82 奴らの本来の目的
雀のさえずるような麻雀牌の音に混じって階段のきしむ音がかすかに聞こえた。牌の音にかき消されそうなほど小さな足音は、抜け番だった藤城皐月には小百合寮に住み込んでいる及川頼子の足音ではなく、娘の及川祐希のものに聞こえた。
麻雀はまだ続いていたが、祐希が来たらもう終わらせてもいいと皐月は考えていた。どうせ月花博紀たちは祐希に会いに来ただけに違いない。入屋千智の歌が聞けなかったのは残念だが、今泉俊介や月花直紀にも祐希を紹介できると思うと胸が弾んだ。
障子がゆっくりと小さく開いた。隙間から戸惑い気味の祐希の顔が見えた。皐月は手を伸ばせば障子に届くところに座っていたので、さっと戸を引いた。
「おかえり」
「ただいま。本当にお母さんの部屋で遊んでいるんだ……」
麻雀をしていたみんなの手が止まり、四人の視線が一斉に祐希に注がれた。
「あっ、千智ちゃんだ。久しぶり〜。今日は雰囲気違うね〜」
「祐希さん、おかえりなさ〜い」
祐希と千智が高速で手を振り合ってはしゃいでいる。直紀と俊介は呆けた顔で二人を見ていた。博紀は祐希の視線が欲しいのか、物欲しそうな顔をしている。みんなの様子を見ている皐月はニヤニヤが止まらない。
「祐希って制服着ていると、本当に女子高生だね」
「尊いでしょ。崇めなさい」
おどけたことを言ってみると、皐月の期待以上の言葉が返ってきた。千智の顔を見たからか、あるいは昨夜の恋バナで皐月と打ち解けたからなのか、祐希の表情から硬さが消えていた。
だが、祐希がリラックスしているのは引っ越し先の家から学校へ行き、友達と会えたからかもしれない。もしかしたら恋人と会ったからかもしれない。祐希が素を出せるようになったことを喜ぶ気持ちはあるが、皐月は祐希が遠くなったような気がして、少し寂しかった。
麻雀は中断され、祐希と千智は楽しそうに話をし始めた。博紀と直紀、俊介はそんな二人に心を奪われているようだ。そんな中、皐月はにわかに孤独を感じ始めた。
(なんで俺はここにいるんだろう。ここに俺がいる必要があるのか……)
「コップ片付けてくるね」
皐月はみんなが飲み終えたコップを回収し、お盆に載せて階下の台所へ運んだ。台所には祐希の母の頼子が一人でいた。
「わざわざ持ってきてくれたの? ありがとう」
「あの階段、急だから。二階まで持ってくるのって大変だったでしょ。コップの中身が入っているのに、よく持って来られたね」
「配膳は得意なのよ。旅館で仲居の仕事をしてたから」
台所のテーブルにはケーキが一つ残っていた。さっき皐月たちが食べたものと同じだ。祐希の分も買ってあったのだろう。
「祐希っておやつのケーキがあるの知ってる?」
「ああ、まだ言ってなかったわね」
「俺、伝えてくるよ」
お盆の上にお茶と不揃いのグラスを6個用意して、お盆に載せた。グラスにお茶を注いでから行こうとすると、頼子からやめた方がいいと言われた。さっきミルクチャイを二階へ上げた時、大変だったらしい。昔の建物は階段が急なので、いくらお盆に滑り止め加工が施されていても配膳が難しかったそうだ。
皐月はお茶の入った冷水ポットとグラスを2回に分けて階段の上まで上げ、みんなのいる頼子の部屋へ運んだ。そこでは祐希を中心に直紀や俊介たちも談笑していたようだ。
「お茶持って来たよ〜」
「ありがとう。皐月はいい子だね〜」
「先輩、言ってくれれば私も手伝ったのに」
「そうか。じゃあ、次は千智に助けてもらおうかな。ところで祐希ってモンブランが好きなの?」
「好き! でもどうして皐月が私の好きなケーキのこと知ってるの?」
「おやつに買ってあるから食べにおいでって、頼子さんが言ってた。行ってきたら?」
「どうしようかな……」
祐希は男たちに気を使っているようだ。
「皐月君、俺たちにはおやつないの?」
「直紀、みっともないこと言うなよ!」
博紀は弟の無遠慮をたしなめたが、皐月にはかえってありがたかった。
「お前さ、そういうもんは普通、遊びに来る奴が持ってくるもんじゃないの? まあいいや、ちょっと待ってな。婆菓子だったらあるかもしれないから、何か持ってきてやるよ。千智、みんなにお茶淹れておいてもらえる?」
「は〜い」
「じゃあ祐希、下に行こ」
「一度部屋に戻って、制服着替えてから行くね」
「えっ? 着替えちゃうの? 尊くなくなっちゃうじゃん。もう崇めてやんないよ」
「皐月って制服好きなんだ。へぇ〜」
「制服嫌いな男子なんているわけないじゃん。なあ、俊介」
「そうですよ、祐希さん。博紀も直紀も、男子はみんな制服が大好きなんです」
直紀と博紀はムキになって反発したが、祐希も千智も嫌がる様子もなく笑っていた。この空気は男だけで遊んでいる時ではあり得ない。学校では女子にちやほやされている博紀が顔を赤くしているのが面白い。
「もう、しょうがないな。じゃあしばらくは制服のままでいてあげるよ」