98 淡い光の中
夜の喫茶店『パピヨン』には藤城皐月と栗林真理しか客がいなくなっていた。閉店の時間が迫っている。
真理が黙々と勉強をしている間、皐月はぼんやりと真理を見ながら考え事をしていた。
昔は自分の方が真理よりも圧倒的に勉強ができた。今でも中学受験組を除けば、勉強では自分が一番だという自負がある。それでも真理に勝てなくなった。そんな真理でも絶対に勝てない子たちが皐月の知らないところにはたくさんいる。
上には上がいる。その違いは何だろう。やっている勉強の質と量、あとは上を目指す気持ちや背負うものか。
勉強の先には学歴があり、学歴の先には地位や金がある。言い換えれば、勉強をすることで人の上に立とうとしている人間が競争しているのがこの世界だ。
もしかしたら自分はとんでもなく甘い人間なんじゃないかと、怖くなってきた。お金なんか困らない程度あればいいし、人の上に立つことの何が面白いのかさっぱりわからない。自分はただ、寂しくなければいい……。
「俺、帰るわ。勉強の邪魔して悪かったな」
「帰っちゃうの? もうちょっと付き合ってよ」
皐月はこの席に来て初めてまともに真理の顔を見た。白熱灯の温かく柔らかな光に照らされた真理は儚げで、今にも消え入りそうに見えた。
「この席の照明だと暗いんじゃない? いつもの席の方が明るいぞ」
「いいの。問題を覚えちゃえば、あとは頭の中で考えるだけだから」
「だって今、問題に見入っていたじゃん」
真理は頬杖をつきながら、気だるげに理科の問題を見ていた。こんな様子でいつも勉強しているのかと思うと、皐月は自分がこの場で受験勉強をしていないことに引け目を感じる。
「見ているように見えるかもしれないけど、何も見ていないよ。集中しているから」
「ああ……」
勉強の邪魔をしないよう、窓際にもたれかかった。皐月は外を見る格好をして、ガラスに映る真理のことを眺めた。もしかしたら真理は見つめられていることに気付くかもしれない。でも、窓に写り込んだ姿ならきっと許してくれるだろう。
「ねえ……この後、家に寄ってってよ」
皐月はいつの間にかぼんやりとしていた。話しかけられたことに気付くのに間があったみたいだ。真理を見ると、もうカレーセットを食べ終えていた。
「えっ? 今から?」
「今日うちのお母さん、百合姐さんと同じお座敷でしょ? 頼子さんも一緒なんだよね? じゃあ、ちょっとくらい遅くなってもいいでしょ」
店内の時計を見るともう八時になろうとしている。夕食の終わりにしては遅い時間だ。さっきまでとは別人のように真理はこっちを見ている。
「わかった」
祐希に真理の家に寄ってから帰るとメッセージを送ると、「夜遊びはほどほどに」とだけ書かれた返信が来た。
「真理、俺と遊んでいて勉強大丈夫か?」
「皐月はそんな心配しなくていいの。行こっ」
パピヨンの外に出ると商店街の店はほとんど閉まっていた。パピヨンの電飾看板も回転灯も明かりが消えていた。
ファサードの窓から漏れる淡い光は真理をいつもよりも美しく見せている。それなら、暗がりの中の自分も少しは格好よく見えているのかもしれない。皐月は今、勉強ができるようになることよりも格好良くありたいと思っている。
「皐月、コンビニ寄って行こっか」
「まだ食うのか。太るぞ」
「この前食べたピーチパフェ、まだ売ってるかな?」
「コンビニは商品がころころ変わるからな」
「売ってたらいいな」
「そうだな。売ってるといいな」
真理と顔を見合わせると、真理はいつまでもこっちをじっと見つめている。皐月はこの間に耐えられなくなり、目をそらそうとしたら真理に微笑みかけられた。
「なんだよ」
「皐月、髪型変えて格好よくなったね」
「嘘つけ。前は地味だって言ってたくせに」
「地味で格好いい」
皐月は真理に容姿のことで褒められたことがない。真理の母に勧められて髪を伸ばしていた頃は、女の子みたいだとバカにされていた。
「真理。お前、適当なこと言ってるだろ?」
「バレたか」
笑いながら真理は皐月を置いて早歩きで先に行ってしまった。走るのは遅いくせに、歩くのだけは速い。皐月は小走りで真理を追いかけた。




