~ブルーガーデンの青い小鳥6~
久し振りに訪れたサロンは一瞬のうちに静まり返った。モルロの後を歩きながら、しげしげと店内を見渡す。
向こうはライルのことを知っているのだろうが、ライルには一人として顔見知りはいない。
琥珀色の照明がライルの銀髪に不思議な光沢を与えていた。男らしいのに爽やかな美貌で、同性の士官達ですら気をとられているのがわかる。
店員に案内されて奥の個室へ進む。嗜み程度の酒を頼み腰を下ろした。
「――あまり時間がない、手短に頼む」
モルロはつれない幼馴染みの台詞に少しだけイラッとする。誰のせいでこんな状況になったと思っているんだ! と罵りたい衝動を堪えた。
「……わかった。単刀直入に言おう。――もう一度、私と婚約してもらえないか?」
モルロ・バルストフことモリーナはマイスール王国にある小領主の長女として産まれた。後継ぎは8歳離れた弟がおり、彼女の人生は余程の事がない限り、どこかの貴族の元に嫁いで子供をなし、貴族の女性として当たり前のものになるだろうと誰もが思っていた。
それが崩れたのは彷徨伯ことライルの父親がライルを連れて領地を訪れたことがきっかけだった。
元々バルストフ子爵とライルの父親は仲が良く交流があったが、子供同士はこの日初めての対面であった。
気質が似ているライルとモリーナはすぐに仲良くなった。お互いに当時はまだ9歳と言うこともあり、健全な友情を抱いていたが、それを見て欲を出したのが父親同士である。
それぞれの思惑を胸に両者の婚約を進めてしまう。そして10歳になる頃には正式な婚約者として会うようになっていた。
この婚約に喝采の声を上げたのは当の本人ではなく、まさかのマイスール国王だったのは、ライルの一族の秘密が関わってくる。
マイスール国王は彼の『月霊の一族』を国に迎え入れられると諸手をあげて喜び、その功を称えてバルストフ子爵を厚く遇した。
子爵領は高額の援助金を得てさらには所領を拡大する話まででた。また爵位の格上げもすべきではないか、と言われたがそれは婿となるライルに贈るべきだとして見直された。
元々領地を盛り上げるような特産物もなく、棚ぼた式で大きくなった子爵領はそれでもライルの婿入り先として国からの保護を受けていた。
それほどまでに彼の存在は大きかったのだ。
それが崩れたのはおよそ4年前の話だ。次期勇者と目されていたライルは16歳の時ティタニア教国で最年少の聖騎士となった。そして1年後には聖剣に選ばれて勇者となったが、しかしそれから2年後に突然、聖剣を返上し聖騎士を辞めて出奔してしまう。それと同時に婚約が白紙に戻されたことをモリーナは知った。
「――なぜ先に知らせてくれなかった? 私達の仲はあんな紙切れ一枚で済むような、そんな薄っぺらい関係だったのか?」
何杯目になるかわからない果実酒を、それだけを言ってモリーナは一気に煽った。
そんな幼馴染みの様子に、心底困惑しきりのライルは眺めることしかできない。
確かにライルは聖騎士を辞めて家からも勘当された。そうするとこでライルの非を認めモリーナの名誉を守ったのだ。
「薄っぺら関係も何も、その事なら家同士で話は済んでいるはずだ。それに君には当時恋人らしき人物がいただろう? 彼と婚約したのではないのか?」
モリーナはなんとか吹き出すのを堪えた。その分噎せて咳込んだが涙目なのはそれだけが理由でない。
「――知っていたの?」
弱々しい声にライルは頷く。
「ああ、いくら出奔すると言っても全てを放り出して行くわけにはいかないからね。賠償金にしろ違約金にしろ、それ以外の補償にしろ調べないことには話もできない。少なくとも、こちらとしては君が望む限りのことをするつもりだったんだ」
そのうちのひとつに新しい婚約者を宛がう準備もしていた。そして調べるうちに知ったのは彼女には密かにやり取りをする友人以上恋人未満の存在がある、ということだった。
それを知ったライルと父はすぐさま国王にかけあい、その男の身辺調査をした上で彼女が願うのなら婚約を認めてほしいと打診したのだ。
ライルが最後に両親に挨拶した時、確かに婚約が成立したと聞いた。それなのに今こうして男装してしかも子爵を名乗っているのはなぜなのか?
