和平交渉
ワンドマリガ王国とライジス王国は予想外の出来事に驚き、世界人類同盟政府に助けを求めた。前線国家での大戦を避けたい今回も帝国はライジス王国とワンドマリガ王国の条約破りを理由に介入しない方針を示した。それに納得できない者たちは皇帝ディアナに詰め寄った。
「先の会議でノア殿がワンドマリガ王国東部やラフマートで起こした出来事は議論の余地が残るものの、追求しないと結論を出したではありませんか? その裁定を下した以上、ノア殿やロクラス殿を賊徒と認定することは認められません」
ディアナは面倒ばかり引き起こすノアを殴り飛ばしたくなる気持ちを抑え込み、議員たちに言った。つい先週「ごめん」とだけ書かれた手紙と共にノイアフォード名物の食品がたくさん送られてきたがそれで許せということだろうか。
「反乱を起こすとは考えられないロクラス殿を反乱軍と認定し、ライジス王国は同盟ではなくワンドマリガ王国に反乱軍鎮圧の要請をし、ワンドマリガ王国はそれを了承。裏にどんな取引があったかについては知りませんが盟主国としては認容できません」
議員たちは言葉を失った。世界人類同盟議会でノアのワンドマリガでの行為は問題はあるが、国家に弾圧される人民を救う人道的行為であるとみなされ、自国民を弾圧したワンドマリガの自業自得であり、人類一体化の妨げになるとして警告を受けた上、巨額の課徴金を納めることを命じられた。しかしワンドマリガ王国国王センディハルはそれを国辱とし、ノイアフォードを破壊すべくライジス王国と取引したのだ。しかし結果は惨敗。ライジス王国は南部の農耕地帯を占領され、ワンドマリガ王国は東部全域を奪われた。ワンドマリガ王国に至ってはすでに首都メルディンを包囲されているという。
「し、しかし両国は人類同盟加盟国です。事実として彼らはラントフォード軍に攻められています。それを放置するのは国際秩序を乱すことになるかと」
その言に理がないわけでもない。名目上は同一王国のライジス王国の件は別にしてもワンドマリガ王国を攻めているこの状況はよくない。この時点でノイアフォードが一方的に被害者ぶることはできなくなった。
しかし、それは賢明な判断であった。もし、領内から敵を追い出しただけならばそれで終わり。そのまま終戦だ。次の侵攻のおそれもある。だが反撃して攻めればワンドマリガ王国を攻め滅ぼし、今後の憂いを根絶できる。できなくとも領土を返還する代わりに莫大な賠償金を請求できる。最低限の戦いをするよりも徹底的に相手を叩きのめす方が得な制度なのである。
「…我が国の将軍に兵を率いさせ、ノア殿を説得してもらいましょう」
ノアは巨人族やスーたち有翼族の兵とともに城壁を越えて王都に侵入した。さすがに城壁は破壊できなかった。しかし、あまりにノイアフォード軍の速い進軍のせいで王都は兵を集められなかったらしく、あまり兵がいなかった。王もとっくに脱出してしまっている。すぐに王城を制圧し、陥落させた。一国の首都にしては呆気ない陥落であった。開戦からわずか二週間の出来事であった。
「これ以上攻めねえのか?」
ロイトとカストル、ジークとカードゲームをしながらノアはミラに尋ねた。彼女は卓上に地図を広げながら何かを考えていた。
「ええ。どうせ無駄になるでしょう」
「無駄?」
ミラは頷く。
「同盟政府か帝国がここに軍を送ってくるでしょうから」
「戦うのか?」
今度はジークが答えた。
「脅しだ。戦争止めて占領地返さねえと叩き潰すぞってな。戦えば俺たちは負けて占領地は奪還される。帝国と戦うメリットは皆無。俺たちは引くしかねえ。ならこれ以上進んでも無駄ってことだ」
「首都まで落としたのは我が軍の武威を各国に広めるためです。目的は達成したのであとは帝国との交渉のネタを探しているのですよ」
なるほど、とノアは頷いた。他の将たちも彼女の意図を察知しているようだった。新入りのウェルハンも理解していた。彼らの存在は非常に頼りになる。ノアにはできないが、やる必要があることをやってくれる。
