 ピキッと胸に亀裂のようなものが走る。


「ラウルが調達した少年を積んだ船は、毎回、バルモアの東の沖合いに停泊します。アンブラはこれまでに、二人の少年を買っています。長く一緒にいたのですが一人目は肺炎で死にました。もうひとりは、来てすぐにここから逃げようとして崖の上から飛び降りました。泳いで島の外に出ようとして溺れ死んでしまったのです」


「あっ!」


 アリーシャはヒクっと顎先を上げる。恐ろしい事実に気付いてしまった。


 ケネスが言っていた溺死体というのは、その少年のことなのだ。


「酷いわ! 話し相手をお金で買っていたなんて! 本当に酷いわ。トルカはどこなのよ! あなたが連れ去っていったんでしょ? ケネスに妙な手紙を送ったのも、あなたなんだよね!」


 アリーシャは王子そっくりの少年を睨みつけていく。


「そうですよ。僕がトルカを買いました。これに関しては、偶然、そうなったのです。僕の祖父は、奴隷売買の組織にとって特上の顧客です」


「トルカをここに連れてきてよ!」


「焦らないでください。約束は守りますよ……。トルカのことは、先刻、あなたを連れてきた商人に渡しました。バルモア島に先に戻ってもらっています。宿で丁重に扱うように言いましたよ」


 いくら大切に扱おうとも、連れ去られたトルカは自由を奪われた状態なのだ。言わずにはいられなかった。 


「ねぇ、話し相手が欲しくて商人達から少年を買っているのね。そんなことはやめてよ! あたしで良かったらここにいる! 何でもする。だから、人買いなんてやめてよ。ねぇ、あなたの目的って何なのよ? まさか、宿に火を放ったのもあなたなの!」


 だとしたら許せない。


「僕等ではありません。あなた達に何かあると困りますからね」


 ということは、やはり、犯人は黒衣の男なのだろうか。


 考え込むアリーシャに向かって言った。


「ぜひ、協力してもらいたいのです。僕はどうしても王様に会いたい。反撃したいのです」


「まさか……。王妃を罰してもらうつもりなの!」


 王妃の恐ろしさならアリーシャも分かっている。


 こんな場所に隠れ住むしかなかったハラスは被害者だ。


「いいえ、僕は居場所が欲しいだけです」


悲しそうに呟くハラスの苦悩は計り知れない。全身に諦観が染み込んでいた。どこか遠い目をしている。彼の醸し出す空気は静謐で通常の世界とは切り離されているように見える。


「祖父は不老不死だという噂を意図的に流していますが限度はあります。いずれ、僕もアンブラも双子もここにはいられなくなります。建物も領地も王族に接収されることでしょう」


 ハラスの眼差しがキュッと深く引き絞られていく。


「この違いは何なのでしょう。王子は大切に育てられたというのに、僕は生きる権利が生まれつき無いのです」


「……」


 確かに、こんな事は理不尽だ。目頭がじんわりと熱くなる。ハラスの事を想うと王妃が憎らしくなる。そんなアリーシャに彼が言う。


「僕に協力してくれたなら、ラウル達が築いた革命派の組織のリストを差し上げますよ。出来る限り協力しますよ。なぜなら、あなた方は、僕と父親とを繋げる大切な架け橋となる人なのですからね」


「えっ?」


 アリーシャは動揺した。ハラスが急に咳き込んだ。苦しげに机に顔を伏せている。駆け寄ったアンブラが背中をさすっている。喘息か何かの発作のようにも見える。


 真摯に介抱しながら申し訳無さそうに告げている。


「アリーシャ様、この続きは明日にいたしましょう。最近、坊ちゃんは体調がすぐれないのでございます。昔から、時々、発作を起こされます。どうか、あなた様は、ここでお食事をお楽しみください」


 アンブラがハラスを抱きかかえて歩き出している。


「待って! まだ話があるのよ! あたしをこんなところに連れてきた目的は何なのよ! あたし達をどうするつもりなの! ランドールをどこにやったのよ!」


「しばし、お待ちください。いずれ、ランドール様のもとへと案内します」


 軽々とハラスを背負って出て行った。


 彼にとっては、ハラスがすべてなのだ。息子のように思っているらしい。


 アリーシャは気持ちを静めてフォークとナイフを握る。


「ああ、もう、ややこしい」


 色々と聞かされて頭が混乱している。とにかく、空腹を満たすことが先決だ。


 そして、ガツガツ肉を豪快に咀嚼していく。やがて、デザートのココナッツプディングを食べ終える頃、アンブラが戻って来た。


 彼は、ドッシリとした足取りでアリーシャの前を進みながら呟いた。


「ランドール様は城の地下牢にいらっしゃいますよ」




    











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