ライルは単刀直入になにがあったのか教えてほしいと口にした。
「――確かに、私はその新しい婚約者を受け入れた。最初こそライルに捨てられたとショックだったけど、それでも私には彼がいるからと立ち直れた」
ポツポツと話し出すモリーナの手からそっとグラスを取ると、水入りの物へと変えた。彼女は思い出の中をさ迷っているようでその事に気付かない。
「最初はよかったの。まだ賠償金や国からの援助金が残っていたから、領地も回すことができたわ」
そこまで聞いただけでライルはその先を予想できた。当時彼が一番懸念していたことだった。なるべく援助しようと思いながらも、それが原因でバルストフ家が壊れないようにと願っていたが……。
大金を手にした小貴族はその輝きに己を見失ってしまうのだ。
「領地は大きくなったけれどそれに見合う税収はなく、さらにはライルとの婚約が無くなったことで援助金も打ち切られた。本来ならば援助金があるうちに新しい領地の開拓をすべきだったのに、父はそうはせずに投資することでさらにお金を増やそうとしたの。馬鹿よね、たまたま最初の投資が上手くいったからって、まともに下調べもせずに誘われるままに投資して――騙されたの」
モリーナがそれに気付いたのは結婚式まで1ヵ月を切った頃だった。それも最悪な形でその事実は知らされた。
「――婚約者に呼び出されたわ。父が何度かお金の無心に訪れている、君の家はどうなっているんだ……て」
聞いていたライルの方が重苦しいため息をついた。当の本人は自嘲するように笑い飛ばす。
「慌てて調べたわ。領地の財政状況から我が家の貯蓄や借金まで。父は家族思いの優しい人だから大丈夫だって無条件に信じてた。そんなわけ、ないのにね」
あまりの状況の悪さにモリーナは自分の手には余ると判断した。また婚約者にも相談すべく恥を忍んで全てを話したのだ。
その結果、彼女の2度目の婚約は破棄されてしまったのだ。
「君の父上は善良な人だったろう? なぜそんなことに――」
「善良な人間ほど悪人の餌食になるの。そんなの昔からの道理よ」
吐き捨てるように言うと一息にグラスの中身を煽った。そして顔をしかめる。
「これ、水じゃない」
「飲み過ぎだ、酔い潰れても置いて帰るぞ」
面白くなさそうに鼻を鳴らした後、モリーナは正面を向いて泣きそうに顔を歪めた。
「――素面じゃ、話してられないわ」
カラリ――とグラスの中で氷が音をたてた。
「――先に言っておくと、父は病死よ。方々に頭を下げに回っているうちに体を壊して、旅先の熱であっという間よ。借金だらけの領地と傾きかけた家だけを家族に遺して、一人だけ楽な場所に逝ってしまった」
憎まれ口を叩くその目は哀しみに染まっていた。ライルは思い出す。幼い頃何度か立ち寄った幼馴染みの家族を。みんな気さくでお互いを思いやる温かな家族だった。
「父が死んだ後、跡目を継ぐはずの弟はまだ成人していなかった。本来は母が後見人として領主の仕事をこなさなければならなかったのに、その母も父の死後体を壊して倒れてしまったの」
「御母上まで倒れたのか――」
ここまでのモリーナの苦労を思うとライルですら胸が痛む。
「なんとかたくさんの人に助けてもらって借金は綺麗にすることができた。けれども領地は残っているし、とりあえず子爵領だけでも守らないと助けてくれ人達に申し訳なくて。そこでとりあえずは中継ぎとして私が子爵領を継いだの。今は下士官として国に仕えつつ、領地は弟に任せている状況よ」
「領地は大丈夫なのか?」
「大丈夫――ではなかったわ。貴方との婚約でいただいた領地は全て返上したもの。――騎士学校時代の友達にはかなり助けられたわ」
懐かしむような口調にライルも笑みを溢す。ライルは一年だけモリーナと同じ騎士学校へと通っていたのだ。
「――あいつらは元気か?」