皇帝ディアナは何度目かわからない溜め息を吐いた。理由はやはり彼女の友人にして妹の想い人であるノアだった。そんな彼女の元に一人の老人がやってきた。夜空を切り取ったように黒い鎧を着こんだ将軍だ。名をへリオル。数代に亘って皇帝に仕えた生粋の忠臣である。皇帝からの信厚く、先帝よりディアナの後見をも頼まれていた。
「ふふふ、皇帝らしい顔をしておりますな」
ディアナは顔を上げ、老将を睨む。
「これが皇帝の顔なものですか」
皇帝は頬を膨らませる。それを見て老将は微笑む。この男は孤高なディアナ帝が信頼し、心を許す数少ない人物だった。
「全く! あの大馬鹿ったら迷惑ばかりかけてくるのですよ。私の立場というのも考えてほしいものです」
「はっはっは。そう言いつつもそこまで嫌そうではなさそうで何よりです」
ヘリオル将軍は幼少期からディアナを見守ってきた。ディアナが考えていることは大体理解できる。
「此度の調停、私も出向きましょう」
「行ってくれますか。貴方がいてくれれば調停が荒れることはないでしょう」
ディアナはほっと一息ついた。
半月後、帝国が将軍へリオル、セシリア、ヴァルス、十万の兵をメルディンに派遣してきた。彼らが連れてきたのはワンドマリガ王国の王太子アレニコスとワンドマリガ兵一万。彼は武勇に優れた将軍としての面を持つが、ノイアフォード軍が王都を囲む前まで王都におり、包囲される寸前になって父王と共に王都を脱出したため一連の戦いには参戦していなかった。ノアは三万の兵と主だった将を王都に集めた。
ノアは臣下たちが止めるのも聞かず、ラミナスとミラだけを伴って帝国軍に乗り込んだ。その胆力にヴァルスは驚嘆していた。
「お久しぶりです、ノア殿」
平静を装っているが喜びと不安が隠せていない声音でセシリアが声をかけてきた。ノアのことが心配なのだろう。
「よ! メレモロ城ではありがとな!」
屈託のない笑顔でノアは返す。
「姉上は随分とお怒りでしたよ。あれだけの菓子では割に合わないと」
「あっはっは。もっと送るよ」
ノアたちは天幕の中で向き合った。アレニコスがノアを物凄い表情で睨んでいる。ノアはそれを気にせずに椅子に腰を下ろした。その後ろにラミナスとミラが控えている。ラミナスは敵陣の中ということもあって警戒している。
「よく三人で来れましたな、ノア殿」
へリオルが茶を差し出しながら言った。
「まー、ラミナスがいるしな。不安はねえよ」
ラミナスがいてくれるならなんの問題もない。ノアは彼女を信じているし、ラミナスはその信頼に応えられるだけの忠誠心と武力を持っている。何かあっても必ずやノアとミラを守り通すだろう。
「率直に言わせてもらう。すぐに王都メルディンと占領地を返却せよ」
アレニコスが立ち上がり、叫んだ。礼儀もへったくれもないその態度にミラや帝国の将たちは苦笑した。
「断る!」
ノアは即答する。
「攻めてきたのはお前らなのになんで返さなきゃなんねーんだよ」
「元はといえば貴様が我が国民を連れ去り、将兵を殺したからであろうが!」
アレニコスは机を叩き、怒鳴った。
「俺が来た時、あいつらは…お前の国の人間じゃなかったぞ。お前らはそいつらを奴隷にしようとした! 国民を奴隷にする国があってたまるか!」
青年は叫び返す。ノアは彼らの苦しみを見てきた。本来保護してくれるはずの国家の圧政に苦しみ、奴隷商に家族を奪われ、それでも生きていた。生きようとしていた。彼らを見捨てることができずにノアはノイアフォードに連れて行ったのだ。
「…アレニコス王子。その件については議会で結論は出ています。ワンドマリガの非人道的行為に問題があるためその訴えは認められないと」
「ですが…!」
セシリアの発言にアレニコスはたじろぐ。しかしそれも一瞬で、セシリアに反論することはなく、ノアに対して論をぶつける。
「我が国はライジス王国の要請に応じ、賊徒の拠点を攻めただけだ!」
「…帝国は貴国がライジス王国に対し、ノア殿を反逆者と認定するよう財貨をもって働きかけていた証拠を掴んでいます。発言にはお気をつけなさるよう」
ヴァルスが頬杖を突いて言った。やる気がなさそうだ。その隣のセシリアもアレニコスには面倒臭そうな態度で接している。へリオルは寝ている。やはり帝国の将軍にはセシリアをはじめ変わった人物が多い。
