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藤城皐月物語 1  作者: 音彌
第2章 2学期と思春期の始まり
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99 サイケデリックトランス

 今夜は涼風が気持ちがいい。マンションの外廊下から見える満月が妖しく美しい。藤城皐月(ふじしろさつき)栗林真理(くりばやしまり)の家に来るのは、夏休み最終日以来のことだ。

「今日、お母さん帰ってこないんだって」

 玄関の扉を閉めると真理が言った。

「うちの親、そんなこと言ってなかったぞ」

 真理は皐月のことを見つめたまま押し黙っていた。真理の瞳は少し潤んで光っていた。


 この日のお座敷は大きくて、皐月の母の小百合(さゆり)や真理の母の凛子(りんこ)だけでなく、豊川の芸妓(げいこ)衆の全員が呼ばれている。小百合の新弟子の頼子(よりこ)も呼ばれていた。

 小百合は遠方のお座敷なので帰りが遅くなると言っていたが、泊まりになるという話はなかった。だが、真理は凛姐さんは帰って来ないと言う。

 皐月は真理の言葉をずっと待っていた。だが、真理は何も話す気がなさそうだ。真理の表情が愁いに沈んだのを見て、皐月はようやく気がついた。

「ああ……そういうことか」

「うん」

 真理が玄関から動こうとしなかったので、皐月が先に部屋に上がり、リビングのソファーに腰を下ろした。真理はリビングには来ないでキッチンに入った。

 少し大きめの音量で音楽が流れ始めた。前来た時は静かなインストゥルメンタルだったが、今日は一変してサイケデリックトランスだ。

 コーヒーの香りがキッチンから漂ってきた。ドリップをしているようなので、真理が来るまでまだ時間がかかると思い、皐月はソファーで横になった。

 この部屋はベージュとアイボリーの内装で、高級感がありながらも落ち着く空間になっている。皐月の部屋の昭和を引きずる古臭い感じとは別世界だ。

 真理の家の天井を眺めていると、天井板を羽重ね張りで張った自分の部屋のイナゴ天井とはまるで違うので、余所(よそ)の家にいる居心地の悪さを感じる。だが目を閉じるとラテン系のトランスのグルーヴと相まって、皐月は外国のホテルに来たような高揚を感じ始めていた。


 真理がコーヒーをトレーに乗せて運んで来た。コンビニで買ったスイーツの他にショートケーキもある。

「ケーキもあるの? そんなに食べられるかな……」

「皐月が食べられないんだったら、私が二つとも食べる」

「太るぞ、そんな無茶したら」

「いいよ。皐月に無理強いしたくないし」

 真理はよく食べる割に太らない。クラスの女子が知ったら羨ましがるだろう。

「ケーキがあるんだったら、スイーツなんて買わなきゃよかったな。ケーキと吸いつだと、さすがに俺でもちょっと多いと思う」

「そんなこと言わないでよ。私も冷蔵庫を開けるまでケーキがあるって気がつかなかったんだから。お母さんって後ろめたいことがある時、ケーキやお菓子を買う癖があるんだよね。忘れてた」

 皐月はこの話を聞いていてつらかったが、真理はあっけらかんとしていた。

「なんでケーキが二つもあるの? お前、いつも二つ食ってんの?」

「一つはお母さんのだと思う。家に帰ったら食べるつもりなのかもね。でも、私がいつも全部食べちゃうの。だって、ケーキは今日中に食べないとダメでしょ?」

「もうちょっと賞味期限が長い食い物だったらよかったのにな。でもこのコンビニスイーツ、賞味期限が明日だから、朝に回せばいいんじゃないか?」

「じゃあそうする」


 真理の淹れてくれたコーヒーを飲むと別腹スイッチが入ったのか、多いかもと思っていた食後のケーキでも余裕で食べられた。レアチーズケーキはいつもなら自分では選ばないけれど、食べてみるとこれはこれで美味しい。

「サイケデリックトランスなんか聞くんだ」

「うん。聴きながら勉強するとなんか調子いいんだよね」

「本当に? こんな BPM の高い音楽聴きながら、よく勉強できるな。ちゃんと勉強したこと頭に入ってるの?」

「暗記系はしないよ。作業系だけね。普段は音楽聴きながら勉強なんてしないんだけど、たまたまダルい学校の宿題を音楽聴きながらやったら楽しくて、思ったより苦痛じゃなかったの。それで試しに聴きながら受験勉強もしてみたら、想像以上にいい感じでね。でも国語の読解問題だけはさすがに無理だった」

「へ〜。そうなんだ。今度俺も試してみようかな」

「なんなら今試してみる? 一緒に勉強しようか」

「いや、今はいいよ。お腹一杯でそんな気分じゃないし。それよりいいのか? 俺がいたら勉強の邪魔じゃないのか?」

「今日はいいの。もう勉強したくないから、やらない」


 皐月はパピヨンで勉強中だから邪魔するなと言われたことにショックを受けていた。

 だが真理は今、嬉しそうに一緒に勉強しようと誘っている。美味しい物を食べて勉強のやる気が出てきたのかと思ったが、勉強はしたくないと言う。翻弄されている。

「サボりかよ。真理でも俺みたいに怠惰に流されるんだな」

「まあね。言っとくけど私、もともと努力とか超苦手だし、嫌いだから。勉強なんて、そもそも私のキャラじゃないって」

「まあそうだったよな、昔から。真理から塾に行くって聞かされた時、俺ビックリしたもん。気が狂ったのかと思った」

「ひどい!」

「でもそんな真理が受験勉強続けてるんだから、すごいよな。偉いなって思うよ、マジで」

「皐月が思ってるほど頑張ってないよ、私」

「でも俺は真理、頑張ってると思う」

「ほんと?」

「うん、本当」

 真理が締りのない顔でデレデレしている。学校では絶対に見せない顔だ。

 真理は勉強ができるけど愛嬌があまりないので、小学校ではみんなからすっかりクールなキャラだと思われている。子供の頃から真理のことを知っている皐月にしてみれば、真理がクールだなんて(へそ)で茶を沸かす話だ。


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