「ええ、元気よ。相変わらず馬鹿ばっかしやってるわ。みんな貴方のことを心配していたから、ここにいると知れたら殴り込んでくるんじゃないかしら」
なんとなく分が悪いと感じてライルは続きを促した。
「それで、どうして君は男装をしている? それにもう一度婚約してほしいとは、どういうことだ?」
「この男装は害虫避けよ。――さすがに二回も婚約が駄目になるとね、そういう女だって見られるの。つまり……後腐れのない体だけの関係を狙った男ばかりが寄ってくるのよ。――誰も私が純潔だとは信じてくれないわ」
少しの苛立ちと自嘲に満ちた重い口調に、ライルは渋い顔でグラスの中身を一口含んだ。
基本的にライルはあまり酒を好まない。付き合いがあれば嗜む程度だが、さすがにこの話は呑まないと聞いていられない。
「婚約については――あのね、先に言っておくと、私はもう結婚できるとは思っていないわ。その上で貴方にお願いしたかったの。――また、貴方を利用することになるけれど、幼馴染みの最後の我が儘だと思ってほしい」
真摯な態度で頭を下げたモリーナに、その意味を悟った。
「そうか、俺の名前を利用したいわけか」
かつて婚約が成立したときのように、とまではいかなくとも、現在のライルにはまだそれなりの魅力があるのだ。それだけ銀髪銀目はこの大陸では特別視されている。
「申し訳ないと思っているし、自分でも情けないと思っている。それでも今はすがれるものがあるのならすがりたい。どうか昔のよしみで助けてくれないか?」
――カタン。
微かな物音がティナの意識を眠りの淵から引き上げた。ぼんやりと目を開けば朝の光が小さな窓から射し込んでいる。
陽の明るさからいって朝寝坊という時間ではないのだろう。二度寝しようかな、と考えたけれどふとライルのことを思い出した。
目を開けて隣のベッドを見てみると、ちょうど身支度を終えたらしいライルが袖口のボタンを留めているのが見えた。
……贔屓目を抜きにしても、カッコいい人だよねぇ。
鍛え上げられた体に浮き出た筋、というのは昔近所のお姉さま達が「ヤバい」と悶えていたのを思い出した。ティナから見ても、美形でさらに雰囲気のあるライルは嫌みなほどイケメンだ。
その様子をなんとなく眺めていると、ライルが顔をあげた。
「おはようございます」
もぞもぞと布団に潜り直しながら朝の挨拶をすると、ライルも呆れたように挨拶を返してくれた。
「おはよう――いや、挨拶をしているのにどうしてまた布団の中に潜るかな」
「……もしかして朝帰りでしょうか」
「まさか。日付が変わる前には帰って来たよ。君はよく寝てたけど」
「そうなんですか。それは残念です」
「なにが残念なんだい?」
せっかく二度寝しようと思ったのだが、やはり朝の挨拶をしてしまうと眠りが遠ざかるようで眠れない。さらにライルとのやり取りで完全に覚めてしまった。
諦めて布団の上に起き上がると、やはり前髪が跳ね上がっていてライルに笑われた。
「……少し話があるんだが、いいかな?」
前髪と格闘しているとライルが神妙な顔で伺いをたててきた。おそらく昨夜のことだろうな、と当たりをつけてティナは頷いた。
ミニ設定
『月霊の一族』について。
月の精霊の加護が強い一族で、基本的に国に属すことはない。大陸を世代ごとにさ迷っているため、彷徨伯とも呼ばれる。銀髪銀目の両方揃って初めてその加護が現れて、どちらかだけでは多少の優位性はあるがあまり意味がない。今現在、加護持ちは当主とライル、それにシリルと当主の弟だけである。
ティナの見立てでは、銀髪銀目は半精霊状態で、天を統べる夜の王の加護だけに変わり者が多い。
ちなみに『月霊の一族』の意思に反して束縛や国に留めた場合、酷い災害や災難に見舞われるため、本人が望まない限りはけして拘束しないように、国同士で取り決めている。