「…事実、我が国は攻められ、王都も奪われている! これは人類平和条約に違反する行いだ! 即時、被占領地の返還を要求する!」
「寝言は寝て抜かしなさい。貴殿は我々に要求をする立場にないでしょう。千軍万馬を動かしてノイアフォードに攻め込んで大敗を喫し、僅か二週間で王都を奪われ、自国の軍で失地を奪還できないから情けなくも帝国に泣きついたのでしょう?」
ミラが蔑みを込めた目でアレニコスを睨む。
「恥を知りなさい。虎の威を借る狐」
「貴様…!」
アレニコスが剣に手をかけた。それをセシリアが制する。
「抑えなさい。ミラ殿が仰る通りではないですか?」
セシリアはラントフォード軍の強さを知っている。そもそも種類にもよるが一体の魔物を倒すのに通常の兵士二人がかりでかからねばならないのをラントフォード兵は一人で何人も倒していく。遠距離は騎射で、近距離では巧みな馬術と卓越した集団戦術で瞬く間に殲滅する。退却するときも全員が一目散に逃げる。集団で陣形を組む歩兵が多数を占める他国の軍勢では勝てるはずもない。帝国軍も単独では勝てないかもしれない。常に前線で戦い続けてきた熟練の戦士たちならまだしも北方の未熟な兵たちはノアの赤い雷を見てすぐに逃げ出してしまうだろう。
だがアレニコスは強情だった。
「まだ西部と北部の兵力六万が残っている! 大将軍メルヘスもいる。勝ち目はある!」
「そうですか。ならそうなさるがよろしい。我が国は手を引かせてもらいます」
目を覚ましたヘリオルが溜め息を吐く。王国兵が六万人いようともノイアフォード軍に勝てはしないということはヴァルスも知っていた。主力だった軍はノイアフォードに攻め込んで壊滅したのだ。一方ノイアフォードはこれまでの戦いでの損害は軽微だ。ワルキューレ軍三万と巨人族軍五百人という強い同盟相手もいる。そもそも威嚇のために十万も兵を連れてきたが勝てるとは思っていない。前線で常に戦ってきた帝国の精鋭兵ならともかく連れてきたのは北方の新兵ばかり。しかも移動で疲れている。一方のノイアフォード軍は勢いに乗っているし二週間の休養で回復している。そして領主であるノアへの忠誠心と自由を求める意思がある。
「俺たちは…ノイアフォードで暮らす奴らが自由に暮らせるなら城も領土も返してもいい。でもそれは帝国がワンドマリガとライジスに下す罰を明らかにしてからだ」
ノアが言う。この件でワンドマリガ王国とライジス王国に処罰が下されない、もしくは軽い罰しか与えられないとなれば両国は国力を回復し次第、また攻めてくるかもしれない。また他の国もそれに倣う可能性も否定しきれない。
「もちろん両国に対して決して軽くはない処罰を下す予定です。それに関してはご安心を」
「どのような処罰を予定しているのでしょうか?」
ミラが尋ねる。単純なノアや口下手なラミナスでは交渉はできない。そういうのはミラに任せるしかない。
「それは未定ですが…急を要すべきは被占領地の解放です」
「今回の侵攻の原因には帝国の加盟国に対する監督不行届きもあるはず。侵攻の予兆も察知していたでしょう? それを放置して貴方たちはノイアフォードへの侵攻を許した」
「う…」
セシリアは言葉に詰まった。同盟政府はワンドマリガ王国とライジス王国の侵攻をノイアフォードから知らされていた。しかしその正不正を議論しているうちに侵攻が始まり、この状況になった。同盟政府とその盟主である帝国の責任はミラの言う通り決して軽くはない。
「我々が納得できる裁きを両国に課すまでは安全のためにも占領地を手放すことはできません」
「なっ…! そんな勝手、許されると思うか!」
アレニコスがミラに怒鳴る。彼も彼で必死だった。領土どころか王都を失っているのだ。その焦りはいかほどのものかミラは理解していた。しかしそれをこちらが汲み取ってやる必要はない。ミラは彼の方を向くこともなかった。
「うっさい、お前と話すつもりはねえ」
ノアはアレニコスに舌を出した。
「貴様…!」
彼の顔は赤くなっていた。今すぐにでもノアたちを斬り殺したい衝動を必死に抑えているのだ。
「帝国が来なきゃ俺たちはお前の国を滅ぼすつもりだったしそれができる戦力もある。だから俺たちが交渉するのは俺たちを上回る武力を持つ帝国だ」
直接帝国に赴いて助けを求めたアレニコスは反論できなかった。ワンドマリガの残存戦力は練度の低い寄せ集めだ。最強の騎兵団やワルキューレ軍、航空騎兵団、巨人兵に対抗することはできない。しかも堅牢な王都の城壁に拠って戦われたら勝ち目がない。野戦ならさらに勝ち目がない。
「その通りであろう、アレニコス王子。貴殿は我が帝国軍の武威を背景にこうして交渉の席に着くことができているのです。それにミラ殿は占領地を返さないと言っているのではありません。あとの交渉は帝国にお任せなさい…」
いつの間にか目を覚ましていたへリオルの言葉にアレニコスは苦々しい表情をしながらも頷いた。帝国の宿将に諭されてはさすがの彼も引き下がるしかなかった。
「ノイアフォードはどのような罰を課すことをお望みでしょうか?」
へリオルはノアを見た。彼がノイアフォードの君主であることを尊重しているのだった。だがノイアフォードにとっての交渉相手が武力を持つ帝国であるのと同様に、帝国にとっての交渉相手は政治センスと交渉術を持つミラであった。ノアは目を逸らしてこれまで通りミラに発言を譲った。
「今回の違反行為は悪質です。両国ともに世界人類同盟からの除名、両国の保有する奴隷のノイアフォードへの引き渡し、戦争賠償金の支払い、ライジス王国にはラントフォードの独立の承認を求めます」
それは事実上、両国が敗戦国になったことを示す不平等な平和条約だった。しかし両国にはそれを撥ね退けることはできない。
「また、帝国には加盟国を監督する責務があったはず。これらの要求の履行が滞らないよう監督していただきます。履行が不可能となった場合は帝国が代わりに履行すること。それが認められない場合、両王国、そして帝国は地図から消えることになりますのでご了承を」
流石のノアとラミナスもミラの強気な発言に驚いて彼女を見た。そして同時に仲間になってくれてよかったとも思った。彼女以外に帝国とここまで渡り合える者はいないだろう。彼女はこれから先、ノアの国の命運を左右する人物だ。
「なぜ国を取り戻すのに金を払わねばならん! 理不尽だ!」
「理不尽を自国の民に押し付け、不法に我が街を攻めた貴国に非があろう! いいか、アレニコス殿! いずれ王位に就きたいのなら覚えておかれよ。国家とは民を基盤として立つ。王は信義をもって君主となるのだ!」
ミラの語気には多分の怒りが込められていた。ノアは彼女がここまで怒った表情をするのを初めて見た。アレニコスはその覇気に当てられ、何も言うことができなかった。千年元帥としての威厳に及ぶ者はない。
ヴァルスが咳払いする。
「ワンドマリガは国民に対する不当な圧政、ライジスは戦争支援金の横領、今年のうちに同盟政府から警告を受けていました。そして今回の出来事…。経済的制裁のみで済ませば他の加盟国に示しがつきません。同盟からの除名は避けられないでしょう」
ちなみにそれはディアナの考えでもあった。非前線国家は魔王領の拡大に伴って難民の受け入れ、生活させる義務を有していた。しかしワンドマリガ王国はそういった難民や自国の民に理不尽に圧迫を加えた挙句、奴隷にしてラフマートに売り飛ばした。一方のライジス王国は非前線国家が苦労して捻出した支援金を不当に使用し、ラントフォードには十分な資金が届かなかった。どちらも許すことはできない行いだ。帝国や同盟の威信にかけて両国に厳正な裁きを下さねばならない。
「そ、それは困る! 同盟から外されれば他の国から攻められることになる!」
アレニコスの反応も仕方ない。世界人類同盟の人類平和条約は全加盟国が批准し、加盟国同士の戦争を禁止している。つまりそれは非加盟国に侵略することは禁じられていないということだ。それは条約の拡大解釈として非難されるがそれを阻むことはできない。事実、非加盟国のシタリ王国やフィーレイ王国、ユノールア神教国、東の国は周辺国家の侵略を受けることが多かった。これまでは北に隣接するユノールア国にちょっかいをかけて略奪を繰り返していたが同盟政府に守られて逆襲を受けることがなかったワンドマリガ王国が同盟を外れることになれば今回の戦いで国内総戦力の半数を失ったこともあり、憎悪を溜めているユノールアの侵略を受けることは火を見るより明らかだ。しかも再びノイアフォードが攻めてこないとは限らないのである。
「貴国の行いは限度を超えています。加盟国だからという理由で庇うのにも限界があります。先日、その警告はしたはずです」
「くっ…!」
アレニコスは沈んだ。
「それでどれくらいの賠償金をお求めになるつもりで?」
「ワンドマリガには三千億レーネ。ライジスには四千億レーネを請求します。これはラントフォード全体での賠償金とします」
ミラは毅然として言い放った。その金額にさすがのラミナスも顔を歪めた。三千億レーネはワンドマリガ王国年間予算三年分だ。四千億レーネはライジス王国年間予算三年分である。
「ほ、法外だ! 我が国にそれを払う力は…!」
だが彼女はそれを無視する。
「帝国が賠償金の肩代わりをしてくれるのでしたらその他の罰則を課し次第、両国の占領地を返還します。両国への債権を帝国に譲渡しましょう。ですが支払いを帝国が保証しないのでしたら支払いが終了するまで担保として占領を続けます」
ミラは譲歩するつもりがなかった。へリオルは皇帝の代理として和平交渉の全権を与えられていた。彼の決断によってすべてが決まる。ライジス王国とワンドマリガ王国、そしてラントフォードの未来がここに懸かっている。
「…わかった。帝国はそちらの要求を呑もう。帝国が両国の戦争賠償金をラントフォードに支払い、それを対価として貴殿らのライジス王国、ワンドマリガ王国への債権を買い取らせてもらう。それでよいか?」
へリオルは自分の首筋を撫でた。
「ああ! それでいい!」
ノアは頷いた。それでこちらに損はない。帝国が支払いをしてくれるならワンドマリガやライジスが滅ぼうが関係ない。こちらに両国の運命が関係なくなるので即時再侵略しても良くなる。
「み、認められるかッー‼」
アレニコスが激昂し、剣を抜き放ち、ノアに斬りかかった。セシリアが制止する間もなかった。だがノアは動かない。動く必要がなかったからだ。
「ノア殿!」
閃光が走る。鮮血が舞い、ある程度の質量を持った何かが床に転がった。ノアの前にはラミナスが立っている。その手は血に濡れている。素手でアレニコスの腕を握り潰し、引きちぎったのだ。その場にアレニコスの絶叫が響いた。
「あっ、あっ、あああああああッー‼ お、俺の腕が!」
床には彼の腕が剣を握ったまま転がっている。ラミナスは蹲るアレニコスの胸倉を掴み上げ、壁に叩きつけた。
「お前がどこの誰だろうと関係ない。お前はこの世で唯一剣を向けてはならない相手に剣を向けた」
これまで数千、数万の魔物や人間を殺してきた彼女の放つ殺気で周囲の軍馬も暴れ出し、将軍たちも動けなくなるほどであった。憤怒に満ちた目で相手を睥睨する。アレニコスは痛みも忘れ、恐怖に失禁した。
「ノア殿、ラミナス殿を止めてください。死なせたら割とまずいことになりますよ」
ヴァルスが爪をいじりながら言った。死ななければ殴ってもいいというのだろうか。
「ラミナス、あと一発だけ殴っていいぞ。殺すなよー」
瞬間、ラミナスの拳がアレニコスの顎にめり込んだ。殴り飛ばされた彼の体は天井を突き破って宙に舞い、地面に叩きつけられた。彼は気を失い、顎の骨が完全に砕けていた。死んではいないがしばらくはまともに動けないだろう。
二日後、ラントフォードとライジス・ワンドマリガ王国の間に和睦が結ばれた。しかしその条件はラントフォードに有利なもので、ラントフォードが疑いようのない勝利を手にしたことを全世界に知らしめた。一地方でありながら二か国を相手に勝利したラントフォードはその強さを世界に示した。ラントフォードは独立を認められた。同盟からの風当たりを考えて形式的には帝国の属国としてラントフォード公国と称され、その初代公王にロクラスが就任した。その翌月、ノイアフォードに両国が保有する奴隷八千人が引き渡された。そして公式に両国が世界人類同盟から除外された。その報告を受けてラントフォード軍は占領地を返還した。領土は広がることはなかったが、それでも十分勝利と言える戦果を挙げた。




